2020年03月18日

開拓

札沼線遠征編2020
2020年1月29日、一日に1本しかない新十津川駅行き普通列車に乗車。
石狩月形駅にて22分の停車時間を挟んで
対向列車の待ち合わせが行われた。
札沼線遠征編2020
石狩当別駅駅舎内の様子。
石狩当別駅〜新十津川駅間における唯一の有人駅。
窓口の上部に掲げている運賃表は駅名と運賃のみを示したもの。
出入口を間近にしたところにはリーフレットなどとともに本棚がある。
月形町の札沼線記念入場券の取り扱い駅は当然こちら。
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グ〜っと電化区間に比べて格段に本数が少ない時刻表。
石狩当別駅〜石狩月形駅間の区間運行の設定もあるとはいえ
ここから先、浦臼駅並びに新十津川駅方面へ向かう列車は1日6本。
うち新十津川駅行きは乗車してきている1本だけ。
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公衆電話を出入口前に従えた
石狩月形駅駅舎外観を転回スペース側から撮影したところ。
月形町は石狩川対岸の岩見沢市と結びつきが強く
北海道中央バス路線バスの岩見沢ターミナル行きの設定もある。
自動車の浸透が対岸の自治体との往還をスムーズにさせていることもあって
札沼線への依存度は極めて低いものになっている。
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構内踏切から石狩月形駅ホームを見た一コマ。
1面2線の駅構造で側線を持ち、そちらにはラッセル車が留置されていた。
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ホームの乗り場案内。

鉄道廃止後は各方面へと結ぶ移動手段はバスへと転換され
これも石狩月形駅が系統を分かつことに。

路線バスの初期費用や20年分の運行経費のバックアップや
駅周辺の街づくりに関する整備、鉄道用地の無償譲渡などを
JR北海道が廃止を受け入れてもらうために
各沿線自治体に負担していく。
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8:35、構内踏切の音とともに浦臼駅からのキハ40-401がやってきた。
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札沼線の非電化区間を担っている2両のみのキハ40-400番台の両者が
ここで顔を合わせることに。

そちらからの列車で月形高に通われる高校生の方が4人ほど下車をされ、
この行き違いで折り返していく方が新十津川駅行きに乗車され
車内は25人ほどとなった。
いずれも廃線を間近にしたという条件の上での非定期需要。

8:40、新十津川駅行きのドアが閉まって
こちらの列車が先行して石狩月形駅を出発となる。
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住宅地から雪原へと出て行き、国道275号沿いに民家が見受けられたのが
すぐに途切れて林へと入り、石橋鈑金工業の先で右へとカーブ。
北陽団地が見えてきて、続いて塀に囲まれた建物があらわれる。
月形刑務所。

これをあとに林から右にカーブ描いて木立の合間を縫っていく。
国道との距離もあるだけに民家はない列車だけの道のりを黙々と。

ゆっくりと走っていた列車がさらに減速すると豊ヶ岡駅に着く。
木造の待合小屋のみで道は雪で埋もれていた。
除雪をしていく負担が半端ないことを伺わせる。
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引き続き林を進んで右にカーブしていくと
林から右手に視界がひらけ、すぐに一面の雪原へと出て行き、
そこから左にカーブ。
国道275号が延びてきて民家があつまり
農業倉庫も見えてくると列車は札比内駅へ。
かつては小学校を有する集落の中にあった。

左手に札比内神社をあとにして国道275号と並走していくと
山林が左から迫ってきてソーラーパネルのそばから右へとカーブ。
ビニールハウスも見受けられる中、
左からも道路が延びてきて晩生内ワークセンターを過ぎて
北日本建業とソーラーパネルに挟まれ晩生内駅に至ると
ここでお一人が乗車された。
浦臼町に入っているので晩生内駐在所は砂川警察署の管轄になる。
その駐在所とコミュニティ消防センターのもとから
左に山林を控えて引き続き国道275号とともに進んでいき
佐藤農園を過ぎたところで山の斜面が迫ってくるものの、
一時的なもので、雪原へと変わり、その山林との距離が生じて
浦臼町除雪センターのそばから札的駅へ。
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駅を間近にしたところから左に林が延びていて
これが途切れて雪原を進んでいくことになり、
民家は国道275号を中心に形成され、
グラウンドとともに浦臼小学校があらわれ
浦臼内川を渡って郷土資料館のそばから
ふれあいステーションのもとへ。
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9:07、浦臼駅着。ふれあいステーションが駅舎になっている。
このふれあいステーションが駅舎になっていて
そばにはスクールバスセンターがある。

石狩沼田駅まで線路が延びていた時代は
ここで運転系統が分かれていて
1964年段階は札幌駅方面に10本、石狩沼田駅方面に7本の列車設定があった。
いまや石狩沼田駅まで線路は既になく、新十津川駅まで。
しかも1往復のみ。
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その1往復しかない区間に突入。
住宅地から国道275号とともに雪原へと出て行き
黄白内橋を横目に森商店を過ぎ、
やがて旧・鶴沼小と集合住宅のもとから鶴沼駅へ。
国道275号と距離が生じてくる。
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さらに国道275号と離れて左にカーブし、
カントリーエレベーターやビニールハウスを通って雪原を進み、
数軒の民家が見受けられる中、於札内駅に立ち寄る。
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引き続き一面に広がる雪原を走って
南下徳富駅に向かっていく。

沿道には列車待ちの人がいたりするけれども
それも廃線を間近にしているところであるからで
踏切は一日に2回しか鳴らないところを進んでいる。

こういうものにメンテナンスが生じるし
道路も除雪が付きまとう以上は
すべからくこれを行うのは非常にムリがあるもので
優先順位が生じるわけで一部は通行止めになっているに等しい箇所も。
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民家は極めてまばらで撮影する人が自動車で先行していく中、
列車は農業倉庫のもとから駅舎を持っている下徳富駅へ。
ここで自動車で先行していた方がお一人乗車される。
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下徳富駅と新十津川駅の間には中徳富駅があったので
「しんとつかわ」の表記はそれに上貼りされたものになっている。
駅名表示板は一切「札沼線」の文字はなく、
全て「学園都市線」で統一されているのは
ここまで辿るとわかるかと思う。
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だいぶ離れて国道275号が延び、この間にもう一本延びている町道とともに
雪原をゆっくりと進んでいく。
民家は点在していて、旧・中徳富駅跡を通りぬけているのも
全然意識することもないままに
左から林が延びてきて民家が集まり、
林が途切れて一旦ビニールハウスもある雪原に顔を出した後、
線路沿いに再び民家が集まってくると
9:28、空知中央病院の足元にある終点・新十津川駅に到着。

乗車券は押印のために応援の方がいらっしゃっており
廃線を間近にしていることと、その需要が乗客を占めていることもあり、
ほぼ回収はなされなかった。
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13年ぶりにこちらも登場となった新十津川駅駅名表示板。
ピンネシリ山、ふるさと公園などを紹介した
名所案内がそばに並んで設置されている。
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この先、石狩沼田駅まで線路が延びていた時代があった。
そちらへと線路を見ているところになる。
雪に埋もれていてこれだけ提示すると実感はないけど。
段階を追って区間ごとに距離を短くしてきた札沼線。
そちらの代替交通機関は滝川駅を起点にしている。
現在は北竜町まで足を延ばしているだけで
沼田町に至る路線バスとしての交通網は維持できない、
さほど必要とされていないところに推移してしまった。
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駅舎に掲げている「歓迎ようこそ新十津川へ」のボードに加えて
ラストランを間近にした「ありがとう札沼線」の幟が降車客を迎えた。

天気がいい日は空知中央病院保育所の子どもたちが
この列車の到着を迎え入れ、出発を見送っていくことでも有名。
あまり天気が良くないのでこの日は見合わせていたそうだ。
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1日に1回しか列車がやって来ない駅となりながらも
逆に自治体としてはその駅がある事で一躍有名になったのも
JR北海道は費用対効果に見合わないとはいえやはり事実だ。
新十津川町のポスターにはそれが起用されている。

地味だけど右端に映っている「母子の村」という紹介も
新十津川町を語る上で非常に重要なもの。
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本当に1日に1本しかないのは時刻表を見ると明らか。
駅舎は無人駅だったところに新十津川町の観光案内所が入居し
窓口越しに業務を行っているので
廃線間近ということも多く、
少しばかり有人駅時代の雰囲気が
こうあったのではないかと思わせる部分がある。

とはいえ新十津川駅にやってきた列車は
10:00に石狩当別駅へと折り返して出発してしまうので
午前中を中心に物事が組み立てられている。
札沼線遠征編2020
だから本当に1本しか列車がないんだってば!!
前回やってきた当時は3本の設定があった。
ここまで絞られた段階で存続を強く訴えるのは現実ではないので
廃止を受け入れるのは抵抗感を抱くものはなく
改めてその事実になった時刻表を見ているばかりで
それ以上の感慨はなかった。
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駅ノートは空知中央病院によって管理されており
WEB上でも公開されているという非常に特殊なもの。
個々人が来訪歴とともに所感を綴るツールである点では変わらない。
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終着駅到達証明書。
文字通り1日1本しかない列車でやってきたことの証明書。
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新十津川駅駅舎を空知中央病院側から撮影したところ。
札沼線遠征編2020
こちらが空知中央病院になる。
建設年代も規模も明らかに違うので
非常に両者を見比べるとギャップがある。
手前に立っている看板は新十津川町の案内図だ。
通院手段としての鉄道という認識はないから
1日に1本の列車設定になっているのだろう。
浦臼駅からは路線バスの設定もあるとなればなおさらに。
これがそのまま代替交通機関になるともいう。
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13年前は滝川駅から新十津川駅に歩いてやってきて、
やっとの思いで列車出発を間際にしたところにたどり着き、
周囲を見渡す余裕がなかったけれども
今回はその所要時間などをそれなりに体得したので
限られた時間ではありながらも
配分に幾分か幅を持たせた見聞をしていくことに。

新十津川駅のある新十津川町は人口6500人の町。
滝川市との結びつきが強く、警察や消防、郵便はそちらの管轄にあり、
交通網も札沼線の廃止区間の代替バスは
いずれも滝川駅のバスターミナルから設定がなされている。

特産品はおコメ。
ありきたりな印象があるかもしれないけれども
開拓が行われる時代から切り拓いて
稲作に適する土壌や美味しいおコメに至る品種改良を重ねている。
このおコメとピンネシリの水という条件が揃って
「金滴」という銘酒が成り立つ。

「新・十津川」というのだから「新」がつかない「十津川」があるわけで
それが奈良県の十津川村にあたる。(母子の村)
入植の契機は十津川大水害によるものだったという。
十津川村は山間にあり、あまり農業に適していない土地柄なので、
石狩平野で稲作が盛んな土地をつくりあげたというのは
先人の方々にしてみると感慨深いものがあるに違いない。

街に暮らしていらっしゃる個々人としては
その関係をどのように思われているのか定かではないけれども、
新十津川町と十津川村の関わりは今日も非常に深く、
特産品コーナーにもしっかりと奈良県の十津川村の名産品が並んだり
「母村」として交流を自治体の枠では抱えている。

しかも「十津川村」に対して「新十津川町」で
人口も母村よりも今日は減少傾向にあっても倍近い数字を抱えている。
開拓の道のりは並大抵のものではないことは
あくまでも想像の枠の中でのことながら
その決断は思い切った決断であったと思われる。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:49| 千葉 ☁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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