2020年06月02日

田土部陸橋

りんりんロード編2020
2020年3月25日、土浦駅からつくば霞ヶ浦りんりんロードを辿り
藤沢休憩所こと旧・常陸藤沢駅跡にやってきて
ここから駅名表示板が保存されているという
新治ふるさとの森へと寄り道。
アスレチックのある交流広場でそれと対面を果たした。

8年前はその場所をただ漠然と山林が延びているという程度にしか
つくば霞ヶ浦りんりんロードからは認識しかなかったところに
よもや三十年以上も歳月が流れながら姿を留めているのにはビックリした。

遊んでいる子どもたちにしてみると
それに驚いている自分は非常に滑稽に映ったのだろうけれども。
そういう自分もまた鉄道があった時代は
かろうじて、という程度。それだけ歳月が流れている。
りんりんロード編2020
つくば霞ヶ浦りんりんロードに復帰して法雲寺を過ぎたところで、
八起会の方々が維持をされている桜並木から
再び畑の中を貫いて歩いていくことになる。

沿道には精密距離比較基準場に差し掛かり、
ピラーが配置されている箇所へ。

国土地理院が全国で十数箇所距離を精密に測定した点を設置している
測量機器の検定場所で、人工衛星からの信号で位置決定をしてあり、
衛星数の増減、衛星測位システムの
解析地の増減による変化といった研究や
GPSなどの測量機器の性能点検に用いられているもの。

線路跡は学術研究の場として変わらず用いられている。
その一方、8年前は斗利出小学校があると称した建物を
現役の小学校と認識することがなくなっており
どれもこれも変わらないという事は必ずしもない。
(旧・藤沢小などとともに新治学園義務教育学校に統合されている)

自分自身も歳をとっていくばかりだし……。
りんりんロード編2020
右方向に国道125号が延びてくるのとともに
正面にはつくば霞ヶ浦りんりんロードを跨ぐ県道200号を前に
旧・田土部駅跡のホーム遺構と桜の木、四阿があらわれる。
鉄道時代は一面一線の駅構造で、四阿がある付近は
線路を挟んで駐輪場や小屋が設けられていた箇所を整備したものらしい。
桜の木は鉄道の廃止前後に植樹されたものが今日に至っているようだ。
りんりんロード編2020
旧・田土部駅ホーム遺構からつくば霞ヶ浦りんりんロードを
藤沢休憩所方面へと撮影したところ。
所在地は土浦市に位置しているものの、
つくば霞ヶ浦りんりんロード、旧・筑波鉄道は
土浦市とつくば市の境目を延びている界隈に延びている。
りんりんロード編2020
旧・田土部駅の先で線路跡、つくば霞ヶ浦りんりんロードを跨いでいる
県道200号の田土部陸橋へとまわり込んだところで
回送されていく❝つくバス❞とすれ違う。
背後にそびえる山は宝篋山。

陸橋は1980年に架橋され、左右に歩道を配置した道路構造は
その時代の段階で既に兼ね揃えていたため、
走行条件をこまめに整えている車道に比べて
幾分か歩道部分はくたびれている感がある。
りんりんロード編2020
この陸橋にも「筑波鉄道」の文字が入ったプレートが掲げられている。
地上部に見えるのが旧・田土部駅跡。
りんりんロード編2020
山の斜面は大がかりに砕石が行われており
遠巻きながらその規模には言葉を失うばかりだ。
隆盛を極めた産業は現在もその延長線上にあり、これを担っている。
りんりんロード編2020
田土部陸橋から旧・田土部駅構内を撮影したところ。
畑の中にポツンと駅があるだけという構造だったこともあり、
線路が道路に変わったことを差し引きすると
非常に鉄道時代を色濃く残している空間になっている。

❝つくバス❞の小田シャトルでも通る陸橋で
同じように目にしている光景ながら
徒歩行程でじっくりと、というのは実に今回が初めてのこと。
りんりんロード編2020
桜並木も鉄道時代にはなかったもの。
歳月の積み重ねがつくりあげてきた。
そういう意味では畑が広がる光景も営農をされている方が
いらっしゃるから成り立つもので、
ごく自然に組み立てられたものではなかったりする。
りんりんロード編2020
前日に関東鉄道バスで通った国道125号へと出て行き
今度は逆行程で停留所を遡っていく。
つくバス小田シャトルも走る区間。
つくば霞ヶ浦りんりんロードは水田向こうを左に並走。

焼き鳥安兵衛から「南大形」に向かい、
食事処アルプスだった店舗をヤードとしている加藤商会を過ぎると
「大形」の停留所で、民家が右手に集まり、
そのまま「西大形」からJAZコーポレーションを過ぎて「大形入口」へ。

県道53号との交差点をそばに岡田農機とファミリーマート、
うなぎの村山があり、「小田入口」へと至り、
ここから国道から反れて集落へと進み、
そちらからつくば霞ヶ浦りんりんロードへと合流。

ところが合流したところは
今まさに道路の舗装工事を行っているところで
誘導員の方が配置され集落へと迂回するように勧められることになる。

自転車道としての転換後も自治体は
恒常的に道路状態の維持に然るべき投資を図っている。
りんりんロード編2020
そして集落から小田城址の東堀へと出て行くことに。
正面にあたる大手口だった。

関東へとやってきた北畠親房を迎え入れた小田治久は
ここで高師冬をはじめとする北朝勢力と戦うものの劣勢に立たされ降伏している。
戦国期に小田政治が勢力を拡大し、
北条氏や結城氏、佐竹氏と小田城の争奪戦を
その子・小田氏治は繰り広げながら敗れ、
豊臣秀吉に領地を没収され、以後は結城秀康の客分になっている。

小田城は佐竹氏の支配下に置かれたの地、
佐竹義重の秋田転封に伴って廃城を迎えることになった。

真壁と小田、いずれも江戸期を迎える前に廃城となりながらも
そこから先に営まれた歩みというのは対照的なもので
農村と称されるような規模の集落のもとで
小田地区は今日に至っている。
りんりんロード編2020
小田城の存在は既に認識がなされていて
城址は昭和初期の段階で既に史跡に指定されていた。

保存整備にあたっての2000年代の発掘調査で
その規模が従来考えられているよりも遙かに大きなもので
筑波鉄道の線路が延びていた区間も
城郭に含まれていることが明らかになっていること受けて
つくば霞ヶ浦りんりんロードは
この城址部分に該当する区間を不自然なくらいに大きくカーブを描いて
これを迂回している。

鉄道敷設の段階では今日のような城址を持っていたとは
学術的な研究からも考えておらず、
小田城址の本丸を貫通して線路が敷かれていた。
りんりんロード編2020
クルっと振り返って小田城址遺構復元広場を
四阿並びに旧・常陸小田駅方面へと撮影したところ。
もちろん真っ正面に線路跡を意識してのもの。
四阿は発掘された建物跡の柱の位置や規模を基礎にしている。
りんりんロード編2020
小田城址を歴史広場として整備するのにあたって
発掘調査や遺構の復元を行うのとともに
史跡として広く人々に知ってもらうために駐車場を確保している。

小田保育園や北堀をそばにした
遺構に一番ちかいところに身障者用の駐車スペース。
ほかに歴史広場案内所のそばや、集落の中にも無料の駐車場を設けてある。
身障者用スペースは必要性に駆られる人のために
絞り込んでいるので2台分。
りんりんロード編2020
集落の中にある旧・小田小学校。
旧・北条小などとともに筑波交流センターに近接している
秀峰筑波義務教育学校に統合されており、
またさらに1年の歳月が経過した。
二宮金次郎像は変わらず背負子とともに本を読んでいるばかり。
校舎や校庭にはヒトの出入りはない。
自治体による調査においてニーズはあるといわれていても、
現実はこういうもの以上でしかない。
りんりんロード編2020
小学校は廃校になりながらも
小田保育所は現役の施設として健在。
敷地の向こうに見える校舎が旧・小田小学校になる。
りんりんロード編2020
小田中の第7回卒業生の方々の枝垂れ桜や
駅前南組常会の方々が手入れをされている桜並木から
旧・常陸小田駅跡に到着。
小田城跡歴史広場案内所が立っている場所に駅舎があったという。
舗装されていない部分を含めて線路跡にあたり
駅構内は2面2線の構造を持っていた。
りんりんロード編2020
関東鉄道グループに共通して見受けられる階段部分を強調して
旧・常陸小田駅ホーム遺構を撮影したところ。
開花状況が同一市内でも随分と違うというのは
こちらにおいても同じように思うこと。
りんりんロード編2020
鉄道時代から既に存在が認知されていた小田城址。
発掘によってその規模や歴史的な小田氏の評価が大きく変わった。
そういう認識がどれくらい現代の人びとに浸透しているのかというのは
まだこれからといったところ。
歴史の表舞台の人物に脚光が当たる時代から
それぞれの地方の歴史や人々の暮らしを紐解いていく時代、
そういうものを可能にする時代に入っている。
りんりんロード編2020
国道125号は集落の背後を通りぬけるように敷設されている中で
つくば小田郵便局と駐在所は集落内に位置している。
こういったところの立地に
道路構造や往来の変化が反映されているものと思われる。
りんりんロード編2020
13:14「小田中部」の停留所から❝つくバス❞小田シャトルに乗車。
やってきたバスは旧来の関東鉄道バスの車両だった。
運用導入される車両や停留所は車椅子での乗降をできるように
最大限の配慮がとられていたりする。

つづく
posted by 小林 慶太 at 21:45| 千葉 ☔| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月31日

現存する駅名表示板

りんりんロード編2020
2020年3月25日、8年ぶりに土浦駅からつくば霞ヶ浦りんりんロードこと
旧・筑波鉄道線路跡を辿り、最初の休憩所である虫掛休憩所に到着。

2面2線構造だった旧・虫掛駅の構内は
ヤマカワ厨房をはじめとした住宅地に面したホームがあった部分には
四阿や公衆トイレが整備されていて、
ライオンズクラブの40周年を記念して2005年に植樹された花壇や
ホーム遺構に藤棚が設けられていた。
りんりんロード編2020
右手にはれんこん畑が広がる中で、
休憩所を出て引き続き歩いて前方を横切る常磐道のもとへ。
それとともに茂みから左脇に並行して道路が延びてくる。
りんりんロード編2020
常磐道を潜り抜けると左右に道路を従えて桜並木が続き、
グリーンロードにいはり、下坂田桜並木愛護会が
手入れをされている区間へと入っていく。
平成の市町村合併以前は新治村だった界隈にあたる。
それとともに一面の水田の中を進んでいく事になる。
右に延びている道路が途切れたところにも踏切遺構がある。

少し離れて左手に桜川の土手が位置しているという関係。
一切岩瀬駅まで交わることはない。
敷設において架橋にかかわる費用が負担となるのを避けているため。
りんりんロード編2020
県道199号がこちらへと延びてきて
それとともに山林が迫り、ブロックの工場も見えてくると
坂田園芸グリーンゲートのもとへ。
つくば霞ヶ浦りんりんロードの間近にあり、
サイクルステーションも持っているガーデニング店。
ここの看板は通っていくサイクリストを意識されているようで
トイレ休憩やカフェのピクトグラムが盛り込んである。
マルシェの開催をしたりしており、その枠組みに留まらない。

ちょうどここが旧・坂田駅跡にあたり、
盛土部分が残るのみで、ほぼ駅としての面影はない。

撮影している場所がちょうど踏切があったであろうところ。
一面一線の構造だったらしい。
りんりんロード編2020
坂田駅の駅名表示板は
坂田園芸グリーンゲートから県道199号を挟んだ道路向かいの個人宅の前に
文字がうっすらとなりながらも保存されている。
この辺は確認をしていかなければならない点。
どこまでもごく自然に保存の道のりを歩んでくれるとは限らない。
歳月が流れれば流れるほどに。
りんりんロード編2020
ここからしばらくつくば霞ヶ浦りんりんロードは水田の中へと延びていて
非常に開放感に浸りながら歩いていくことになる。
クルっと振り返って土浦駅方面へと見ているところ。
往時であれば線路が延びていたわけで
それを除くと今日も変わらず稲作が営まれていることもあって
極端に景観は変わっていないものと思われる。
りんりんロード編2020
同時に遠方にそびえる筑波山を目指してひたすらに、という
そういったロケーションも抱えている区間。
やがて左へとカーブを描いて
藤沢城址があった山林とともに民家が近づいてくる。
りんりんロード編2020
旧・常陸藤沢駅跡にあたる藤沢休憩所に到着。
貴重な飲料自動販売機にありつける場所。
往時は駅前商店であったところが設置をしている。
8年前は設定がなされていたコミュニティバスの停留所も姿を消し、
面影やそれを証明するものがまた歳月とともに少しずつ消えてしまった。
りんりんロード編2020
二面二線の駅構造をかつては持っており
集落に面したホームには駅舎があったようで
そちらに休憩所として公衆トイレなどの整備をしている。

ホーム遺構を前にしたところには
駅名表示板を模した案内表示。
次の筑波休憩所(=旧・筑波駅こと「筑波山口」停留所)までは12km超の道のり。

ボードを掲出している支柱は鉄道時代のものを移設している。
りんりんロード編2020
水田に面したホーム遺構を撮影したところ。
柵やベンチ、日除けを休憩所とするのにあたって追加整備をしている。
りんりんロード編2020
雨引休憩所や真壁休憩所よりも南に位置していながら
旧・常陸藤沢駅の構内の桜はこれから本格的に咲き出そうというところだった。
ホームの土台部分は鉄道遺構でありながら
線路跡にあたる道路へと何か所か階段を設置したりという
そういった措置も講じている。
りんりんロード編2020
向かい合うホームは構内踏切で結ばれていて
それぞれ関東鉄道グループの駅に見受けられる特徴のある階段を
つくば市方面へと持っていた。
集落に面したホーム遺構には駐車スペースも設けられており
ここからサイクリングのスタートをされていく方もいらっしゃった。
りんりんロード編2020
旧・常陸藤沢駅跡から県道201号を辿って坂を上がっていき、
神宮寺や並木建設のそばから脇へと入って
藤沢城址へと向かっていくと
こちらには万里小路藤房遺跡の碑がエノキの木のもとに建立されている。

元弘の乱の際に常陸へと配流され、小田治久に預けられていた。
建武の新政の際には復官しながらも
諫言をして聞き入れてもらえなかったために出家したといわれる。

そういう人物にスポットライトを充てる人物評をつくり出した
その時代背景を読み解くべき必要がある。
りんりんロード編2020
新治ふるさとの森公園に向かうべく、国道125号へと出ていき、
前日は真っ暗の中でバスで辿った道のりを
遡るように徒歩行程で巡ることに。

「藤沢十字路」の停留所は
旧・常陸藤沢駅跡へと通じる県道201号との交差点に位置していた。

そちらから藤沢郵便局を通り、八坂神社を前にして
集落へと入り、坂を坂を下っていくと目的地となる公園が見えてくる。
りんりんロード編2020
ふるさとの森公園のアスレチックがある交流広場に
常陸藤沢駅の駅名表示板が場違いな感じで立っていたところに巡り合った。
近接する駅名はいずれも平仮名表記がなされていた。
りんりんロード編2020
ふるさとの森公園には鹿島神社が鎮座していて
鳥居は東日本大震災で損壊したことを受けて建立したものだった。
ふるさとの森グリーンクラブの方々を中心に成し遂げたそうだ。

これらを8年前は漠然と
つくば霞ヶ浦りんりんロードから「山林が控えている」といった
そういった認識しかなかった。
駅名表示板の存在は2年前の真壁伝承館における企画展で知り
ここでようやくコンタクトをとるに至った。
坂田駅、常陸藤沢駅、雨引駅の3駅は駅名表示板が
廃線から30年を経過した
現在もその所在に突き当たることができる状態にある。

まぁ酔狂なことをやっているということを否定はしないけれども
自分が軽くあしらった存在というのは
どういうものだったのかは知れば知るほど
背景にあるものの存在に驚くばかりだ。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:59| 千葉 ☁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月27日

脈打つもの

りんりんロード編2020
土浦駅の駅ビルプレイアトレ、
開業間もないホテル「BEB5」で宿泊し2020年3月25日の朝を迎えた。
既に目が覚めた時には土浦駅の構内は通勤時間帯に差し掛かり、
この辺はイメージに重なるように
上り列車を待つ人々がホームに見受けられるところだった。

その辺は地上目線からも目にしている部分はあるのだけれども、
貨物ターミナルと東口の駐車場における自動車の出入りをしていく光景は
非常に新鮮なものがあった。
こういった機会がないと目にすることのない光景。
りんりんロード編2020
夜と一転してホテルのパブリックスペースは
宿泊者が行動を起こしていく時間に重なることもなかったこともあり
ひっそりとしていた。
家族連れと単身者、本格的なサイクリストの方々では
思い立つ時間がやはり違うので、夜は顔を合わせることはあっても
朝はまるっきり、という感じでチェックアウトを迎えることになった。

そういうタイミングだから
そのデザインをこうして拾い上げているわけだけれども。

サイクリングホテルのコンセプトのもとに組み立ててあるので
自転車のエッセンスを空間に散りばめてあるのとともに
開架されている書籍もこれに関連したものが多い。

左に映っている自転車は
一般的な自転車でいう買い物かごが付いているところに
ジューサーが載っていて、ペダルを漕ぐと……という代物。

滞在時間をゆったりと過ごしてもらうように空間設計がされているのは明白なので
時間配分を割くような観光やレジャーを組み立てるべきだったというのは
非常に悔いるものがあって、淡々とあとにしていくのはもったいないくらい。
りんりんロード編2020
朝ごはんは2階に入っているテナントで頂いた。パンだけど。
館内移動ということもあり、
すごくこの辺は一体的な施設としての恩恵を享受させて頂いた。
非常に自分だけ薄着なのが際立つ。

土浦駅西口のバスターミナルもまたラッシュ帯に重なるので
各方面からの関東鉄道バスを中心としたバスがやってきていて
ロータリーにもうけられたプールも圧巻といった感じで
バスが集結しているところだった。

学校の休校期間に重なっているので駅へのヒトの流れが顕著ながら
本来であれば各方面への通学輸送を担う交通結節点の機能も
フルスロットルに発揮されるであろう場面にあたる。
りんりんロード編2020
一応、自分で駅前広場に対してアンケートに○を付けたり
強い要望をされる方々というのは
ターミナル駅から個々の駅に至るまで地域情勢や
その構造、維持管理への姿勢、利用実態に対して
細部に至るまで意識を払われて分析をされるのを怠ることがないと思われる。

駅前広場を持つ駅がそばにあるのに気付くのに
工事がはじまって10年近く経って、とか、
言われてようやく、とか、そういう割に式典だけは都合よくあらわれて
ゆるキャラと記念撮影して「実績」とされるような
当事者意識や生活感がなかったりする方は言語道断、問題外、という事で。

広場構造はバスロータリーとタクシー・一般車ロータリーを棲み分け、
駅舎出入口そばにバス降り場と一般車の身障者乗降場を設け得ている。

バス乗り場はプールを囲うように
反時計回りで乗り場の番号を振ってある。
旧・筑波鉄道代替路線にあたる筑波山口・下妻駅方面は5番乗り場。

一般車の乗降場所は身障者へのものを例外にして
原則としてペデストリアンデッキからコンタクトをとるようになっている。
エレベータ―もそちらには講じてある。

今日では土浦市役所となっているウララとターミナル上部を跨いで
ペデストリアンデッキが直結していることも
このような空間活用につながっている。

世の中にはそういう投資ができる背景に何があるのか考えもしないで
強い要望とか叫ぶ方がいらっしゃるけど。

土浦駅は茨城県内で21世紀に入ってからは
台頭著しい守谷駅やつくば駅といった存在に追い抜かれているとはいえ
有数の交通結節点を占める役割は変わらない。
相対的に派生していくヒトや事象から組み立てていくモノに対しては
確実に変化の波の影響を受けている。
りんりんロード編2020
土浦市が設置している案内図なので
地図上に示されているバス路線網も必然的に市内に特化したもの。
放射状に常磐線並びに土浦駅を補完するように延びている。

医療施設、文化施設、大学など主要施設は
どの乗り場で、行き先は何処を示しているものに乗車すればいいのか、
また最寄りとなる停留所は何処なのか、所要時間はどれくらいなのか、という
その辺の情報がこちらに集約されている。

高速バスは東口に停留所が設定されているので
その旨も拾い上げている。
りんりんロード編2020
2日目は土浦駅からつくば霞ヶ浦りんりんロードを巡っていく。
こちらからの経路を辿るのは8年ぶりという事になる。

旧・筑波鉄道の土浦駅構内にあたる部分には
駐車場に代わって市立図書館と市民ギャラリーがそびえ立ち
これを上書きするに至った。
アルカス土浦。駅前交番もこの施設の一部に含まれており、4階建て。
りんりんロード編2020
常磐線の土浦駅と並行する一画では
アネージュ土浦グランミッドというマンションの建設が行われていた。
当然これもまた旧・筑波鉄道の鉄道用地の一部が含まれている。
人口減社会にありながらも、
一部ではなおも集約化、増加を見込む場所もあるというのは
相対的に生じていく事象を思わないことはない。
りんりんロード編2020
そこからぐ〜っと線を引っ張ってきたところで
土浦ニューウェイの下を通りぬけ常磐線の線路脇へと至り、
つくば霞ヶ浦りんりんロードが
常磐線と並行して延びていく。
ガードレールとフェンスの間の道路幅は
非常に線路跡を活用していることがわかる。

土浦駅方面へと見ているところになる。
翻って視界を遮るものは鉄道用地の存在が
かつてあったことに他ならないことを示している。
りんりんロード編2020
そばを常磐線E531系が走り抜けていくのでこれをパチリと。
国鉄時代は筑波鉄道の気動車と並んで走っていく場面があったのかもしれない。
世代交代を果たしていく常磐線に対して
こちらは鉄道の歴史に終止符が打たれてもうじき30年を迎えようというところ。

神立駅並びに旧・新土浦駅方面へと
つくば霞ヶ浦りんりんロードを歩いていく一コマ。
線路脇の壁面には
土浦花火大会や霞ケ浦を描いたイラストなどが沿道を彩っている。

電柱やカーブミラーの位置を見てもらうと明らかなのだけれども、
何故か車道とこのつくば霞ヶ浦りんりんロードとの
境目にあたるど真ん中に立っているわけで、
これが本来の道路幅にあたる。
りんりんロード編2020
常磐線向こうに日本物流システムや富士ボーニングの工場が見え、
こちらにはホテル土浦ヒルズやさくらドレメがある中を道なりに進んで
前方にホーユウパレスがそびえ立っているところで
つくば霞ヶ浦りんりんロードは常磐線から分かれるように
ここで大きく左へとカーブを描いていく。
花壇も絶えずに手入れがされているんだよね……。
だから、といえばそれまでながら、
これを果たせる方々というのは思っているよりも多くない。
りんりんロード編2020
ホテルマロウドつくばが右手に見えているところから新川のそばへと出ると、
ここで一旦つくば霞ヶ浦りんりんロードが途切れ
神天橋を渡って対岸へと向かうことになる。
対岸にはケーズデンキ。道路向かいに控えているのはヨークベニマル。
ロードサイド店が構えている界隈。
鉄道時代は当然独自の橋梁で新川を跨いでいたものと思われる。
道路には案内表記を掲出している。
サイクルツーリズムを視野に入れるにあたって強化しているのは
他ならない案内表記であったり、道路表記。
りんりんロード編2020
ダイナムとケーズデンキの間をつくば霞ヶ浦りんりんロードは延びているので
そちらへと新川を渡って入っていく。
土浦南ロータリークラブ100周年で100本の植樹をした桜が沿道に続いている。
2003年にこれを行っているものだ。
ガードレールは自転車のデザインが盛り込まれている。
道路は自転車道に転用した後も走行状態を保てるように
維持管理に努めることになるので
土浦市はアスファルトを改めて敷き直しており、
真新しい路面状態を歩いていく事になった。
りんりんロード編2020
サンキを過ぎると駐車場とともに空き地が広がってくる。
旧・真鍋機関区並びに信号所であった界隈。中川ヒュームところにあたる。
近接してつくば国際大高が位置している。
つくば霞ヶ浦りんりんロード右手には関鉄観光バスの事業所。
それらを含めて鉄道施設の土地であったことを色濃く残している光景。
りんりんロード編2020
鉄道時代からの施設であったと思われる建物には
周囲に足場が組まれ幕が包まれていた。
廃線から30年近くを経過している状況にあれば
アクションが起こされない方がむしろ望むべきことはないわけで。
りんりんロード編2020
そして関東鉄道本社のもとに突き当る。
常総線や龍ヶ崎線といった鉄道路線を抱える鉄道事業者は本社を
こちらの土浦市に構えている。京成グループ。
りんりんロード編2020
関東鉄道本社の先で
つくば霞ヶ浦りんりんロードを横切ってる本来の水戸街道の向こうには
これまた関東鉄道グループで見受けられる特徴的なホーム遺構。
旧・新土浦駅跡にあたる。一面一線構造だった。
左にそびえるビルは延増第一ビル。
道路構造もあいまって近隣には路線バスは乗り入れない。
「関鉄本社入口」停留所が国道125号に設定されている。

自転車専用道の標識が経っている付近から
再びアスファルト舗装が新しくなっていることにも留意したい。
りんりんロード編2020
8年前を遡ってなおかつこの時期、となれば
寄り道をしていく場所は当初から念頭にあるわけで、
関東本社前を横切る道路を右折して「真鍋宿通り」に入っていく。
真鍋郵便局での一コマ。

本来の水戸街道の道路幅がこれぐらいの道路幅で
それを挟むように真鍋宿が形成されていた。

往還の変遷で国道125号が敷設され、
さらに現在の国道6号やバイパスが交通量の増加に応じて
改良を加えた上で今日の市街が組み立てられている事に突き当る。

うちの街の県道59号、木下街道が狭いと称されるけれども、
天下の水戸街道の宿場町の道路構造を引き合いに出すと
五街道に及ばない中でも、それだけの道路が整備されていたというのは
やはり特筆すべきもので、
段階を追って高規格なものを導き出せる土地利用がなされていた背景の有無や
急激な人口増や宅地化の進展度合いなども考慮して
目に映る事象は分析する必要がある。
りんりんロード編2020
立ち寄っていく場所はもちろん真鍋小。
児童数は800名超の規模を誇り、校舎は2000年代半ばの建築ながら
明治初期にまでさかのぼる歴史ある学校だ。
休校期間中でも一般者に対して出入りに対して寛容なのは
校庭敷地に関わりがある。
りんりんロード編2020
校庭のど真ん中に5本の桜の木が咲き誇っている。
これが天然記念物に指定されている❝真鍋のサクラ❞。
明治40年に植樹されたものが今日もこうして健在で
春を迎える度にキレイにピンクの花を咲かせている。
非常の惜しむのは、これを目にするのが
例年になく極めて限られたヒトであること。
過度の集客を図る事につながるイベント開催は見合わせていて、
適度な開放によって鑑賞する機会を頂けたので
タイミングがバッチリ重なって、これに与らせてもらえることになった。
りんりんロード編2020
校庭のど真ん中というロケーションは
児童数の増加に対して拡張がなされている中で
サクラの木は植樹された場所を今日まで変える事がなかったものと思われる。
往時は1400人超の児童数を抱える時代があったという。

学校の歴史のみならず、そこにある文化や資源というものを
ひろく価値観を共有するためにも
末永く公開をしてもらえるものであって頂きたい。
ごく自然に出入りができる時代ではなくなっているところで
こうしてもらえるのはありがたいと思う。
りんりんロード編2020
8年前は近接する真鍋鹿島神社のもとに掲示されていた
住居表示街区案内図に普通に「新土浦駅」の表記と線路があって
ビックリしたけれども、
それが消えて今日に近いものに差し替えがなされていた。
避難場所を案内したりする性格が濃いのでむしろそれが必然なのだけれども。
りんりんロード編2020
そばにある土浦一高は旧制中学で県内2番目の学校を母体にしていて
重要文化財に指定されてなお現存している。
NHK連続テレビ小説の「エール」でも明治期の建物であることから
そのロケーションが着目され舞台になっていたりする。
歴史と格式ある学校がその土地にあるというのは
どういう都市なのかを象徴的に物語っていて
そういったものを後世に価値を引き継いでいくのが
今日の人びとの自負であり責務なのかもしれない。
りんりんロード編2020
国道125号を辿ってコメダ珈琲や幸楽苑のそばから
再びつくば霞ヶ浦りんりんロードへ入っていく。

またしても道路管理者の兼ね合いもあって
道路標識を境にアスファルト舗装の状態が異なっていたりする。
りんりんロード編2020
左手にはアパートが多い住宅地が続く一方、右手は畑や草むらに。
まごころの家を過ぎてもんじゃ焼きハッピーの前を横切る道路との交差箇所には
お店を前にした道路標識とともに踏切遺構が残されている。
りんりんロード編2020
やがて少し離れて左に土浦二高が見えてくるのとともに
畑向こうの市民会館通りにはエンゼルゆめ保育園があらわれ
こちらへと近付いてくる市民会館通りを渡り、
土浦消防署を遠目に歩いていくと前方には国道6号土浦バイパス。
それとともに左にはサトウ防災や岡田電気産業、ミツワ製作所といった事業所。
桜並木と一緒にバイパスの下を通り抜ける。
りんりんロード編2020
虫掛休憩所こと旧・虫掛駅跡に到着。
二面二線の駅構造で桜川沿いの柴沼醤油醸造の存在が
非常に駅の設置に関わっていたらしい。
輸送手段としての当時の期待感を彷彿させる。
れんこん畑に面したホーム遺構は健在ながら
四阿や公衆トイレの整備とともにもう一面のホームは姿を消している。
りんりんロード編2020
旧・虫掛駅のホーム遺構を撮影したところ。
自転車道の整備とともに一部休憩施設として加わっているものがあるとはいえ
基本となっているのは鉄道時代のそのもの。
藤棚の季節もまた独特の風情を醸し出すのは想像に難くない。
りんりんロード編2020
色づき始めた桜の木よりも背後に広がるれんこん畑への開放感が
サイクリングロードの休憩所としての魅力。
りんりんロード編2020
土浦駅方面へと旧・虫掛駅構内を撮影したところ。
やっぱり駅名表示板を模した案内表記をコマに入れなければ。
ほぼ3.7km感覚で常陸藤沢駅跡までは休憩所を設けている。

つづく
posted by 小林 慶太 at 20:34| 千葉 🌁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

プレイアトレ

ここ数年来で自転車に対する鉄道事業者の捉え方が随分と変わってきている。

ツーリズムとしての自転車に市場化を試みて
JR東日本の千葉支社がBBベースという列車を生み出したりしており
それにつづくように茨城県でも
駅に近接する施設の本格開業を迎えることになった。
りんりんロード編2020
2020年3月24日、日没を迎え、辺りがすっかり中で
18:33、「平沢官衙入口」停留所から関鉄パープルバス土浦駅行きに乗車。
下妻駅と土浦駅間を結ぶ路線バスは
春休み期間であることに加えて休校中もあいまって、
その需要をそのまま差っ引いた状態にあった。

道なりに「大池東」へと向かっていき、国道125号へと左折して合流。
セブンイレブンをそばに「小和田入口」を通りぬけて
ニュー高根を過ぎたところには「北条新田入口」、
さらに高台を進んで「西町入口」というように
停留所には❝入口❞を冠するところが多い。

ゆにろーずが沿道に見えてくると「小田」停留所。
旧・常陸小田駅の代替にあたる。味気なく淡々と通過するばかりだった。
ラーメン遊流を通り、右へとカーブして坂を下っていき、「宝篋山入口」。
十二分にこのまま市街地まで乗降がないのかも、という
展望に歯止めをかけてもらえるようにこちらでお一人の乗車があった。

そのまま国道125号をバスは進んで「小田今宿」を過ぎて
こばやし歯科のそばからファミリーマートのもとへ。
「小田入口」を通過。

つくバスはこの区間を集落の中を進んでいくのに対して
こちらのバスは国道125号を経由。
お互いが補うように重複しているところもあれば
同じ停留所を設定しているところもある。

「大形入口」から「西大形」へと向かい、
左へとカーブしていき「大形」の停留所から今度は右へとカーブ。
「南大形」に出て、焼き鳥安兵衛をそばに「下大形」を過ぎたところで
旧・田土部駅を跨ぐ県道200号との交差点を直進。
つくバスと経路が再び分かれる。

レストランキャニオンから県道201号との交差点に向かい、
「下大島」から左へとカーブして土浦・新治バイパスとの交差点を右折する。
既に土浦市へと入っている。

出光のガソリンスタンドから「高岡」へと出て行き、
「高岡東」を経て、「藤沢神社前」へと左にカーブ。
藤沢郵便局を通り、「藤沢十字路」を通過。

ここが旧・常陸藤沢駅の代替停留所。
エネオスのガソリンスタンドをあとに右へとカーブして
坂を下った後、「藤原下宿」を通っていく。
セイコーマートを過ぎると「藤沢小学校」とのアナウンス。
学校は既に2年前に新治学園義務教育学校に統合されているものの
停留所には名前が残されている。

「東町」を経て、ホンダカーズが見えてきて「上坂田入口」へ。
非常につくば霞ヶ浦りんりんロードと距離が生じているので
代替とは言い難い部分もあるような気がしないでもないけれども、
旧・坂田駅周辺へとコンタクトを確保した停留所にあたるようだ。

エポックロジスティックスの先に右手にあらわれるのが「関鉄ゴルフ場」。
今日の筑波鉄道は関鉄筑波商事として
このゴルフ場の経営や不動産業を本職としており、
鉄道は廃止されたものの、事業者としては今も健在。

茨城トヨタにNECCO、ダイナムを過ぎて「下坂田入口」に至り
久しぶりにお一人の乗車がある。
常磐道を❝跨いで❞コインランドリーデポの前に出て「並木西」へ。
カスミや不二家を過ぎ「常名清水」から「中並木」に向かい、
さらに「並木一区」を通ってファミリーマートや茨城ダイハツのそばに出る。
「土浦工高前」停留所。ここでも土浦バイパスを❝跨ぐ❞。
スクールIEを過ぎて「真鍋台」を通り、モスバーガーをそばに「神社口」へ進んで
すぎのやにJネットレンタカーがある交差点を右折する。

クスリのアオキから「土浦一高前」に出て
歩道橋を潜ってコメダ珈琲の前へ。市民会館入り口交差点を直進。
松屋や東邦薬品を過ぎたところで「関鉄本社入口」。
幸楽苑や吉野家、エネオスのガソリンスタンドの先で「真鍋橋」に至り、
ここでもお一人の乗車があった。

新川を渡って右へとカーブして土浦警察署をそばに左折。
常陽銀行脇から「亀城公園前」へ。
お濠には夜桜鑑賞を思い立たせるように提灯が飾られていた。

自粛が求められているところにあるとはいえ
ある程度の範囲内で立ち上げるものを立ち上げておかないと
物事が成り立たなくなってしまうことを懸念するものがあったので
魅入るというよりも、そのようにやっているという認識する感覚で
その光景を受け止めた。

2階、3階建ての建物が沿道に並んで三菱UFJ銀行を過ぎて
「桜橋」を過ぎたところで土浦ニューウェイを潜り、
ホテルベルズインや常陽銀行を過ぎると前方に
ウララやキコーナがあらわれ、
バスはゆっくりと19:10土浦駅ロータリーにバス降り場に到着。
折り返し下妻駅行きとなる、770円。

コミュニティバスを移動手段としている行程だったので
ICカードでの精算とはいえ、一気にその金額が差し引かれるのは
HPが大幅に削られるようなもので驚いた。
これが本来の運賃であって、
その範疇で組み立てるように努めていくべきなのがあるべき姿であるというのに。
りんりんロード編2020
土浦駅ロータリーでパチリと。
ペデストリアンデッキで直結しているウララは
他ならない土浦市役所となっていて、地下にはカスミが入居。
翻って紐解くとイトーヨーカドー土浦店の撤退が契機になって
今日の建物施設の活用状況に至っている。

常磐線の主要駅であるところですら、
商業施設を維持していくのは決して当たり前のものではなく、
行政もまたこういった活用を行う判断をするところに物事が推移している。
人口減や社会構造の変化という
簡単な言葉でサラッと片付けてしまうけれども、そればかりではない話で、
見えるところ、見えないところに色々な影響があるのは確か。

ひろい話で見るとまだまだ経済は発展の余地を残していて、という
そういう分析をしたり手元に感覚を持たれている方もいらっしゃるし、
恐らくはある事実の一分であることも紛れもないことなのだろう。

バス乗り場は全部で6つあり、
「筑波山口」や「下妻駅」へと
旧・筑波鉄道の沿線を結ぶバスは6番乗り場から出発着する。
乗り入れるバス会社は関鉄バスとそのグループ会社、JRバス関東。
りんりんロード編2020
ようやく土浦駅の駅ビル・ぺルチがプレイアトレになって
初めてこちらに立ち寄ることになった。

既にサイクリングの拠点施設であるりんりんスクエアが開設され
部分開業をしていたところに
この度サイクリングホテルBEB5土浦が開業して
わずか5か前にグランドオープンを迎えた。

つくば霞ヶ浦りんりんロードを抱えていることもあって
日本最大級のサイクリングリゾートと銘打って整備がなされているので
非常にデザインは先進的で
サイクリングありき、サイクリストありきという
コンセプトが反映されたものになっていた。

絶好の春の行楽シーズンのスタートに照準を合わせていたのは
誰が見ても明らかなことで、好循環のシナリオが描かれるところだったものの、
非常に新型コロナウィルスの感染拡大へと懸念がなされる逆風に晒され
茨城県内のJR駅にポスターを掲示したりして
立ち上げをされていただけに、関わっていらっしゃった方にしてみると
かなり厳しいところにあったのではないかと思う。
りんりんロード編2020
1階のりんりんスクエアは茨城県が設置している施設で
JR東日本の系列会社であるアトレが管理運営を行っており
自転車の専門店ル・サイクを中心に
レンタサイクルをはじめ、コインロッカーやシャワーなどの設備が整っている。

レンタサイクルは店舗での受け付けは10:00〜20:00の営業時間の範疇ながら
地下一階の無人ステーションは❝ハローサイクリング❞というアプリで
前もって登録を済ませていくと
朝は5時から、夜は1時までという非常に長い時間帯で利用できるというように
これ以上ないと思われるようなサイクリング環境が提供されている。

駐輪場もかなりの収容台数が用意されていて
出入口を見ているそばから、
本格的なサイクリングをされてきたと思われる方が
さ〜っと館内に入っていく。自転車に乗ったまま。
そういう構造で組み立ててあるのと
それに対して利用者に浸透しているのにビックリ。
りんりんロード編2020
1階、りんりんスクエア内部の様子。
出入口だけでなく、もちろん店内だから
ほかの人にも配慮が必要なのですぐ降りることになるとはいえ
自転車とともに行動することが前提になっている造りが採用されている。

タリーズコーヒーやミニストップ、ココカラファインが
同じ階に入居していて、
それもまた間近なところまで自転車を持っていくことが可能で
サイクルラックも用意してあった。

コンセプトに加えて
デザインも先端をいくものをできるだけ創出させて
既存のものに散りばめて化学変化を起こした感じだった。
りんりんロード編2020
土浦駅改札並びにプレイアトレの3階にあたるステーションロビーを撮影。
ホテルはここからも出入りができる。文字通りの駅直結。

こちらのステーションロビーにはフードコートがあり、
中華料理ハオツーとスロージェットコーヒーがこれを構成。
スタージェットコーヒーで商品購入をすると
ステディスタディという学習スペースの利用が可能になっていて
サイクリングや宿泊施設だけでなく、鉄道駅利用者にも意識を向けている。

やってきているタイミングが休校期間中に該当するので
その試みに対する反応というのを
垣間見るところまで至らなかったのが惜しむべきこと。

飲食店の方はこういうご時世の中で感染予防の措置を講じながら
安全である旨を告知しつつ営業をされていたので
ありがたいのと思うのとともに心苦しい部分もあった。

まだその範疇で営業がなされているところにやって来ていた、という
そういう捉え方も出来るのだけれども。
晩ごはんはこちらで頂いた。

取捨選択は自由であって、色々な制約がある中で
つづくものを導いていくために、というのは
事業者だけではなく個々人に問われるものも多いというのも事実で
導き出す答えがそういうものに突き当たらなかったり、
短絡的で終わるものばかりだという自己矛盾ばかり抱えている。
りんりんロード編2020
2階は自転車漫画ということで❝弱虫ペダル❞の複製原画展が
イベントスペースで行われていた。
そういったイベントスペースを持っていて
活用をしていくことで賑わいを生み出していくことを意図している。

アニメはグローリーラインの続きがまだなので
これから映像化されるシーンが多いような気がした。

連載は少年誌ながら女性にもファンが多いといわれるので
そういう導入からも自転車やツーリズムへとコンタクトを図っているのだろう。
りんりんロード編2020
もちろん目的地が土浦駅なのは
こちらのホテルにお世話になるからで、開業間もない「BEB5土浦」に宿泊した。

チェックインもQRコード使ってフロントで済ますというように
システム的にも新しく、デザインも先端を行くものを取り入れて
館内空間の表現がなされていたのに加えて
非常にパブリックスペースも十二分に割いていたのも特徴の一つだと思う。

遊び心があって、尖がっていて、かっこよく、
それでいてあたたかみがある、という条件を満たしているような印象。

家族連れの方やサイクリスト、意識されている対象は広く
そういうところに応えられる設計になっているようだ。
りんりんロード編2020
ホテル内もちゃんとサイクルラックが用意されていたりするし、
部屋によっては持ち込むことも可能なところもある。
りんりんロード編2020
オープン間もない、というのを差し引いても
部屋は非常にカッコよくまとまっていて
アメニティのデザインにまでこだわっていらっしゃることが伺える。
木の温もりを大事にしている。
りんりんロード編2020
商業施設がホテルになって、
そこに宿泊することになるのだから
その変化は目の当たりにしても半ば信じられないくらい。
りんりんロード編2020
しかも駅直結のホテルだから部屋から
土浦駅の2・3番線ホームに加えて貨物ターミナルまで見えてしまう。

チェックインを早くしなかったことを非常に後悔するものがあった。
土浦駅からは貨物列車が1日2本出発着。

自分が思っているよりも上り列車の需要、ヒトの流れがある。
何だかんだライフサイクルを読み解くように見入ってしまうのだった。嗚呼……。

一気にバスで❝ワープ❞したところを翌日は徒歩行程で辿っていくことに。
つづく
posted by 小林 慶太 at 21:11| 千葉 ☁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

日没

毎度のようにこちらを訪ねる際に後悔するのは
幼少期に筑波鉄道とコンタクトがとれるところにありながら
「こんなのは電車じゃない(気動車なんだけど)!」とか
サラッといって退けてしまっていたり
筑波山をはじめとした連峰があつめる信仰や
石材、養蚕といった時代を牽引していた産業によって
大きく賑わい、国家の原動力となっていた側面もあるのに
「ボロい街は興味ない」なんていう
評価を下してしまったのだろう、ということ。

当時の自分にそれを考えるように言うのはムリがあるとはいえ
たぶんその辺に突き当たっていたら
人生の価値観が大きく変わっていたのだと思う。

その頃の自分の強さはそういうものを知らない強さであり
バッサリと切り捨てる価値観を持っている強さだった。

筑波山口付近の光景や国道125号でりんりんロードとバスで並走する光景は
おぼろげながら重なるものを持っている。その先につくのに四半世紀以上かかった。
りんりんロード編2020
2020年3月24日、つくば霞ヶ浦りんりんロードこと
旧・筑波鉄道線路跡、旧・常陸北条駅跡にやってきた。
こちらは駅構内のサクラはまだ開花前という状況にあった。

左に見える民家が並んでいる方に駅舎があったというので
本来であれば「駅前」にあたるところながら
既にそうでなくなってから30年以上の歳月が流れている。

途中駅で一番乗降客が多かった駅。
りんりんロード編2020
旧・常陸小田駅跡方面からだと特徴のあるカーブとともに
かつては駅構内が広がっていた。
筑波高の校庭と筑波スレートの工場に挟まれている。
界隈の桜並木は日照の兼ね合いや品種の違いもあれど
何故か駅構内と開花状況が違うので
華やかなこちらを目にすると、取り残されたような駅構内の寂しさが際立つ。
りんりんロード編2020
今日はつくば霞ヶ浦りんりんロードに面して
ソーラーパネルが広がっている筑波スレートの工場敷地。
工場の位置関係を見ると
採掘される石や貨物輸送との関わりの深さを仄めかしているかのよう。
りんりんロード編2020
駅から正面に延びる道路を辿って
北条商店街が形成されている県道138号との突き当りに設定されている
バスの停留所は今も「北条駅入口」だ。
筑波地区支援型バスも然り。

土浦駅方面から筑波山口を結ぶ関東鉄道バスのほかに
下妻駅までを結ぶ関鉄パープルバスがともに走っているので
ほぼ日中は30分に1本の間隔でバスがやってくる。

同じく商店街を通るつくバスにはこの「北条駅入口」の設定はない。

たまに名称が変わったりすることがあり得たりするから
一応、確認しておくというような話。
りんりんロード編2020
そばの小高い丘に鎮座しているのが
牛頭天王像を御神体にしている八坂神社。
廃仏毀釈の際のこの場所に移されたという高さ2mの五輪塔がある。
この神社の例祭が北条地区の夏の風物詩である祇園祭。

旧・常陸北条駅はメインストリートを有している構造にはなっていても
商店街が形成されていたつくば道から離れたところに位置していた。
りんりんロード編2020
カフェとして用いられている旧・常陸北条郵便局だった建物。
登録有形文化財としての評価が与えられている。
郵便局だった時代は30年ほど。
昭和初期の建築でカフェには正面の出入り口からではなく
脇からまわり込む構造になっている。
この日は定休日にあたった。
りんりんロード編2020
窯揚げうどんあおやまは
里山建築研究所の古民家再生によって
リノベーションされた建物を店舗にしているので
鄙びた建物でありながらも真新しさを感じさせている外観を持っている。
拠点をここ北条に構えている研究所は
こうやって目と鼻の先の建物をよみがえらせている。

竜巻被害を受けて以降に古い町並みの中において
旧来の建物を利用して新たに立ち上げられたお店の一つ。
丸っきり変わらないわけではなく、
文化や歴史によって醸成されたところに
新しいものと古いものがとけあって
つづく営みをどのように体現されていくのかという点で着目すべき存在。
りんりんロード編2020
醤油醸造を行っていた宮本家店蔵。
江戸時代末期弘化期の建築となる登録有形文化財の建物。
北条地区は醸造業が営まれる土地の背景にある条件を満たす街。

店蔵は文化年間における大火を境に
防火性能を持つ土蔵造りが採用されるようになっている。
お店としての営業は既に行ってはいない中で
筑波大学とのリノベーション以後、
大蔵ではクラシックコンサートをはじめとした活用がなされている。

北条商店街は「顔」を見るのも
その面持ちを伺うところで味わいがある一方
裏から回り込んでみると、生活感がにじんでていて
また違った側面に出会えたりする。
りんりんロード編2020
右に見える建物が❝北条ふれあい館❞。かつては呉服店だった建物。
北条街づくり振興会が運営していて土休日に現在は営業している。
情報発信の場所であり、特産品の販売をする場所でもあり、
その呉服店の当時に近い状態を保っているので博物館的なものでもある。

テレビ局の方の取材があって、
平日でありながらもお店の方がいらっしゃった。
あまり出かけようと積極的にするような状況ではないので
たぶん竜巻の日から今日に至るまで
街の人たちはどのように復旧に努力され、
防災をされてきたのか、というようなことを
話されていたのではないかと思う。

登録有形文化財だから、ということもあり
北条ふれあい館の建物に目が向いてしまうけれども
お隣りの文房具店の建物も
それには及ばないとはいえ年季が入っている建物だ。

街灯に飾られるふれあいロードのタペストリーは
昨年と変わらず秀峰筑波義務教育学校の発足と前後して
デザインが統一されるようになったようだ。
りんりんロード編2020
秀峰筑波義務教育学校誕生とともに
旧来の小中学校だった校舎や敷地は
活用について検討がなされているようながら
校門にはロープが張られたまま。

こちらは旧・常陸北条駅跡からほど近いところにある旧・筑波東中跡。
民間にもアンケートをとっていて
旧・筑波東中は宿泊施設や温泉施設、キャンプ場拠点として
興味を示しているところが多いらしい。
あくまでも興味という次元に留まっているようだ。
りんりんロード編2020
学校としての歴史は終わっても
変わらずに校舎敷地にも周りと同じように時間が流れていて
こちらも桜が道路に面して開花を迎えていた。
目にする人は学校だった時代に比べれば格段に限られるとはいえ。
りんりんロード編2020
北条大池へとやってきたところ。
農業用のため池には約250本の桜の木が植えられていて
筑波山を間近にのぞめるロケーション。
夕暮れ時、一週間前に比べて少しばかり肌寒いくらい状況となると
地元の方でもお花見は敬遠するようなところにあった。
りんりんロード編2020
散歩をされている方もいらっしゃらず、
結果として独り占めするような格好になってしまった。
りんりんロード編2020
北条大池でもう一コマ。
夕陽が筑波山や桜を照らしている。
りんりんロード編2020
同じ行程を意識するところはしているので
寒くても北条商店街で買い求めた北条米スクリームを
このロケーションで平らげる。

八坂神社から大体1kmほどの距離を歩いてもまだかなり固い。
炊いた北条米を練り込んでいる。
スプーンが折れないように気を遣う必要がある。

春は限定のサクラ味が出回るので、これをしっかりと入手。
そういう範疇の行動で物事が好転するとは
とても思わないけれどもサイクルを積み重ねていくことは
物事を営んでいく上で欠かせない要素にあたる。
りんりんロード編2020
ここから土浦駅方面へのバスに乗るまでに
30分ほどの時間を持て余すことになったので
停留所のベンチで夕陽が沈んでいくのをただただ見ているという
旅路でなければまずやらないであろうことをすることに。
りんりんロード編2020
バズの時刻が近づいてくると
歯医者さん帰りというおばあさんがやってきて
18:28、つくバス「小田シャトル」の到着とともにそれを見送り
しばらくして18:33、土浦駅行きの関鉄パープルバスが登場。
こちらへと乗車していく。

春休み、休校期間中、
加えてヒトの流れを考えると、やはり、というところだった。

路線バスにおける高校生の定期需要の存在、
通学の足としての交通機関としての存在理由を裏付けるものがないというのは
非常に厳しい部分があるというのは想像するに難くない。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:24| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月20日

これからのつづくものさし

りんりんロード編2020
2020年3月24日、
つくば市にある関東鉄道つくば北営業所並びに「筑波山口」停留所。
旧・筑波駅にてバスの乗り換え。
こちらは実証実験中の筑波地区支線型バス。
昨年はタイミングよく乗車できる時間帯にやってきたものの、
今回はそうもいかず、デザインが刷新された姿を目にするのにとどまった。

3年間の実証期間の中で2年目に突入しており
全部で4コース、1日に5〜6往復の設定があり、
その中で筑波山口に乗り入れるのは2系統。
1乗車は200円でほぼ「つくバス」のルールが採用されていて
停留所もナンバリングをしている。

筑波地区の実証実験はあまり芳しくないとはいえ
この停留所増設で
市域における停留所からの300m圏内を対象にすると
人口を63%がカバーでき、
さらに500mに範囲を広げると86%をカバーできるように
バスの空白地域を削るように努めている。

高齢化率が筑波地区は35%を超えていて
茎崎地区とともにつくば市内では高齢化が進んでいる。
TXの恩恵を受けている桜地区や谷田部地区は
それぞれ14%、13%という水準。
つくば市は持続可能な開発を実現する潜在能力の高い都市として
国から選ばれている都市ということもあり
公共交通に対して積極的な投資をしている。
りんりんロード編2020
乗車していく「つくバス」北部シャトルの車両。
側面に描かれている筑波山に注目したい。
そばにモノサシが据えられている。
標高を示しているものではなく
❝これからのやさしさのものさし つくばSDGs❞という文言が添えてあり
街づくりのコンセプトでこれを図っていこうという
姿勢を示しているものになっている。

つくバスだけでも停留所は300m圏内で60%、500m圏内で83%の
人口をカバーできているように体系作りがなされているで
支線が底上げする「3%」という数字は
一見すると「大したことのない数字」に映るのだけれども、
行政が示す❝あたらしいものさし❞という尺度で見ると
強ちそういった単純なものではない。

みんなが車を持っていなくても、どこまでも行けるということが
持続可能で人びとが幸せになれる姿を描くのであれば、
本当に「みんな」という対象を追い求めることが
極限というものがあると自分は思うのだけれども、
そういう(既存の)尺度を打ち破ることを試みていくところに街の可能性がある。

学術研究に携わる人が多いからというのも
施策や街づくりを後押ししている部分があれども、
必ずしもそれを果たせるものではない。

16:00、筑波山口を走り出す北部シャトルに乗車したのは
自分を含めて3人だった。
バスはつくば霞ヶ浦りんりんロード沿いにあおやま薬局のもとに向かい、
りんりんロードを跨いでいいむらファッションストアの前を通り、
マミークリーニングを左折する。
竹内養蜂所からお土産直売所なかまの前に出て
ここから県道14号に入るべく左折。
つくば北消防署筑波分署や三和石材、中久木興業、
HGロジスティックつくば、飯村ゴム工業、酒寄設備などが沿道に。

「大貫」の停留所を通り、
エネオスのガソリンスタンドにヤングガンズ、福水、
LEシステムや伊賀屋の工場を過ぎると
左からつくば霞ヶ浦りんりんロードが接近。

右手に水田が広がる中、再びヤングガンズが沿道にあり、
TAXつくばを左へとカーブして内町下交差点へと出る。
ここから国道125号。

市街へと入って来て
ラーメン清六家やウェルシア、JAつくば市産直センターに続いて
筑波中央病院やカスミが見えてきてこれを右折する。
りんりんロード編2020
16:10、筑波交流センター到着。ここで降車。200円。
本来ならば下校の筑波高の生徒たちがこのバスの到着を待っているところながら
春休み期間中である上に休校となれば、
バスは一人自分を降ろして淡々とこちらを走り出していく事になった。
りんりんロード編2020
こちらが筑波交流センター。

新型コロナウィルスの感染拡大を受けて
予防のために公共施設が相次いで休館の措置を講じているところながら
窓口センターとしての役割を持っていることや
バスの待合所としてもロビーが開放されている状態にあった。

図書館や市民ホールつくばねを兼ね揃えた施設。
いずれもそれらは休止中。

出入口に設置されている自動販売機は
❝ホックン❞のデザインが採用されるようになった。
りんりんロード編2020
図書館や市民ホールはとにかくとして
ロビーに立ち寄れたのはこれ幸いに所在をキッチリを確認していくのはコレ。

筑波交流センターのゴミ箱。エキスポ85のロゴが入った貴重なもの。

恐らくはつくば科学万博と前後して設置されたものであるのは
想像するのに難くないので35年近く経っている代物になる。
もう歴史的な資料に近い存在になりつつあるだけの歳月が流れている。
歳月を重ねれば自分も例外ではないけれども
くたびれてくるのが顕著になってくるので
いつ取り替えられるのかヒヤヒヤ対面している。

隣に並んでいるペットボトルや空き缶の回収箱に比べると
格段に見劣りがするのは否めないとはいえ
末永く使ってもらいたいと思っている。

要は貴重なつくば科学万博開催を今日に伝えている
数少ないであろう現役のゴミ箱。「捨てちゃダメ!!」って事で。

過去に拘束される人間は滑稽で愚かだと言われようとも。
りんりんロード編2020
筑波交流センターのそばには筑波庁舎があった敷地を利用して
秀峰筑波義務教育学校がそびえ立っており
こちらは登下校はスクールバスが担っている。

小田小や北条小をはじめとした7つの小学校と
筑波東中と筑波西中の2つの中学校を統合して発足しているので
1100人規模の超マンモス校。校舎は3階建てで1学年4クラスくらい。
逆に統合しても9学年でその規模という水準で納まるということ。

6割超の人たちがスクールバスを通学手段にされているので
学校がある日の登下校の時間帯は
ハイデッカーのバスが圧巻といったくらいに集結するのに
春休みや休校期間となるとその姿もこれもまた同様になく、
そういった空白で生じる経済というものが
学校という枠組みに限らないところに影響を及ぼしていることは
本来の光景を断片的にでも目の当たりにすると思わないことはない。
りんりんロード編2020
国道125号から水田向こうに雇用促進住宅を見ているところ。
歳月が流れて竜巻が北条地区を襲って8年が経過しようとしている。
ちょうどその竜巻の経路を意識してのもの。

それを思ったところでどうなる、というものでもないけれども。
つくば霞ヶ浦りんりんロードや
北条大池の桜の季節が過ぎるとまたその5月を迎えることになる。
春の北条市はとりわけそれから復興を遂げてきたことを
地域の方々や来訪される方々が共有する場所。

歴史ある街が果てしなく続く街づくりの重要性を象徴するイベント。
「復興」の文字がとれたのは2年前から。

大体同じようなタイミングでやってくる自分が
ほぼ決まってそのポスターを目にすることになるものの、
新型コロナウィルスの感染拡大が顕著になりつつあるところで
その開催の決断に揺れていることを受けてなのか
交通規制の看板を含めてこれを目にすることはなかった。
(2020年は春の北条市中止になった)

イベントがなくても人々が思いを共有することはできないことはない。
でも、可視的に人々が実感する場所も
またそれ以上のものはないことを思うものもあって、
そういった中止の決断を受けた先の
北条地区の方々の街への思いがなおも続くのか
余計なお世話ながら懸念する部分もあった。
りんりんロード編2020
北条歴史めぐり絵巻と自然めぐり絵巻も
現在のような掲示方法になったのは竜巻被害を境にしてのものだった。

小中学校の統廃合というエポックがこちらには反映されていないとはいえ
道標や土蔵造りの街並みなど江戸時代の面影を残す歴史の街であることや
黄金にきらめく田園、畦道のたんぽぽ、鳥のさえずり、セミの鳴き声といった
抒情的な表現で体現されているものは
引き続き今日まで受け継がれていて、ほぼ変わることはない。
りんりんロード編2020
りんりんロードへと合流して旧・常陸北条駅跡方面へと歩いていく。
沿道の桜並木はグリーンロードつくば、
「北条桜の会」の方々が手入れをされてつくり上げられている景観。
植えられている桜の品種や日照の違いで開花状況が随分と異なっていて
こちらは駅構内ではなくともかなり花が開いており、
まるでピンクのアーチを潜り抜けるようだ。

お花見の自粛が求められていたり、
この日は一週間前に比べて再び寒さが戻って来たことに加えて
時間帯もあいまって、非常に淡々とした部分はあったけれども
このタイミングしかないということで市役所の方をはじめ、
カメラにこれをおさめにやって来ている方もいらっしゃった。
りんりんロード編2020
つくば道との交差点から
一旦、国道125号方面へと寄り道をして筑波高のもとへ。
旧・筑波鉄道の沿線に位置する高校の一つ。
時代が時代であれば定期需要の受け皿だったであろう高校。
土浦駅方面からの関東鉄道バス「筑波山口」を結ぶバスは
紛れもなく通学需要と下校需要を拾い上げるのが
存在理由になっていると思われる。
生徒数は240人くらいの規模。

こちらの学校も敷地は道路に面して桜が咲いていても
校門は開いていながらも春休みであり休校期間中であるので
これを目にする人が例年になく少ないのは確かなことだった。
りんりんロード編2020
昭和初期に建設された旧・常陸北条郵便局が現在はカフェになっているので
今日の北条地区にある郵便局にも触れて置かなければ。
この筑波郵便局がソレだ。
非常にある時期は特色的な外観を持つ郵便局が多かったものから
一転して画一的なデザインが採用されているようで
そういうものにあてはまるようだ。近隣のそれらと似通ったもの。

真壁郵便局は市街の中心部からバイパスへと引っ越しをしているのに対して
こちらの筑波郵便局は北条商店街とりんりんロードに挟まれて
並行して延びる道路に構えている。
鉄道駅は廃止されて久しいけれども、
旧来の建物よりもそちらへと近い場所へと移している。
りんりんロード編2020
竜巻被害と前後して建て替えを行ったり修繕をしているところも
街並みを意識した外観を保っており
街が醸し出す雰囲気というものを大事にしていることが伺える。
醸造業も営まれているところもあるということは
稲作が盛んな土地であることに他ならないし、
然るべき往来があって流通路が確保されていたことを意味している。
本来ならば駅前のメインストリートにあたるところでの一コマ。
りんりんロード編2020
旧・常陸北条駅跡に到着。
こちらの構内の桜の木はまだ開花しておらず荒涼とした感じだった。
2面3線の駅構造で手前が駅舎があった界隈。
桜の木が見える部分が島式ホームにあたる。
前方にあたる貨物遺構を意識して撮影したものになる。
石材業だけでなく、養蚕業もまたこの鉄道の大量輸送を必要としており
そういった規模でそれらの産業が営まれる地域でもあった。

時代とともに筑波山への参詣はつくば道並びに北条地区から
鉄道による「筑波山口」に移り、さらには自動車、TXとシャトルバスと
移り変わって来ており、今も信仰をあつめる筑波山とはいえ
その信仰によって派生する経済の対象は
随分と様変わりしていることを物語っている部分もある。
りんりんロード編2020
旧・常陸北条駅のホーム遺構を撮影したところ。
りんりんロード編2020
構内踏切で結ばれていたと思われるホームの先端は
当時と変わらずに関東鉄道グループの駅に見受けられる階段を持っている。
休憩所として整備はなされていないので
島式ホームの遺構はほぼそのままの状態で、上部に桜の木が並んでいる。

左側に見える民家が並んでいる一部は駅舎があったであろう場所であったり
文字通り「駅前」にあたるところだったのだろうけれども、
過去のものとなってさらに歳月を刻んでいる状況。

国道125号が当時どのようになっていたのか定かではないとはいえ
街のはずれに駅が設置されて
そこから「駅前」が形成されるようになっていたものと思われる。
そういうところで土地を確保することで
貨物となるものを大量に集めやすくしていたと捉えるのが妥当かと。

つづく

住宅密集地で要望したら立ち退かなければならない人が続出するのを
あまり考えもしないで要望される方も世の中にはいらっしゃる。
どこの街とは言わないけれども……。
posted by 小林 慶太 at 21:15| 千葉 ☔| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月19日

21世紀の金次郎 集結!路線バス

りんりんロード編2020
2020年3月24日、
桜川市役所真壁庁舎から県道7号真壁バイパスを歩いていく。
大体同じような時間帯に巡っていく行程を描いていたものの、
加波山神社に寄り道をした兼ね合いで
ヤマザクラGOとの待ち時間が1時間近くほど生じることとなり
その時間を徒歩行程に充てることに。

真壁城があった時代に既につくりあげられていた道路構造を持つ
歴史的建造物が多い中心地から外れたところに延びている
こちらの道路にはタイラヤやウェルシアなど
チェーン展開を行う商業施設が立地。

同時に自動車の交通量も多く、
現在の真壁郵便局もこのバイパス沿いに構えている。
りんりんロード編2020
バイパスを走っていくヤマザクラGOとすれ違ったところ。
旧・雨引き駅から旧・真壁駅間にほぼ該当する区間である
「本木西」停留所から「真壁城址」までは県道41号を走っていくバスは
ここから一時的にバイパスから旧・椎尾駅にあたる「北椎尾」までは
しばらく道路構造がそれらに比べて狭いところを巡っていく。
りんりんロード編2020
台湾料理の香味鮮がある交差点から脇道に入り
少しばかり歩いていくと
中心地からかなり離れているような気がするところにも
鄙びた雰囲気の醸造元が住宅地に立地していて
地味でありながらも存在感を醸し出していた。

歴史的な建造物は比較的低層なので
比較的背丈が整った住宅地が形成されていることもあり
日常に溶け込んでいる印象がある。

建物の正体は「花の井」を銘柄に持つ西岡本店。
明治期の建物だという。

真壁地区には村井醸造のほかに
全部で3つの老舗醸造元が現在も拠点に構えている。
もう一つは鈴木醸造。こちらは「醤油」。
木綿産業の隆盛から町の歴史を引き継いだ産業の一つは醸造業。
りんりんロード編2020
そのまま道なりに進んでいくとポッカリと住宅地の中に
仕切られた空き地が広がって、旧・真壁小学校跡地と対面する。
校門のところに掲げられていた
一般家庭でいうところの表札は取り外されていて
門扉が閉ざされた向こうには校舎が既になくなっていることもあり
なおさらに空白感を強調させている。
ちなみに全ての学校名の表記が取り外されているわけではない。
りんりんロード編2020
耐震化の基準を満たしていなかった校舎は解体されているものの、
体育館は一時避難所に指定されていることもあり健在だ。

プールはチョウザメの養殖に用いられているらしい。
そばのレストランが提供を受けているようだ。

敷地内の樹木はほぼ伐採されているので
非常に殺風景になっていて、
敷地に近接する田村神社の存在が目立つようになっていた。

ヤマザクラGOだと窓越しに見ていくばかりだったので。
りんりんロード編2020
プール側の校門には今も「真壁小学校」の文字が掲出されている。
りんりんロード編2020
お昼の筑波山カレーを頂いたカフェに吊るされていた鐘を鋳造された
小田部鋳造はこの旧・真壁小や西岡本店と
さほど離れていないところに工場を構えていた。

鋳物工場は江戸期末期につくられたものを現役で用いている。
もちろん登録有形文化財。
しかも800年の歴史があって、関東で唯一の梵鐘製造元。
日本で勅許鋳物師として菊の紋章の使用が許されているのもここだけ。

そりゃカフェのマスターもわざわざ作ってもらった、というのだから
その鐘の価値について誇らしげに思っていらっしゃるだろうし、
鐘をついてみませんか、と述べて下さるわけだ、と。
りんりんロード編2020
再びつくば霞ヶ浦りんりんロードに合流して
こちらを辿っていく事に。

旧駅構内の桜の木は花を咲かせているのに
それ以外はまだこれから、というのも対照的で、
同時にそういったタイミングにも関わらず、
開花状態の旧駅の桜の光景に巡り合えたのは幸運といったところか。

桜の維持管理のほかにも
パンジーの花壇が整備されていて
これも変わらず、咲く光景が毎年訪れるのは
絶え間なく手入れをしていらっしゃる方々の存在による賜物に他ならない。

鉄道を失ったあとの景観は
その時代よりも遙かに地元の方々が意識してつくり上げている性格が濃く、
行政もメンテナンスを行っていることを伺わせる。
りんりんロード編2020
真壁水道事務所から茂みを抜けて桃山レンタカーの前に出て行くと
旧・常陸桃山駅の構内へと突き当たる。
一面一線の駅構造。
ホーム上は個人宅の手前に待合所が鉄道時代はあったらしい。
りんりんロード編2020
桃山学園へと到着。
旧・真壁小と旧・紫尾小並びに桃山中の統合で発足した義務教育学校。
主に3階建てを中心にした校舎は
この発足に伴って建設されたものになる。1学年70人規模。
りんりんロード編2020
校門をそばにした白を基調にした校舎は桃山中時代からのもの。
ヤマザクラGOの登場と前後して
バス転回スペースとシェルターを整備している。
ここでバスを待つ身にしてみると
改めてシェルターにベンチがないことに気付くけど
下校時間帯はバスの接続に合わせて授業を切り上げたりしている上に
利用者もほぼ桃山学園の登下校者に限られるとなると
雨を凌ぐものがあれば、というところで事足りるようだ。

真壁城址16:15発の区間便は
学校の休校に伴い運休の措置が講じられていたので
とりわけその便が下校客が多い、
もしくはその下校客のために設定している性格が濃いことを示している。
特に通学区域が広がっていることもあり、
小学生低学年に配慮がこういったところでなされているものと。

「熱意」のもとに「強い要望」をされている方であれば
自ずと転回スペースの構造などを読みとっていく姿勢があって然り。
りんりんロード編2020
もともと中学校の敷地だったので
意識することはなかったけれども、桃山学園の発足と前後して
こちらの敷地にも二宮金次郎像が設置されていたことに気付く。
比較的新しい印象を受けるので、その辺がエポックになっているものと思われる。

ちゃんと背負子とともに書物を読んでいる姿勢の二宮金次郎像だ。
歩きスマホを誘発させるとか批判される21世紀の時代の中でも
このデザインが採用されているのは素晴らしい。
同時に自分の小学校にはなかったので、
なおさらに21世紀になっても設置に至っているところとなると
うらやましいの一言に尽きる。
りんりんロード編2020
転回スペースへとやってきたヤマザクラGOへと
15:12、桃山学園から乗車していく。
こちらの便も真壁城址からの区間輸送便にあたる。
本来であれば小中学生が登場を迎え入れるのに
待っていたのは中年の公共交通愛好家ひとりだったりする。
双方向からやってきても進入経路は一方通行で組み立てている構造。

柿沼製粉を右折して渡辺石材のもとから水田を走っていくと
また柿沼製粉の工場があり、大島自動車を過ぎて「東山田羽鳥」へ。
富田製陶に続いて❝はにわの西浦❞とよし原を右折したところで
県道41号に入り、「椎尾北」停留所に至る。
りんりんロード編2020
県道41号との交差点、
道路に面しておびただしいほどの埴輪が賑やかな光景。
椎尾地区は陶器や土器の生産が盛んな土地。
りんりんロード編2020
筑波鉄道の貨物輸送を占めていたのは他ならない石材産業ながら
椎尾地区のこれらの輸送も一定水準を占めていたといわれる。
鉄道はなくなって久しくとも
産業はなおも健在であることの片鱗を伺わせる。

「椎尾北」の停留所では一人の乗車があり、一方で一人が降車される。
鉄道駅でいう紫尾駅に代わるところ。細やかな停留所設定。
りんりんロード編2020
山中工芸にコンビニおおぜきを過ぎて
サロンドエフを過ぎると「旧・紫尾小学校」を通過。
校舎は左手に見え、学校スタジオとして引き受けている事業者があるという。
学校は学校でなくなっても変わらずに桜の木は開花のシーズンを迎えていたので
その存在もあいまって際立つものに。
背後にそびえる山は椎尾山。これもまた中腹に薬王院が鎮座している。

バスはホーコスの先を右へとカーブして
セブンイレブンにラーメンだい友のそばを通っていく。
右手には紫尾団地が形成され、左にカーブして坂を駆けあがる。

鴨亭から坂を下ってつくば霞ヶ浦りんりんロードと合流。
旧・筑波鉄道の線路跡を含めて拡張された道路構造区間を進み、
「旧・酒寄駅跡」に立ち寄っていく。
りんりんロード編2020
シェルターが整備されたので
集落を間近にした道路に入り込んで
そちらへとまわり込むようになった。
そのため車椅子乗降が容易になっている。
衝動的に降車することはないので、バスからの一コマ。
道路が県道41号でその間に割り込んでいるのはホーム遺構。
りんりんロード編2020
つくば霞ヶ浦りんりんロードが合流している区間は
線路跡を含めた道路構造になっているから
筑波鉄道の廃止に前後して大きく道路状態が恒常した区間にあたる。
4か月間で狭い道路構造を改良して
廃止後のバス運行がその経路で果たせるようにしたのだという。
りんりんロード編2020
FUJI貿易を過ぎるとつくばスカイボウルが見えてきて県道14号と合流。
「上大島」停留所へ。
ホーム遺構は個人宅に近接してわずかばかり残されているばかり。
歩道部分が線路跡に重なっている。
2面2線の駅構造で住宅地側に並行している道路が
本来の往還を支えていた道路だったらしい。
りんりんロード編2020
セブンイレブンや上大島郵便局を過ぎて
来々軒のそばでつくば霞ヶ浦りんりんロードと分かれて水田を進んでいく。

昭和シェルのガソリンスタンドとクボタ農機を過ぎ、
葛飾冷機センターの先を左折して右へとカーブ。
りんりんロード編2020
そこから更に左にカーブしてつくば霞ヶ浦りんりんロードを跨ぐ。
「沼田」の停留所の先でよしざわの前に出て
これを右折すると鳥居を潜り、
正面に控えている関東鉄道つくば北営業所のもとへ。
りんりんロード編2020
15:27、筑波山口到着。
つくバス北部シャトルへの乗り継ぎをされる方がいらっしゃった。
現金払いがその割引対象になる。100円引き。
そばにやってきたのが筑西市の広域連携バスになる。
りんりんロード編2020
関鉄パープルバスが運行を受け持つ筑西市広域連携バスと
「土浦駅」行きの関東鉄道バスが並んだところをパチリと。
時刻表上ではなかなか3者が近接するタイミングはない中で
偶然それらが鉢合わせする格好になった。
りんりんロード編2020
「筑波山口」のバスターミナルは4つの乗り場からなり
待合所に近い方から順に番号が振られている。
1番と2番はつくバス。3番にヤマザクラGOと筑西市広域バス。
土浦駅へと結ぶ自社の関東鉄道バスによる路線バスは4番乗り場。

つくバスはおおよそ30〜40分間隔で運行されており
1本目が5時55分。最終が21時20分となっており
この1年の間に急行便が朝に1本だけ登場している。
需要増を受けての措置とのこと。

筑西市広域連携バスは1日7本。
そのうち5便があけの元気館や西部メディカルセンターを経由する。
朝1本目は7時10分。最終は20:00。
乗り換えとなるつくバスが結んでいる
TXつくば駅(「つくばセンター」)への接続に考慮して
都心部に最大限の滞在時間を確保してある。

「筑波山口」を出発着するコミュニティバスで
唯一ヤマザクラGOだけが土休日ダイヤを持っている。
岩瀬駅・岩瀬庁舎へと向かう1本目が6時40分、最終は18時20分。
これは土休日変わらず。
「真壁城址」への区間便最終は平日20:35、土休日19:05。
りんりんロード編2020
土浦駅へと結ぶ関東鉄道バスの時刻表は
平日と土休日で2つ分スペースを割いてある。

平日朝1本目は5時15分、土休日は6時15分。
土浦市街地から常磐線の通勤需要を一部拾い上げる役割があることや
通学範囲を補完していく意味合いもあって、
バスにしてはかなり早い時間帯に1本目の設定がある。

逆に❝店じまい❞は非常に早く
平日は16時30分のあとに19時05分発を以て最終としており、
土休日は18時10分に最終便が出てしまう。
それだけ筑波山観光で都心部へと戻る人たちは
TXつくば駅へのシャトル便に因るところが多いことを物語っており
同時にそちら方面へと向かう人のサイクルが
この範囲で十二分に納まることに他ならない。

通学便の設定を持っていて、平日の2本は学休日に運休となる。
それだけ筑波高校や土浦市街の高校に通学需要が多い区間を抱えている。
その高校生の需要によって生じる便に伴い
選択肢の余地が広がる恩恵を受けていらっしゃる方も少なからずいるので
学校が休みで運休、というのは該当する学生に限ったものではない。

コミュニティバスの運賃に慣れてしまうと
凄まじい勢いで運賃表の金額が弾き上がるような印象を受けるけれども
本来はそういう水準で成り立てていくべきもの。

学校が休校になるとスクールバスの運行や通学需要を受け皿にしている
民間のバス事業者は定期需要が減っていくので
死活問題になっていく。
一方でコミュニティバスの受託運行を受けていくと
金額の程度の差はあれども、一定の収入が確保されるので
そういう点においては経営や先行きにある程度目途が、という筋道が
何とか見渡せる範疇に身を置けるようだ。

土浦駅までの路線図はまさに旧・筑波鉄道の代替バスにあたる路線で
これを基準にしているとはいえ、
鉄道時代に比べて遙かに停留所が増設され、
自社で採算を賄いながら保てる路線であり続けてきたことを示している。
りんりんロード編2020
「筑波山口」こと旧・筑波駅バスターミナルを撮影。
関東鉄道つくば北営業所が入っている建物が
鉄道時代の駅舎だったもので、
ターミナルと駅前の様相は店舗改廃が多いとはいえ
今もなお色濃く面影を残している。
コミュニティバスを3市が運行する現在は
再びそれらの交通結節点としての役割を帯びてきてはいても
やはり往時の乗降客数には到底及ぶものではなく
そういう効果が周辺に、というところまでは至らない。

つくば市のレンタサイクルの受付もここで行っている。
広域のレンタサイクルの施設ではないので
ここで借りた自転車はここで返すというルール。
りんりんロード編2020
休憩所の案内板とともに
筑波休憩所こと旧・筑波駅構内を撮影したところ。
ホームを彷彿させる上屋とともにベンチを設けた休憩所は
改修がなされて今日の姿に至っている。
りんりんロード編2020
こちらも見事にそこそこに開花した桜が彩っていた。
鉄道駅時代は2面3線の駅構造を有しており
改修を受けているとはいえ、紛れもなく
島式ホームを挟むような線路構造が敷かれていたようだ。
りんりんロード編2020
本来の駅遺構は駐車場の足もとに残されていて
その延長線上に駅舎であった関東鉄道つくば北営業所が立っているので
位置関係を紐解くとその正体に突き当たる。
線路跡部分はそちらへと緩やかにスロープを形成していて
段差を解消させている。
りんりんロード編2020
筑波山観光への最寄り駅だったという印象が強いとはいえ
こちらの駅構内も貨物遺構というか
駅舎寄りに引き込み線を抱えていたので
駐車場となっているスペースは
そういうものが転用されたことを示しているものであったりする。
りんりんロード編2020
筑波山口バスターミナルから正面に立っている鳥居から
そちらへと撮影をしたところ。

鉄道駅ではないのでここを通る人は
非常に限られたところになっており、
その来訪者を受け皿にしているところが多かった以上、
それが沿道の様子につながっている。
加えて周辺人口の減少も追い打ちをかけている。

ある時代は相乗効果が生じたものが
逆回転をしていくようなところで健闘されているところはされており
生活インフラを支えているところは
そういう変遷に関わらず、支え続ける存在になっている。

バス営業所を前にしたところに
植松タクシーと松屋製麺所が構えていて
後者は2010年代に入ってからオープンしているところで
ヒトの流れが自動車や筑波山シャトルにシフトしている中でも
かなりの支持を受けていることが伺える。
すべからく、そういう風に、というように至らないのが現実。
りんりんロード編2020
「沼田」停留所へと出てバスが辿って来た県道42号を歩いて
つくば霞ヶ浦りんりんロードを跨ぐ跨線橋のところから
筑波山を見ているところ。
りんりんロード編2020
ここに現在も「筑波線」の文字が入っており
脆弱だったといわれる道路を周辺に抱えながらも
こちらの道路構造は1970年代に既に跨線橋が
採用されていたことがわかる。これ自体は1967年架橋。

ちょうど何故か知らないけれども
この跨線橋が桜並木の開花の境界線になっていた。
りんりんロード編2020
旧・上大島駅方面から旧・筑波駅構内を撮影。
線路が分かれて駅構内へと延びていたことがわかる。
キレイにピンクが彩る構内は別世界のよう。
年にこのシーズンだけしか見ることのできない光景。
絶え間ない人びとの営みの積み重ねが
鉄道を失ったあとにこれらをつくりあげているのは
ここもまた例外ではない。
りんりんロード編2020
つくバス「北部シャトル」に乗車していく。
デザインがリニューアル。
空を彷彿させる水色を顔にまとい
筑波山を正面の帯だけならず車体側面にも描いたもの。
運行は関東鉄道バスの受け持ちになっている。
りんりんロード編2020
これに合わせてなのか筑波地区支線型バスもデザインを
つくバスと共有する姿で登場して非常に自分を驚かせたのだった。
実証実験の2年目に突入している。
自治体が思っているよりも導入から振るわないことを受けて
そのわかりやすさを強調する狙いもあったものと思われる。
導入当初は1日13人くらいだったとか。
つくば市は抱えている市域の性格があるとはいえ
公共交通に投資を積極的にしており、今度も目が離せない。

つづく
posted by 小林 慶太 at 21:17| 千葉 ☔| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月17日

筑波山咖喱

りんりんロード編2020
2020年3月24日、つくば霞ヶ浦りんりんロード、真壁休憩所に到着。

筑波鉄道の旧・真壁駅構内には鉄道駅時代からの思い出の樹が
島式ホームで今年も変わらずに6本開花を迎えており
非常にタイミングよく居合わせることになった。

初代の駅長さんが構内に植えた桜の木の一部。
りんりんロード編2020
駅通りを筑波山口方面へと撮影したところ。
横断歩道がまさに駅舎転回スペースを意図していたものに他ならない。

駅舎があった場所にはいつくしの杜まかべが立っていて
旧・駅構内である休憩所と
並行する道路を隔てているような状態になってはいても
道路には駅通りという名称が付いており
これが組み込まれたのを除くと
戦国期に既に今日の町割りが形づくられていた。

本来ならば駅舎真っ正面にあたる喫茶・みよしや。
また駅通りには旧・真壁駅駅舎内で営業を行っていた駅そば店が
道路向かいで現在も営業を行っている。
りんりんロード編2020
貨物遺構跡を背にしたみるく美容室のそばには
旧・真壁小の奉安殿が保存されている。
ギリシャ建築を採用しており、やはり石造り。
扉の奥には昭和天皇・香淳皇后の御真影と教育勅語が納められており、
開かれていることもあって、実物と対面することができる。
第二次世界大戦敗戦後に多くは撤去解体されているので
その歴史的な価値は高い。
りんりんロード編2020
真壁保育園や仲町児童公園がある台宿通りへと入り
そのまま仲町通りを進み、そちらから御陣屋通りへ。

無電柱化されている中で
道路を挟んで街灯とともに
比較的背丈の整った伝統的な建築物が軒を連ねている。
経年とともにそれを後世に伝えるように
保全や更新を行っているところもあるので
古めかしくともどこか真新しさを感じさせる建物もある。

この辺の道路構造は既に戦国末期の段階で完成されており
伝統的建造物群保存地区に該当する界隈。

建築後50年を経過して
日本の歴史的な景観に寄与していたり
造詣の規範となっていたり、真似するのが難しいものが
登録有形文化財の基準にあてはまり、
屋根を変えたり、壁面を変えたりする場合は基本的に届出が要る。

登録有形文化財として指定を受けると
文化財を維持して後世に伝えていくという責務が伴う。

左に見える川島書店の見世蔵は江戸末期の建築がベースになっている。
わりと新しく見えるのは、後世への修繕や改良を施しているから。
奥の信号機がある交差点には旧・真壁郵便局が立っている。
りんりんロード編2020
旧・真壁郵便局を交差点越しに撮影したところ。
五十銀行真壁支店として昭和初期に建築されたもの。
木造建築でモルタルを洗い出しして洋風の外観になっている。
郵便局として活用されたのは昭和30年代から30年ほどの期間。
東日本大震災の被害を受けている建物なので
その修繕箇所がわかるようにしてある。
りんりんロード編2020
今回立ち寄った際には
「真壁のひな祭り」の余韻を非常に色濃く残したところにあって、
郵便局時代の窓口カウンターにも五人囃子や随臣が飾られていた。
それとともにボードにはポスターとともに
それぞれの家庭のひな人形のスナップ写真が貼ってあり
少しばかりその雰囲気に触れることとなった。

勝浦市の「かつうらビックひなまつり」は
多くの人びとを集客するこのイベントについて
新型コロナウィルスへの感染拡大に対して
予防策を講じることが難しいことから
中止を決断したことを受けていたこともあったので
主催側の判断や集客規模、都心部との距離というのもあるとはいえ
同様の措置もあり得ると思っていた事もあり、
開催したという事実と片鱗に触れるというのは
非常に意外なことだった。

旧・真壁郵便局は「真壁のひな祭り」期間中は案内所として活用されている。
そういうところもあって、こういった一コマとの対面になったわけだけれども。

どちらの判断が正しいとか、そういう話ではない。
ともに街の人びとがその日を待ち遠しくされているイベント。
りんりんロード編2020
旧・真壁郵便局がある交差点を左折して
そこからクルっと振り返った一コマ。
こちらは電柱と電線が延びている。

左の赤茶色の建物が
旧・筑波鉄道の廃線前後の記録をしていたりする海老沢写真館。
ワゴン車が止まっている村上書店は軒先に
真壁の風景を切り絵にしたものが貼り出されていた。

先ほどよりも建物の年代が新しいことは一目瞭然ながら
次第に陣屋に近いところにやってきている。
もちろんこちらも伝統的建造物群保存地区。

登録有形文化財になっている建物も
それぞれ建設年代が多様にわたっている一方、
市街を成している道路は不動のもの。
大型車はとにかくとしても自動車が不自由なく行き違いができる道路幅。
りんりんロード編2020
村上書店に飾ってあった切り絵は
市街の一部のお店に軒先へと行灯に仕立ててあり、
四季折々でデザインを変えている。
つくし湖かな………。

街の顔を成す不動のランドマークを表現しているものは
もちろん通年で変わらない(ような気がする)。
イノシシは真壁氏の旗指物。

真壁氏は関ヶ原の戦いによる佐竹氏の転封とともに秋田県へと移り
角館というこれもまた優れた都市基盤を持つ街をつくりあげている。
りんりんロード編2020
真壁伝承館。図書館や歴史資料館、まかべホールなどから成る。
何台も自動車は止まっているとはいえ、時世柄休館中だった。

外周や中庭にはもちろん真壁石が採用されていて
景観に配慮したデザインであるのとともに
街の顔を成すのに相応しい施設。
道路に面しての車止め、これも然り。

ここに江戸時代は真壁陣屋が置かれており
木綿の中継地として栄えた後、
米穀並びにそこから派生する醸造業が牽引する時代になり、
明治期からは製糸業隆盛の恩恵も受けている。

小田城が廃城になった後、
周辺は農村へと変容を遂げていったのに対して
一貫して笠間藩の陣屋が置かれた真壁城の城下町は
廃城以後も地域の中心地たり得たことも特筆される。
りんりんロード編2020
今度は下宿通りへと顔を出して
桜川市の真壁庁舎を目指して歩いていく。

大体同じようなスケジュールを組んで、というのを前提としているので
昨年の段階で高久家住宅の店舗が工事を行っていたのを受けて
その後の様子を見ていくことに。

右手に位置している建物がソレで
本来の体裁に近い状態に復元をしたという。
閉ざされている一階部は店舗部分で
「真壁のひな祭り」は文字通り、個人宅のお宅拝見といった感じで
迎えて下さる方は、相応の準備をなさるのとともに
文化財である建物の内部を見るという貴重な機会であったりするように
普段はその外観と建築美をなぞっていく範疇で
文化を鑑賞することになる。

奥の潮田家住宅との間に御陣屋前通りが延びている。
りんりんロード編2020
ブラっとしているところに筑波山口行きの「ヤマザクラGO」が
「下宿」停留所に登場。
ここを逃さずに乗車ドアのない運転席側の車体側面を撮影!
雨引観音の多宝塔と咲き誇る高峯の山桜が描かれていて
正面から、お尻から、左右どちらから見ても
ラッピングに凝っていて、街(風土)をバスがまとっているといった感じだ。
りんりんロード編2020
「下宿」停留所の向かいは
これもまた登録有形文化財になっている伊勢屋旅館。
本来は料亭だったところから旅館に転換をしている。もちろん現役。
建物は明治中期のもの。

こちらも軒先に行灯が飾られていて
そちらの「春」を表現した切り絵は
真壁高の校舎と桜を描いたものだった。

ポスターも春夏秋冬でデザインを用意してあって
軒先に掲出されているところもあり、伊勢屋旅館はその一つでもあった。
りんりんロード編2020
去年と同じところでお昼を。
メニューに筑波山カレーが登場するようになったので
早速注文してこれを頂いた。
ごはんのカタチがもちろん筑波山で梅シソ、サクラ漬大根などで
その山のイメージを表現されているのだと思う。

お店にはひな人形が飾られていて
そばに天井から鐘が吊るされているのに全然気づかず、
いわれてようやく気付くという有様だった。
小田部鋳造に注文してつくって頂いたと伺った。

関東で唯一伝統的な工法で梵鐘をつくっているところだった。
しかもそれがあるのは桜川市の真壁地区、
さらに旧・真壁小学校のそば、
なおかつ母屋は江戸末期建築のこれまた登録有形文化財となると
そちらへ向かうことを思い立たないことはない。
りんりんロード編2020
といっても、いきなり方向転換をすることもなく
とりあえずはお花見をしながら桜川市役所真壁庁舎へ向かう。

密弘寺境内に咲き誇る桜を撮影したところ。
右に見えている不動堂は天保期のものだとか。
それでも本題はお花見なので、そちらに目線を向けている。
りんりんロード編2020
桜の木もさることながら
支柱を施されながらケヤキの巨木も存在感を醸し出している。
りんりんロード編2020
切り絵のモチーフにもなっていた真壁高校のもとへ。
こちらも学校敷地には桜が花開きだしていた。

ヤマザクラGOが停留所を設置しているのとともに
下妻市や真岡市方面など3路線のスクールバスが補完している。

生徒数は約270人で男の子が女の子の倍くらいの比率。
普通科よりも農業科、食品化学科、環境緑地科の生徒が多く、
石材産業の街・真壁にある高校ということで
地場産業の技術習得に長けていて
全国から生徒を募集している学科もある。
りんりんロード編2020
元・浅野家の菩提寺である伝正寺にあった
浅野長勲夫妻像が立っている桜川市役所真壁庁舎に到着。

菩提寺が真壁にあることもあり
浅野家は転封後も真壁との関わりが続いた。
銅像は大正期に建立したもので、
現在のこの場所に至ったのは東日本大震災による被害を受けてのこと。
りんりんロード編2020
市役所ロビーには春夏秋冬を描いたポスターが勢ぞろいしていた。
春と夏バージョン。

春は「桜色に染まる街 うれしい春の訪れ」、
夏の方は「この街に吹く夏の風はどこか懐かしい感じがした」という
文言が添えられていて、
お住まいの方であれば
そのモデルになったロケーションを絞り込むことができるのだろうけれども。
りんりんロード編2020
冬は紛れもなく真壁市街であることは見当がつく。
行動範囲が狭いから知っている範囲での見当に過ぎないとはいえ。

秋は下校の光景を盛り込んでいる。
登校をイメージするよりも下校かなぁ……。

それぞれ添えているのは
「鮮やかに色づく紅葉がこの場所に秋を連れてくる」
「時を重ねても色褪せないこの街の文化と人のぬくもり」。

切り絵は暮らしている方々が、
こちらは行政からのプロモーションといったところだろうか。

通年型の観光を踏まえるのとともに
そういうものを別にして春夏秋冬の街の光景を
非常にうまく加工されているのだと思う。
りんりんロード編2020
真壁バイパスである県道7号に出て行く。
こちらには街の代名詞的な真壁石の石灯籠。
ナショナルチェーンといわれる大型店はこちらを中心に出店しており
交通量も圧倒的に市街の外にシフトしていることも
古き街並みを残す結果につながっている。

流入してくる交通量をどのように捌くのかという課題へ
直面した時期に既存のインフラとどのように向き合うのか、
そういった答えが今日を築きあげている。
りんりんロード編2020
現在の真壁郵便局がバイパス沿いに立地している。
建物も画一的なものなので
先代の存在が際立つのとともに
役割を終えても求心力を持つというのも頷けるような気がしないでもない。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:06| 千葉 ☔| Comment(2) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月13日

思い出は消えない

りんりんロード編2020
2020年3月24日、つくば霞ヶ浦りんりんロード、
旧・東飯田駅跡から引き続き真壁市街に向けて歩いていく。

線路跡の自動車道は並走している県道41号とも距離を置いて
畑や水田の中へと延びていき、
延島クリニックを中心に県道との間に民家が集まってくる場面を除くと
しばらく非常に開放感に浸りながら進んでいくことになる。

夏期は炎天下に晒されることになるのだろうけれども
この時期は一週間前に比べると少しばかり寒いとはいえ
日射しも良好で比較的サイクリング日和、散歩日和というところだった。

サイクリストの方が歩いていく自分を追い抜いて行かれたり
すれ違いざまに挨拶を交わしたりする場面はあれども
込み入った状況を導くこともなく、
グループを組むといってもペアもしくは3人という規模で
屋外に加えて平日ということもあり、
新型コロナウィルスの感染拡大が懸念されている状況とはいえ
緊急事態宣言下に至る過程を鑑みると
そこまで極端に人々が躊躇っているところではなかった。
りんりんロード編2020
同じ道のりを同じように、という
実に芸のないことを旅の主眼としているとはいえ
当人も含めて全てが全て同じように、というのは
良くも悪くも必ずしも適うものではないわけで、
この1年の間にフォトスポットが新設された。

筑波山を非常に良く望める場所、ということで
自転車道の一画を拡張して整備を行い、
そのボードが設置されている。

少しばかりガードレールが
畑寄りに突き出しているのがわかると思う。
りんりんロード編2020
これがベストポジションから撮影した筑波山。
鉄道時代はこの光景を窓越しや運転席の向こうに見ながら
気動車が走っていたものが
サイクリングのハイライトの一つになっている。

桜川市は山桜の名勝地を抱えていることもあり
そのシーズンに合わせて来訪者の受け入れのために
パンフレットを制作されたり、臨時バスの手配をしており
つくば霞ヶ浦りんりんロードも
真壁の町並みとリンクしてピックアップされているので
切り抜くようにこういったフォトスポットを用意しているようだ。

パンフレットはモデルさんを起用されていて
ほぼ同年代の女性の来訪を意図しているものと思われる。
拡散効果を期待できるのはやはり女性。
そこを通年型、持続させていくところへと昇華させる必要があるわけで。
りんりんロード編2020
駅構内を除くと沿道に植えられている桜の木は
開花に至っていないのがほとんど、という中でも
突然変異のように1本だけ極端に開花している木があったりする。

❝こんにちは❞といって追い抜いて行く高校生の姿があり
自転車のステッカーには下妻一高の文字を目にして
こういうところから日々通われているという距離感に驚く。

通学時間帯に出くわす場面がないので
今さらながらにその通学圏というものに突き当たる。

同時に休校期間中に運動部に所属されている方は
個々人で調整をされている方がいらっしゃるようで
そういう方にも追い抜かれていく。

自分がそういう境遇に置かれた時に
同じようなモチベーションを持てるのかアヤシイ。
またそういった方々を意識するところに突き当たったのかを問うと。

目の前を駆け抜けていく背中はどんどん遠くなる。
りんりんロード編2020
前方に筑波山をのぞみ、ひたすらに歩いていくと
県道41号沿いにはエンケイマカベの工場が見えてきて
周囲に民家が集まってくるのとともに
つくば霞ヶ浦りんりんロードに面して空き地が広がる。

加波山から産出される御影石の輸送を担っていたので
貨物遺構に絡んだ敷地と思われる。石材集荷していた場所かと。
敷地の規模が往時の産業の大きさと鉄道の重要性を示すのとともに
今日に至るまでの落差を物語っている光景でもある。
りんりんロード編2020
旧・樺穂駅跡に到着。
対向式ホーム遺構にはうっすらとしたピンクの桜が咲いて
単調染みた自転車道において存在を示している。

ここでランニングで追い抜いていかれた方に追いつく。
Uターンするべく小休止をされているところだった。
りんりんロード編2020
何故か知らないけれども
ホーム遺構の部分だけは突出してキレイにサクラが構内を彩っていた。
こちらは桜川方面へと広がる水田に面したホーム遺構の様子。
柵が付与されているとはいえ、
鉄道時代を色濃く残しており、地元の方が黙々と掃除をなさっていた。
直接は満開へと花開いていく桜とつながりはなくとも
景観を築きあげているのは紛れもなく
絶え間ないそういう方々の日々の姿勢の積み重ねなのだと思う。
りんりんロード編2020
旧・樺穂駅の貨物遺構。駅舎や集落側にある。
こちらには「茨城百景」の「加波山 足尾山」の碑。
廃線に至っているとはいえ沿線には「茨城百景」をいくつも抱えており
樺穂駅もその最寄り駅の一つだった。

筑波鉄道開通当時は駅がなかったところに
加波山の石材を扱う樺穂興業が自らの土地の寄付で
駅の設置・開業に至っているので、旅客よりも貨物の重要性が濃い。

樺穂興業はなくとも、今日も樺穂駅跡を間近に松本石材が事業所を構えており
その下地には紛れもなく、そういうものを意識しないことはない。

加波山の麓の採掘場まで2.8kmほどの人車軌道が引かれていたというので
どこかの道路にこれが組み込まれて今日に至っているのだと思う。
りんりんロード編2020
旧・樺穂駅跡から正面に延びる道路には
大正15年築の加波山神社の一の鳥居。
真っすぐ道なりに歩いていくと県道41号との交差点に突き当たる。
りんりんロード編2020
道端に石碑には
「東 加波山 足尾山」「西 樺穂停車場」の文字が入っており
こういうところにも駅が存在した名残がある。
りんりんロード編2020
県道41号に出て交差点向こうにそびえているのが樺補小で
そちらには筑波鉄道の線路と駅が示された
加波山・足尾山のハイキングコースの案内図が掲出されている。
鉄道駅があった時代に制作されたものが
令和に入っても現存しており
当時の道路や集落を断片的に今日に伝える史料的な意味合いを
より濃いものに歳月の経過がさせている。

加波山の山頂付近に鎮座している加波山神社を遥拝するために
集落にも2社の加波山神社が当時から鎮座しており
これを中心に営まれていたところに
鉄道が付与されたことが伺える。
りんりんロード編2020
案内板が設置されている樺穂小の脇に延びる道を辿っていくと
樺穂不動沢という小さな川が道路に沿って流れており
これと分かれて宇田製作所や告邦石材工業、石屋石材と
またしても沿道に石材に関わる工場や事業所がある道から
ぐるっと回り込むように案内図に描かれていた集落の神社の一つへ。

ここに加波山神社の本宮の東口の鳥居が構えていた。
安政期の建立したもの。

林に延びる参道を進むと樺穂不動沢を跨いで拝殿と対面となる。
りんりんロード編2020
加波山神社本宮・親宮の里宮拝殿。
合祀殿になっており、千木のところに「加波山」の文字が入っていた。
三枝祇神社親宮といわれる。本殿は山頂に鎮座しているから遥拝所にあたる。

加波山には本宮と親宮、中宮の3つの神社が鎮座していて
山岳信仰を展開しており、歴史上有名な加波山事件の舞台にもなっている山。
たばこの信仰を受ける神社があるのは
こちらではなく、石岡市の中宮の加波山神社。
茨城県とたばこ産業の関わりも非常に深い。
りんりんロード編2020
社務所や手水舎とともに拝殿へと境内を撮影したところ。
こちらも見事に桜が咲き誇っていた。
りんりんロード編2020
集落に面している鳥居が大鳥居で
こちらは神田外語学院の学長の方が1983年に奉納されたもので
当然ながら大鳥居の方が存在感もあり、正面に位置するとはいえ、
東の鳥居はそれよりも200年近くも遡るものだったりする。

加波山神社は神田外語学院の守護神として信仰を受けていることから
この大鳥居が奉納されているという経緯があるそうだ。

東の大鳥居は境内を挟むように延びている道路の合流点に位置していて
これらを含めた道路と石切り場の存在、距離を照らし合わせると
恐らくはその貨物輸送を担った跡に突き当たるものと思われる。

山頂はまだまだ遙か先。
本題も控えているので引き返すことに。
りんりんロード編2020
大鳥居の方から桜川公民館樺穂分館のもとへと向かい
樺穂小の脇を回り込んでいくと
やはり樺穂小も校舎敷地に
桜の木が並んでいて見頃を迎えつつあった。
県道側から見るとさほどこの存在に突き当たらない。
二宮金次郎像は見当たらず、考える人の像があった。
真壁小は桃山学園に統合されている一方、
こちらの樺穂小は単独の小学校として存続している。
りんりんロード編2020
つくば霞ヶ浦りんりんロードへと復帰して真壁市街へ向かう。
道路脇、つまり線路脇に唯一残されているキロポストが立っているところ。
31キロを示しているもの。

油断しているとなくなっちゃう場合があるから
それなりに気にしておかなければならないものだったりするのかも。

もう鉄道ではないのでそれが残っていても意味を成すものはないとはいえ
歴史を示す史跡といった次元に歳月の経過が積み重なればなるほど
存在は貴重なものになってくる。

真壁長岡郵便局をそばに
つくば霞ヶ浦りんりんロードと県道41号が接近してきて
建具センター長岡屋や珈琲アメリ、塩谷石材、うしお田石材が
沿道に位置する界隈にこのキロポストがある。
りんりんロード編2020
横切っているのがつくば霞ヶ浦りんりんロード。
いうまでもなく踏切跡。
敢えて交差する道路から撮影しているのは
遮断機(警報機かも)の台座遺構が残されているからだ。

りんりんロードが
つくば霞ヶ浦りんりんロードへと再編されるのと前後して
軌道が残されていた踏切箇所は消滅している。
りんりんロード編2020
フードストッカーが見えてくると
つくば霞ヶ浦りんりんロードは右へとカーブを描き、
チクセイ21や森林業の先で藪を抜け、視界がひらけて
旧・真壁駅構内に差し掛かる。
りんりんロード編2020
構内に建立されている
「茨城百景 伝正寺と真壁城址」の石碑を撮影したところ。
りんりんロード編2020
2面3線のホーム構造を持っていた旧・真壁駅。
その島式ホーム遺構のもとへ。
スロープは緩やかな坂を描いているもので
鉄道時代のものから若干の改良を行っている。
ホーム遺構上には思い出の樹といわれる6本の桜の木が
鉄道時代から変わらず今日も並び立っていて
変わらずに開花の時期を迎え、
タイミングよく対面するという運びとなった。
りんりんロード編2020
思い出の木とともに島式ホーム遺構から構内を撮影。
左に見えるホーム遺構のもとにかつては駅舎があり、
転回スペースにはいつくしの杜・真壁が立っているので
そちら側には面影がない。
りんりんロード編2020
駅舎があったホーム遺構から思い出の木を見ているところ。
桃山学園と思われる小学生の子どもたちが
3人ほど遊んでいるばかりで
こちらにやってきた時も
これを目にする人は非常に限られた場面にあたった。
りんりんロード編2020
昨年の段階で朽ちてしまったと思っていた
旧・樺穂駅寄りの一本は幹から枝が分かれ
他の桜と変わらずに懸命に今年も花を咲かせていて
そのたくましさと姿にはビックリした。
りんりんロード編2020
旧・真壁駅跡にあたる真壁休憩所も公衆トイレが設置されており
こちらにも雨引休憩所と同じくサイクルラックと
ベンチが新たに追加整備されるようになっていた。
りんりんロード編2020
駅名表示板をモチーフにした
真壁休憩所のボードを駅構内へと撮影したところ。
戦国期から変わらない都市基盤に鉄道駅が組み込まれ
鉄道が廃止されてもなお、並行する道路は駅前通りと称され
そういったところに鉄道駅としての名残がある。
りんりんロード編2020
駅通りを筑波駅(筑波山口)方面へと見ている一コマ。

左に見えるのがいつくしの杜真壁、
つまり、旧・真壁駅転回スペース跡にあたる。

駅舎内に入居していた立ち食いそば店は
今も駅通りのお店を構えて営業をされている。
つづく
posted by 小林 慶太 at 21:45| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

産業と信仰

りんりんロード編2020
2020年3月24日、桜川市バス「ヤマザクラGO」で
岩瀬駅から「本木西」停留所へと向かい、そちらで降車。
その手前で横切ったつくば霞ヶ浦りんりんロードを少しばかり遡ると
旧・雨引駅跡に到着。

満開にまでは至らなくともほぼ思い描いていたような
ほんのりとしたピンクの桜花に彩られた構内と対面することができた。
列車が来なくなった駅構内を桜の木が慰めているようで
こういうサイクルが描かれる事で
同じように時を刻んでいる空間を実感する。

平日休みで早い段階での現地入り、
そういう事情もあって、お花見をされている方もいらっしゃらず
これをしばし一人占め。
同時に非常にこれを目にする人がいないのはもったいなくもある。
りんりんロード編2020
旧・雨引駅は対向式ホーム2面2線の構造を持つ駅だった。
スロープ部分をはじめとした箇所に特徴を持つ
関東鉄道グループに見受けられるホーム土台に
巨木となった桜の木が並び立っており、
りんりんロードの雨引休憩所として四阿や公衆トイレが設置されている。
りんりんロード編2020
この1年の間にサイクルラックが新設され、
四阿のほかにもう一カ所、ラックそばにベンチが合わせて整備されている。
路面の状態を見てもらうと旧来のスペースとの違いがわかる。
トイレも維持管理やリニューアルを行っていて
サイクリングをしやすい環境をより追及しつつも
鉄道時代の面影を残すところはしっかりと留めている。
りんりんロード編2020
石材産業の盛んな地域に位置することもあり、
貨物取り扱いも行われていた駅だったので
その遺構も残されており
住宅地に面した貨物遺構のそばにはエキスポ85、
つまりつくば科学万博のマスコット❝コスモ星丸❞が描かれた
日清フーズの手づくり天ぷらの文字の入ったコンテナが置かれている。

風雨に晒されている状況なので
非常に薄くはなっていても、
35年の歳月を経ているのは確かなこともあり
歴史的な証拠物件といった次元にあるのではないかと
気に留めながら目にしているものの一つになる。

ゴミ収集場所として利用されている。
りんりんロード編2020
駅名標に代わって掲出されている雨引休憩所のボードとともに
転回スペースを持つ住宅地側のホーム遺構を撮影。
これと住宅地の間に貨物遺構が位置している。
岩瀬駅までは4.6km、旧・真壁駅にあたる真壁休憩所までは5.3kmの道のり。
後者は2つの駅を間に挟んでいる。
こちら側の桜の木の方が年齢が若いというのはその太さから伺えること。
歳月の積み重ねが恍惚感を導く光景をつくりあげてきた。
りんりんロード編2020
転回スペースから雨引休憩所を撮影したところ。
真っ正面が休憩所として整備されているトイレになる。

自動車を前提とした時代に開業している駅ではないとはいえ
鉄道で大量輸送をするために
石材などの貨物を集めておく必要がありことから転回スペースを持っている。

また駅だった名残として今日もこの場所に公衆電話が設置されており
茨城百景の❝雨引観音❞の碑も建立されている。
りんりんロード編2020
駅からのメインストリートではなくなってから久しい
旧・雨引駅跡正面に延びる道路から県道41号へと歩いていく。

駅名表示板が保存されている雨引小。昨年は拝見させて頂いた。
本来であれば春休み期間、同時に休校期間中。
生徒の姿はなくとも学校敷地には自動車がとめてあった。

旧・雨引駅跡ともに咲き始めた桜の木を見る人が
旧来よりも少ないのはもったいない部分もある。

駅名表示板は実物を見ると実感すると思うのだけれども
石材産業が隆盛している土地を非常に反映しているもので
その延長線上にある今日も周辺には
石材に関わる事業所や工場の存在が目立つ。
りんりんロード編2020
県道41号に出てセイコーマートや雨引郵便局を通り
雨引観音道の碑が立っている交差点を右折。
そこから雨引山へと歩いていく。こちらは県道152号。

ここまでの道のりでも中川石材、福島石材と
沿道に目にするだけでも石材事業者がある。
辿っていくこちらの道路沿いにも
スズキストーンや島田石材といった事業者が。
良質な花崗岩に恵まれた地域。

道路構造が今日よりも脆弱で
大量輸送を必要としていた時代は鉄道が必要だった。
それが産業を取りまく環境の変化とともに
きめ細やかな輸送体系へと移り変り
トラックがこれを果たすようになっている。
りんりんロード編2020
県道152号が勾配を大きくカーブで克服しているところを
徒歩行程なのでダイレクトに林に延びる道でショートカット。

そちらに差し掛かる手前の個人宅に
❝みんなで乗ろう筑波線❞という
大和村存続対策協議会のボードが保存されているので
これをしっかりと確認してしまう。

もう歴史の中に足を踏み入れる史料としての価値があるという
そういった次元に歳月が流れていて
所有されている方も認識されていると思うのだけれども、
保存をしたり維持をしていくというのは
傍から思うよりも簡単なようで必ずしもそうではなかったりする。
りんりんロード編2020
短絡路から雨引山楽法寺の碑が立っている県道152号へと合流。
薄暗く緑基調の木立からガラッと明るい桜のピンクが一旦広がる。

再び県道152号が勾配を克服するために描くカーブを
杉龍の孫杉がある石段でこれまたショートカットしていく。

杉龍は天平期に光明皇后の安産祈願で
奈良を指すこの杉を目標に祈祷したといわれるもの。
りんりんロード編2020
遠巻きに見ていた楽法寺の本坊が間近なところへとやってきた。
りんりんロード編2020
雨引観音こと楽法寺に到着。
用明天皇の時代に開山したといわれ、
推古天皇の病気平癒で勅願寺として定められ
光明皇后の安産、嵯峨天皇の降雨祈願などで霊験があり
雨引山の山号を受けた寺院。

神仏分離令や廃仏毀釈の際には既に民間に観音信仰が定着しており
一に安産、二に子育よ、三に桜の楽法寺といわれるほど
安産祈願の根本零場。

筑波連峰は特出した標高を持つ山があるわけではないけれども
極めて信仰が篤い神社や寺院が鎮座していることが特筆されるわけで
その一つにあたる。

新型コロナウィルスの感染拡大や予防の観点から
4月に執り行う予定であったマダラ鬼神祭の中止が決断されていた。
りんりんロード編2020
紫陽花がそばに植えられている石段から仁王門のもとへ。
仁王門は建長期に宗尊親王が建立したもの。
鎌倉幕府といえば執権北条氏の権力が象徴的ながら
権威や例祭面においては将軍の影響がこういうところに反映されている。

下冤罪の建物は天和期の建立ながら
阿吽の仁王像は鎌倉時代康慶が彫刻したもので、
その二体が険しい面持ちで構えている。
りんりんロード編2020
本堂へと向かう道のりには
地味ながら圧倒的な玉垣からはみ出すように
枝葉を延ばす巨木、宿椎がそびえ立っている。
その定かではないとはいえ樹齢を伺わせるほどウエストは太い。

右の駐車場そばに見える建物が中華茶房・三笠。
ここにヤマザクラGOの「雨引観音」の停留所が設定されている。
土休日のみ4往復が乗り入れ。そちらの便は大和庁舎を経由しない。

バスで来ると特典として記念品が頂け、ランチも10%引き。
ドリンクサービスも受けられる。
りんりんロード編2020
雨引山から筑波山方面へと撮影したところ。
そこに至るまでに加波山や足尾山を控えている。

県道41号とつくば霞ヶ浦りんりんロードが
奥に見える民家が集まっている真壁市街へと
山麓に広がる平地部に延びているのが見える。
りんりんロード編2020
本尊である延命観世音を祀っている観音堂。
現在の建物は仁王門と時期を同じくする天和期のもので
十万人講の勧進で資金調達してこれを建立している。
この段階で既に観音信仰が人々に浸透していたことを伺わせる。
屋根の葺き替えなどをして今日に至っている。
奉納されている酒樽は「花の井」と「雨引山」。
りんりんロード編2020
アヒルやカモが境内敷地内で放し飼いにされていることもあり
それらとともに多宝堂を見ているところ。
ちょうどお坊さんたちが渡り廊下から本堂へと祈祷に赴かれるところだった。

境内の諸堂は宗尊親王によって確立されたものが多く
これを人々の信仰による寄進で賄いつつ
今日の姿が築きあげられている中で
多宝堂は光明皇后が造らせたものを下地にしている。
りんりんロード編2020
今回は境内の散策途中で
孔雀と対面することができなかったこともあり
飼育小屋を覗いていく。
いうまでもなく一般的にイメージされているキレイな羽を持つのはオス。
鳥や昆虫はオスの方が身体に気を遣う。
狙っているわけじゃないだろうけど、
ファンサービス的に翼を広げてくれる場面に遭遇することもある。
歳月の経過とともに繁殖を重ねてきたという。
参拝者はまばら、といってもサイクリストの方が立ち寄られて
ここで記念撮影をされていく方もいる。
りんりんロード編2020
帰路は県道152号をそのまま下って雨引千勝神社のもとへ。
特徴的な鳥居と参道の位置関係を持っている神社。
何故か参道と車道がともに鳥居を避けている。
その避ける要因となっているのが神木であるケヤキの木。
りんりんロード編2020
大同期に勧請された猿田彦命を祀るこの神社は
元寇の際に楠木氏の信仰を受けた。菊水の紋。
拝殿が改修中だった。
りんりんロード編2020
再びつくば霞ヶ浦りんりんロードの雨引休憩所へと戻って来て
真壁市街へと歩いていくことに。
公衆トイレが設置されている付近にホームの待合所があったという。
楽法寺へといっている間にゴミ箱のゴミが回収されていたので
トイレを含めて休憩所のメンテナンスも恒常的に積み重ねで
維持管理が図られていることが伺える。
りんりんロード編2020
何度でも見とれてしまう旧・雨引駅跡、旅客ホームの桜の木と貨物遺構。
今日思っているよりも鉄道の果たした役割は遙かに大きく
それを取りまく社会情勢も読み解く必要性がある。
りんりんロード編2020
道路との交差箇所は時代が時代であれば踏切があった箇所にあたる。
つくば霞ヶ浦りんりんロードへと再編を前後して
よりサイクリングロードとして利用しやすく
周辺への安全に配慮した道路標示を整備した、車止めを追加しれている。

線路沿い、もといサイクリングロード沿いは
早速筑波石材産業や石信といった石材を扱う加工所や事業所が立地。
桜の木は一括りにサクラといっても種類は多々ある上に
日照の兼ね合いなどもあり「つぼみ」の状態の木が多かった。

それだけに旧・雨引駅構内の開花状況に巡り合えたのは幸いなことだった。
りんりんロード編2020
県道41号との間には❝桜川ソーラーパーク❞のソーラーパネルが広がる。
反対側、右手には水田が広がり、やがて畑へと変わっていく。
これもまた水田や畑は
耕作をされて下さる方がいらっしゃるから成り立つ光景で
放棄せざるを得なかったり、ソーラーパネルに姿を変えていく事もあるので
決してごく自然なものでもないし、
必ずしもありふれたものでもなくなりつつある。
りんりんロード編2020
右に見えるのがりんりんロードに寄贈された三春の滝桜の増殖苗。
そばにはここにも相田石材の工場。
そして斜めに横切る道路の向こうにピンクに彩られた空間。
駅があったことを示している。
りんりんロード編2020
旧・東飯田駅跡に到着。1面1線の駅構造だった。
桜の木は鉄道時代からのもので
待合所が撤去され、柵が整備されて今日の姿になっている。
スロープはやはりこれも他に共通するもの。
りんりんロード編2020
旧・東飯田駅ホーム遺構を岩瀬駅方面へと撮影。
手前、真壁市街方面のスロープは
自転車道転用後に追加されているのが明らかだ。
りんりんロード編2020
鉄道駅時代は文字通りの駅前商店だった建物も
既に鉄道駅ではなくなってから30年超の歳月が流れていて
老朽に伴う荒廃ぶりがこの1年の間にさらに顕著なものになってしまっていた。
もう商店ではなくなってからの時間も久しいようで
このままそれを辿っていくのを目にするばかりとなるのだろう。
公衆電話はあれども、使用不可という状況。
郵便ポストは今もなおしっかりと集配がなされている。
りんりんロード編2020
引き続き真壁市街へと歩いていく。

2年前の真壁伝承館での企画展で買い求めた資料が参考になっている。
非常にそういうものも「縁」だなぁ、と。
つづく
posted by 小林 慶太 at 21:33| 千葉 ☁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月09日

ヤマザクラGOみたび 恍惚の旧・雨引駅跡

りんりんロード編2020
2020年3月24日、水戸線岩瀬駅のロータリーから
旧・雨引駅跡の最寄り停留所である「本木西」へと向かうべく
桜川市バス❝ヤマザクラGO❝を待つ。

ヤマザクラGOは下妻市が拠点の関鉄パープルバスが受け持っている。
停留所にはこの1年の間に
市内巡回ワゴン「ヤマザクラGOミニ」が登場しているので
これを合わせてバスを待っている間に撮影。

ロータリーは見てのとおり
中央部分に一般乗用車のためのシェルターが設置されていても
バス路線がない(廃止されていた期間)に駅前広場を整備しているので
停留所自体は野ざらしで駅から近い場所に設置されているに過ぎなかった。
りんりんロード編2020
そういうところでバス停留所にシェルターの整備が進められているから
追ってそちらに停車した姿を記録することになると思う。
駅舎内よりもバス乗り場にもっと近いところにベンチも新設されることになる。

8:28、岩瀬駅ロータリーに「ヤマザクラGO」筑波山口行き登場。
駐車スペースを通りぬけて停留所の前に止まったところで乗車する。
1乗車200円、ICカード対応で
デビュー以来年に1度の機会とはいえ重宝させて頂いている。

車内アナウンスをされるのは引き続き地元出身である声優の櫻川めぐさん。
苗字の櫻川は桜川市に因んで選ばれているらしい。

停留所を前にして「そばのボタンを❝ピンポン❞して下さい」というのは
声優の方が車内アナウンスを務められているからできる
独特の言い回し。

ご本人が決めたのか、桜川市が依頼されたのか
関鉄パープルバスが制作されたのか、わからないけれども、
親身で柔らかい表現で聞く度に(センスが)いいなぁ、と思ってしまう。
読みあげている方によりけり、というのもあるとはいえ。
りんりんロード編2020
ロータリーからヤマザクラGOは正面に延びるメインストリートを進み
コイケ用品や風来坊を過ぎて常陽銀行とセイコーマートのもとへ。
早速桜川を渡る。
筑波銀行をそばに「岩瀬中央」に出て、国道50号を渡って
ココスからほっともっとや一真堂へと向かい、広田建材を前に左折。
コインランドリーハッピーとパチンコ満月を過ぎると「明日香」の停留所。
続いてカスミの流通センターを通り「御領」がアナウンスされ
水戸信金岩瀬寮を左折してセレモニーホール桜川の先で
再び国道50号を、昭和シェルのガソリンスタンドの先では桜川を
相次いで渡っていく。
りんりんロード編2020
西区公民館へと出たバスは右折してソーラーパネルのそばから
工事が行われていた旧・県西病院とセブンイレブンを通り「鍬田」へ。
そして岩瀬小学校の前を横切っていく。
学校敷地には桜の木を植えているところが多く
こちらの学校の例外ではない。
惜しむべきはその様子を目にする子どもたちの姿が
今回は誰もいないところにあるということ。休校中。
本来であっても春休み期間。

「鍬田西」を過ぎるとここでまた桜川を渡る。3度目。
そして国道50号に入っていき
エネオスのガソリンスタンドの先で北関東道を潜り抜ける。
ソーラーパネルが右手に見える一方で
左には桜川ロードパークといしのひろば・はぎわら。
浅賀設計にセブンイレブンを過ぎ、
スズキアリーナとコメリの間へと左折し、県道148号に入る。
りんりんロード編2020
津田化学合成にセイブンドーを沿道に調整池と造成地に出て
ここを右折していくと8:43、さくわがわ地域医療センター着。

降車はとにかくとして、
この時間帯に医療センターからの乗車は考え難く
正面玄関から山王歯科へとぐるっと回って引き返して右折。
県道148号を辿って水戸線を跨いで「大和駅入口」に出る。
大和駅は水戸線を跨ぐ踏切から見える距離にありながらも
ヤマザクラGOは立ち寄らない。

道なりに民家が並んでいたところから
次第に畑が広がってオープンガーデンの先で坂を下って
「台山高森工業団地」に向かっていく。
りんりんロード編2020
水戸線から見えるイワサキ電気の工場は
この台山高森工業団地に立地しており
ヤマザクラGO並びに県道148号からそちらの工業団地へと通じる道路には
こちらにも桜並木が続いていた。
りんりんロード編2020
県道148号をそのままバスは直進して畑を走り
右へとカーブした後、緩やかな上り坂に差し掛かり、
「大国玉」の停留所へ。
それとともに大国小のそばを通って左折する。
同じ市域内でありながらも随分と開花状況が違う。
大国小の桜はまだこれから本格的に花開くといった感じだった。
りんりんロード編2020
ふじたストアと岳神社から坂を下って水田へと出て行き
羽田橋で桜川と4度目の対面を果たした後、
左へとカーブしてバスは坂を上がっていく。

水を入れる、入れないというタイミングで
自分が水田を畑と錯覚する箇所もあるけれども
稲作に適しているところと畑作に適しているところがあって
うまく耕作地を適応させている点も留意したい。

先人からの営みは無意識的なものとして
捉えている部分もあるとはいえ、驚異的なものがある。
りんりんロード編2020
桜川市の本庁舎である大和庁舎へ。8:51着。
正面玄関へとまわり込んだ後、道路へと復帰する。

エネオスを過ぎると石正、真壁石材センターといった
石に因んだ事業所がチラホラと見受けられるようになり、
ファミリーマートやJA北つくば大和支店を過ぎて
鴻福と青木商店の先でりんりんロードを跨ぐ。
ここで「本木西」のアナウンスが櫻川めぐさんの声で入り、
ボタンを❝ピンポン❞して降車。
りんりんロード編2020
ヤマザクラGOのラッピングは賑やかで
正面やお尻、側面からでもそのデザインの柔らかさが
親しみやすく街のイメージを体現しているので
何度でも見とれてしまう。
いくらでバスに乗れるのか、というところや
桜川市ってどういうところなのか、というのがパッとわかる。

この1年の間に乗車特典が付与されるようになっている。
雨引観音こと楽法寺そばの薬膳中華茶房・三笠で
記念品とランチ10%引き、ドリンクサービスが受けられる。
土休日だけ乗り入れ。
観光の手段としてバスを活用してもらいたい意向がある。

採算もさることながら
それ以上にバスがある、という事に対する派生効果と
地元の人びとにバスが走ることの意義を実感してもらうことが
非常に重要なこと。それを続くものにしていかなければならない。
りんりんロード編2020
というわけで降り立った「本木西」停留所。
そばに見える鴻福は石材の卸売りをしている事業者。
横断歩道はりんりんロード、
つまり筑波鉄道の線路跡に並行しているので
停止線を含めて踏切構内を挟んでいる位置関係にあたる。
りんりんロード編2020
大国小の桜の木を見た時は
開花にはまだタイミングが早いかもしれないことを懸念したものの
いざ目の前にした旧・雨引駅構内は
薄いピンクの桜が列車が来ることのない構内を慰めるように咲いていた。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:59| 千葉 ☁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月07日

タイミング

りんりんロード編2020
2020年3月24日、下館駅へとやってきた。
ここで関東鉄道常総線から水戸線へと乗り換え。
その30分弱が例の如く市街地における滞在時間となる。
りんりんロード編2020
下館駅北口ロータリーをスピカへと撮影したところ。
地上駅ながらスピカのもとにはペデストリアンデッキがあり
雷神社の人面土器と神楽面のモニュメントが設置されている。

バス乗り場はちょうどそのペデストリアンデッキの足もとで
筑西市の筑波山口行き広域連携バスと地域内バスの停留所を設定。
ここにこの1年の間に道の駅グランテラス筑西が誕生しているので
そちらへとアクセスする循環バスが登場するようになった。

広域連携バスは1日8本でこちらは終日基本ダイヤ。
これに対して地域内バスは4月から土休日ダイヤが採用されるようになり、
平日は北口から、土休日は南口からそれぞれ出発する。
りんりんロード編2020
下館駅にはちっくんステーションが隣接している。
コミュニティサイクルとサイクルステーションを担う施設の一つ。

実証期間の真っ最中にあり、コミュニティサイクル自体は
この1年の間においても
どの利用実態を鑑みたり、その可能性を視野に入れた上で
自転車の配置箇所や台数も見直しが行われている。
施設としては観光案内や物販を行う拠点にもなっているので
実証期間における観光や生活手段としての自転車の価値の評価や
その先の施設の動向を踏まえつつ見ている建物。

開設時間帯に居合わせることがないこともあり
それなりに気にしているのはそういったあたり。

自転車は自動車に比べて
簡単に引き返す事ができたり小回りが利くこと、
徒歩よりも行動範囲を広げてくれること、
商店や施設においても受け入れるコスト、
要は駐車場よりも駐輪場やステーション設置の方が遙かに安く
費用対効果が見込まれることが上げられる。

天候に左右されやすいというのもあるけれども。
りんりんロード編2020
北口にそびえるスピカは6階建ての建物で
そのうち4階までを筑西市役所が入居している。

総合案内のカウンターのもとにはバンっと5枚ほど
移住を呼びかけるポスターが掲出されており、
この段階で新型コロナウィルスの感染予防の観点から
施設の利用中止やイベントの中止・延期が案内されていた。

スピカ内においてもやってきている時間帯はとにかくとしても
「ちっくんひろば」の開放見合わせとなっており
措置を講じている中で行動を求められているところにあった。
りんりんロード編2020
1階部分はチャレンジショップを募って展開中。
期間を区切っていることもあり、
顔ぶれが変わり、整体院が一画に入るようになった。
もう一画は募集中という状況のところを見ている一コマ。

チャレンジショップは期間終了後に
筑西市で本格的に開業することを前提にして
こちらにお店を構えているので
経営への足掛かりとする性格が濃いこともあり
そちらへと向かっていくのが本来の姿なので
顔ぶれが代わっていくというのは必然的なものになる。

月額利用料などは破格で週5日以上、1日8時間の営業を原則にしている。
りんりんロード編2020
同じくスピカ1階、
7:00〜20:00までの営業時間となっているYショップに近接した
筑西市の物産展示コーナーの一画を撮影したところ。

やはりこの1年で一番大きな変化は
道の駅グランテラス筑西が誕生しているので
そのポスターパネルが下館ラーメンとともに
動線に近いところに掲出されるようになっている点。

こちらも筑西市のポスターが壁面に貼ってある。
「かっこいい筑波山が見えるまち」のキャッチフレーズとともに
そば畑やひまわりが目立つ観光色の濃いもの。

下館駅のニューデイズはそれぞれに営業時間が1時間ほど長い。
駅と商業施設だった建物を
とりまくヒトの流れやサイクルに即しているものと思われる。
りんりんロード編2020
常総線では一切高校生の姿を見かけないままに下館駅にやってきていたので
水戸線へと岩瀬駅までの乗車券240円を購入して改札を潜ると
遙かに旧来よりも遙かに少ないとはいえ
チラホラと見受けられ一概に高校も休校と捉えていた身としては
非常にビックリした。

男の子が多く、結果として岩瀬駅で降車される方ではなかったので
それ以遠に通われているというもの以上を知ることはないし
好奇心で根掘り、葉掘りしたことでどうすることもない。
当たり障りのない挨拶を交わす程度。

置かれている状況はそれぞれに異なるのだろうけれども、
未曾有の事態で気丈だと思う。
親御さんや先生方もまた然りというところ。

そういうところに交通機関としての鉄道があり、バスがある。

下館駅、2番線ホームに7:57、勝田駅行きE531系5両編成入線。
運用区間がムチャクチャ広くなっているお馴染みの車両。
常磐線が完全復活したので原ノ町駅まで乗り入れるようになり、
東北本線の一部区間も走行するので
車内広告を目にする人の範囲もかなりのものになっている。

最寄り高校のある駅の一つである下館駅は
やはりまとまった降車のある駅ながら、
降り立つ人の少なさに加えて
待っている高校生もいたとはいえ、座席にも非常に余裕があるもので、
こういうものがあらゆるところに影響を及ぼしていることに他ならなかった。
りんりんロード編2020
2分停車の列車は3番線に小山駅行きがやって来たのを受けて
7:59、下館駅を同時出発。
京屋マンションや中央図書館を過ぎると早速五行川を渡っていく。
この辺が国有化される鉄道を物語る象徴的なところ。
橋梁を架けるのに莫大なコストを投じたあとの維持管理や
その要衝を維持していくのは国家基盤を頑強なものにしていく上で
必要不可欠なものだったことを意味している。
りんりんロード編2020
左から水田が広がってきて今度は小貝川を渡る。
筑波山を遠方に軽快に駆け抜けていく。
常磐線よりも敷設年代が早いことを鑑みても
沿線の重要性と大量輸送を必要とする産業の存在、
投資にあたった人々と事業者の先見性が垣間見える。
それらが歳月の経過とともに
取りまく状況を激変させているのも確かなことで。
りんりんロード編2020
季節でガラッと印象が変わっていくところとはいえ
背後にそびえる筑波山の姿は揺るがない。

ビニールハウスが線路沿いに近づいてきたところで
県道149号と交わって、藪を抜けたあとも
ビニールハウスのそばを列車は進んでいき
ソーラーパネルの脇から左手には民家が並んで来て
片倉コープアグリの工場と茨城倉庫がそびえ新治駅へと滑り込む。
りんりんロード編2020
新治駅を守る会の方々が手入れをされている桜の木は
まだ開花には及んでおらず、
日照や気候が大差ないような距離の移動でも
これだけ状況に差を生じさせるものとなっていることを伺わせる。
これらのシンボルツリーは人びとが意識的に作り上げたもので
歳月とともにそういう次元へと昇華させてきたことが明らかだ。
りんりんロード編2020
水田から藪や茂みを抜けて大池やイワサキ電気の前に出て
すぐに林へと入っていき、トーンダウンがはじまると大和駅だ。
こちらは駐車場と駐輪場のもとに咲き誇る桜の姿が見受けられた。
景色の変化は桜の存在が劇的に思わせるとはいえ
ヒトの流れは頻繁に来るところではないこともあり、
心なしか単調な気がした。
りんりんロード編2020
藪から県道148号と交わって桜川を渡り、
水田をひた走っていくと北関東道の下を潜り抜けていく。
りんりんロード編2020
左からは住宅地が線路沿いに形成されてくる一方で
反対側に広がる水田と御嶽山の麓から
りんりんロードがこちらへと接近してくる。
りんりんロード編2020
8:12、岩瀬駅1番線ホーム着。
2面3線の駅構造で、駅舎のあるホームに降り立ったところで
旧・筑波鉄道岩瀬駅構内を示す休憩所桜の木々を
島式ホーム向こうに控えて撮影した一コマ。

これ以上の光景を知る事はないけれども、
接続路線であった鉄道駅のホームが並んでいた時代があった。

またこちらは岩瀬高の最寄り駅ながら降り立つ高校生の姿はなかった。
りんりんロード編2020
勝田駅へと向かっていく列車を
駅名表示板とともに見送っていくところ。
りんりんロード編2020
岩瀬駅はJR東日本サービスによる業務委託駅。
駅舎内は設置されている券売機は一台に集約されており
窓口をはじめ簡素化されていることが伺える。
一方で投資や更新を図るべきところには
しっかりと行っているのも確かなこと。

筑波鉄道がなくなって久しい中で
土浦駅までは水戸線、友部駅経由で常磐線に乗り換え990円。

ヤマザクラGOの場合は筑波山口で
関東鉄道バスに乗り換え、200円+940円。
桜川市がコミュニティバスを破格の運賃に押さえていても
所要や運賃はJR東日本経由に軍配があがる。

10年近くバス路線の設定を欠いたところにあったように
両端を通じての乗車需要は極めて少ない。
りんりんロード編2020
岩瀬駅駅舎を撮影したところ。
軒先にアキュアの自動販売機と郵便ポスト。
それに隠れるようなところに開業百周年の記念碑が建立されている。
階段部分のプランターは岩瀬小の文字が入っている。
りんりんロード編2020
つくば霞ヶ浦りんりんロードは官民の連携で
道路沿線の観光資源と宿泊施設や休憩施設などを含めた自転車の走行環境を
リンクさせて国内外にPRさせていく
ナショナルサイクルルートに指定されているので
スタート地点であり、ゴールでもある岩瀬駅には
駐輪場とロータリーのフェンスに元には横断幕が掲出されている。

レンタサイクルはそのフェンス向こうに位置している
高砂旅館で借りることができる。

りんりんロードで全11カ所に設定されている
相互乗り捨て可能な広域レンタサイクルの受付をしているところの一つ。
桜川市での設定はここだけで事前予約が必要になっている。

サイクリングツーリズムを巡る環境の変化が
線路跡を自転車道として整備して以後の状況に
大きく影響を及ぼしており
資源としても、認知度合いにおいても先駆けともいうべき存在。
りんりんロード編2020
この1年の間の変化といえば
ヤマザクラGOのためのシェルターが供用に向けて整備されるようになった。

岩瀬駅の駅前ロータリーは路線バスが廃止されていた当時に整備されており
中央部に一般乗用車用のシェルターが設置されてはいても
現在のヤマザクラGOの停留所は
駅舎からの距離を鑑みて公衆トイレにも近い至近距離の
野ざらしの場所にスペースを確保して設定していた。

点字ブロックから旧来のバス停留所の場所に
そのシェルターがつくられたことがわかる。
りんりんロード編2020
この工事に伴って若干バス停留所はロータリーの大和駅寄りに移している。
ここにも変化が生じているのは明らかように
ヤマザクラGOに加えて
巡回ワゴン「ヤマザクラGOミニ」も登場することになった上、
さらに茨城交通が東京駅への高速バスを下館駅南口経由で運行を開始したので
そちらに設置されるポールが増設されるようになった。

ヤマザクラGOミニは文字通りヤマザクラGOを補完するように
週2日、3〜4本の設定を行っており
岩瀬駅には南飯田・門毛ルート、富谷・大泉ルート、
長方・本郷ルート、犬田・青木ルートの4系統が乗り入れる。
市街地ではルートと曜日設定の兼ね合いで
コンスタントにバスがやってくるようになったので
各地域を結ぶ交通手段が確保されたのとともに
市街内における公共交通における移動もより手軽なものへとなった。

茨城交通の高速バスは1日に3本、
典型的に桜川市と筑西市から東京都心部へとヒトを運ぶのに特化しており
朝に集中したダイヤで、都心部からは夕方、夜間にこちらへとやってくる構造。
新型コロナウィルスの感染拡大予防の観点から運休中となっていた。

ロータリーの奥に見える石造りの蔵は
年代物で地場産業の隆盛を今日に色濃く伝える証人のようだ。
りんりんロード編2020
水戸線の第四真壁踏切から
旧・筑波鉄道の岩瀬駅跡構内へと向かっていく。
線路沿いに駐車場と公衆トイレが設置されており
入口には鉄道時代のオマージュといった感じの
休憩所の案内表記がなされている。

車止めや止まれの標識などは
つくば霞ヶ浦りんりんロードへと組み替えがなされた際に
より多くの来訪者、サイクリストを受け入れるために
改めて措置を講じ、以後も更新やメンテナンスを行っている。

りんりんロードといえば休憩所や駅遺構の桜が非常に象徴的。
りんりんロード編2020
あくまでも伝聞による話とはいえ
跨線橋がかつてはこちら側にまで及んでいる駅構造だったらしい。
左に見えるのが公衆トイレ。
桜並木の足もとには休憩用のベンチを配置。
りんりんロード編2020
小山駅行きの水戸線上り列車E531系がやってきたので
これを旧・筑波鉄道の構内から撮影したところ。

横に並ぶ存在が失われてから33年が経過。
筑波鉄道の廃線は国鉄民営化と時期を同じにしている。

JR東日本水戸線を行き交う列車は世代交代を重ねても
往来をする光景が見受けられるのに対して
こちらにはもうその姿はない。

それでも同じ歳月だけ春の訪れとともに桜の開花を迎えてきた。
りんりんロード編2020
時代が時代であれば第四真壁踏切も
もっと構内が広い踏切であったり、
連続して踏切が設置されているという道路構造だったのかもしれない。

ちょうどここから
つくば霞ヶ浦りんりんロードこと筑波鉄道の線路跡は水戸線と分かれて
左へと大きくカーブを描いていく。
りんりんロード編2020
旧・雨引駅までの距離が4.6kmあり、駅間の中で最大の距離にあたる区間。
ヤマザクラGOの登場に伴って
この区間を徒歩行程、ということを思い描くことはなくなったけれども
グッとそれに伴って来訪頻度を高めることができ、
今年も照準を合わせてやってきている。

旧・岩瀬駅構内の桜並木を見ると思い通りといった
シナリオを進めている手え応えを感じつつ、
ロータリーでヤマザクラGOの登場を待つのだった。

つづく
posted by 小林 慶太 at 21:47| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月06日

いばらぎウエスタン鉄道

りんりんロード編2020
2020年3月24日、関東鉄道常総線を乗り継いで
水海道駅6:38発下館駅行きキハ5004で
終点まで各駅のシンボルツリーを巡りつつ向かっていく。
りんりんロード編2020
アマリリスの駅メロディに続いてドアが閉まって列車は水海道駅を出発。
セブンイレブンや昭和シェルのガソリンスタンドの先を左へカーブ。
染谷工務店の奥に常総市役所が見えてきて
キグナスを過ぎて八間堀川を渡る。右手には畑が広がる。
真明電材の脇を十って畑も住宅地に変わり、
八間堀団地が形成され北水海道駅へ。
駅前のポケットパークを見ているところ。

1駅間1.8kmちょっと。
駅構造や周辺の様相もあるとはいえ列車運行系統が分かれて最初の駅。
おおよそ15分に1本から30分に1本へ。比較的それでも本数は確保されている。
公共交通とヒトの暮らしは両輪。
りんりんロード編2020
相野谷団地や保健所を過ぎて国道354号を潜り畑へと出て行き、
サンガーデン下妻をはじめアパートなど民家が集まり
6:44、中妻駅着。お一人が降車。
ここで対向列車キハ2404を迎え入れる。
中妻駅も駅名表示板の背後の桜が咲きだしていた。
りんりんロード編2020
6:46、中妻駅発。すぐに畑へと出てRAPIOサポートセンターのもとへ。
県道123号を潜ると左に少し離れて三妻小と鬼怒中が見えてくる。
学校敷地も桜の木が植えられているところが多いので
校舎の存在もさることながら
この季節はそれを非常に意識させるものがある。
その先に控えているのは鬼怒川。

一度も常総線を交わることがなく、近接することもないとはいえ
相応に並走している間柄にあたる。
関東東北豪雨では鬼怒川の決壊箇所を間近にしているところ。
日常はそういうものを乗り越えた先にある、と
簡単に言い切れるものと
必ずしも、というものがあることを思わなければならない。

少なくとも今日の列車の往還は災害で寸断されたものを
多くの方々の尽力で成し遂げた復旧の上で成り立っているということ。
復旧させたものは続くものへと昇華させていく使命がある。

線路沿いに民家が集まってきて6:50、三妻駅着。
ここでも2分停車してキハ2302-2301の2両編成の通過を見送る。
りんりんロード編2020
プールの先で圏央道を潜っていく。
引き続き畑の中をゆっくりとひた走っていく。

アグリロードの先で民家が並んで来て南石下駅へ。
豊田城こと地域交流センターが民家向こうに見えて
自動車学校跡地の脇を通りJA常総ひかり、石塚栄三郎商店のもとから
6:59、石下駅着。キハ2402と行き違いをする。
石下紫峰高の最寄り駅ながら
そっくりそのまま定期需要が削がれているので淡々としたものだった。
りんりんロード編2020
タイラヤとコインランドリーを過ぎて市街から畑へと出て行いくと
遠方にそびえる筑波連峰が浮かび上がる。
ビニールハウスをそばに玉村駅に立ち寄り、
さらに筑波連峰を控えて畑の中をゆっくりと走っていく。
この辺が沿線のハイライトの一つ。
今もなお列車から筑波連峰をのぞめる路線。
片やサイクリングロードとなっているところもあればなおさらに。
りんりんロード編2020
列車は小島鉄工所と宗道タクシーのもとから宗道駅へ。
対向列車が駆け抜けていくのを見送って2分停車の後、出発。
宗道小へと向かっていき、ビニールハウスが並んで
県道357号沿いに茨城日産、コバック、フードオフストッカーと相次ぎ
市街へと入っていき、国道125号の下を潜り抜け、
7:10、下妻駅に着く。
りんりんロード編2020
下妻駅でも2分停車。
本来であればこちらも下妻一高・二高の最寄り駅なので、という
定期需要を支え、交通網の存在理由となる方々である
通学客の降車があるところながら、これを欠いたものに。
思いのほか通勤利用と思われる方の降車もないのは意外だった。

駅長事務室に掲出されている駅名表示板は
昨今の導入している列車のカラーリングを投入し
両端の駅はそれぞれのランドマークをデザインした
❝くだけた❞もの。

アマリリスの駅メロディをここでも受けて
ふわっとランドリーや下妻タクシーのそばから下妻一高の裏手を通り、
関鉄パープルバスや法務局を過ぎたところで
右へとカーブ描いて草むらから
JA常総ひかりとリクシルの工場に向かい、畑へと出て行く。
りんりんロード編2020
桜並木をそばに糸繰川を跨いで大宝駅へと向かっていくところ。
大宝八幡宮のそばから梨畑やソーラーパネル、ビニールハウスが
線路沿いに形成され、熊野神社を通っていく。
りんりんロード編2020
そして列車は騰波ノ江駅に至る。
駅舎は解体した先代の資材が再利用されているもの。
駅名表示板とベンチの背後、フェンス向こうには貨物引き込み線跡。
とばのえステーションギャラリー開催日にトロッコを走らせている。
関東鉄道常総線の貨物輸送を示す遺構の一つ。
りんりんロード編2020
梨畑と民家に菜の花畑も見受けられる界隈を進み
関城ゴルフガーデンに藪から畑へと出て
民家が線路沿いに集まり、黒子駅へ。
ここで列車通過待ちのしばしの停車が
ホームに咲き誇る桜の鑑賞時間になる。
りんりんロード編2020
筑波鉄道における旧・真壁駅の❝思い出桜❞も
鉄道時代はかくあったのではないか、ということを
似通ったホームや駅名表示板を持つ同じグループ会社であることから
黒子駅に咲き誇る桜の姿を見て思う事。

同時にリアルタイムに巡り合う事ができればできるような時代に
身を置いていたのに何ら関心を持つことのなかったことの後悔と
駅として幕を閉じる場所があったのに対して
今日も変わらず列車が往来する場所に
桜が今年も咲くというところに立ち会えたことに感謝。

といっても、途中下車をすることもなく
列車の窓から見るばかりという範疇に過ぎないのだけれども。
桜の木ばかり取り上げているけれども
こちらも貨物輸送の名残を持つ保線ヤードがある。
りんりんロード編2020
梨想の会から2017年に植樹寄贈された神代曙の木も
先達たちの仲間に加わってまた1年、
新しい春を迎えて花を咲かせるに至った。
そういう積み重ねが歴史やシンボルにつながっていく。

黒子駅をあとにした列車は畑や民家を左へとカーブして
ソーラーパネルのそばからヤマト精機を過ぎ
林に出たり入ったりしながら下館病院近くを通り
再び畑へと出て行く。やがて大田郷駅へ。
りんりんロード編2020
大田郷駅も駅前の転回スペースには桜が咲き誇っていた。
りんりんロード編2020
鬼怒川河川敷へと大田郷駅からは
砂利輸送を目的に線路が敷設されていた時代があったので
転回スペースや駐輪場との間にもそれらの名残が伺える。
りんりんロード編2020
もう一コマ、大田郷駅構内を見ているところになる。
大量輸送を必要とする資源を沿線が抱え
道路網が今日よりも遙かに脆弱であった時代があった。
近代国家の台頭や戦後復興期における北関東の産業の果たした役割は
断片的に伺うことはあれども、今日からは想像の尽かないものだ。
りんりんロード編2020
大田小をあとに下館工高を通り右へとカーブしていくと
右手に藪が延びてきて、そこから畑を進むことに。
終点・下館駅を間近にして大谷川を渡る。
こちらも土手に沿って桜並木が。

関東鉄道常総線は大きな河川を跨ぐことがないので
水戸線などのソレに比べて線路敷設に対して
巨額の建築費を投じることがなかった。
りんりんロード編2020
日本ハムの工場が右手に見えてきて
これを過ぎると左からは水戸線が延びてきて
市街に差し掛かり、スピカやYSK,KCCビルを間近にして
7:32、下館駅6番線ホームに到着となる。
りんりんロード編2020
この列車の到着を受けて上り列車が程なく出発しようというところで
下館駅の駅名表示板を撮影した一コマ。
これがなくなってしまった鹿島鉄道と筑波鉄道という二つの路線があるので
現役で用いられている光景は当たり前のように
続くものであると信じたいけれども
何だかんだ意識しながら見ているものの一つになる。

二つの路線が廃止されたことを知らなかったり
目の当たりにしなかったら、もっと意識することはなかっただろう。

そんなわけで駅名表示板に気をとられている間に
稀少となってしまっていた
カナックカラーの気動車に遭遇しているのにも関わらず
淡々と見送ってしまうのだった。
りんりんロード編2020
りんりんロード遠征、今回の最終目的地はココ。
下館駅の跨線橋や水戸線岩瀬駅などに開業を伝えるポスターが掲出されていた。
新型コロナウィルスの感染拡大に懸念されつつあり、
人びとがデリケートになっているところに開業へと踏み切っているので
タイミングが悪いものとなってしまっているとはいえ、
本来であれば格好の行楽シーズンのはじまりとなるタイミングだった。
りんりんロード編2020
下館駅といえば、真岡鉄道の構内の桜の木。
気候や日照で咲き具合が微妙にいずれも北上するにつれて
差が生じているところもあれども、
限られた機会で何とかそのタイミングにコンタクトをとることができた。

その真岡鉄道は看板列車「SLもおか」号が
新型コロナウィルスの感染拡大対策のために
当面運休という措置を講じているところだった。
土休日に運行して集客を支え、
鉄道のみならず地域資源としての牽引役を果たす存在だったので
たった1本の列車とはいえ、
それを欠いて非常に厳しい状況に置かれてしまっていた。

加えて普通列車も終日1両による運用のみに。
定期需要もこれで事足りる次元、ということを意味する上に
高校の休校がさらに、というところに。

観光に依存度を高める代償が重くのしかかってしまった。
同時並行して少子化や人口流出に歯止めをかけることができなかったことが
すべからく影を落とし、その落差をより重いものにさせている。
りんりんロード編2020
顔出しパネルに迎えられて改札を出たところでパチリと。
ちゃんとこの段階では当日日付が入っていて
特化した集客を図らない次元で
それなりに来訪を受け入れてもらえるところにあった。

みどりの窓口は
6:00〜21:00までの営業時間だったものが8:00〜18:00へと縮小。
JR東日本もまた取りまく状況に対応しており
それらが同時にその状況を敏感に反映していた。

つづく

「いばらぎウエスタン鉄道」は筑西市、下妻市、常総市における
ローカル線でゆく人と川の交流圏づくり推進協議会が企画したもの。

インスタグラムのフォロワー数が50名以上のユーザーを招待して
体験や街歩きをしてもらい
ハッシュタグ❝いばらぎウエスタン鉄道❞で写真の情報発信することで
まだ知られていない魅力や
特色を多くの人に知ってもらう取り組みをしたりしている。

また「関鉄POCKET」の2020年春夏号は
❝かんてつ沿線の春らんまん なごみ旅❞と題して
黒子駅や騰波ノ江駅が無人駅の旅に紹介されている。
取材や制作が発行よりもかなり前に取り掛かっていることもあって
これもまたタイミングが悪い時期になってしまっているけれども
取り上げているのは通年で訪ねることができるところも多いので
冷静になった時期を見据えたり
その土地を知るために手に取って頂きたいと思う。

京成グループの駅でも入手できる。
自分が冊子を手にしたのは2020年4月の緊急事態宣言が出たあとのことで
持って帰ってきたら両親に「まさか!?(出かけるのか)」と大目玉食らった。
posted by 小林 慶太 at 22:37| 千葉 ☁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月05日

シンボルツリーと駅 

過去の事をグダグダいうヒトはもてないといわれようとも
駅ビルの事故のこととか、
東日本大震災や関東東北豪雨のこと、
TX開業とそれ前の変遷、そういったものを
何だかんだそれなりに思わないことはない。
思ったところで人生大きく変わる事もないとはいえ。

同時並行してのシンボルツリーを巡る旅。
どういうわけかその時代に敷設された鉄道の駅は
わりと象徴的な木がそびえ立っているところが少なくない。
意図してそうなったのか、
はたまた結果的に歳月の積み重ねが
そういう景観をつくりあげたのか、はたして。
りんりんロード編2020
2020年3月24日、下館駅までの乗車券を買い求めて
取手駅8番線ホームから5:53発水海道駅行き
キハ5011+5022の2両編成に乗車。
出発間近の車内は15人ほどの乗客があった。
不確定な要素が多いものとはいえ
後発(6:02)よりも需要は多いような印象を受ける。

すっかり当たり前の存在になっているけれども
TXが開業することがなければ
この下り列車の乗客はもっと少なかったし
取手駅へと集中してきたヒトの流れが
これによって分散されるようになっていて
そういうものに該当する方というのは
TX沿線の経済基盤と関わりを持たれていることに他ならない。

取手一高の足もとから常磐線と分かれて左へとカーブして切通を抜け
築堤へと出ていき、住宅地を進んで西取手駅へ。
お二人が降車される。
この1年の間にそばのおっ母さんがフレッシュスーパーママになった。
キャノンの寮をあとに
前田建設工業ラボの脇から寺原駅に着く。
りんりんロード編2020
取手市役所の最寄り駅で
寺原ゆめみ嬢の名前がこれに因んだ対向式ホーム構造の駅。
南口はこちらの前田建設工業のICI総合センターに面している。
こちらでも3人が降車。
滑り込んだのが南口側のホームだったからなのか、
いずれも降りた方は南口を利用されていた。

住宅地から茂みを抜けてタイラヤの前へ出て
筑波銀行やしんとりで歯科のもとから新取手駅へ。
ここで6人が乗車してお一人が下車。
守谷駅までほとんどそのままに向かっていくと思いきや
思っていたよりもコンスタントに降車がある。

ここから国道294号と並走。
コインランドリー、トヨタレンタカーリース、タイヤマン、
メディセオ、カラオケバンバン、昭和シェルと沿道に続き、
ローソンを過ぎるとゆめみ野駅に滑り込む。
りんりんロード編2020
東日本大震災翌日に開業日を迎えたので
非常にその開業日の印象が通りがかるばかりであるとはいえ
歳月が流れても今もなお強い。
駅インフラの構造は2010年代初期の時代に見合ったもので
これが組み立てられているのも特徴的。

周辺はそれを前後して開発が行われ
今もなお宅地分譲が進められ、発展の余地を掘り起こしている。
牽引役は大和ハウス。
4人の方がこちらで乗車された。

一旦は右手に畑も見えたりするものの
ダイドードリンコサービスを過ぎて
ネッツトヨタとはな膳をそばに稲戸井駅へ出鵜rと
ここで6人の乗車がある。守谷駅へと次第に乗客が多くなる。
降車されたのお一人。

右手に林が延びてきて、これが途切れると
駐車場や畑も見受けられ、
国道294号には戸頭団地がそびえ立ち、戸頭駅で10人近くが乗車する。
パレットデンタルクリニックをあとにして茂みをかき分け
守谷市に突入。

からだはうす守谷を過ぎて住宅地に入り、
Beハウスのそばから南守谷駅に至ると
20人近くが乗車されるものの、ロングシートに空席があっても、
滑稽なくらいに座ることなく、
ドアのそばに立たれている方がほとんどだった。
言うに及ばず、次の駅での降車が目的というのは明らか。
りんりんロード編2020
右へとカーブして列車が進んでいくと
国道294号には西友やセリアが見えてきて
住宅地を走り、左側には一時的に林が線路沿いに延び、
守谷タクシーに茨進、ローソンを過ぎて
前方を横切るTXの高架を潜り抜け6:12、守谷駅着。
案の定、ほとんどの人が入れ替わる。
りんりんロード編2020
東横インをあとにマンションがそびえ立つ景観から
やがて戸建住宅中心に代わり、MGMにロジスクエアを通り、
守谷自動車学校を通り、茂みと畑から
はるかぜ保育園と開智望小の前に出て新守谷駅に至る。
2面3線の駅構造。
1980年代にインフラを整備して
当時の守谷駅よりも自動車を前提にしたロータリーを持っていたり
機能的には拡充を図っているところながら
TX開業前後に守谷駅並びに周辺は広域的な人々を受け入れるために
大がかりな再開発を行っているので
段階的な社会情勢の変遷を垣間見る場所の一つでもある。
りんりんロード編2020
大和陸送のもとから林に進んで常磐道を潜り、
茂みからヤマダ電機のそばに向かっていき、
住宅地に入るとゴルフパートナーが見えてきて
列車は小絹駅に着く。
鹿島鉄道や筑波鉄道と同じグループの形式である駅名表示板を掲げる駅。
対向式ホームの上り線側には惹かれる桜の木がそびえ立っている。

筑西タクシーをあとにしてケーズデンキとサンキ配送センターを通り、
ビックモーターやバイク王が国道294号に見えてきて
国道とともに畑や草むらを疾走。
JUWAビルのそばで国道294号は頭上から右へと移り、
代わって県道357号と並走を続けていく。
りんりんロード編2020
水海道車両基地と常和工業を過ぎて
住宅地にさしかかり、ハローワークに生涯学習センター、
水海道シティハイツ、第一ホテルを通り、
さがみ典礼のホールやホテルルートインのもとから
6:25、水海道駅1番線ホームに到着。
下館駅までの乗車券なので、改札外に出ることなく
そのまま乗り換えに。
りんりんロード編2020
TKストアや魚民に面したロータリーを背後に
水海道駅の駅名表示板を撮影したところ。
ここから列車の運行系統が分かれる。
りんりんロード編2020
自社の冊子時刻表の表紙にも顔を出すようになった寺原ゆめみ嬢は
TXの秋葉みらい嬢とコラボして
関東鉄道でラッピング列車を運行させていることを
構内踏切をそばに貼り出しているポスターで知った。
キハ5004の一両がそれに該当するとか。
随分と積極的に前面に打ち出しているようになったんだなぁ……、と
そんなところに……。
りんりんロード編2020
乗り換えるホテルルートインやろうきん側に位置する3番線へと
6:26、入線してきたのは何とそのキハ5004だった。
こういうことで運をムダに使っているなぁ、と。
正面にはヘッドマークを掲出。
非常に目立つ車体側面がなおさらに際立つ。
りんりんロード編2020
一編成しかないところに巡り合うことになったし
そう頻繁に乗車する機会もあるものではないので
とりあえずヘッドマークを記録するの図。
りんりんロード編2020
車体半分、下館駅方面は寺原ゆめみ嬢がこれをジャック。
黄色いカラーリングで
TX&常総ライン往復きっぷのPRをしている。
りんりんロード編2020
こちらはTX、秋葉みらい嬢。
赤を基調としてそびえ立つ高層ビルが描かれている。
りんりんロード編2020
車内は外観に比べて大人しいとはいえ
中央部のドア脇にもお二方が登場して特別感を演出していた。

6:34には後発のキハ007+008の2両編成が2番線にやってきて
乗車していた8人がそっくりそのままこちらの車内へと乗り換え。
高校生の通学需要が欠けた学生のいない需要は
このようなものなのかと。

程なくアマリリスの出発メロディが流れることに。

新型コロナウィルスの感染拡大に絡んで
家計簿アプリのデータ分析によると
趣味娯楽費2020年3月期は前年比35%減、4月前期が50%減。
交通費も3月期28%減、4月前前期58%減というところにあったという。
つづく
posted by 小林 慶太 at 22:00| 千葉 🌁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月03日

だいたい2か月前の話

旧・雨引駅跡の恍惚感に何ともいえないものを憶えてしまったので
地元で桜の見頃を迎えたタイミングで
気候条件が多少異なることは十二分に承知で
3月下旬に土浦駅の駅ビルプレイアトレに
サイクリングホテルがオープンしたこともあり、
ここしかない、ということで
恒例のりんりんロード並びに真壁と北条へと出かけることにした。

新型コロナウィルスの感染予防対策で
図書館の開館に見通しが立たない状況の中で
道路地図が手元にない限りは遠出はしない、
とりあえず2020年3月に全線開通した
常磐線沿線に向かうことはないと公言していたものの、
千葉県と茨城県、どういうわけだか北海道は道路地図が
それなりに出かける機会が多い場所なので手元にあるので
あらゆるもので制約を伴うことになったとはいえ
やはり続くものを相手方に求める、勝手に期待している身でもあるので
そういうものを確認していくというのも目的の一つとしてある。

茨城県の学校も3月初旬から休校が相次いでいる状況下。

旅のはじまりは2020年3月24日。
同じようにたかが知れているレベルとはいえおカネを使うという
サイクルをこなしていくというのは部外者であっても
町を組み立てる上で大事なことで
この段階では緊急事態宣言も出ておらず、
新型コロナウィルスの患者数は
千葉県は40人ちょっと、茨城県も一桁という状況で
人込みを避けるように呼びかけがなされていところだった。

幸いなのは
郊外で超有名観光地(悔しいけどそれが幸いしている)ではないことと、
列車を利用するために行動を起こす時間が早いこと、
加えて徒歩行程が多いことに加えて平日であることも、
こういった状況で行動を思い起こすに至った。
りんりんロード編2020
やっぱりはじまりは松戸駅からはじまる。
意外に頻繁に出てくるような場所のような気がしないでもないけれども
記事で登場するのは昨夏以来。

中央改札には快速列車と緩行線の路線記号が入るようになり
某鉄道会社の改札ではない注意喚起が恒常化しなくなっている。
代わって通路路面に「常磐線」の文字の入った矢印が貼られている。

改札内のニューデイズがなくなり(改札外は営業中)、
代わって多目的トイレが開設されるようになり、
3・4番線ホームへのエレベーターも供用開始を迎えているのがわかる。

この段階では何だかんだいいながら
年度末、新年度、新学期という時期が絡んでいたので
みどりの窓口と券売機の混雑予想のカレンダーが示されていた。

営業時間前とはいえ、アトレもこの段階では営業中。
緊急事態宣言以後、JR東日本グループとして
一部店舗以外は当面の間休業となっている。
りんりんロード編2020
今回の旅は関鉄バスやヤマザクラGO、つくバスを
こまめに行程に挟むのでICカードを重宝することもあり、
早々にこちらにおいても投入してスムーズに改札を潜って
旧来よりも1本早い5:22発、取手駅行きE231系15両編成に乗車した。
(金銭感覚の箍が緩むから、バス以外は極力アナログに努めてる)

上り列車とは対照的にロングシートは空席が目立つ車内。
時間帯も鑑みればなおさらに。

アトレ松戸をあとにダイエーや東葛クリニックみらいを過ぎて
程なく新坂川と並走し、ヤマザキ製パンやハイム化粧品の工場が続き、
北松戸工業団地からアクティ北松戸がそびえ、北松戸駅に向かう。
松戸競輪場を過ぎると
右手には国道6号沿いにライフケアメモリイプレイス松戸に
PCデポ、サイクルベースあさひが立地。
それとともに左にはプロムナード北松戸がそびえ立ち
北海物産と鉄道用品につづいて
ステーションモールがあらわれ馬橋駅を通過。
パラッツォと東武ストアの先から
民家などを挟んで流鉄と並走して新松戸駅に向かい、
マツモトキヨシのビルのそばから右へとカーブして掘割を進む。
ピコティが見えてきて北小金駅を過ぎ、築堤に上がって富士川を渡る。
松戸市から流山市を通って柏市に入っていく。

住宅地をひた走りマンションのもとから
カスミとフィールズの前に出て南柏駅を通過。
ヤングボウルをあとにイオンモールの前に向かい、
柏洋スイマーズの先で東武アーバンパークラインの下を潜り
城南予備校や市進予備校、丸井、スカイプラザに高島屋と囲まれて
5:31、柏駅に停車。辺りが明るくなってくる。
柏駅周辺には

りんりんロード編2020
ライフケアメモリイパークに柏市役所の先で国道16号を潜り
マリベールの先で大堀川を渡って
ロジポートを控えて再び国道6号と並走する。
ようやく明るくなってきたところでの一コマ。
りんりんロード編2020
そのまま右にカーブ描いて北柏駅を通過。
柏駅と我孫子駅の貨物を一手に引き受けた貨物駅として開業しているので
その名残ゆえの敷地に加え、
国道6号との位置関係や周辺の物流倉庫、工場立地が
色濃いものになっている。
りんりんロード編2020
ダイヤパレスや増田工業、グリーンテラス、我孫子四小を過ぎて
グランレジデンスの足もとから5:35、我孫子駅1番線着。

向かいの2番線ホームには接続を図った成田線が停車中で
そちらの出発を見送り、
5:37、けやきプラザにイトーヨーカドーをあとにする。
林で成田線と分かれて住宅地と松戸車両センター我孫子派出所へ出て
水道局を通り、ミナトスポーツクラブの前へ。
ツタヤやあびこ会堂、くすりの福太郎をそばに天王台駅に着く。
ファミリーマートとマツモトキヨシを過ぎて左にカーブ。
利根川へのカウントダウン。
りんりんロード編2020
川村女子大と我孫子聖仁会病院、NECの工場から
東我孫子カントリー倶楽部と河川敷に出て利根川を渡る。
列車は減速して利根パークゴルフ場のもとへ。
セントラルホテルやリボンとりでがそびえ、
5:44、終点・取手駅4番線ホームに滑り込んだ。
りんりんロード編2020
取手駅は快速列車の始発駅にあたるので
押し返しとなる列車を待っている人の方が
降りていく人よりも遙かに多い。
りんりんロード編2020
取手駅から常磐線の利根川橋梁を見ているところ。
快速の利根川橋梁は現在のものになってから6年ほど。
左側の橋梁は緩行線のもの。
こちらを渡る列車は朝夕に特化している。
それだけのために橋梁を架ける背景に突き当たるものがあるわけで。
りんりんロード編2020
常磐線E電区間(死語)の駅に設置されている待合室は
それぞれの地域特性を取り入れたデザインが施されている。
JOBANアートライン。導入から10年が経過。
当たり前の光景になっているのは
すっかり定着している部分と
当時のエッセンスが今日も相通じるということに他ならない。
りんりんロード編2020
取手駅は八坂神社祇園祭と利根川の河川敷がモチーフになっている。
りんりんロード編2020
6時前にやってきた取手駅、
改札外のニューデイズは6時からの営業開始で
いろり庵きらくとともに開店準備をしているところで
成城石井、そしてボックスヒルはまだ真っ暗という状況。

ボックスヒルはこの日が「ボックスヒル」としての最後の日で、
翌日の休館日を挟んで「アトレ」に生まれ変わるため、
出入口には先んじて「atre」の文字がビニールに包まれて掲げられていた。

ちゃんと自動ドアは「BOX Hill」のロゴがこの段階では入っている。
りんりんロード編2020
関東鉄道常総線に乗りかえ。
列車案内表示にも新型コロナウィルスが流行っているので
それに対する注意喚起がなされている、という状況。

路線表記がなされている路線カラー、
俗にいうカナックカラーが昨今は減少傾向にあり
残り僅かというタイミングで
全型式のこのカラーリングの列車を揃えた記念乗車券の販売がなされていた。
りんりんロード編2020
関東鉄道も2020年3月にダイヤ改正が行われたので
冊子時刻表を刊行している。
表紙を飾っているのは鉄道むすめの「寺原ゆめみ」嬢だ。
寺原駅とゆめみ野駅に因んでいる。

やっぱり同じ京成グループの会社の看板娘。
相手方が打ち出しているのだから拾い上げるのがリスペクトかと。
りんりんロード編2020
旧来だと7番線にやってきた
6:02発水海道駅乗り換え下館駅行きに乗車するところながら
今回は先行する列車に乗れるタイミングなので
行程を前倒ししていくことに。

TX接続で守谷駅の乗降客数が増えており
一番乗降客数の多い駅を譲って以来減少傾向にありながらも
やはり常磐線との乗換駅である取手駅の役割は大きなもの。
りんりんロード編2020
乗車するのはこちら、8番線に待っている
キハ5011+5022の2両編成水海道駅行き。
ともに両方に運転台を持っている気動車だから
乗客の多い少ない、というものや区間に合わせて
フレキシブルに出番がある。
りんりんロード編2020
構内の壁画「letter〜酔狂」をそばに
信号機が変わり、出発となるのを少しばかり待ち、
15人ほどの乗客を乗せて、時刻は5:53を迎えるのだった。

つづく

死ぬまで松戸駅と取手駅の「アトレ」は「ボックスヒル」で
東武アーバンパークラインは「野田線」と言っていそうな気がする。
2020年4月以降、仕事以外で市外に出たのは
職場で使っている道具の手配のために、印西牧の原駅に行ったのが最後。
それなりに何食わぬ顔で再会するためには
相応の条件が整ってこそ。
posted by 小林 慶太 at 23:33| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月01日

朝焼けは3者が繋いだ先にある

島根遠征編2020
2020年2月18日、出雲市駅18:51発特急「サンライズ出雲」に乗車。
伯備線備中高梁駅を走り出したところで
個室の電気を消して夜空を眺めながら、まどろみ、
気が付いた時には深夜の姫路駅へと着いた(23:35着)場面で
そういう時間帯に家路に向かわれる方の姿があったり
ホームの駅そば店が営業している光景をおぼろげながら目にしつつ
また更に眠りに就いていくのだった。

翌朝、2020年2月19日、目が覚めた時はまだ周りは真っ暗だった。
時刻は5時過ぎで、寝ている間に
姫路駅と米原駅、浜松駅でそれぞれ車掌さんが交代して
JR東海の運転士さんと車掌さんのもとで運行中。

日にちを跨いで運転停車を除くと
ほぼ余程のアクシデントがない限りは
乗客は増えることなく、途中の停車駅で降車していくだけなので
終点・東京駅までJR東海とJR東日本の車掌さんは一人乗務にあたる。
それだけの負担を全区間でJR西日本の車掌さんが受け持っていたものを
各区間で分かち合うようになっていることもあり、
会社線を跨いでいく列車運行は
事業者間の調整もあってあまり見通しがいいとはいえない。
そういう中で運行がなされている。
島根遠征編2020
着替えて荷物を整えていると、列車は静かにホームへと滑り込んだ。
その駅の正体と現在地がわかる。
5:10、富士駅着。定刻運行で滞りなく東京駅へと走っているらしい。
普通列車はもうすぐ下り列車の1本目が来る時間帯。上りはまだ先。

東芝キャリアや紙の街の代名詞の一つである日本製紙の工場をあとに
東海道新幹線と富士由比バイパスをくぐり
太平洋セメントを通り、広い構内を持つ吉原駅を通過。
住宅地を進んでフジ生コンクリート過ぎると
程なく東田子の浦駅を駆け抜ける。
少し離れて工場が並び、
大勢運輸や原中学校、日本ガス興業のそばから原駅へと向かう。
沼津西病院に図書印刷の工場を通り今沢団地がそびえ立ち
片浜駅へと出て、なおも住宅地を進んでいく中で貨物列車とすれ違う。
貨物ターミナルやヤマキ、沼津一中を過ぎたところでも
また貨物列車が走っていき、貨物においても動脈ぶりを伺わせる中、
イーラがそびえ立ち、5:27、沼津駅へと滑り込む。
島根遠征編2020
人影は少ない中、降車されていく方がいらっしゃって
記念撮影をしてこちらを見送っていく。

駅を出てすぐにここでも貨物列車とすれ違う。
市街から黄瀬川渡って丸富製紙、ゼプロチュービングの先で
国道1号沼津バイパスを潜って市街へと向かい、三島駅を通過。
ホテルドーミーインをあとにして大場川を渡り、
国道1号の下を抜けて谷田トンネルへ。
伊豆縦貫道の下を抜けて観音松トンネルと大竹トンネルを潜り、
高台から住宅地を眼下に函南駅へとひた走り、丹那トンネルに突入。
熱海駅からの1本目となる下り普通列車とすれ違う。

非常に長いこの丹那トンネルを抜けると伊東線が延びてきて
留置中のE231系の脇を通りぬけて
高台からそびえ立つマンションが眼下に広がり
来宮駅から新野中山トンネルを潜って市街へと滑り込み、
5:43、熱海駅に到着。
島根遠征編2020
ここからJR東日本管轄の駅になるので
ホームにはアキュアの自動販売機が見受けられ、
車掌さんと運転士さんもJR東日本の方へとスイッチ。

東海道新幹線との接続駅ながら東京駅に至るまで
横浜駅を経由する上、こちらが先行するので
有効時間の活用に秀でているのも支持をされる背景にあるといわれる。

奥に見えるステンレスの車両は伊豆急行8000系。元・東急8000系。
コマには入っていないけれども
島田駅行きの211系が出発待ちをしていた。
クレストタワーをあとにトンネルに入り、高台へと出て太平洋をのぞみ、
伊豆山を駆けて3つのトンネルを立て続けに潜り、
中銀マンションとプラザ伊豆山のそばから泉越トンネルに入る。
ネオサミット湯河原のもとに顔を出して千歳川を渡り湯河原駅を通過する。

高台から市街や太平洋を眼下におさめて左へとカーブ。
そこから右にカーブ描いてトンネルへと入り林へと出て
再度高台からトンネルを潜り住宅地へと差し掛かる。
島根遠征編2020
エネオスやセブンイレブンが見えてきて真鶴駅を駆け抜け
国道135号と並走し、これと分かれて真鶴トンネルへ。
次第に太平洋から空が明るくなってくる。

林から江ノ浦トンネルに向かい、もう一つトンネルを潜ると根府川駅で
こちらには185系が留置中だった。
国道135号を眼下にトンネルが相次ぎ、石橋山を通っていくと
太平洋側に西湘バイパスが延び、この間に住宅地が形成されて早川駅を通過。
その名前のもとになっている早川を渡る。

国道1号を潜った後、今度は国道138号を跨いで
星槎城山トンネルから小田原城址を抜けて
東横インや立体駐車場、ラスカの前に出て6:05、小田原駅を駆け抜ける。
宇都宮駅行き普通列車が待っていた。
島根遠征編2020
東海道新幹線と分かれて酒匂川を渡って鴨宮駅へと向かっていく。
ステーションホテルにセブンイレブン、クボタシーアイの工場をあとにして
県道72号を跨いで御殿場線と合流して
国府津駅で先行していた籠原駅行き普通列車を追い抜く。
マンションと前羽小を過ぎて掘割から一時高台に顔を出して
フジタデンキのそばから二宮駅へ。
ここでも小金井駅行き普通列車を追い越し、
しっかりと特急列車をしている。

すっかり辺りが明るくなって住宅地から林を抜け
ビニールハウスや畑が見受けられたのも束の間、すぐに住宅地に入り、
左へとカーブして大磯小の脇から大磯駅を駆け抜ける。
草むらから花水川を渡ると貨物ターミナルが広がり、
空き地に続いてニラクを通ってグランドホテルを控えた平塚駅へ。

時間の経過とともに都心部へと近付いていることもあり
ホームで列車を待つ人の姿が次第に多く見受けられ、
そこを横目に通過していくこの列車は別世界のよう。
少しずつそちらへのカウントダウンを重ねているわけで。
島根遠征編2020
OSC湘南シティとセントラル石油ガス、ユニディの先で相模川を渡る。
そこから新湘南バイパスを潜って西蓮寺の脇から茅ケ崎小の前へ。
マンションが相次いでそびえ立ち、茅ヶ崎駅を通過する。
AGCプライブリコとTOTOの工場を通り、
湘南コランエナジーやさくら広場から
辻堂駅を通りぬけるところで車内放送が入る。

ソニーテクノロジーセンターに湘南モールをあとに、
ヤクルトと日本精工の工場を過ぎたところで小田急江ノ島線が
頭上から右へと延びていき、マンションが立ち並んで来て藤沢駅通過。
OKストアや藤沢市役所あとにしてアズビルテクノセンターを通り
左へとカーブ描いて畑から日電工業に続いて
大船車両センターがあらわれる。
菱電湘南エレクトロニクスの工場と鎌倉武道館を挟んで
デンカの工場の前から市街へと出て
ホテルメッツとルミネがそびえる大船駅へ。

ガーデンアソシエと笠間住宅からタツノの工場に向かい、右へとカーブ。
掘割を進んで飯島中の足もとから恒陽戸塚マンションを経て
豊田小のもとへと出るとブロードスクエアを過ぎて
BASFジャパンの工場に空き地を挟んで横浜自動車学校、
戸塚スポーツセンターを通りモディがそびえる戸塚駅を駆け抜ける。
右にカーブしていきブリジストンの工場とユテクジャパン、ポーラ化成工業、
ヤマザキパン、コイト電工と工場が線路沿いに相次ぎ、
ライオンズステージやグラフテックから西武百貨店とオーロラモールをそばに
東戸塚駅を通過する。

掘割から清水谷戸トンネルを潜って右へとカーブ。
狩場線の下から丘陵へと至るところまでマンションがそびえ立つ中、
国道1号と並走して左にカーブして保土ヶ谷駅を過ぎ、
相鉄線が左から延びてきて西横浜駅を横目に平沼小へと向かい、
JR東日本横浜支社の脇からそごうがあらわれ
6:43、横浜駅に滑り込む。
島根遠征編2020
横浜駅に停車したところで、
残す停車駅は東京駅を残すのみとなった。
島根遠征編2020
下り列車が行き交う5・6番線だけが人影少なく際立つものの
京浜東北線や京浜急行にホームはラッシュ時間帯に差し掛かるところで
多くの人たちが列車の到着を待っているところだった。
少しばかり京浜急行のホームに滑り込んできた
東京都交通局の5300系とデッドヒートを繰り広げるように
列車は横浜駅を走り出していく。

京急EXインに臨海セミナー、サピックスをあとに
神奈川駅の先で競争相手と分かれ、
慶雲寺を過ぎて東神奈川駅に出て行く。
神奈川県病院から右へとカーブして再度京浜急行と並走。
東横インがあらわれ、新子安駅を通過して首都高横浜北線の下を潜る。
やがて左にカーブして鶴見大のそばから
サルビアホールとシァルの前に出て鶴見駅へ。
島根遠征編2020
鶴見川を渡っていくところ。
ナイスクオリティスに飛鳥ドライビングスクールを過ぎて
ブリリアタワーやドコモタワー、サンスクエアに
ヨドバシカメラがそびえ川崎駅を通過する。
島根遠征編2020
ラゾーナやタワーリパークをあとにして
すぐに多摩川を渡ると東京都へと突入していく。
時おり生じる京浜急行とのデッドヒートもこの区間の醍醐味。
住宅地を進んで蒲田高を過ぎて
マルエツと大田区役所のそばへと向かい蒲田駅を通過。
メリーチョコレートの工場や蒲田リハビリテーション病院のあたりで
途切れることなく見受けられたマンションが一旦低層になり、
ビルが増えてくると大森駅に出て、
アトレと東急レイホテル、ララをあとにする。
東京品川病院を通り、ヤマダ電機や西友がそびえ大井町駅を駆け抜け
浅間台小のそばから、品川学園のもとへ。
権現山を近くに東海道新幹線の下を潜って
キャノンや三菱重工、品川グランドコモンズ、イーストワンタワーと
超高層ビルが周囲を取り囲んで来る。
島根遠征編2020
7:00、品川駅通過。乗り換え案内が入る。
上野東京ラインのホームには特急「ときわ51号」が出発を待っていた。
NTT品川ツインズビルの足もとから留置線の脇を通り
右へとカーブしてグランパークタワーや東京工大付属科学技術高のもとへ。
田町駅を駆け抜けて港区スポーツセンターを前に東京モノレールが近づいてくる。
みなとパーク芝浦やチサンホテルと東芝の先で首都高中央環状線を潜り
浜松町駅を過ぎたところで、今度はゆりかもめが接近。
東京ツインパークスとメディアタワーを通り、新橋駅へ。
首都高と一時並走し、これと分かれて
ルミネや丸井がそびえる有楽町駅に出ると東京国際フォーラムの脇から
緩やかにカーブを描いてグラントウキョウサウスタワーや東京ビルがそびえ
あっという間に7:08、終点・東京駅に到着。
島根遠征編2020
5年前よりも所要時間は4分ほど増えているものの
終わってみれば、それよりも遙かに旅路は短く感じるもので
とりわけ備中高梁駅以降は複線区間や複々線区間を
いかんなく特急列車のスピードを発揮していることもあって
外観さながらスマートさを強調させていることも
支持される背景の一つにあるのだと思う。

大阪駅までの主要停車駅からはいずれも高速バスが設定されていて
手ごわい競争相手が存在している中で
唯一の定期夜行列車として健在で、リニューアルが図られてはいても
増備や世代交代は現実的ではないので
漠然としたものながらどこまで、という不安は消えない。
島根遠征編2020
出発時は7両編成で走り出してはいても
岡山駅からは「サンライズ瀬戸」と併結して14両編成で走っているので
東京駅に至った時には往時の夜行列車と遜色ない長大編成に。
こちら「サンライズ瀬戸」側。

同一車両だけど、東京駅の長大編成に対応する上屋部分と
ほぼ重なるほどのめいっぱいの編成になって到着した、ということで。

九州・山陽新幹線の新大阪駅行き最終列車である「みずほ614号」と
姫路駅で接続を図っているように、新幹線の接続を受けることができるほか、
実際に走行している区間へと旅客が引き継げるように
列車網が組まれているので2編成を組ませて14両とするだけのキャパシティを
今や1本だけの存在となったこともあるとはいえ
持ち得ている存在であることは特筆すべき点。

中小都市における有効時間の拡張提供を図ることができるのは大きい。
その積み重ねがこの編成を必要としている。まぁ1本だけだけど。
島根遠征編2020
東京駅からの在来線網は言うに及ばず、
「サンライズ出雲」の東京駅の到着時刻は7時台で
自分の感覚にはない話だけれども、
東北新幹線や北陸新幹線を駆使すると
中国・四国地方や近畿地方からも
航空機よりも早い時間帯に現地入りができるという利点もある。

コンスタントに出発着する列車を示す時刻表。
7:23に上野東京ラインの特急「ときわ51号」が7番線にやってきたのとともに
「サンライズ出雲」は回送列車として東京駅を走り出し、
これを見送っていく。
島根遠征編2020
駅の階段やエスカレーターのこのポジションは
駅や街の顔といっても過言ではないところというのは
東京駅も例外ではなく、7・8番線ホームへの階段の一つに構えていたのは
東京オリンピック2020のオフィシャルスポンサーパナソニックだった。
こういう高揚感も揺らぐものへとつながっていくことになるとは
この段階では思いも寄らないことだった。
世界規模での不安に広がっていくのだから。

※緊急事態宣言が出ている2020年ゴールデンウィークの
JR優等列車の指定席は軒並み前年比が10%台、
もしくはそれ以下という水準に陥っている中で
「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」は
それでも他よりも10%強高い水準の需要があるという。

観光という要素がほとんど排除せざるを得ない状況、
不要不急ではない目的と思われる移動手段としても
相応に重宝されていることが伺える。
posted by 小林 慶太 at 23:03| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月30日

有限の時間 夜行列車の旅路は上りに尽きる

島根遠征編2020
2020年2月18日、出雲市駅2番線で
18:51発上り特急「サンライズ出雲」の乗車を待っていた。
上り列車は実に5年ぶり、
備中高梁駅に停まるようになって初めての乗車となった。

その列車が入線したのは出発を前にした6分前のこと。

JR西日本の車掌さんが
東京駅まで一貫して乗務されることがなくなったので
この到着を大きな荷物を携えて待つ、という姿も
通常の列車乗務とさほど変わらない様子になっていた。

こういったものを意識するのは自分の場合は上り列車ならでは。
下り列車は満身創痍で列車に乗ることがほとんどなので
そういうところまで目が向く余力がない。

JR西日本管内においても3区間で車掌さんが交代、
加えて乗客の少ない区間は一人乗務もあるなど、
列車は健在でありながらもそれをとりまく様相は
デビューから20年を経過していると変わっており
会社線を跨ぐだけでなく、長距離の列車を維持するのは
非常にコストを伴うものになっていたことを伺わせる。
島根遠征編2020
2番線に入線してきた285系特急「サンライズ出雲」7両編成を撮影。
この日の運用は基本番台、JR西日本車両だった。

リニューアルされていたのは知っていたし
既に2年前の下り列車で対面はしていたものの、
パンタグラフが増設されていたとか
そういうのは言われないと(言われても)気づかない点だったりする。
ようやくここでそれを目にして「なるほど」となった。

日本で唯一の定期夜行列車として認知度が高い一方、
喫煙室の設定があり、煙草を列車に乗りながら吸うことができる、という、
唯一の定期列車でもあったりする。

喫煙者に対するサービス認知や
それに対しての健康的な観点が
列車とタバコをとりまく様相を大きく変えていて
これもまた喫煙車両を持っている新幹線700系の定期運用離脱とともに
大きなエポックを迎えることになった。

ちなみに6分しか停車時間がないので
「儀式」はこれだけで終わり。
他人に頼んで撮影依頼してもらう余裕はなく
とっとと車内に行く事に。
島根遠征編2020
車内通路は狭い一方
それぞれの個室は従来の寝台列車に比べて
格段に優れた空間設計がなされていることの裏返しでもある。
やっぱり寝台列車は現役の列車以上に優るものはない。
20年以上も前に設計されたものが
今日も競合が多々ある中でも何とか支持をされて
稼働率を維持しつつ、健在であるというのは
それだけ先取りした存在であったということ。
島根遠征編2020
リニューアルされてから初めてシングルDXに乗った!4号車だ。
たっぷりの乗車時間と数少ない機会となると
自ずと選択肢で優先順位を最上位にまわしたくなるほどの快適さ。
5年ぶりとなるとさらに感極まる思い……。

お向かいの部屋の方は旧・大社駅でお会いした方だった。
そばのサンライズツインの女性お二人も
出雲大社でお見かけした方で世の中は非常に狭いものだと思った。

同じように相手方も思われているのでしょうが……。

室内は椅子が変わり、
他の個室と同じく室内の木板やカーペットが
張り替えられているので
経年ぶりを微塵も感じさせない清潔感が保たれており
こういうものが島根県へと観光をされる女性客の支持を受けている。

洗面台とテーブルを兼ね揃えていることと、
ゆったりとした空間が特徴。かつては液晶テレビもあった。
シャワー利用とアメニティもシングルDXの付加サービス。
島根遠征編2020
それぞれの部屋に掲出されている車内案内。

トイレと洗面所並びに車椅子対応設備に関しては
ピクトグラムでその位置を示しているほか、
シャワー利用の案内は英語も併記をしている。

予約段階で先んじて利用されている方は
それを意識して選ばれているので
こちらと対面して初めて、ということはないけれども
喫煙室となっている寝台の表記もこちらになされている。
6号車に多く、シングルDX、サンライズツインにも設定がある。
島根遠征編2020
車掌さんの負担を少しでも減らすようにしているのが
こういった販売機の設置と役割りの振り分け。
カードの販売はかつては車掌さんが受けていた。
消費税が10%になっているので
この2年の間に10円あがって330円となった。
もともと公衆電話が設置されていたスペースを利用している。

時代とともに電話に求められるニーズや
その環境が変わって来たことを示している一コマでもある。

ちなみにラウンジは終日、席が埋まっていたので
結果として個室に籠る格好となってしまった。
どれもこれもこの列車ならでは、というものが多すぎるので
みんなそういう機会を味わいたくなるのは
本来的な需要もさることながら必然といえば必然なのだけれども。
島根遠征編2020
車内販売もなく、停車する駅の停車時間も短く、
乗車前の買い物を勧められる時世となっていても
ラウンジのもとには自動販売機が健在だ。
当たり前に稼働しているものがどこまでも、とは
必ずしも限らないので
ある程度のものは意識することになるのだろうなぁ、と。
そういうものを思うように自分も歳をとったということで。

あっという間に18:51の出発時刻はまわり、
「えぇ!?もう!!」という感じで出雲市駅をすぐに出発。
部屋確認して荷物置いたら、という感じだ。

ローソンやすき家、JRバス中国をあとに出雲高のもとへ向かい、
出雲科学館とダイワボウプログレスの工場に
出雲一中を過ぎたところで検札があり
車掌さんからアメニティを頂く。

シャワーカードが同封されるようになったから
必ず封を切ることに。

斐伊川を渡って暗闇をひた走り、遠方の丘の上に村田製作所を控えて
ガーデンタウンとファミリーゴルフのそばから18:56直江駅へ。
ここでアクアライナーと行き違い。
第2体育館のそばを通って右へとカーブ。
斐川公園の足もとから住宅地に向かい左へとカーブ。
この界隈が我が家のパソコンの故郷。富士通の工場が立地している。
荘原小を過ぎて荘原駅を通過し、鈴木製作所と松園をあとにする。
島根遠征編2020
国道9号と並走していき
東洋アイテックや荻田団地にくにびきアスコンを過ぎ
宍道小を通りぬけて駐車場の脇から19:05、宍道駅に停車。

「トワイライトエクスプレス瑞風」の停車駅なので
その乗客を迎え入れるための空間づくりが図られている。

ここで特急「やくも19号」と入れ違いとなり、
内陸から宍道湖湖畔へと出て行き、
山陰ミートやこなんホスピタルを通り、平地部から来待川を渡り
来待駅へと出て行き、2つトンネルを潜って左にカーブ。
右手は山林から平地部が山陰道の方へと延びていき、
玉湯中が見えてきて、A-COOPのそばから玉湯温泉駅を通過。
JCHO玉造温泉病院をあとにして再度宍道湖湖畔に向かい、
国道9号とともに走っていき、湖南テクノパークの足もとから
パナソニックエレクトロデバイスソリューションの工場を通り
県道24号を潜ってパチンコジャンボマックスが見え
サーパス乃木駅前のもとから19:21、乃木駅に運転停車。
島根遠征編2020
出発時刻の繰り上げからなのか、この5年の間に
運転停車を行う場所が玉造温泉駅から乃木駅に変わった。
やってくるのは特急「スーパーまつかぜ9号」。
これを待っている一コマ。
地味だけど乃木駅は島根県で4番目に乗降客数の多い駅。
松江駅と出雲市駅に突出した構造にある中でのことだけど。

パチンコUFOをあとに高架へと上がっていき
卸売商業団地と松江警察署を右にカーブして国道9号と天神川を跨いで
グリーンリッチホテルや松江テルサ、ユニバーサルホテルなどが
相次いでそびえ立つ市街地に入り、19:24、松江駅に到着し、
ここで3分間の停車を挟む。
島根遠征編2020
高架駅のホームには列車待ちのベンチを除くと
ほとんどの施設が高架下、改札外にあるので、
この時間を挟んでも、その窓の外を眺めるばかり。
多くの人が列車到着を待っているというわけでもなかった。
帰宅途中の駅へとお邪魔して、という格好。
そんなところに雨が降り出してくる。

一畑百貨店をあとにイオンへと向かい、
そこから右へとカーブして国道9号と並走をしていく。

パチンコキンダイを過ぎてセビオやホンダ、ネッツトヨタ、
ドラッグコスモスが沿道に見受けられ、
津田ICを潜ってホンダカーズ、スバルと自動車販売店が相次ぐ一方
反対側からは大橋川が迫ってくる中で、左へとカーブを描く。
出光のガソリンスタンドの先で
国道と分かれて右にカーブを描いて
松江工業団地をそばに東松江駅を通過する。すぐに渡る川が意宇川。
雨は一時的なものだった。
島根遠征編2020
住宅地を進んで左へとカーブして
ガストや昭和シェルのガソリンスタンド、ホックを控えて
19:36、揖屋駅に至り、ここで信号待ち。

3分停車の後、19:39、揖屋駅を出発。
揖屋第一トンネルと第二トンネルを潜るところで
特急「やくも21号」とすれ違う。少しだけ複線区間。

国道9号の下を潜り抜けて左へとカーブした後、
今度は右へとカーブして三菱農機の工場のそばに向かい、
再び国道9号と並走し、中海のそばをすすみ、
やがて内陸に入っていき、荒島駅を通過する。
飯梨川を渡って日立金属の今津工場を過ぎて平地部を進み、
吉田川と伯太川を相次いで跨ぐとホックが見えてきて
やがて日立金属の安来製作所に面した安来駅へ。
島根遠征編2020
奥に控えているのが日立金属安来製作所。19:50着。
ここで普通列車と行き違いをして、
やすぎゴルフクラブに秦精工を通り右へとカーブし
島田トンネルに突入。
外へと出て日本海商事のもとに向かい、そこから左へとカーブ。
門生トンネルを潜って山林を控えた水田を進み、
貨物ターミナルの前に出る。
ダイハツや日本アクセス、トライアルの先で加茂川を渡り、
ホテルハーベストインのそばから19:57、米子駅に滑り込む。
島根遠征編2020
米子駅での一コマ。回送列車となっているキハ187系が停車中。
こちらの名物といえば米吾の吾左衛門寿司ながら
既に営業時間を終えたところ。
そんなところで2分の停車時間を挟む。
終日の乗降客数は松江駅の方が米子駅よりも多いけれども
この列車に限った印象としては
米子駅の方が乗車してくる人が多いような気がする。

河島農具製作所と西部総合事務所、美保テクノスをあとに
右にカーブして市街からどらドラパーク東山体育館があらわれ、
東山公園駅を通過。米子市営球場の先で日野川を渡る。
以後伯備線と旅路を共にする河川になる。

左へとカーブして住宅地を進んで伯耆大山駅へ。
ゆっくりと減速して伯備線に入り、再び加速。

シャワー室に行こうと思ったら先客がいらっしゃったので
これを後回しに部屋へと戻って
どこまでも買いだした食料を食べながら、窓の外を眺めていく。
ラウンジは全然居場所がない。ヒトが途切れてくれない。
タイミングが悪いのか人気ぶりがそうさせるのか……。
島根遠征編2020
平地部を進んで山陰道を潜って岸本駅へと出て行き、
国道181号と並走し、道沿いに民家が見受けられる中で
ローソンが見えてくると20:14、伯耆溝口駅に運転停車。
特急「やくも23号」が駆け抜けていく。
山間部に入っていくと積雪量が顕著。気候の変化も富んでいる。

20:17伯耆溝口駅を走り出して
伯耆町役場溝口庁舎のそばから右にカーブして
国道181号や日野川と並走。人家はまばらに。
上溝口信号所の先で伯備線に入って日野川と最初のコンタクト。
鈩トンネルを潜り、蛇行してくる日野川とまた再会してこれを跨ぐ。
佐川トンネルの先で江府ICを潜り、道の駅奥大山のそばを通って
小江尾トンネルを潜り、ローソンがまたあらわれ江尾駅へ。
日野川対岸に江府総合体育館と江府中。
江尾トンネル、大平山トンネルと潜ってニューレミコンのもとに出て
そこから左へとカーブした後、今度は日野川の流れに沿って右へ。

武庫駅へと出て行き、大きく右にカーブし、江府消防署を過ぎたところで
再度左へとカーブ描いて日野川と国道181号とともに進み、
JA-SSとローソンポプラが見えてきて程なく20:33.根雨駅に運転停車。
島根遠征編2020
根雨駅では貨物列車と行き違いをする。
山陰地方への大量輸送を担う貴重なバイプレーヤー。

こちらは日野町文化センターと日野高をあとに日野川を渡り
蛇行を重ねて南下していき、この間にシャワーを浴びに出かける。
カーブが多い区間と鉢合わせになる格好になりながらも
やはり列車でシャワーが、というのはこの上ない至福の時間。

入れ替わりだったので
なおさらに高圧空気での洗浄後というのを実感する。
これが20年前の段階で導入されていて、
現在も快適なモノとして享受できるというのだから。

お湯はペース配分をうまくすると十二分に暖をとれるし
スッキリすることができる。
定期列車でこれができるのもこの列車だけ。

部屋に戻ると20:47、生山駅を通過するところで
日野川を渡って日南病院のそばから田の原トンネルに向かい
石霞渓を県道8号とともに進んでいく。
ここから支流である石見川に沿っての旅路。

松本トンネルを潜って左にカーブし、
そして今度は右へとカーブを描き、下石見信号所に出た後も
県道8号と幾重にもカーブを重ねて20:51、上石見駅を通過。
そこから右へとカーブして谷田峠トンネルに向かい県境を越える。

岡山県に入り、山林を進んで県道11号を潜り、
平地部に雪を被っていても水田が形成され
21:02には新郷駅で貨物列車との行き違いをする。
伯備線の貨物列車は4本の設定があるというので
その2本が夜間、上り「サンライズ出雲」とすれ違うダイヤで組まれている。

二本巻トンネルと久坂トンネルを潜り、
ここから何度も、新見駅に至るまでの間に
実に20回近くにわたって西川を右に左に移していくことに。

県道8号とともに南下していき、
足立石灰工業の脇へと出ると非常に淡々と足立駅を通過。
さらに山間部を走り続けて
大きく左にカーブして県道8号を頭上から右へと移し、
そこから右へとカーブして中国道を潜り抜ける。
さらに左にカーブ描いて芸備線と合流。
民家が集まってきて備中神代駅を駆け抜ける。

阿哲峡へと向かい、黒滝トンネルと鳥越トンネルを潜り
蛇行する西川とともに右に左に入れ替わりながら
21:18、布原駅に到着。運転停車。
島根遠征編2020
ほんのりとした照明がシンプルなホームを照らす中で
対向列車を待つという独特の時間が
上り「サンライズ出雲」の醍醐味の一つとまで
通りぬけるばかりながら惚れ込んでしまう夜の布原駅ながら
先客として特急「やくも27号」がこちらの到着を待っていて
双方向に入れ違うこととなり、
一面しかないホームにはお目にかかることもなく
布原駅をあとにすることになった。

後続の下り特急「やくも」はあと1本。

苦ヶ坂トンネルを潜っていくと
民家が集まって来て山の麓を進んでいき、
備北粉化工業の裏手から21:24、新見駅に停車となる。
島根遠征編2020
新見駅、駅名表示板はコーポレートカラー。
ホームにおけるベンチは線路と並行となっている。
広い構内は要衝であったことの名残であり
今も複数の路線が分岐することで機能している。

新見駅を出ると窓の上を見上げながら
ウトウトとするのが恒例だったところに
この5年の間に備中高梁駅が停車駅で追加されたので
上り列車でもどれくらいのリアクションがあるのか、というのを
ひと目みるべく、起きていることに。

市街をあとにした列車は高梁川とともに進み、
対岸に新見市役所が位置するところから
ぐるっと左へとカーブしてまわり込んで高梁川を渡り、
サンコーポラスやサンストアの先で
すぐにまた高梁川を渡る。
そして国道180号と並走して新見南中の先で石蟹駅を通過。
新長屋トンネルと初水トンネルを潜り、高梁川を渡って塩尻トンネルへ。
山林からまた高梁川を渡り、井倉運輸のそばに出て、
左へとカーブして高梨川を跨ぎ、井倉駅を駆け抜ける。
日鉄鉱業あとに右にカーブして
横瀬山トンネルと2つの柏山トンネル潜り広石信号場に至る。

高梁川とともに方谷駅へと向かい、
2つの広瀬トンネルを通りぬけ、備中川面駅を過ぎ、
高梁北中のもとから右へとカーブ。
高梁川を渡って自動車学校を通り、左にカーブ描き、
国道180号とともに高梁川を南下していき
ポプラが見えてくると木野山駅を通過する。
蛇行しながら高梁日新高や頼久寺のそばから
高梁市役所と高梁国際ホテルのもとへ。
島根遠征編2020
21:53、備中高梁駅停車。
窓から見える範囲に列車を待っている人影はなかった。
とはいえ、このサンライズ出雲の停車で
伯備線の全列車がこちらの駅に停車するようになったのは紛れもないこと。
上り「やくも」30号よりもさらに場合によっては
滞在時間を確保する行程を組むことが可能になっている。

ここから複線区間に入るので
残された下り「やくも29号」とはいつすれ違ったのか記憶にない。
伯備線区間に入ってからは天気に恵まれていたので
個室の照明を落として空を見上げると
この上ない星空のもとで眠りにつくことができ、
変わらずに堪能することができた。

これが出来るのは夜間帯に伯備線を走る上り列車ならでは。
島根遠征編2020
一旦目が覚めた時には姫路駅にやってきていたところだった。
ホームの待合室には家路に向かわれる方の姿がみえたり
下り列車のえきそば店はまだ営業をされている時間で
こういう光景を知るというのも
それで人生が大きく変わるわけではないけれども
夜行列車の旅路として維持があるものだと思う。

物流に携わる方がトラックを走らせていたり
自分が普段夢の中に、という時間も仕事をされていたり、
当たり前のように思っていても
いざ断片的に目の当たりにすると、それはまた違うものがある。
そういうので自分自身言い聞かせていたり、
現状維持の言い訳にしていたりするわけだけれども。

つづく
posted by 小林 慶太 at 22:32| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月29日

スサノオラーメン

島根遠征編2020
2020年2月18日、松江駅3番線ホームから
6両編成の特急「やくも17号」自由席に乗車。
これで先行して4番線ホームにやってきていた普通列車よりも
20分ちょっと早く出雲市駅に着くことになる。

特急「やくも」は上下線15往復の設定。
上り方面はあと1本を残すのみながら
こちら側はまだ後続に6本の列車設定が控えているという
山陽新幹線との接続を考慮したダイヤと
それに伴うヒトの流れを根本にしている。

入線してきた際にはかなり余裕があるように見えた自由席の車内は
長蛇の列を呑み込んでそれなりに席が埋まり
すぐに松江駅を走り出していく。

松江テルサやグリーン立地ホテルを過ぎて左にカーブ描いて
白潟八幡宮のそばから天神川を渡り、島根県立美術館のもとに向かい
日本海テレビの先でさらに左へとカーブ。
地上へと下りてパチンコUFOや永江製粉のそばから乃木駅を通過。
ますやみその工場とサーパス乃木駅前をあとに
国道9号と並走してパナソニックデバイスソリューションの工場と
しんじ湖ボウルのそばから宍道湖湖畔を走っていく。
島根遠征編2020
天候に恵まれてはいない夕暮れ時、
宍道湖湖畔を進んでいく一コマ。
遙か遠方、対岸を一畑電車の線路が延びている。

右へとカーブ描いて内陸に入った後、
再び宍道湖のそばに出てセブンイレブンとスターバックスを前に
国道9号と分かれJCHO玉造病院のそばから住宅地に入り
17:52、玉造温泉駅に停車。
島根遠征編2020
駅を出て玉湯川を渡る。
ここからすぐにA-COOPを過ぎ、国道9号と宍道湖のそばへ。
左へとカーブ描いて水田からトンネルへと向かい、
立て続けに4つのトンネルをくぐり勝部石材そばに出て
さらに2つトンネルを潜り抜ける。
ローソンポプラの近くからまた一時ながら国道9号と並走。

遠藤石材を過ぎると程なく来待駅通過。
左には水田が広がりすぐに山林へと変わる。
日ノ出紙料に原商、こなんホスピタル、セントラル硝子を通り、
そこから右にカーブしてキグナスのもとへ。
今度は左へとカーブして山あいに入り、
暮らしステーションしんじアエルネのもとから
宍道駅に滑り込み、特急「スーパーまつかぜ12号」と行き違う。18:02。

振り込車両の機能活かしてそれなりの老体ながら
俊敏に走っていて松江駅から15分超。未だに松江市内。

住宅地と専称寺から右へとカーブして
ショッピングスクエアベル、コスモ石油のそばから
またもや国道9号と並走し水田からくにびきアスコンのもとを右へとカーブ。
出雲市へと入っていく。

県道57号を潜って切通を抜けて荘原駅を駆け抜ける。
荘原小をあとに新建川とともに水田を進んで
右へとカーブした後、築堤を経て
みどりヶ丘団地とガーデンタウンへと差し掛かり
洋服の青山が見えてきて直江駅通過。
水田から西野小を過ぎて右へとカーブして斐伊川の土手に上がり
これを渡って市街へと入り、
ダイワボウプログレスの工場と武志山荘のそばから高架へ。
島根遠征編2020
JRバス中国の営業所やローソン、すき家に続いて
ツインリーブスホテルがあらわれ、18:13、出雲市駅3番線に到着。

松江駅から同じ号車に乗車されたほとんどの方が
ここ出雲市駅までを利用されていた。
停車駅の補完はなされつつも、
距離や料金の兼ね合いもあれども特化傾向は変わらない。

後続列車もあれども、改札へと下りていく人ばかりで
取り残されたように回送していく381系を見送ることに。

この姿をどこまでも見受けられるとは限らなくなってきた。
世代交代を果たせるのは幸せなことだというのに。
島根遠征編2020
改札を出ると出雲國の麵屋には駅弁販売は終了との案内が出ていたので
前倒ししてこちらで晩ごはんを食べることにした。
注文したのは大々的に打ち出している「スサノオラーメン」。

ねぎは出雲市産にこだわっていて
剣をモチーフにしたかまぼこが入っている。原料はあご。
味噌ラーメンの味噌ももちろん地元原料。

この時間帯で、椅子のそばにそれなりの荷物抱えて
出雲そばか、このラーメンを食べている人は
男女問わずにほぼ何を目的にするのか一目瞭然だ。

お店を受け持つところが代わっても
そういった特定の列車を前にした光景は変わらない。
そうであると思いたい。
島根遠征編2020
日本で唯一の定期夜行列車となってしまっている
「サンライズ出雲」の乗車時刻に照準を合わせている。

ラーメンを食べている間に
新幹線へと接続する特急「やくも30号」が18:27に走り出し、
列車案内表示機には
「特急 サンライズ出雲 18:51 東京 2番線」が
上位に掲出されるようになる。
ここまでが大阪駅までほぼその日のうち(翌朝0:34着)に
鉄道網でアクセスすることができる。

上り特急「サンライズ出雲」は5年の間に
出発時刻が4分ほど繰り上がった。

一方で航空機は18:00頃であれば
ロータリーからの空港連絡バスに乗車すれば
その日のうちに羽田空港に到達が可能。
それも出雲市駅に限った話で
途中の停車駅はそれに当てはまるものではない。
島根遠征編2020
夜行列車で何か食べながら夜を過ごすのが
旅の楽しみの一つというヒトなので
ラーメンだけでは飽き足らず、セブンイレブンハートインで
さらに食料を手配して1・2番線ホームに向かう。

ここでちょうど18:38、松江駅で特急「やくも17号」が追い抜いた
キハ47、2両編成の出雲市駅行き普通列車が到着。
それまでの時間を特急料金で
車内サービスとともに速達性を求めたことになる。

18:44には浜田駅からのキハ120が1番線ホームにやってきて
折り返し仁万駅行きとなり、出発を待っている中で
これを追うように18:45、後藤総合車両所出雲支所から
ようやく285系7両編成「サンライズ出雲」が入線。

実に出発を前にした6分前のことで
東京駅よりも遙かに短い停車時間で出発時刻を迎えることになった。

つづく
posted by 小林 慶太 at 22:23| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

歩きたくなる橋 限りなく可能性を持たせた広場

やってることは大体5年前と同じ。
島根遠征編2020
2020年2月18日、島根県松江市、
松江城のお膝元、カラコロ工房やごうぎんカラコロ美術館といった
かつての洋風建築の金融機関が立地する殿町地区から京橋を渡って
京店地区を通り抜け松江駅へと歩いて行った。

京店はその名前が示すように享保の時代に
京都の三条通りを真似て庇の長い景観をつくりあげたことに起因している。
山陰の小京都といわれる所以の一つ。

京橋自体は中央線と停止線が見受けられるように
自動車進入を前提としているところながら石畳を採用。
生活需要においても、観光においても歩行者を中心に
インフラ面が時代に適応しながら組み立てられている。
ハートの石畳なども歩いてもらうための仕掛け。
島根遠征編2020
京橋川沿いに設けられた広場がカラコロ広場。
堀川遊覧船乗り場にもなっている。
奥の壁面には小泉八雲の後姿のレリーフが。
ここも大黒様のお腹をなでると幸せになれるといわれたりするように
立ち寄りたくなる動機づけを盛り込んでいるし、
イベント開催スペースに用いられるのはもちろんのこと、
市街の求心力や発信力を発揮させる場所になっている。

小泉八雲が松江大橋を歩く「カラコロ」という音に惹かれたという
エピソードに因んで❝カラコロ❞の名称が冠されている施設が多々あるけれども
それ以上に当時から街を歩く風情というものを非常に大切にしている。
もちろんそういうものの有無が商店街の生命線につながってくる。
島根遠征編2020
時計台がランドマークになっている松江シティホテルを過ぎたところで
大橋川に架かる松江大橋と対面して、これを渡っていく。

「カラコロ」という音が橋を渡って鳴るような時代ではないとはいえ
松江市の大橋川に架かる5つの橋、
松江新大橋、宍道湖大橋、くにびき大橋、縁むすび大橋といった
ほかの橋に比べて歩行者と自転車の通行量が多いことに特徴がある。
路線バスが主に通っていくのも松江大橋が多い。

橋の長さが短く、高低差も少ない上に景観もあいまってのことらしい。
選択肢がそれしかなかった時代はとにかくとして
今日にもそういう傾向がみられるのは
要は「歩いて渡りたくなる」橋だということのようだ。

環状道路を構成している宍道湖大橋とくにびき大橋は自動車が集中している。
島根遠征編2020
大橋南詰までやってきて振り返って松江大橋を見たところ。
左奥に松江シティホテルの時計台が控えていて
道路挟んで大橋館がそびえ立っている。
松江大橋は昭和初期の架橋。80年を越えている。
現在の松江大橋よりも松江新大橋の方が少しだけ古い。
松江新大橋は架け替えへと話が進んでいる。
島根遠征編2020
松江市民活動センターが入っているスティックビルを通り
寺町交差点へと出て、駅通りを進んでいる一コマ。
寺町プラザのもとでパチリと。
文字通り寺院が多い地域。

こちらの一コマは道路構造と電柱の有無を強調しているものに他ならない。
奥の方に見える朝日町の交差点で交差する新大橋通りは
電柱がある道路なので電線が車道上部を横切っている。

強い要望とか熱意を叫んで
高架工事とアクセス道路を要望されていた方は
10年超の歳月を経ると無意識のうちに
他人の街でも道路構造を読み解かれるのではないかと。

断じて住んでいる自分の街で
駅前広場を持っている隣の駅がそばにあることに気付く程度で
強い要望とか熱意を叫ばれたりすることはないはず。
島根遠征編2020
松江テルサにやってきた。7階建て。
ロータリーを前にからくり時計が設置されている。

SKプラザがユウベルサロンに変わったのに対して
松江テルサは引き続き松江テルサなので
こちらは❝さんびる❞が変わらずに指定管理者を務めている。
島根遠征編2020
館内の吹き抜け天井にも特徴的な時計がある。
例の如くこれを見上げて撮影したところ。
非常にルーティンワークといった感じだ。
それをこなすのに5年のブランクを挟むことになってしまったけど。

この時計を見上げている一階の隅には
松江テルサ×タニタカフェが営業を行うようになっていた、というように
少しばかり変わっているところもあれば、変わらないところも。
島根遠征編2020
松江駅駅舎並びに北口ロータリーを撮影。
高架駅舎の松江駅はシャミネ松江が入っていて
改札のあるコンコースを挟んで
食の専門館とファッション・くらしのサポート館から成っている。
3番乗り場に松江しんじ湖温泉駅行きの一畑バスが停車中。
島根遠征編2020
松江駅の北口ロータリーは10のバス乗り場と
国際観光案内所を挟んだ一畑百貨店に面したタクシー乗り場から成る。
乗り場案内には市内の路線図と主要施設の行き方が掲出されている。
主に乗り入れるバスは一畑バスと松江市交通局、日の丸バスで
誤乗防止のためにそれぞれの車両も紹介している。

レイクラインバスが7番で、観光バスは8番、高速バスが9番。
順番になぞるほど、駅舎出入口から遠いところに乗り場がある。
10番は降車専用で、駅舎に一番近いところ。
島根遠征編2020
駅舎北口真っ正面に構えている松江国際観光案内所。
案内所内に「むすぶらり」の幟が立てかけてあるのが見える。
コースは絞り込まれ、松江市内における毎日開催となるコースはなくなり、
特定日開催のものだけとなった。
揖屋神社など新規コースもお目見え。

駅前広場とロータリー、構造という点では
駅通りから松江テルサと一畑百貨店に挟まれた空間に
島状にバス乗り場を設けていることと、
案内表記を見ていくところだけながら
改めて特筆すべきところは松江市が路上ライブに非常にやさしい点。

全然5年前は興味がなかった。
その間に地元でそういう方々と出会ったりしたこともあって
意識が向くようになったのかもしれない。

そういうものを標榜しているのも背景にある上に
周囲の立地条件も少なからず関係しているのだろうけれども、
許容範囲とできない場所のゾーンニングを図っていて
後者もまた行政や警察と協議すれば、という条件や
具体的な交渉の段取りまで案内してあって
可能性の余地を極限まで残している点。

才能や姿勢を単純に禁止することはしないで埋没させない。
夜の松江駅にやってくる、
しかも路上ライブをされている方がいらっしゃるところで、となると
限られた機会の中でさらに条件が絞り込まれるので
どれくらいの反響があるのかは知る由もないとはいえ、
ここまで余地を残しているのか、というのは驚いた。
島根遠征編2020
5年ぶりに(改札外の)松江駅にやってきたところで
シャミネ松江の顔ぶれが大きく様変わりしていて
非常に戸惑うものとなった。

コンコースは縁結び通りと称して
セブンイレブンやおみやげ楽市が店舗を構えている。

島根県で唯一の駅弁販売事業者となった一文字家の売り場も
おみやげ楽市のとなりに引っ越して
大幅に売り場面積が広くなり、取り扱い駅弁がズラリと。
出雲市駅よりも当然取り扱い品目は豊富。

一方、吾左衛門寿司の米吾は
シャミネ松江から店舗営業をやめるようになったので
これが入手できないことに。嗚呼、選択肢が……。

代わってゴディバがそちらにお目見え。
スターバックスコーヒーとともにナショナルブランドが
島根県に出店をするようになった方が
日常生活空間の中では支持されるという判断なのだろうか……。
島根遠征編2020
買い出しを済ませた後、
出雲市駅までの乗車券と自由席特急券を購入して
改札を潜って高架ホームへと向かう。
階段には「松江に来てくださってだんだん」とあった。
島根遠征編2020
17:42、4番線ホームにキハ47、2両編成、出雲市駅行き登場。
後続の特急列車通過待ちとなる。
島根遠征編2020
2番線に7両編成の特急「やくも28号」がやってきて
これを見送っている間に
自由席町の列がどんどんと長くなる中、
続いてその追い抜く特急列車が3番線ホームにやってくる。
17:49、特急「やくも17号」入線。
せわしなく乗車して列車は松江駅をすぐに走り出していく。

「やくも」は「踊り子」と並んで
現役で数少ない国鉄型特急車両が運用される列車。
後継機の投入がアナウンスされているので
「ゆったりやくも」とリニューアルされたこの姿も
どこまでも続くものと思えなくなった。
世代交代を果たせることは幸せなことだというのに。


高速道路網に押されて4両編成を基本として
増結を適宜行うといった運用がなされている。1日15往復。
高速バスにはない細やかな都市間輸送と定時性をもってしても
その絶対数などからも苦闘中。

これで20分ちょっと
追い抜いた普通列車よりも早く出雲市駅に着くことができる。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:41| 千葉 | Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月25日

保全と活用

島根遠征編2020
2020年2月18日、5年ぶりに松江城址にある興雲閣と対面を果たした。
前回対面した際は保存修理の真っただ中で
その後を見ることなく❝音信不通❞状態に自分が陥ってしまったので
ようやくその修理後の姿にありつけることになった。

興雲閣は松江郷土館として用いられていた建物で
松江歴史館の開館とともにその機能をそちらへと移した後、
保存修理を経て、再び公開がなされるようになった。
リニューアルされた建物は鮮やかな白だったものが
淡い緑色の外観へと変わっている。
これが本来のものだったらしい。
半解体とともに史料や古写真の調査を行ったという。

もともとは明治天皇の行在所としてつくられた工芸品の陳列所。
擬洋風建築の最晩年の建物としての評価がある。
島根遠征編2020
博物館としての機能は松江歴史館に役割を渡した格好となりながらも
その建物の価値を広く知って親しんでもらうために一般公開がなされており、
改修を境に亀田山喫茶室が一階に入居するようになり
より気軽に立ち寄りやすい施設となっている。

松江市の文化施設はいずれもカフェを併設しているものが多く
これもまた例外ではないものとなった。
観光的な色彩を帯びている以上に土地柄と捉えるべきなのかも。

二階の大広間は有料で貸し切りができる。
2011年以降にこの改修が行われているので
同時に耐震化が図られたり、
一般公開と区割りして建物とデザインを統一したエレベーターが
さりげなく取り付けられバリアフリーにも対応がなされている。

大正天皇は明治末期の山陰地方の行啓の際に
大広間に隣接する貴顕室で宿泊滞在をしたのだという。

興雲閣自体のあらましについての展示は
1階の展示室を用意して紹介している。
可視的な体験とパネルによる史料展示の2段攻勢。
島根遠征編2020
興雲閣から松江城天守閣を撮影したところ。
言わずと知れた別名は千鳥城。
堀尾吉晴の築城で松平直政以降、松平家の居城となり幕末まで至る。
山陰地方唯一の現存天守はこの5年の間に国宝となった。
日本の国宝となっている天守閣は5城となり、その一つに連ねることに。

そういうわけで興雲閣は松江城天守閣の足もと、
二の丸付近に位置している。
松江城がそびえる山は亀田山といい、
興雲閣の喫茶室、亀田山喫茶室はそれに因んでいる(はず)。

天守閣以外は廃城令で陸軍の所管となり、
払い下げがなされたところを元藩士や豪農が天守閣を買い戻し、
松平氏が松江市に寄付することで
今日の城址公園に至っている。
島根遠征編2020
興雲閣に近接して鎮座しているのが松江神社。
明治10年の創建で松平直政、徳川家康、松平治郷、堀尾義晴といった
松江潘に所縁のある人々を祀っている。

本殿は創建年代よりもさらに遡る寛永期のもので
朝酌村東照宮だったものになる。
島根遠征編2020
千鳥橋から島根県庁のもとへ。
竹島の日式典を近日に控えていたこともあり
県庁の駐車場にはその開催に伴い、
交通規制を周辺に行い、
駐車場もそれとともに一時的に利用できない旨が掲示されていた。

竹島の日は島根県が独自で制定している日。
それに対して北方領土の日は国が決めている。
島根県に竹島は所属しているので
領有権問題について関心を呼び起こす取り組みがなされていることを
その日を間近にしたところにやって来て目の当たりにするまで
恥ずかしい話ながら意識するものがなかった。

出雲市の駅にもポスターが出ていたりするのを見て、というのも
さらに追い打ちをかける。
2000年代に入って制定された日であることや
生活圏と離れているというのも言い訳に過ぎないものだと。
島根遠征編2020
県民会館の前を通って
サンラポ―むらくもとみしまやヴェルデの前に向かい
そちらから京橋へと歩いていく。
左に見えてくる洋風建築の建物、ごうぎんカラコロ美術館。

旧・山陰合同銀行北支店だった建物。
現在の北支店は松江しんじ湖温泉駅そば。
大正末期の鉄筋コンクリート2階建て。
山陰合同銀行が美術館として一般公開している。

あいにくの休館日ながら
建物の保存と活用がなされているのを辿っていくことが
あくまでの旅路の主眼なので
そういうものが続いていることを確認することに意味がある。

通りすがりの人間はそういう気軽な立場ながら
地方銀行をとりまく状況は決して展望が明るいとは言い難いので
そういったところで歴史や文化的に価値があるといっても
その維持や利用を図る努力というのは並々ならないものなのだと思う。
島根遠征編2020
京橋にはもう一つ銀行だった建物を利用した施設がある。
カラコロ工房、旧・日本銀行松江支店。
建物としては大正期の建築で
ごうぎんカラコロ美術館よりもこちらの方が少し遡る。
しばらく来ない間に登録有形文化財になった。
建物としての価値がより認められることになったとはいえ
本質的なものはやはり揺るがない。
鉄筋コンクリートの3階建て。
島根遠征編2020
レストランや工房が入居している館内、
銀行時代のシャンデリアやカウンターはそのまま。
地下には金庫室があって、ギャラリーに用いられている。
島根遠征編2020
縁結びや恋愛を集客ツールとして有効活用している側面もある施設の一つ。
そういうものがあると比較的女性が足を運びやすくなる。

テラスのもとには幸運のピンクのポストと願いの泉があり
ポストと一緒に写真を撮ると
幸せになれる(かも)、と言われていたり、
このポストから手紙を送ると
受け取った人にも幸運が訪れるといわれたりしている。

願いの泉は5つの願い事を託した石を叶うまで持って
それを叶えた時にこの場所へと持ってくるというもの。

ハート形の絵馬もポストの背後に絵馬掛けがあるので
その反響ぶりがうかがえる。

一般的に女性へのマーケティングは火が点きやすい一方、
冷めるのも早いといわれる中で
ストーリー仕立てもあいまって鎮火することなく
人びとを惹きつけるものとなっているようだ。

生きるための本能的な部分で
女性は見極める感覚に優れている。
男性はそういう感覚に劣っていて没頭しやすいらしい。

ポストはピンクに仕立てているから幸運なのではなく、
前歴として興雲閣の前にあったポスト、
つまり「こううん」のポストだった。

観光は天候にも左右されやすいところで
「縁雫」と銘打ってプロモーションを仕掛けているし
実際に雨には雨の風情があるのだけれども、
なかなか屋内施設であっても難しい。
島根遠征編2020
京橋を渡っていくところ。
前方に見えるのは有名な和菓子店。
奥には松江シティホテルの時計塔が控えていて
そちらへと向かっていく。
文字通り京風文化が取り込まれた歴史的な経緯によってつくられた地区。
今日にもその影響は色濃く散りばめられている。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:58| 千葉 ☀| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする