2009年11月05日

欲しいものある!?

例えば僕が両親に「何か欲しいものがあるか」を尋ねられたら、何を望むだろうか。

欲しいものはいっぱいある。

たぶん、小学生の時だったら無尽蔵に欲しいものを引き出すように
次から次へとあれが欲しい、これが欲しい、と言うだろう。

でも今は実際はしない。

自分の親がどの程度の経済力があるのかを断片的にでもわかるようになれば
そんなに引き出すことはできない。

引き出してしまえばどうなるのか、というのを
具体的にわかるものではなくとも考えることをする。

小学生の時だったらしない。
何故ってその断片的にすら親の経済力というものを知ることもないし
考えるということすら発想にないからだ。

大体、自分自身もはたらいているのだから、
むやみにせびるわけにもいかないって思うのは
やはり自己主張のない人間の発想なのかなぁ?

ちなみに付き合っている女性に言われてもそういうのを考える人間。
何しろ愛情は(自分か他人の)定期預金の残高に比例する、と思っているので
経済的な依存度を濃くすれば自ずと人間関係が行き詰るのは明白だから。
こなせる次元にとどめておくのが一番。

というわけで前置きはこんなものでどうでしょう。
某市議会議員さんが
地元の来年度(2010年)の予算・重点項目要望について、という紙面を下さった。
賛否は別にして、その人々にこういうのを考えているんだ、ということを
伝えようとしている意志が伝わってくるもので、
多くは確かに僕ですら必要だよな、と思うものが多い。

でもそれも積もり積もっていくとどうだろう?
やはり行政がこなせるという
次元を超えてしまうものになってしまう印象というのは拭えない。

個々の項目を見ているともっともだ、と思う僕も
これらがいくつも積み重なると
ちょっと欲張りすぎ、という感覚に陥ってしまう。

重点にしている部分ですらこんな感じになってしまうということは
その比重を抑えるか、もう少し重点を狭めるという選択肢が
自分の脳裏によぎってくるし、
自分の街の将来展望などを踏まえると
いくら重点であっても、確かに必要なものであっても
無尽蔵に引き出すことはできない。

で、こうやって某市議会議員さんを批判するのは簡単なわけで
実際はそれでも絞込みをしているのだと思う。
だから本当に問題というのは難しい話。

僕には不要でも、他人によっては本当に大変な要素であったり、
議員さん自身の意志で何とかしたい、というものが
必ず存在するから
なおさらどこまで「要望」できるのか、というのを考えてしまうと
色々と躊躇するものが多いような気がする。

そういえばまちづくり市民会議も
あまり自分はこれをやろう!!ではなく、
どちらかというとやらない選択肢をとるという立場だった。

やはり自分たちで「要望」はいくらでもあるのだけれど、
市民会議の場合は「二人三脚でやる」ということと
その裾野を最大限に広く取ることを考えて、
これぐらいは、という程度にしていたけれど、
これをムリしてでもがんばる、というくらいに突きつけた方が
市民会議にしても予算要望にしてもすべきなのかなぁ?というのが
自分の素朴な疑問。

ちなみに紙面へのコメント。

スポーツ宣言都市だからといって
プールとテニスコートと弓道場などの整備に「配慮」というのは
やはり要望として過ぎている印象があると思う。
つくって欲しい、ではなく「配慮」であるとしても
自ずとそういうものを将来的に展望しなければいけないとなると
それを叶えるだけの余力があるのかを考えるとかなり難しいと思う。

で色々と要求を突きつけて
官製ワーキングプア状況をなくして均等待遇を求めるというのは
一方で矛盾したものであると思われる。
たぶん均等待遇をすれば必然的にコストが上がるから
求められるサービスの水準というのは低下することを意味するのだから
この辺についても
それ(サービス低下)を受け入れるようなないままに求めるのは
いいものではない気がする。
posted by 小林 慶太 at 21:00| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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