市内の各駅並びに周囲の移り変りを回顧していくところながら
今回は常磐線展に出かけてしまったり炎天下の前に頓挫してしまったので
ここで押さえていくことに。
面倒くさがって移動手段が「愛車」ではなく交通機関を利用した。
ICカード投入。RPGでHPが減っていくくらいに恐ろしいペースで金額が減っていく。
高架工事は「踏切によって分断された市街」を解消することで
縦横無尽に各方面へと往来を容易にすることを目的にしていたので
全11万人の人びとは船橋市や松戸市のように
広い市域を抱えているわけではないこともあり
全神経が毛細血管に至るまで行き届く感覚で
住まれている市内の地域だけではなく枠組みを取り外した目線で
旧来以上に物事を捉えていらっしゃるに違いない。
予めおことわりとして
東武鉄道文化圏にいる人は「鎌ケ谷」と綴り、
新京成文化圏の人は「鎌ヶ谷」と書く傾向にあり
このWEBは後者に原則として統一している。駅名の表記がコレだから。
新鎌ヶ谷駅は北総鉄道と新京成の駅を指し、
「ケ」が大きい新鎌ケ谷駅は東武アーバンパークラインの駅を
厳密にいうと示している。
うちの街、県庁所在地ではなく、10万人規模の街でありながらも
私鉄の本社が2つある。
北総鉄道と新京成だ。ここに東武アーバンパークラインが延びている。
敷設年代で紐解くと東武アーバンパークラインが一番最初。
新京成の線路は陸軍の鉄道連隊の演習線を引き継いでいる区間と
旅客営業を行うにあたって短絡路を設けた区間から成る。
東武鉄道だけが貨物輸送を担った時代を経験している。
新京成と北総鉄道は旅客しかない。
まずはそれぞれの券売機から見ていく事にしよう。

新京成はうちの街では新鎌ヶ谷駅だけチャージ専用機が導入されている。
ジェントルピンクの券売機は定期券の購入ができるものと
そうでないものと2種類がある。
前者は「定期券」の文字が機械に入っていて
上部にも「定期券PASMO」の文字の大きなステッカーを貼り出している。
他の機種はこちらのように「チャージ・履歴確認」の文字が入った青いステッカー。

こちらが北総鉄道の券売機。
3社の中で唯一新鎌ヶ谷駅に定期券売り場を設けているところながら
通勤定期は青い券売機でも購入することができるので
券売機にも文字が入っていながらも
その上部に大きくその旨が示されている。
クレジットカードにも対応できるようになった。

そして東武鉄道の券売機。
旧来機種が設置されていたところにはチャージ専用機を投入して
現行機種の置き換えを完了している。こちらもクレジットカード対応。
東武鉄道の券売機はいずれも特急券が買え、
定期券や企画乗車券にも対応していて、
広告媒体としての機能も兼ね揃えたスグレモノだ。
新京成と東武アーバンパークライン(船橋線の区間)は
それぞれにJRとの乗換駅を抱えており
設置駅によって松戸駅・柏駅乗り換えと津田沼駅・船橋駅乗り換えに
対応しているものとそうでないものがあり
うちの街の旅客の分水嶺にあたるところになっている。
常磐線生活圏と総武線生活圏が入り混じる。

くぬぎ山駅、「SL09」。2019年度の乗降客数は7297人。
少しばかり減少しつつも全24駅の中で20番目を維持している。
1面2線の島式ホーム構造で
朝を中心に車両基地がある関係で始発列車の設定もなされている。
かつては2番線に面して梨畑が臨める駅だったように
調整区域を近隣に抱えているので梨園が多い。

市内の駅においてくぬぎ山駅と鎌ヶ谷大仏駅は
いずれも伝言板が残っていることを
特筆しておかなければならない時代になっている。
北初富駅と初富駅は高架工事に伴う仮駅舎移転を前後して消滅している。
新鎌ヶ谷駅は現・駅舎が初めての駅舎にあたるので最初から存在しない。

くぬぎ山駅は新京成本社の最寄り駅にあたる。東証一部上場企業。
本社はこの記事を書き起こしている人間と同い年の建物だ。西口に位置している。

本社がある駅ということもあって
駅構内に掲出されている企業広告も
京成建設や三菱電機など取引先に関わるものが多い。

くぬぎ山駅東口を撮影。乗務区を兼ね揃えている。
旧来はこちら側から調整区域の人びとを流し込むような動線が引かれており
商店もそれに則って形成されていたものの
もはやほぼその面影もないに等しい。

東口からエレベーターへと見ているところ。
ガードレールが配置されている内側には物置がある。

先ほどの右手に見えていた更地には
かつて廃墟のように立体駐輪場がそびえ立っていた。
正面のオレンジの軒先を持つ建物は小杉商店だったところで
この1年の間に閉店する事となり
こちら側には武蔵庵を残すのみとなってしまっている。

東口側で飲食店が並んでいるのはホームに面したこの付近だけ。
平和商事を除くと入れ替わりが多い。

今度はくぬぎ山駅東口から正面、国道464号へとみている一コマ。
理容オガワやラーメン亭が健在ながら廃れている印象は否めない。
正面の道路右手に位置していた建物は営業を取りやめてから
30年近い歳月が経過してようやく解体がなされ更地となった。
写真店や食堂。
そして国道に面したところにはシャッターを閉じているけれども
かつては教科書取り扱いをしていた書店があった。

新京成本社間近に位置するくぬぎ山駅西口。
2番線ホームにも面している。

厳密にいうと少し方向を変えなければならないけれども
くぬぎ山駅西口から正面を見たところ。
左に自動販売機を従えている建物が新京成の本社で
正面玄関にはまわり込まなければならない。
駅を間近にPUDOステーションが設置されている。
その道路向かい、右手はかつて松下商店だった建物。
これの隣が山中不動産で、真っすぐ奥にそびえているマンションが
ワコーレ鎌ヶ谷になる。
新京成本社とワコーレ鎌ヶ谷の間に挟まれている左側に位置する建物が
ファミリーマートくぬぎ山駅前店が入った志村第一ビル。
かつては駄菓子屋さん、金物屋さんや本屋さんが入っていた。
見ての通り、くぬぎ山駅は自動車やバスの進入を前提としておらず
主要道国道464号からも奥まったところに位置している。
マンションがそびえ立っていても
ほぼ駅利用のためだけにあるような構造になっており
松戸市松飛台地区のベルクスやサンキ、五香駅周辺との関わり合いが深い。

志村第一ビル。
手前は大家さんにあたる方が駄菓子屋さんが
ごく短い営業時間でありながらもなおも営業をされていたものが
現段階ではテナント募集の貼り紙が掲出されている。

コミュニティバスききょう号はくぬぎ山駅には入らず、
「くぬぎ山コミュニティセンター」停留所をそばに設置してあるばかり。
この辺の道路構造が運用車両をワゴン車に限定せざるを得ないものにしている。
奥にそびえ立っているのが新京成の本社。

北初富駅。「SL10」。一日平均の乗降客数は2019年度で5351人。
横ばい。新京成で一番乗降客数が少ない駅という地位は脱却していない。
対向式ホームの2面2線の駅構造を持つ高架駅だ。
先々代の駅舎(北中沢)移転から所在地が鎌ヶ谷市北初富になっている。
新京成のナンバリングはこの北初富駅の先代駅舎にあたる仮駅舎への移転と
ほぼ同時期にはじまっている。

現・北初富駅駅舎を撮影したところ。
イメージカラーは北初富グリーン。

現・北初富駅駅舎は旧・線路跡に面してスロープを持つ出入口のほかに
高架下に面した出入口を持っている。

先々代・北初富駅駅舎がそばにあったことを示すように
北総鉄道高架下にある駐輪場には
今も「北初富駅前駐輪場」の文字が歩道に面して掲げられている。
現在の北初富駅にたどり着くためには
北初富交差点の横断歩道を2段階で渡る必要がある。
かつては道路向かい、
ハローストレージのコンテナが置かれた分にも駐輪場を持っていた。

こちら先々代・北初富駅駅舎北口付近から
新京成の高架橋並びに北初富交差点方面へと撮影したところ。
先々代の駅舎は北口とスーパータカセ旧店舗脇に南口を持っていた。

先々代・北初富駅構内。
2面2線の駅構造の橋上駅舎を持っていた。
上り線の裏手にはみどり幼稚園があったものの
現在の地上線敷設のために移転している。

北初富交差点は近接する旧・北初富1号踏切と旧・北初富2号踏切の
地上線を仮線へと切り替える際に
道路構造に支障をきたすことから現行の道路構造に切り替えている。
こちらは旧・北初富交差点を見ているところで
道路手前の富栄ビルを前に市道4号が横切る構造になっていた。

そして現・北初富交差点。
最終的には旧来の道路構造に復元することになる。

旧・北初富交差点を正面に、奥へ高架・北初富駅を控えての一コマ。
中ほどの建物、食事処・道並びに富栄ビルを挟んで
右に見えるのが現・北初富交差点。
奥を横切っているのが現・北初富駅駅舎。
現在の北初富交差点に切り替えるにあたって
フローリストクボノから用地提供を受けている。

俗にいう❝ビール箱❞ボトルコンテナが置かれている侵入防護壁向こうに
旧・北初富駅駅舎がそびえ立っていた。

現・北初富駅はコミュニティバスの停留所を配置しにくい道路構造にあるので
モアステージ新鎌ヶ谷並びに向山公園のそばに設置してある。
前方、奥を横切っているのが国道464号、華屋与兵衛がある付近。

新京成の新鎌ヶ谷駅。「SL11」。
2019年度は一日の平均乗降客数は3万5357人。
他の駅よりも高い水準で増加している。
市内の駅では一番乗降客数が多い駅ながらも
それでも新京成の乗換駅の中では少ない方になる。
駅所在地は鎌ヶ谷市新鎌ヶ谷。
旧来は鎌ヶ谷市初富字林跡であって、駅開業以来発展に伴って
新たに区分された地名を冠している。
駅名としての名前の方が先なのは北初富駅と同じだ。
島式ホームを採用しており
北初富駅方面に向けて折り返し設備を持っている。

南口改札の新設に伴い直営駅となっており
高架下にはセブンイレブン新京成ST新鎌ヶ谷店が営業している。
営業時間は6:00〜23:00。

新鎌ヶ谷駅南口交通広場から高架・新鎌ヶ谷駅駅舎を撮影。
新京成と東武アーバンパークラインの新鎌ヶ谷駅は
駅舎に表記されているロゴと文字は夜になると光る。
北総鉄道のものは光らない。

旧・北初富4号(先々代6号)踏切から旧・新鎌ヶ谷駅構内を見たところ。

旧・新鎌ヶ谷駅地上ホーム、
残されているホーム部分は東武線乗越仮橋梁寄りの一部のみで
ほかは跡形もなくなってしまっている。
唯一残っている架線柱はココ。
旧・新鎌ヶ谷駅ホーム跡には一部鉄板を敷いており、
中ほどに瓦礫をバリケードで囲んでいる。

北総鉄道の新鎌ヶ谷駅。ナンバリングは「HS08」。
一日の平均乗降客数は2018年度で2万2538人。
これにアクセ〇特急の乗降客数が加わると約2万7000人くらい。
北総鉄道の中では千葉NT中央駅に次ぐ数字を弾き出しており
アクセ〇特急の停車駅でもある。
京成成田空港線と直結しても極めて冷静な状況が続いているのは
圧倒的に空港利用者が都心部からのもので
通過交通に過ぎないことが背景にあるのではないかと思われる。
アクセス特急として運用されている車両は
乗り入れを行っている京急電鉄と京成電鉄の2事業者。
東京都交通局の車両は運用に入らない。
運転士さんと車掌さんはいずれも京成電鉄が受け持っている。
従って停車待ちする普通列車の運転士さんや車掌さんと
アクセス特急に関わる方々は制服が異なる。
北総鉄道の新鎌ヶ谷駅駅名表示板は
3つの鉄道事業者が乗り入れる駅の中で唯一4か国語で表示している。
日本語、英語、中国語、ハングル。
新京成との乗り入れ時代は「おおまち」のほかに
当然ながら「きたはつとみ」が記載されていた。
ホームは2面4線の駅構造で、2番線と3番線を主に列車は出発着し、
1番線と4番線は通過列車の退避待ちに用いられる。
京成成田空港線開業までは1面2線の構造で、
現在の1・2番線ホーム部分には折り返し列車などの留置に用いられていた。
当初からこういった使用を前提に建設がなされていた駅になる。
待合所は各ホームに設置されており、冷暖房を兼ね揃えている。
エレベーターは2基、エスカレーターは4基有している。

新鎌ヶ谷駅では北総鉄道普通列車は40分に1本の間隔で
アク〇ス特急に接続の便宜を図るダイヤが組まれており
千葉ニュータウンを中心としている一期線の乗降客と
二期線区間の乗降客の需要をマッチングしているのとともに
どの旅客動向を反映したものになっている。

地上部改札とのコンコースには売店があり
イデカフェが別途入居している。
一般的に駅構内の店舗は入場券を買うのが前提ながら
北総鉄道では例外的にその旨を申し出るだけでOK。
構内の案内表記は新京成の南口改札開設と前後して
大幅に刷新をしており、黒を下地にわかりやすく
目立つように表記がなされるようになっている。
番線表記はラインカラーを踏襲し、
何よりも目的の空港を認識しやすいように注意が図られている。

北総鉄道の改札を前にしたところには
ステーションラウンジこもれびという山武杉を活用した
待合・公衆スペースが開設されている。
唯一3鉄道事業者の中で公衆電話が設置されている箇所もこちらになる。

新鎌ヶ谷駅は3つの鉄道事業者が乗り入れる駅ながら
公衆電話は北総鉄道のところにある一台のみとなっている。
これも一台にまで絞り込まれた格好になってしまった。
新京成が南口開設をした時代には既にスマホが当たり前という時代。
東武鉄道は当初は改札脇に1台設置していたものを撤去している。
自治体としてもどういうわけか駅前広場には公衆電話を設けてはいない。
2000年初期に供用を迎えた鎌ケ谷駅はちゃんと自治体が
広場に公衆電話ありきで組み立てている。
(ちょうどC-フライヤーから公衆電話が撤去される時期と重なる過渡期)
公衆電話の重要性は天下の富山県ですら
北陸新幹線の開業を前にした時代に至っても
総合案内所をそばに公衆電話を一台配置して
そのライフラインの必要性を認識したりしているというのに。
時代と価値観の差異ということで。

南北自由通路のもとへと北口から北総鉄道新鎌ヶ谷駅駅舎出入口を撮影。
駅名表示板は黒を基調とし、
ラインカラーの北総ブルーはナンバリングにのみという
旧来のイメージを大きく覆すものとなっている。
ここの駅名表示板を大きくしているので
広告スペースを別途駅舎壁面に設けている。
南北自由通路を含めて点字ブロックが一直線につながってはいるものの、
高架下通路の所有者や整備年代がいずれも異なるので
三者三様のデザインになっている。

北総鉄道新鎌ヶ谷駅駅舎を撮影したところ。
鉄道敷設年代に反して開駅は3事業者の中で一番古い。

北口と東武アーバンパークラインの改札を結ぶ通路には
東京チカラめし、ヴィデフランス、イデカフェ、
麻布うす皮たい焼き寛太郎という店舗が並んでいる。
何とイデカフェは北総鉄道高架下に改札内・外2店舗、
アクロスモールと鎌ヶ谷ショッピングセンターにも店舗を構えている。
こちらのファミリーマートはコミュニティ京成が経営しており
24時間営業を行っている。
東京チカラめしは全体として数を減らしている中での貴重な一店舗。
かつては24時間営業だった。
いずれもこれらの❝大家さん❞は北総鉄道だ。

コミュニティ京成が経営するファミリーマートは
北総鉄道改札内においても
別途店舗を2020年8月20日から開店するのでその準備が行われている。
2店舗体制にしていくことになる。

新鎌ヶ谷駅北口から旧・西口方面をみたところ。
左側にそびえる北総鉄道新鎌ヶ谷駅ホーム下には
旧・西口にあたる付近に鎌ヶ谷ピコレール保育園がある。
道路挟んで右にそびえているのがMOIS TOUR。
くすりの福太郎やCanis Minorなどが
テナントとして入居している。

新鎌ヶ谷駅北口から出ているバスは、初富保健病院の送迎バスで、
旧来の西口正面にあたる駐車場脇に
アスファルト舗装にシェルターを講じて待合室を設置してある。
開放時間は送迎バス運行時間帯に限られるものの
ちゃんとエアコンが設置されていて空調がなされている。

新鎌ヶ谷駅北口からMOIS TOURに近接している
新鎌ヶ谷駅前ビルと新鎌ヒルズ、ディアヴェルジュ方面へと撮影。
路上喫煙禁止区域でもある新鎌ヒルズには
何故か禁煙や吸い殻のポイ捨て禁止を訴える掲出物がなされているという
非常にミステリアスなところでもある。

こちらは新鎌ヒルズと北総鉄道新鎌ヶ谷駅に挟まれた東口へのスロープ。
路上喫煙禁止区域に関する喚起幕がフェンスに掲出されている。

新鎌ヶ谷駅北口が開設されるまでは
この鎌ヶ谷ピコレール保育園付近に西口が開設されていた。
通路路面が関係者通路とはいえ凝ったつくりになっているのは
その往時の名残にあたる。

また開業当初からではないけれども
西口開設時代からずっとその歩みを共にしてきた存在として
こちらの郵便ポストが挙げられる。
しんかまキラリポストに比べると
地味でぞんざいにされているような気もしない。

東武アーバンパークライン新鎌ケ谷駅。ナンバリングは「TD30」。
一日の平均乗降客数は2018年度で4万1145人。微増傾向が続く。
うちの街で唯一東武アーバンパークラインの急行停車駅となった。
北総鉄道、新京成、東武アーバンパークラインの合計で
新鎌ヶ谷駅は一日あたり10万人が行き交う駅となっている。
他の駅の乗降客数を合計しても
こちらに及ばないという突出した状況にある。
開業したのは1999年11月で北総鉄道・新京成よりも遅れての開業。
俗にいう請願駅になる。
駅メロディはファイターズ讃歌。
東武鉄道の駅名表示板は駅の所在地を併記してあることに特徴がある。
「ケ」の文字が他事業者に比べて大きい。

東武アーバンパークライン改札を撮影。
「東武鉄道改札口」であることが強調されている。
こちらも定期外利用の多い駅であるが故の措置。
東武アーバンパークライン近隣の駅は
定期利用と定期外利用の比率がおおよそ2:1の割合なのに対して
新鎌ケ谷駅は4:3の割合の割合になっている。
東武鉄道は改札脇、「鎌傘」なる傘立てが配置してある。
ちゃんと借りたら返すように“かまたん”が呼びかけている。

東武アクセスの売店は閉店以後シャッターが閉じたままとなっている。
「東武線のりば」と書かれた柱の陰に鎌傘が置いてある。

先ほどの撮影位置の背後には東西自由通路があり
ファイターズコーナー、新入団選手の手形のレリーフや
かまたんの3Dアートと広告板が設けてある。
東経140度線やしんかまにぎわい広場へと動機づけを図っているけれども
実際、設置以後経年しているところで
目にされる方はどれくらいいらっしゃるのだろうか。

東武アーバンパークライン新鎌ヶ谷駅コンコース、
展示してあるリバティとSL大樹 C11-207を正面から撮影。
このプロモーション、駅員さんの手作りなのだという。
季節やイベント、時勢に応じてデコレーションがなされたり
照明で表情をあらわしているので
非常にインパクトのあるオブジェで発信能力も高い。

もう一つ、東武アーバンパークライン新鎌ケ谷駅の名物は
この1994年当時の新鎌ヶ谷駅を再現した鉄道模型だ。
東武アーバンパークラインはまだ「野田線」と言っていた時代で
新鎌ヶ谷駅はなく、「単線」構造にあった。
現在でいう新鎌ヶ谷駅南口交通広場側から見ているアングルにあたる。
当時はこのアングルで光景をみることができなかった。
土地区画整理事業によって大幅な嵩上げで地形を改良している。
掘割を走っている東武野田線は総合福祉センターや市役所付近は
この当時の段階では林を駆け抜けていた。
そういう過程を経ているので幅広い道路を持っていたり、
大型商業施設の立地を前提としたインフラが成り立っている。

アニメ「ロウきゅーぶSS」で2話ほど登場したアングルで
新鎌ヶ谷駅東口を撮影したところ。
アニメのように噴水があったりはしないし、
周辺の建造物も放送当時から増えている。
マクドナルドやくすりの福太郎、KFCなどが
北総鉄道高架下に入居している。これも「大家さん」は北総鉄道。
東口からのヒトの流れを受け皿にしている。
こちらの東口は自由通路を手がけているのが行政で
駅舎部分は当然のように東武鉄道が建設を行っているので
新鎌ヶ谷駅の駅名表記が2箇所あり、
スロープ寄り、東武鉄道の駅舎には「新鎌ケ谷駅」と
「ケ」の字が大きい表記が採用されるようになっている。

新鎌ヶ谷駅東口交通広場、しんかま情報BOXを新鎌ヶ谷駅東口から撮影。
ロータリーの奥にアクロスモールが控えている。
時計は南口交通広場と共通のデザインだ。
植え込み部分には「桜×鎌ヶ谷=魅力アップ」の記念植樹がなされている。

また右端にあたる北総鉄道高架下のくすりの福太郎側の路面部分には
東経140度線が可視的にわかるように敷かれている。

そして新鎌通りに面して立っているポストは
額を掲げている「しんかまきらりポスト」だ。
植え込みの中で背丈の高い樹木が「桜×鎌ヶ谷=魅力アップ」の記念樹。

新鎌ヶ谷駅東口交通広場には
タクシー乗り場、ききょう号・ナッシー号乗り場と
ちばレインボーバスの鎌ヶ谷線、西白井線、
アリオセブンパーク柏線、北総循環線と土日のみながら
高花線の停留所が設けられている。
ほかに船橋新京成バスの鎌ヶ谷大仏駅行きの設定が深夜に1本ある。
中央部にタクシープールを配置しており、常駐している。
タクシー乗り場は駅舎出入口から近いところに位置していて
シェルターを配置してある。

タクシー乗り場とほぼ同じくらいの位置関係に設けてあるシェルターは
身障者用の乗降スペースにあたり、
秋元病院の送迎バスがこちらにやってくる。

かつては身障者用乗降スペースを乗り場にしていた
コミュニティバスききょう号並びにナッシー号の乗り場は
身障者用スペースとちばレインボーバス西白井線乗り場の間に
配置を行っている。
奥に見える西白井線は起点にあたるのでシェルターが乗り場についている。
コミュニティバス運行を前提としていない時代に
駅前広場の構造が生み出されており
当時の段階から既にあった他の路線バスや
駅改札からの距離を鑑みてこちらに配置されている格好となっているようだ。

残りのちばレインボーバス、鎌ヶ谷線、アリオセブンパーク柏線、
北総循環線と土日のみながら高花線
ほかに船橋新京成バスの鎌ヶ谷大仏駅行きは
駅から出て乗り場までの距離が一番遠いところに停留所を配置している。
シェルターはない。
背後のアクロスモールはこの1年の間にトイザらスが撤退しているので
店舗外観に出ているテナント構成の顔ぶれにも変化が生じている。

平和交通のバスは深夜1便のみ降車だけながらも設定があり、
成田空港バスは早朝帯に成田空港へのアクセスを兼ねる側面を
強調する停車設定がなされているので2:59発ながらも乗降が可能になっている。
成田空港には4時台に到着。

新鎌ケ谷駅南口交通広場をみているところ。
鎌ヶ谷ショッピングセンターに面した駅前広場だ。
タクシー乗り場やプールは持っていても
こちら側には常駐はしておらず、シェルターを持つ乗り場もない。
将来的な展望を見据えた上での配置をして供用を迎えているので
バスについてはそれに応じて事業者が適応して乗り入れている。
京葉銀行、千葉銀行という2つの支店が周辺に位置しており
生活バスちばにうの2路線や
秀明大学並びに秀明八千代高校、東京学館船橋高校、八千代松陰高校、
二松学舎大学付属柏高などのスクールバスと
その他企業送迎バスの出発着をするところでもある。
将来的には新鎌ヶ谷駅南口と直結することから
「南口駅前広場」といわれている。
(東口駅前広場は現在の構造に則ってこの名称を用いている)

生活バスちばにうの新鎌ヶ谷駅停留所は
イオン前という副名称を添えており、
千葉NT中央駅へとダイレクトアクセスする便と
北循環線という路線の2系統が出発着している。
今夏からデータイムの直行便がなくなり朝夜に絞られた。

こちらが京葉銀行新鎌ヶ谷支店をそばにした
コスモスバスや東洋バスが主に委託を受けている
秀明大学並びに秀明八千代高校、東京学館船橋高校、八千代松陰高校、
二松学舎大学付属柏高などのスクールバス乗り場。
北総鉄道の運賃がハードルになっていることで
学生の集客をしにくい地域からも呼び寄せるために
自らスクールバスを設定している学校が多い。
通学定期の値引き率は北総鉄道はかなり驚異的な水準に据え置いていても
それでも私立校に通うとなるとさらにネックになるのは否めないもので。

鎌ヶ谷ショッピングセンターを道路に挟んだところに設けられているのが
企業送迎バスの乗降場所になる。
近隣市に立地している物流センターなどを持ってる企業が
委託して送迎バスをこちらへと設定している。

新鎌ヶ谷駅は北総鉄道本社の最寄り駅にあたる。
国道464号沿いに位置しておりラインカラーをまとった外観となっている。

続いて東武アーバンパークライン。六実駅。ナンバリングは「TD29」。
一日の平均乗降客数は2019年度で1万4840人。
500人ほど減少して近接する高柳駅との差は150人まで縮まった。
始発列車の設定がある東武アーバンパークラインの
旅客需要の分水嶺の一つともいうべき駅だったものが
高柳駅の大幅な改良工事と周辺の宅地分譲の推移に伴い
それらを全て2020年春から高柳駅に譲っている。
六実駅行き、止まりは消滅する事になった。
駅の所在地は松戸市ながらも市内北部地域からの利用者も少なくない。
もちろん小金中野牧の縁起地名を背負った駅でもある。
駅舎に面したホームと島式ホーム、2面3線構造だったものも
時を同じくして2面2線構造となった。

六実駅、かつて2面とも用いられていた島式ホーム。
2番線表記のみになり、3番線に用いられていた方には柵が講じられて
駅構内の中でフェンスで仕切られている。

これまで日中に上り列車が出発着していた3番線をなしていた線路は
柵の向こうに残されていても、もう入線できる構造にはなっていない。
住宅地の間には鉄板が敷かれたりしているが
かつては側線を有している駅であったことの名残だ。
南栗橋車両管区七光台支所高柳留置線ができるまでは
こちらに列車を留置していた。
なお六実駅は下総航空基地が藤ヶ谷飛行場だったので
そちらへと軍用路線がここから敷かれていた時代もある。

3番線をなしていた線路は県道281号との270号踏切を前に途切れていて
物理的に入線することは既にできなくなっている。

六実駅駅舎をタクシープールから撮影。
オーブンフレッシュカフェが併設されている。
駅前広場は持っていない駅ながらも見ての通り
自動車の転回スペースを有しており
タクシーも常駐をしている駅になっている。

自動車が一般的ではなかった時代に
貨物輸送を手掛けていたことを伺わせる構造を持ち合わせている駅。
東武アーバンパークラインは
とりわけ醤油輸送が有名だったもののそれに限ったものではない。

六実駅駅舎から正面を見たところ。
セブンイレブン六実駅前店とローソン松戸六実店に挟まれた道路が
真っ直ぐ延びていて県道281号へと通じる脇道に
ちばレインボーバスの五香駅行バスの停留所がある。
他の路線は県道281号に設定がなされており
バスが入る構造にはなっていない一方、タクシーは常駐している。
スーパーはアサヒヤが閉店して以来、
六実さくら通りに位置するハローマート六実店が最寄り店舗になり
新鎌ヶ谷駅や五香駅並びに県道281号に位置する商業施設が
生活圏を支えている地域でもある。

こちらが県道281号へと通じる道路。
ちばレインボーバスの五香駅行き路線バスの乗り場が設定されている。
この道路と突き当りにそれぞれ川久という着物で有名なお店がある。
界隈では千葉興業銀行が六実支店を線路沿いに立地しており
千葉銀行は出張所を設置している。

再び新京成、初富駅。ナンバリングは「SL12」。
一日の平均乗降客数は2019年度で5575人。微減。
新京成で二番目に乗降客数が少ない駅。
先代の駅舎は市道2347号に面しており
先々代の駅舎は県道57号、初富1号踏切寄りに位置していた。
現在は島式ホームの1面2線構造。
高架工事を前にした段階、
先々代の初富駅は最後まで構内踏切を持つ構造の駅だった。
初富駅はやはり鎌ヶ谷市の中心に位置する駅で
商業施設を間近に控え、公共施設が集まっているということからも
それをうかがわせるものの、
都市軸が新鎌ヶ谷駅方面へとシフトしていることもあり、
旅客需要は極めて低いものとなっている。
北総(開発)鉄道乗り入れを行っていた当時は
京成津田沼駅方面からの上り列車は
鎌ヶ谷大仏駅での折り返しが多く、
初富駅は他の駅に比べて格段に運転間隔が
大きい時代があったことからもソレが伺える。
くぬぎ山駅は車庫があるし、北初富駅は北総線への乗り入れ列車があり、
鎌ヶ谷大仏駅は船橋市や白井町(当時)からの利用者もあったので
旅客の少ない駅の中で初富駅は弾かれる結果になっていた。

現在の初富駅駅舎出入口は新京成の高架下から
暫定ながら市道2347号へと通じる道路へと設けられている。
最終的には都市計画道路に面した出入口という位置づけになる。

そして初富駅駅前広場に面した出入口は
広場整備と供用を控えているのでそれらを果たした後に
機能を発揮させていくものと思われる。

市道2347号から先代・初富駅駅舎跡地を見ているところ。
左端に見えるゲートがケヤキのある初富駅駅前広場用地にあたる。
第2工区詰所や暫定駐輪場もこの用地の一部を用いている。
県道57号へは右折禁止の道路構造になっており
近隣の兼ね合いで信号機の設置が難しいので
こういった交通処理を施している。

こちらは県道57号から先々代・初富駅駅舎跡地を撮影したところ。
初富駅駅前広場立体駐輪場とヒマラヤスギという
背丈の高い存在をそばに従えていながらも
駅舎自体は低層でシンプルなものだった。

旧・初富1号踏切方面から県道57号と市道11号の交差点を撮影。
市道11号には鎌ヶ谷小学校が位置しており
近接する初富交差点の信号との距離の兼ね合いで移設が難しいことから
初富駅へのアクセス道路はこちらに白羽の矢が立つことになった。
現況の道路構造ではそのような車両進入に対応していないので
いずれも拡幅をしていくことが必要となっている。

伊勢屋のもとから県道57号と市道11号の交差点を撮影。
仮に信号機を市道2347号や旧来の初富1号踏切付近に配置することができても
踏切を除去したところに信号機を置くことは
高架工事の費用対効果を妨げることになるというのは
誰の目から見ても明らかなものだ。

市道11号と市道2348号の交差点をフォルトゥーナコンテへと撮影したところ。
高架工事をするのにあたって大型車両の進入を可能にするために
隅切りを行い用地提供を受けた上で現在の道路構造にしているので
駅前広場へのアクセス道路を設けるにあたって
再度用地提供を求める必要がある。

初富駅は現在の道路構造ではバスが乗り入れる構造にないこともあり
国道464号に設定されているコミュニティバスききょう号は
「きらり鎌ヶ谷文化会館」の停留所が最寄りになっている。
駅舎へは横断歩道を跨いでアクセスする必要がある。

平和交通並びに船橋新京成バスの停留所は「初富駅入口」となっていて
後者は深夜帯に1本だけ時刻表の隅っこに記載がある。
奥が県道57号との交差点である初富交差点。
こちらからだと右折ができない。
並行する東武アーバンパークライン越しの道路も同様だ。

京葉第一ビルのもとから初富交差点を撮影したところ。
県道57号側からは直進、右左折ともにできるのは
どのレーンを持つ道路構造があるかないか、という点に差があるものと
一般的にいわれている。

県道57号から東武アーバンパークラインへと初富交差点を撮影。
この交差点に近接して2つの踏切が位置していたものが
いずれも高架化されることで消滅しながらも
引き続き交通量の多い交差点である事は変わらない。

鎌ヶ谷大仏駅。2019年度の一日平均乗降客数は1万4615人。微減。
どういうわけだか知らないけれども関東の駅百選の駅の一つになっている。
市内で唯一鎌ヶ谷にある駅。所在地が鎌ヶ谷市鎌ヶ谷1-8-1。
東武アーバンパークラインの鎌ケ谷駅は鎌ヶ谷にない。
道野辺中央に立地している。
日本で唯一「大仏」の名前を駅に盛り込んでおり
界隈は木下街道の往来によって栄えた宿場町を基盤としている。
船橋市や白井市からの駅利用者も多い。
島式ホームの構造で以前は折り返し列車の設定もあった
旅客の分水境になる。駅のナンバリングは「SL13」。
新鎌ヶ谷駅に折り返し設備が整備されたのを受け、
ポイントは残されていても信号の面で用いることはできなくなっている。
自動販売機はダイドードリンコのもので
8900系の旧塗装をデザインしたものがホーム部分にある。
また下り線線路向こうは船橋新京成バスの鎌ヶ谷営業所。
鎌ヶ谷市(町・村)の名前は市域の中心に位置する「初富」よりも
知名度が高いというところで「鎌ヶ谷」が採用されたともいわれる。
京成グループは原則として「鎌ヶ谷」表記なのだ。
ほかに「鎌ヶ谷初富」駅もあった。

ホームには1番線、2番線それぞれに面してうちの街が
“鎌ヶ谷大仏にようこそ!”とポスターを貼りだしており
それぞれの違う箇所を見つけ出してもらうといった志向を凝らしている。
一応、三大観光資源の一つといわれているし
全国で「大仏」の名前がつく駅名もここしかないとかいわれているので
島式ホームには歓迎の掲出物が用意されていて
降車客を迎え入れるようになっている。
間違い探しが1・2番線ホーム側を比べることでしてもらうという
そんな遊び心を盛り込んでいる。
マツコ・デラックスさんに違う箇所が多すぎると皮肉られた。

こちらは2番線ホーム側。
「市民から愛される」なんて文言を真に受けてはいけない。
うちの街のヒトの言葉は「気になっている」と主張していて
駅前広場を持つ隣の駅がそばにあるのに気付くのに10年くらいかかったり
悲願だとか叫んでいても高架工事の切り替えにも立ち会わなかったり
一番列車を見送ることすらしない程度のものと同レベル。
「市民から親しまれていたヒマラヤスギ」と称していても
伐採間近まで存在を忘れていたり、
移植されていていても、
すっかり存在がなかったものとされている方も多々いらっしゃるように
あらゆるものが全てにおいて薄っぺらい。
そういえばいたなぁ、くらいのものを「愛される」と称しているに過ぎない。

間違い探しに飽きたら、こっちもやってね。
鎌ヶ谷大仏駅に掲出している「めぐりんく」の広告。
茂野製麺の広告を挟んで微妙に違うところがいくつかある。
絶対に「鎌ヶ谷大仏にようこそ」の間違い探しを意識していると思うんだよね……。

鎌ヶ谷大仏駅は階段部分に
千葉ロッテマリーンズ背番号1、清田育宏選手が出身地ということもあって
ゴールデングラブ受賞を機会に手形が飾られている駅でもある。
新鎌ヶ谷駅の自由通路ファイターズコーナーに比べると
ポツンとした印象があるけれども……。
一応、ファイターズタウンを前面に出しているもので……。
チーム最年長の野手になっていらっしゃる。
新京成のマリーンズトレインには福浦選手(現・二軍コーチ)とともに
沿線が輩出したプロ野球選手なので
絶対にそのポジションを譲らないと(勝手に)思っていたものの
今回は登場に至らなかった。
なおオリックスバファローズのK-鈴木選手も清田選手と同じ中学校の出身。
ほかに千葉ロッテマリ―ンズには別の中学校ながら古谷拓郎選手も
うちの街が輩出したプロ野球選手にあたる。
ルーキーイヤーとなっている楽天ゴールデンイーグルスの津留崎大成も
古谷選手と同じ中学校出身でこちらは先輩という関係。

改札抜けたら右に曲がんなよ〜♪と詠われた
鎌ヶ谷大仏駅改札並びにコンコースを撮影したところ。
市内で橋上駅舎構造を持っているところの一つ。
駅ビルがあるのはここだけ。
伝言板はくぬぎ山駅と同じく健在という貴重な存在。
鎌ヶ谷大仏駅は新京成の駅で唯一
松戸駅乗り換えと津田沼駅乗り換えで
それぞれ都区内への乗車券を買い求めることが出来る駅でもある。
かつては列車運転系統の分水嶺となっていたところであり
木下街道である県道59号が走り、白井市や船橋市の方も利用が多いことから
船橋新京成バスも営業所を構えている。

鎌ヶ谷大仏駅は市内で唯一駅ビルを有している駅になる。
新京成16ビル、通称鎌ヶ谷大仏駅ビルというものになる。
こちらが南口。
テナントとしてセブンイレブン、新宿とんかつさぼてん、
大門歯科、サンエトワール、鎌ヶ谷カルチャーセンターなどが入居している。

右端に映っているのが関東の駅百選のプレート。
誰もその存在価値を意識されていないような気がする。

橋上駅舎である鎌ヶ谷大仏駅を初富7号踏切から撮影したところ。

鎌ヶ谷大仏駅には船橋新京成バス鎌ヶ谷営業所が隣接しており
鎌ヶ谷線と井草線がこちらから出発していく。
二和道経由の船橋駅行きと北総白井病院行き。

とりのごん助としちりん並びに
鎌ヶ谷大仏駅南口、バーミヤンに囲まれた県道59号との
新京成の交差箇所である初富7号踏切。
近隣に位置する大仏交差点との兼ね合いで
ボトルネック踏切になっているところになる。
この1年の間に高架化された区間で
2箇所の踏切がなくなっているので
それに伴いこちらの踏切名称が繰り上がっている。
旧来は初富9号踏切だった。
地名は「鎌ヶ谷」ながらも「大仏」を冠しているお店が周辺には少なくない。
一般的に東武アーバンパークラインの鎌ケ谷駅との混同を避ける意味でも
「大仏」を地域名称として用いることの方が多い。

こちらが❝鎌ヶ谷大仏❞。
小柄ながら「大仏」という定義を満たしている
大黒屋文右衛門が建立した青銅製の大仏は
木下街道の鎌ヶ谷宿の賑わいを今日に伝えているものでもある。
スキップカウズの歌にも登場している。
墓地は延命寺のものになっており、建立者の子孫の方の墓もこちらにある。

鎌ヶ谷大仏、文字通り目の前に
船橋新京成バスとちばレインボーバスの停留所に設定がある。
前者は三咲駅経由の船橋駅行き、西白井駅・七次台ニュータウン行きの設定が、
後者は白井駅と西船橋駅行きの設定がある。
歩道部分は非常に狭いけれどもベンチが設置してある。
ガードレールが安全性を守るとはいえ
より歩道部分を窮屈な印象にさせている。

船橋新京成バスの営業所越しに鎌ヶ谷大仏駅ホームからも見える鎌ヶ谷八幡宮。
宿場町をもとに発展してきた街に鎮座している神社。
幕末期は官軍と幕府軍が近辺で衝突したらしい。官軍兵士の墓もある。

県道57号と県道59号が交差する大仏交差点。
改良工事が着工されてからもう間もなく20年近く経過しようというところ。
道路拡幅並びに交差点改良のために
京葉銀行鎌ヶ谷支店がこちらから移転している。
京葉銀行と千葉興銀という千葉県を代表する地方銀行が
いずれも支店を鎌ヶ谷大仏駅周辺に置いているというのは
それだけこちらが街の中心であったことを示している事に他ならない。
三井住友銀行や千葉銀行は新鎌ヶ谷地区に支店を移しながらも
京葉銀行は引き続き新鎌ヶ谷にも支店を設けつつ
既存店も維持していることを特筆しておきたい。
この道路構造を拡幅するために
同様の措置を講じなければならないところも視界に入ることも
念頭においておきたい。
道路構造は現在の自動車を前提にすると窮屈ながら
古くからの往還があったことを物語るものとして捉えると
かなりの道路幅を持っており
それを挟むように建物が並んで宿場町を形成しているから
道路拡幅を図るのには
それらに対して用地買収をすることが必要になるので現実的なものではない。
交差点付近だけの工事に費やす年月は
東北新幹線が八戸駅から新函館北斗駅につながる期間よりも長い。
たぶん誰もが年頭の置かれていたことであるし、
該当される方も喜んで移転することを前提で要望されていたものと思われる。
松戸宿の水戸街道は太平洋戦争終結後間もない段階で
バイパスへと切り替えることで
自動車の通行を前提としたインフラにしているのと対照的。
それだけ木下街道周辺の自動車の交通量は急激であるのとともに
投資するだけのものを持ち得なかったり
当時の段階では重要視されていなかったことに他ならない。

そして鎌ヶ谷大仏駅南口。
駐輪場に近い駅出入り口はこちらにあたる。
奥の方に横切っているのが木下街道になっている。

鎌ヶ谷大仏駅エレベーターは
南口側に追加設定されており、
階段よりも木下街道に近いところに
構造上の兼ね合いもあって出入り口を有している。

ちなみに「鎌ヶ谷」の停留所は県道59号木下街道沿いに位置している。
一般的に東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅は「鎌ヶ谷」とは言わない。
❝東武鎌ヶ谷❞とか❝東鎌❞といった名称や略称を用いる傾向にある。

鎌ケ谷駅 ナンバリングは「TD31」。
一日平均乗降客数は2019年度で2万2828人。ほぼ横ばい。
所在地は道野辺中央2-1-10で「道野辺」にある駅だ。
一般的に“鎌ヶ谷駅”とは言わないのは先ほども触れている通り。
対向式ホームの高架駅。2面2線構造。
駅名表示板に示されている「鎌ケ谷駅」の所在地は
「千葉県鎌ヶ谷市」と「ケ」の字の表記が
駅名と地名で微妙に違っていたりする。
新鎌ケ谷駅との誤降車防止のために乗り換え案内が別途掲示してある。
新京成8900形と北総鉄道7000形のアイコンを用いている。

2020年3月のダイヤ改正で
六実駅や馬込沢駅とともに鎌ヶ谷駅は初めて通過列車が生じることになった。
急行列車通過駅となったところでこれを撮影したところ。

鎌ケ谷駅のコンコースにもファイターズコーナーが設けられている。
新鎌ケ谷駅と異なり改札内に位置している。

鎌ケ谷駅東口駅舎外観を撮影。
中ほどに見えるママのリフォームの入った一画は
かつては定期券売り場だったところになる。
鎌ケ谷駅の高架下には
東武ストア鎌ケ谷店とヴィドフランスが入居している。
右端に実物大の鎌ヶ谷大仏を盛り込んだ観光案内図。

鎌ケ谷駅も東武アクセスの売店は閉店に至ってシャッターを閉じたまま。
公衆電話は「調整中」となっていた。
新鎌ケ谷駅は既に撤去済みとなっているので今後が注目される。

鎌ケ谷駅東口からグランプリを受賞したこともある駅前広場を撮影。
サンクタス鎌ヶ谷ステーションファーストと
こちらにそびえる2棟のマンションカーラシティ鎌ヶ谷に囲まれたロータリー。
カーラシティ鎌ヶ谷はKAOの会とも関わりが深い。
これらマンションとともに駅前広場という空間が街づくりの中で
持続する営みとなり世代を超えつつある点は
もっと評価されてもいいのかもしれない。
カーラシティ1番館、くすりの福太郎に隣接店舗スペースは森塾が入っている。
こちらもシンボルツリーはヒマラヤスギだ。

カーラシティに入居しているKAOの会は
マンションや駅前広場の維持管理を主に受け持っているほか
かまたんグッズの取り扱いも行っている。

船橋新京成バスパークサイド循環線乗り場から
鎌ケ谷駅東口駅舎外観を撮影。
ファイターズスタジアムへのシャトルバスもこちらから出発着する。
右にそびえるマンションがサンクタス鎌ヶ谷ステーションファーストだ。
深夜帯の「鎌ヶ谷大仏駅行き」は県道8号に停留所を設定しており
こちらには乗り入れない。

駅舎から一番近いところにはタクシー乗り場が配置されており
シェルターを設けてた上でタクシーが常駐している。

東口からすずらん通り寄りにききょう号の乗り場があり、
福祉車両の乗り場を兼ねたもので
シェルターはこちらにも設置してある。
こちらの駅前広場もコミュニティバスが設定される以前の設計なので
その停留所を前提としていなかった。
新鎌ヶ谷駅はシェルターの外、
つまり身障者用自動車スペースと分離しているのに対して
こちらは引き続き同一乗り場となっている。

鎌ケ谷駅東口はカーラシティ1番館、森塾の前にイベントスペースが設けてある。
ここで開催されるイベントといえば恒例になっているもので
クリスマスを前後にした日曜日に開催される
小中学校の吹奏楽部を中心としたコンサートがある。

公衆電話が配置されている東口交通広場。
東武鉄道の公衆電話の今後によっては
ここがライフラインを受けもつことになる。
2000年代初頭はその必要性をごく自然に思う時代だった。

建築構造はほぼ同じものながらも
ペアーロードに面した鎌ケ谷駅西口を撮影。
シェルターなどの配置や乗り場を確保しているわけではない中でも
タクシーの常駐はあれども、バス路線の設定はこちらにはない。
こちらが旧来からの鎌ケ谷駅の玄関を成しているところ。
交番の設定は西口になされており、ロータリー構造は
ペアロードとセブンイレブンを囲むような変則的なものになっている。

みずほ銀行は鎌ケ谷駅の前に支店を構えている。
東武鉄道との関わりを色濃く反映していることも念頭に置きたい。
かつてはペアーロードを前にゲートが設けられていた。

こちらがペアーロードを精工舎通りの方へと撮影したところ。
旧来は現在のパークサイド鎌ヶ谷がそびえる場所に精工舎があり、
そこに通勤する人たちと初富駅への動線が商店街を形成させてきた。
道路は地中化されながらも往時の面影はあまりない。
地中化された電柱の有無の境目は
ほぼ精工舎通りとの交差点を前にした界隈にあたる。
アパートやマンションが商店に変わっていく傾向がある。
それを果たせないところはシャッターを閉じているところが多い。

続いてペアーロードをすずらん通り方面へと見ている一コマ。
奥に駅前通りとの交差点があり、
精工舎通りへのヒトの流れはそちらにシフトしている。
船橋新京成バスの路線バスもムリなく通り抜ける道路幅を持っているので
ペアーロードと比べるとその規格の差は歴然。
同時に沿道に商店を構えたり、歩行動線を導くのには不向きなものとなっている。
既にその構造に適した道路を持つペアーロードを目にすると
特性を持っていても賑わいを生み出せない状況下にあるのは明らか。

最後は馬込沢駅。駅名表示板には「船橋市」という所在地になっているものの
駅構内はうちの街に一部跨っているもので利用者も多い。
正確には船橋市藤原。鎌ヶ谷市と船橋市の境に位置している。
2019年度の一日平均乗降客数は2万6529人。駅のナンバリングは「TD32」。
ほぼ横ばいながら船橋市内の駅として捉えると
東武アーバンパークラインでは船橋駅に次ぐ乗降客数を誇る。
こちらもかつては始発列車の設定があった。
駅名としての馬込沢の地名は鎌ヶ谷市にある。
小金中野牧に関わりの深いものになっている。
2面2線の駅構造。
以前は「法典駅」という名前で
駅界隈の包括支援センターに「法典地域」という文字が見受けられるように
その村の名前を冠しているものだった。

地上駅ながら築堤の上にホームを構えているので
ホーム下にはヴィドフランスとファミリーマートが入居している。

「馬込沢」の「沢」が指すのはこの二和川の事と思われ、
周辺では暗渠化されている部分もあるとはいえ、
局地的な豪雨の前に増水することが多い川でもある。

馬込沢駅東口から県道59号・木下街道へと撮影。
ファミリーマート馬込沢駅前店や
駅舎に近接しているせいはんや万屋は鎌ヶ谷市東道野辺に位置している。

ところがクルっと振り返って馬込沢駅舎に隣接している
ヘアーカット匠や庄や、市進学院は船橋市藤原にある。

左に見える丸山旭保育園は船橋市丸山に位置しているのに対して
道路を挟んだ右側は鎌ヶ谷市東道野辺に属しているというように
非常に市域の境目に位置している地域にあたる。
金融機関の中で支店を構えているのは京葉銀行とひがしん。
前者は船橋市丸山。ひがしんは船橋市藤原。いずれも船橋市だ。

馬込沢駅は市内に2つある銭湯の一つ、ニコニコ湯の最寄り駅だ。
シンボルというべき煙突が
比較的低層建築でまとめられた住宅地だけに目立つところ。

馬込沢駅、バス乗り場は3か所に設定がある。
県道59号、木下街道を走るちばレインボーバスと船橋新京成バスは
「馬込町」に「馬込沢」の停留所を置いている。
沿道にはマルエツと生鮮市場の2つのスーパーが立地している。
こちらのバスは馬込沢駅には乗り入れない。

馬込沢駅東口を横切る道路、
木下街道を間近に控えた丸十タクシーの待合所向かいには
船橋新京成バスの丸山循環線の停留所が設定されている。
1時間に2本の設定があり、駅前広場を有してはいない東口ながらも
転回スペースを確保してバスがここまで乗り入れている。
こちらは「馬込沢駅東口」。

こちらはサミット馬込沢駅前店を核テナントにしている
Luz船橋に面した馬込沢駅西口の様子。

その馬込沢駅西口真っ正面にそびえるLuz船橋。
核テナントのサミットは開店以来不動ながらも
やはり歳月の経過とともに顔ぶれを変えざるを得ない部分も生じている。
ロータリーとともにこれを撮影。
東口は転回スペースさえ持ち得ない構造にあるのは整備年代の違いにある。
そして貨物輸送の名残を仄めかす土地利用を持ち合わせているのも
こちらの馬込沢駅も例外ではない。
ひがしんの馬込支店は旧来は木下街道にあった。

「馬込沢駅」の停留所を有している
馬込沢駅西口から一番近いところに停留所を有しているのは
船橋新京成バス、祐慈苑へと結ぶ乗り場だ。

そしてもう一つがちばレインボーバスの桐畑へと結ぶ路線バスの乗り場になる。
東武アーバンパークラインは大正期に既に敷設されている路線のもとに
六実駅や鎌ケ谷駅、馬込沢駅は道路インフラが脆弱な時代背景から
貨物輸送を扱っていた名残が駅構造や周辺の市街に垣間見ることができる。
ロータリーが整備されている駅というのは
わりと後発的に現状に即したものへと適応するようになったり、
片方に面して駅舎の出入り口を持つという
これまた特徴的なものから開発の波を受けて
「背中」にあたる部分へと新たな出入口や広場を設けたものも少なくない。
加えて軍事的な役割を担ったこともあるというのを忘れてはいけない。
それに対して新京成は旅客しか扱ったことがないので
二和向台駅が典型的な住宅地と
商店、鉄道駅との関わりを示した構造になっている。
線路が市街を分断するのは極めて稀で
小規模な構内を前に道路が横切るという
フォーマットされたものをフルに活用してきたことが伺える。
北総鉄道に至っては自動車がスタンダードになった時代に開業を迎えているので
こういったところで決定的に駅構造の違いを生じさせるものとなっており
東武鉄道や新京成の駅を取り巻く自治体は
追って適応を図っているところと
その背丈に応じたインフラのもとで街を組み立ててきたところでも
歩んできた道のりを大きく異にしている。
要望したら終わり、ではなく、
どのようなところでその要望をしたのか突き詰めることをしないと
10年くらい経って駅前広場が間近の隣の駅にあることに気付いたり、
住宅密集地で自分自身が移転することを微塵も思わないで
道路拡幅を要望したりして
世の中を振り回したりすることになってしまう。
しっかり考えていれば突き当たるもの。
そもそも考えなくても暮らしていればわかるわけで
余程当事者意識がないのか、生活感がない方なのか
思い付きで主張されているだけなのか、という話。
記事自体はやたら長いけれども
近隣市に比べると市域が狭いので半日ほどあれば
お釣りがくる程度で巡ることができる。
踏切の待ち時間も短縮されてますしね……。
※撮影はおおよそ2020年8月18日、一部19日。