2014年05月28日

八茎鉱山

八茎・久之浜編
2014年4月10日、県道363号八茎・四倉線へとたどり着いて
ここからまずは常磐道を目指し、さらに先に控える八茎鉱山へと歩いていた。
八茎・久之浜編
行き交う交通量がさほどない中でも
トラックの往来が際立つ道のりをたどっていき
大野観光いちご園を過ぎると
村社だった十市神社が見えてきた。
県道は大きくカーブを描いていてこの車道を挟んで
大黒不動尊と庚申塔が位置していた。
八茎・久之浜編
このカーブの先には袖玉山構造改善センターがあって
ようやくここで常磐自動車道の橋梁と対面。
八茎・久之浜編
常磐道をくぐり抜けてさらに歩いていけば
前方の山の麓に現れたのは万年コンクリートの工場。

袖玉山川の流れ、そしてこの道の先にある八茎鉱山、
かつて四ツ倉駅から玉山鉱泉付近の積換所まで貨物線が引かれていた、
これらの言葉から踏まえて目にするこの光景から紐解くものというのは
やはりこの辺に積換所が位置していたことと
工場の位置というのが無関係ではないということ。

今日では文字通り水路や道路用のコンクリート製品を扱っており
それらが県道からも見え、原料に石灰石が絡んでいることからも
八茎鉱山の繁栄を偲ばせるもののように映った。

「温泉旅館が残るばかり」という形容を受けてやってきたこの場所。
袖玉山簡易郵便局と商店が県道から少しそれた道路に集落とともにあり
往時の繁栄というのがどれくらいなのかというのを
丸っきり知らない人間にしてみると、
そのギャップに対しての「ばかり」であって
今日も人々の暮らしがそこにあるわけであって
「ばかり」という言葉は必ずしもあてはまるものではないと感じた。

商店の方に話を伺ったりするのが本筋なのだろうけれども
あまり酔狂な感じでやってきている人が
そう安易に物事を投げかけるのは
どうなのかを自問するとためらってしまうものの方が多い。
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その「温泉旅館が残るばかり」と形容されていた
玉山鉱泉には道の駅よつくら港から歩くこと1時間半ほどの道のりで
ようやくたどり着くことができた。
平城主であった内藤氏の御用湯という歴史を持っているのだという。
こちらその一つ、玉屋旅館。
八茎・久之浜編
袖玉山川とともに見えるこちらは藤屋旅館。
もう一つ石屋旅館と3軒の温泉旅館があり、松茸の産地である事を知る。
といってもやって来ている季節が季節だけど。
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この玉山鉱泉の集落を過ぎると人家は見えなくなり
よつくらツーリズム案内図が道路の脇に立てられているところへと出て
改めて八茎鉱山にやってきている実感を抱くものとなる。

銅山神社に分校や映画館があったという旧・桜木町が地図上に記載されていて
さらにカラミレンガの建物など石灰石のみならず
銅をはじめとした鉱物産出がなされていたことを物語るものが多々。

しかしながら移動距離はすべて自動車でのもので
銅山神社には自動車で15分とあり、
単純に考えると時速60kmで15km、時速40kmなら10kmという距離に加え
復路行程を踏まえると倍の距離を歩いていかなければならないというハードルが
自分の前に立ちふさがり、さらに時間制約が引っかかる。
徒歩スピードが時速4km〜5kmくらいなので計算すると……。
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ともあれ時間の許す限り県道353号を進んでいく。
舗装された道路とはいえ、
もうここを通る車両は非常に限定されたものとなってしまっていることは
十二分に想像された。
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新八茎鉱山が八茎鉱山の社有地であることから
関係者以外立ち入り禁止である旨の立札があり、
こういうところからも現役の鉱山であることが伺える。

道路向かいが石採掘跡に位置するのだけれども
僕にはそういうものをパッと汲み取る能力にひどく欠けていた。

木々が生い茂っていたり池らしきものが見えたりというもので
それ以上紐解くことはできなかった。
八茎・久之浜編
それでもこういったところを目にすれば
さすがに大がかりな鉱山施設があったことを想像するだろうし
そういった空間を利用して
今日も石灰や砕石の積み出しを行っている様子というのは
ぼんやりとした輪郭にせよ浮かび上がってくる。
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さらに歩いていくと砕石の山が連なっていた。
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そしてやっと見えてきた建物が八茎砕石。
こちらは振り返って玉山鉱泉方面へとその建物を見たところだ。
ここまでやってくる過程で追い抜かれたり
すれ違ってきたりしたトラックは多くがこの周辺に出入りしていたようだ。
八茎・久之浜編
目の前にそびえる玉山採石場。
先ほどの砕石の山とは比べものにならないような場内。
当然ながらここから先に踏み入れることはできるはずもなく、
県道353号の標識には八茎鉱山の文字が出てきて
山林の坂道を進んでいくものの、
一向にランドマークにたどり着けないまま
引き返すことを余儀なくするのだった。

山林の間から樹木を伐採している光景が見えたけれども
それも断片的なもので全体として
どのような状況下でそれを行っているのかなど知ることもなかった。

ここまで来た機会に、ということで
八茎砕石の方にお話を伺うという選択肢も浮かばなかったわけではないものの
どこの誰だかもわからないような僕の好奇心で
業務にあたる方を巻き込むことはやはりためらってしまった。

往時はどういった言葉としての繁栄なのかというものに
ピンと来るものがないけれども
集落は今日よりも遥かに賑わいがあり
それぞれがそれぞれに営める土壌が存在したのは確かなようだ。

そういうものが社会情勢や産業構造の変化という
「ありきたり」の言葉を用いてしまうけれども
これらの要素に翻弄されながらも
その土壌は今日にも引き継がれている。

自分の中では「過去のもの」と思っていた常磐炭田の中でも
今日も採掘を続けている鉱山があり、
決してそこで途切れてしまったものではないことを
改めて思うのだった。

路線バスやコミュニティバスの設定がない中での徒歩行程。
そう何度も果たせる気持ちを持ち合わせてはいないというのに。
自動車のある方は前提であり往来を可能にしていることが
なおさら現役の鉱山でありながらも
集落の規模の縮小と無縁ではないのかもしれない。
だからといって今日の恩恵を手放すことができるのかというと
それはできるはずもなく。

つづく

posted by 小林 慶太 at 23:49| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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