源義家の系統を汲む名家の両雄である足利尊氏と新田義貞の激突。
時代は足利尊氏に軍配を上げるものの
歴史的評価としての新田氏は徳川家康がそれに先祖を求めたといわれ、
加えて近代においては皇国史観が忠臣・新田義貞を讃えている。
それらのお膝元を見ていくと
足利は絹織物の産地として国家の列強への台頭に貢献。
現在は14万人の人口を抱えており、
日本最古の学校といわれる足利学校があったように学都としての顔も持つ。
JR(国鉄)両毛線と渡良瀬川を挟んで東武伊勢崎線という
2つの鉄道が結んでいる。
一方の新田氏の太田は大光院の門前町から
中島飛行場、SUBARU(富士重工業)が拠点を構え工業都市として発展。
人口は22万人。
こちらはJR(国鉄)はなく、
東武鉄道の独壇場といった感じで伊勢崎線・桐生線・小泉線が集約され
群馬県へと広がる鉄道網の中枢を成している。
安易に勝敗をつけるというのは
それぞれの文化や産業に対して失礼なので一概にいえないけれども
両雄の歩みと同じようにお膝元の歩んでいる街も大きく異なっている事と
独自の文化や誇りを今日に至るまで受け継がれているものと思われる。
ちなみに館林市は7万人。
榊原康政が入城し、徳川綱吉が城主を務めたこともある。
小麦、醸造、上毛モスリンに代表される織物の産地だ。

2020年11月24日、北千住駅から区間急行館林駅行きで
6:43、終点・館林駅に到着。
すかさず5番線ホームから同一ホーム上の3番線にスタンバイしていた
802編成3両編成伊勢崎駅行きに乗りかえ。
非常にスムーズに乗り換えができるようにダイヤが組まれているので
こちらの到着と乗り換え客の確認を受け、すぐさま出発となる。
相変わらずせわしない。

ここから単線区間に入り、日清製粉に続いて正田醤油の工場の脇を通っていく。
象徴的な貨物輸送との関わりを仄めかす立地関係を目の当たりにしつつ
南栗橋車両管区舘林出張所を過ぎて
日栄ハイツや河本工業の先で国道122号と並走。
ロマンチック街道にJA-SSやとりせん、ビバホーム、舘林自動車教習所、
そしてつつじ野団地を通り、築堤を走り抜けて
松井内科の先で藪を抜けていくと右手にソーラーパネルが見えて
6:49、多々良駅に停車。対向列車が待ってた。
相手方を先行させてた後、続いて「りょうもう6号」がやってくる。
6:53に多々良駅を走り出して矢場川を渡り水田をひた走る。
山々が前方に控えている中、
右手にコトラ牧場、田部井工業、ABCロジテムを過ぎて県駅に着く。
降りていくのは足利南高の学生。
南羽生駅からご一緒した女の子は本庄市まで通ってるらしい。

水田やビニールハウスを進んでいくと協和中が見えてきて
右にカーブして住宅地に近づいて
ラフォーレストウやスズキアリーナを経て福居駅へ。
のこぎり屋根の工場がこちらから目に入る。
トチセンの工場だ。トチセン……栃木整染……前身は足利織物。
製糸・繊維業から転換して化成品フィルムの染色を行っているのが今日の姿。
ソーラーパネルにパナハイツを通って畑やビニールハウスも見受けられる中、
笠原産業が見えてきて東武和泉駅に立ち寄り、
朝倉福居団地や丸山ガラスから足利健康ランドの前に出て
コジマ電機に島忠、今井病院を過ぎて左にカーブ。
高架へとあがり、足利製菓専門学校や水戸証券、ニューミヤコホテルのもとへ。

7:04、足利駅に到着。さほどヒトの乗降に変化は見られなかった。
列車行き違いをして駅前交番やニッポンレンタカーをあとに
足利スターレーンを左にカーブ。
八幡町住宅からダイナムと業務スーパーの前に出て野州野辺駅に至る。
一向に降車よりも乗車の印象が強く車内は混んでくるばかりだ。
タイヤガーデンとアキレスの工場の先で地上へと下りて住宅地を進み、
ソーラーパネルのもとから国道50号を潜ると水田に出ていく。
右手にソーラーパネルが広がり、駒形小や岩松寺を通り
赤城食品の工場をそばに韮川駅に滑り込み、ここでも列車行き違い。
ウェルシアと太田動物専門学校から左にカーブして
国道122号の下を抜けて長岡東住宅を通って高架に上がると
SUBARUの工場があらわれ右へとカーブ。

東横インに続いて太田グランドホテルとホテルルートイングランドの前に出て
ドンキホーテが脇にそびえる太田駅へと列車は到着。

7:15、太田駅着。
まとまった降車がある一方、列車は引き続き伊勢崎駅へと向かって行く。

太田駅の駅名表示板を撮影したところ。
SUBARU前の副駅名がついており
文字通りこちらの立地する企業の動向が旅客にも大きく関わっている。
とりわけ「りょうもう号」の需要を下支えしているのは
そういう経済活動に因るところが強い。
3面6線の駅構造を持つ高架駅だ。

階段を下りた地上部コンコースの壁面にはスクリーンが用意されていて
やはりSUBARUのプロモーション映像が流れている。
基本的にやっている事となぞっているのは
例年のものを踏襲しているので、
これが続いている、投資している企業実績と展望を抱いている、といったことを
それなりに確認していることになる。

一方でこういうご時世なので
マスクを着けた「りょうもう号」が制作され
新型コロナウィルスの感染予防のために
咳エチケットや手洗いの励行がこれによって促されていた。

桐生線への乗り継ぎに30分ほどの時間が空くのでここで改札を潜ることに。
列車案内表示をしている発車標と時刻表、構内案内図のもとに
広告をドカンと掲出しているのは
伊勢崎線沿線、足利市に付属高校と中学校を持っている白鴎大学だ。
上り列車の方は「りょうもう号」の設定が1時間に1本あることからなのか
桐生線が上から2段を占めていて、伊勢崎線は1段のみ。
下りの方は都心部へと伊勢崎線に集約されるので
しっかりと伊勢崎線が上から2段を占めている。

高架下には改札脇にこの1年の間にセブンイレブンが開店を迎え、
通路を挟んで交番とともに観光案内所とFM-TAROのスタジオが入っており
こちらでちょうど生放送が行われているところだった。
観賞ブースが設けられていて公開も行う機会がありながらも
新型コロナウィルスの感染予防の観点から閉鎖中となっていた。
東武鉄道といえばファミリーマートと関わりが深いのだけれども
太田駅はセブンイレブンだった。

高架下にもSUBARUの
大々的なプロモーション映像が流れるモニターが設置されていて
いかんなく企業城下町の顔を成していることが伺える。
手前は待合所の「おおたん」の石像。

「ようこそSUBARUの街へ」とあるように
スバル地域交流会が組まれていて
SUBARUを中心に取引先・下請けといった企業が
街づくりや地域貢献に絶大な役割を果たしている。
裏を返すとSUBARUをとりまく経営環境が
大きく都市の活動を左右させることに他ならないわけで
そういうものを抱えつつも重工業都市として確固たる地位にある。
街を走っている自動車のメーカーはどこ、とか
それなりに意識してみると興味深いものがあると思う。
全部が全部っていうわけじゃないけどさ……。

開館時間帯に居合わせることがないので
シャッターが閉じているのを前にするばかりだけれども
街としての高架下活用として街なか文化館を設けている。
ギャラリーと会議室を持っていて
学習室としてギャラリーは9時から20時までの時間帯で開放される。
ラグビートップリーグのパナソニックワイルドナイツの試合日程が
脇に掲出されているのは練習場が太田市にあるから。
パナソニックと聞くとピンと来ないけれども
前身は三洋電機となると工場の立地と企業スポーツの関係から
こちらに密接な関わりがあるという点にひどく頷くものがある。
どこかの街は財政的なバックグラウンドも考えないで
高架下の利用が無限大に出来るように思われていたりするけれども
然るべき税収など裏打ちされるものや
維持に関わる人々の文化への姿勢など
大きな要因がいくつも結びつくものがなければできない話で
どこでも出来るというものではない。

太田駅北口ロータリーから見ているSUBARU群馬製作所西本館。
工場敷地は東洋で突出した航空機メーカーだった
中島飛行機のものを引き継いでいる。
工場所在地はその名も「スバル町」となっている。
富士重工業を経てSUBARUへと改称。
自動車開発は言うに及ばず、航空宇宙分野や環境など
手がけている分野は思っているよりも広い。
かつては鉄道車両も製造していた。
太田市の群馬製作所は自動車をつくっている。
中島飛行場時代は陸軍の専用機をつくっていた。
そういうノウハウが軍需産業から転換されて今日の利便性をつくりあげている。

SUBARU群馬製作所側の北口ロータリーで駅舎を見据えている新田義貞像。
1988年に建立されている。

新田義貞像のそばから太田駅駅舎とともにロータリーを撮影したところ。
駅舎正面、セブンイレブン寄りに設けられているシェルターが
一番駅の出入り口に近いので身障者用の乗降スペースに充てられており
手前がタクシー乗り場になっている。
北口を出発着する路線バスはこの立ち位置から真っ正面にあたる
太田市美術館・図書館の前に乗り場があり
矢島タクシーが受け持っている新田暁高などへのバスが出発着する。

カフェが中に入っているオシャレな建築の太田市美術館・図書館。
郊外型の中央図書館に対して駅前広場の整備を受けて
北口側の駅前にヒトを呼び寄せることを意図している施設。
駅とともに街の核をつくりあげていく役割を担っている。
「街の顔」は「北口」であり、
SUBARU群馬製作所のお膝元で市街が形成されてきた色彩が濃い。

後発的に整備されてきている南口は
デイリーヤマザキと目がドンキホーテに挟まれた通路の先に
ロータリーを持っていて、
熊谷駅へと結ぶ太田シティシャトルや夜行バスなど
より広域的な地域への路線バスが出発着している。
ホテルルートイングランドや太田グランドホテルといったホテルも南口側。
市役所やSUBARUの矢島工場も南口方面に立地。
もともと市役所は北口側にあったものを移転しているのだとか。

観光案内所の脇には太田市の特産品の自動販売機がある。
その品揃えにビックリだ。
はちみつやベビースターラーメンの太田焼きそば味、おおたんグッズ、
コーヒー豆やトートバックなど60品目にも及んでいる。

新桐生駅までの乗車券260円を買い求めて、6番線へ。
窓口上部にリバティこと500系が3往復「りょうもう号」として
館林駅以遠にも乗り入れるようになったので
その利用をすすめる貼り紙が掲出されていた。
窓口は4:50〜23:10までと長く時間がとってあり
おおよそ30分間隔で運行される「りょうもう号」の需要の多さ
強いてはSUBARUを中心とした企業活動の盛んである様子を物語っている。
新型コロナウィルスの流行がJRの新幹線に比べれば、という次元であっても
確実に往来を控える潮流があるのは確かなことなので
そういうものがどの程度まで及んでいるのかも考慮に入れる必要がある。

これを逃すことになると
次発の列車が「りょうもう1号」になるので乗り遅れは許されない。
自分と同じく列車を待つ人はほぼ学生。
7:37、8574編成2連が入線してくる。ほとんどの人が下車をされ入れ替わることに。
一人で車内の平均年齢を上げているような顔ぶれになった。
出発時刻となった7:43、対向列車の遅れの兼ね合いでこちらの出発が遅れ、
7:46、対向列車の東小泉駅行きがやってきて、これを受けて出発。
ケアパークそよ風や英進ハイスクール、ニッコーパレスホテルを過ぎ、
本島総合病院のそばから右にカーブ。
太田女子高と太田記念病院の先で地上に下っていくと
左には水田が広がるのとともに大島団地と大島住宅団地を通り抜け
水田向こうに太田警察署が目に留まると線路沿いに民家が集まり三枚橋駅へ。
もう新桐生駅まで降車という方はほぼいらっしゃらないので
そちらへと乗客を拾い上げていくというのがヒトの流れ。
鳥の郷団地と鳥山団地を抜けて畑やソーラーパネルから西慶寺に向かい
左にカーブ描くと治良門橋駅でさらに混雑が増してくる。
水路や県道78号と並走して北関東道を潜り抜け、
シンワシステムを過ぎると左に民家が並んできて藪塚駅に着き
ここで列車行き違いをする。
丹波家具や塚越電器から茂みや畑をひた走り
再び民家が集まってくると旧・阿左美駅を過ぎて右にカーブして
笠懸東小をそばに阿左美駅に至る。
この1年の間でバイパス拡張のために駅が移転してロータリーも整備された。

片桐工業の先で国道50号を潜り築堤を進んで
ハリカ桐生とトヨタレンタカーリースに平和のもとへ。8:05新桐生駅到着。
大勢の高校生が降車するのとともに自分もこちらで下車。
こちらの列車に入れ替わり乗車されてくる高校生と車内に残る高校生は
いずれも大間々高に通う方々という事になる。

波に呑まれながらも駅名表示板を撮影したところ。

そして改札を出て転回スペースから新桐生駅駅舎を撮影したものになる。
風見鶏と時計塔を持ったデザインになっていて、
駅舎脇に郵便ポストと公衆電話。
転回スペースには
樹徳高と桐生ヶ丘学園つまり桐生第一高のスクールバスが控えていた。

そんなところで8:09、桐生女子高行きおりひめバスに乗車。
この1年の間におりひめバスは19時前後の最終便に該当する8便が
新型コロナウィルス流行による乗客減を受けてではなく
運転士さんの不足に伴って運休の措置を講じるところに至っている。
限られた体制の中で運行を図るのにあたって
優先される時間帯というところにあてはまり、旧来通りバスに与らせて頂いた。

工事現場から県道68号へと左折。
季節でたぶん劇的に印象が変わるであろう沿道から
新桐生駅前郵便局や群馬銀行、エネオスのGSを通って
魚仙と加藤造園の先で坂を上がり、吉田ガラスのもとから錦桜橋へ。

渡良瀬川を渡っていく。
対岸に着いたところで坂を下り、ゲオをそばに「錦町3丁目」へと向かい、
足利銀行と桐生信金を通り「錦町2丁目」から
梅沢呉服や錦町郵便局を過ぎて錦町十字路に出る。
そのまま直進してセブンイレブンを通り「錦町1丁目」へ。
アーケードが延びてきて川島眼科をそばに「本町6丁目」。
桐生寝具の先で両毛線を潜り抜ける。
桐生ガスプラザがある交差点を直進して
群馬銀行を過ぎて「本町5丁目」に向かい、
美喜仁ときんでん呉服を通って「本町4丁目」を通過。
東和銀行と桐生信金、村岡医院を過ぎると「有鄰館前」。
矢野本店と無鄰館を経て「本町2丁目」に続いて
「本町1丁目」がアナウンスされたところで下車。

これと前後してバスがぶつけられるというアクシデントに見舞われる事に。
幸いにしてけが人はなかった。
運転士さんが冷静に周囲を確認した後に乗客の方を降ろし、
現場検証が程なく行われることになった。
通学で手段とされている方は時間を考えれば徒歩となるところだけれども
こういう状況となれば、受け入れる以上のものはない。
この状況でも(居合わせていてもどうなるものでもないけど)
儀式的なものをキッチリとしている自分がいたりする……。

桐生天満宮のイチョウはちょうど落葉の時期と重なっていて
沿道の方がゴミ出しに出された袋には落葉が大量に入っているものが多く
シンボル的な景観は人びとによって維持されていることを
断片的に思うのだった。
そういう積み重ねが今日に至っているわけで
ごく自然に成り立っているものではない。
つづく