最近のボヤキの口上は
それって子育てにやさしい社会を、と思っている人がする所業ですか!?という
おそろしい言葉だったりする。
発端は先月のあの地域紙の論文。
支援を!!なんていうのは誰だって思っている話であって、
じゃあどうやって支援をできるような
コストを賄うのか、というのを考えていくと
それがどれだけ何も考えないで求めている偶像なのか、というのが
次第にわかってくる気がする。
それを思っていても、
実際にそれを体現する生き方をしているのかを考えると
絶対に相反している市場競争の中に身を置いている中で、
それをさらにエスカレートさせていこうとするぐらい煽動している人たちがいる状況下で
どれだけ冷静に思考を思えるのか、という話。
いやうちの職場は10時開店なのだけれど、
それなのに9時に現地に配達して、さらに価格を安く提供して欲しい、っていう
その要求って言うのは冷静に考えると
どれほど恐ろしいことなのかわかっているのでしょうか?
自分は器が小さいからこういう些細なことから
そういう話がエスカレートしていくんだけどね。
早く配達しろ、とかそういう話ではなく、
「安く提供して欲しい」というコストダウンで更なるサービス提供を求めながら
一方で自分たちが支払う見返りというのが
相対的に少なくなれば自ずと経営側が疲弊していくのは明らかで、
経営が疲弊していくと、働いている人の生活環境が悪化するから
従って子育てにやさしい社会を、と思っている人は
死んでもそんな事を簡単に言ってのけることはできないと思うのだけれど。
それをケロッと平然と交渉事として「安く」を求められると。
1時間早く来る、というのは必然的に働く人に何らかの代償を伴うわけで
それに対する見返りが「従来より安く」を求めるというのは
いかにムリな問題なのかがわかっては頂けないでしょうか?
安く買っていただく、ということは
必然的にその売上げから賃金が分配されるので、
会社が僕に早朝出勤手当てを払いたくっても、
手元にそれがなければ支払うことはできない。
支払えば支払うほど借金を重ねていく。
だから必然的に全てが全てといかなくとも
「厚意」による部分が大きい。
それも自然発生的な厚意ではなくそうせざるを得ないから困るけど。
といいながら結局うちの職場はそんな注文を受けてしまう。
そういうことでしか市場としての裾野を維持できないから。
モテるというのは本当にツライものですね。
普通にしていてうちの職場を支持してくれる人だけだと
経営が成り立たないから
必然的にそういう裾野維持を考えることになる。
自ずとこういう市場に依存度を高めていけば
ジリ貧になるというのも考えられる話。
そういう次元で競争しているのも怖いけど。
原則としてお店側にあまり拒否権はない。
そういう中でどれだけ消費者が冷静な思考をめぐらすことができるのか
やはりそういうのをつくづく思う。
なんて恐ろしいことを言うんだ!この人間は。
お客様の支持を受けることがお店の社会的使命。
お客様である我々にとっては
1時間早く配達してもらうことが死活問題なんだ、というのなら
まだ話は別だけれど、実際にはそういうことはあまりない。
逆にその死活問題で提供者が死地に至るような状況下に追い込まれるとしたら
それを「子育てにやさしい」と思う人は
どれくらい平然とそれを追求できるだろう?
どちらがどれだけ融通を利かせられ弾力が持てるのかを思えば
圧倒的に消費者の立場であると思うんだけどなぁ。
お客様である我々が行政に本来提供できないようなものさえも
価格提供を抑えさせて更なるサービス提供を求めた結果、
官製ワーキングプアという構造を生み出しているのも
否定できない事実であって、
自ずとそういう状況下に追い込んでいるのは
他ならない「子育てにやさしい社会」を願う人たちという
非常に矛盾したものになっている。
安い値段で買う、というのは
単純に生産に携わる人の賃金を削ることを意味する。
人口が増えていく社会構造であれば、
それでも大量に購買することによって市場を維持することができたけれど
そういうのを重ねていけば自ずと社会というのが
行き詰る感覚を覚える局面に入っている。
そういう状況下で社会保障ばかりを手厚くするということが
必然的にその社会保障だけがコストが上がり、
よりその捻出が一層重くなるという構造。
そんな中でいたずらに欲望を煽動していくことは果たして?
最近、折込広告が怖くなった。
ここまで価格を落としていることが
どういうことを意味するのかを本当に考えると。
確かに安いものを買う、というのが
自分個人の次元では賢い買い物だと思う。
でもそれを積み重ねていくことは何を意味するのか思えば
楽観できる要素はない。
少なくとも葛藤に晒されるのではないだろうか。
子育てにやさしい社会を、と思っている人で
躊躇なく手を差し伸べることができるのであれば、
それはやはり自分の子育てにやさしいだけであって、
他人の子育てにやさしいのではないのだと思われる。
逆に他人にやさしくしすぎて自分のところが、というのもある。
身の回りにいるので気をつけて欲しいと思う。
色々とバランスを考えた購買と
物質的な豊かさを享受していかなければいけないと思うのだけれど、
実際は物欲というモノになかなか抗えないのが現実。
自分もそのコメントをして買い物にやっぱり考えるようになった。
それでも安いものを求めてしまったり
高いものを買え、というわけではなく、
適切に人々に経済の循環が行き渡るような価格を
それぞれの商品が提供できるくらいで、
なおかつほどほどの競争が維持できるように
本当は働きかけなければいけないのだけれど、
やはり自分はそんなものに理解がないのでなかなかできなかったりする。
破格の航空券の話が出てくると葛藤するし、
趣味の模型も買いに出かけるのは、
一般では信じられないような低価格で交通費をかけて行っても
近所で買うよりもおつりがきてしまうくらいという安いお店を利用している。
それが何を意味するのか考えれば、
ある程度の次元で歯止めをかけなければいけないのに、
自分は結局、そういう物欲に負けていることの方が多い。
だから「子育てにやさしい社会を」とは言える立場ではない。
さらに支援を引き出すことなんて望める立場ではないのだ。
少なくとも無思慮な購買行為に歯止めをかけなきゃいけないのに
なぜか競争社会はそんな歯止めを悪とするぐらいに
人々の欲望を煽動するから困ったものだ。
つくづくヒトというのは嫌になる。
そういう自分も所詮何ら変わりないのだけれどさ。
2009年11月03日
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