鹿島鉄道の線路跡近くに伸びる農道に沿って
旧鉾田駅へと歩く。
ちょっと坂戸方面を振り返ってみたところ。
線路の上を歩いているわけじゃないけど。
草むらの中を線路が伸びているのは現役時代と変わることがない。
それでも歳月は確実に過ぎている。
カスミのそばを走る県道2号を横断してそのまま歩いていくと
わかりにくいけど(鉄道の)信号が見えるかと。
ここから県道8号線に出て市街へと入っていくのだ。
道路から線路のそばに近づくとポイントがある。駅は間近だ。
といっても駅舎はもうないんだけど。
やってきた終点鉾田駅跡。
温泉に長く浸りすぎていて、
着いたときには、たい焼き屋さん営業時間が終了していた。
ちょうど高校生たちがバスを待っているところに出くわす。
それよりも、あれ?去年来た時、KR505はパチンコ店のそばにいなかったっけ!?
というわけでホームに停まるこの列車の姿にちょっと驚く。
加えて手前に小さな鉾田駅が復元されているのに気付く。
保存会の人たちが維持している空間。こちらはキハ600。
思っている以上に大変なのかもしれない。
鉾田駅跡は今も関鉄グリーンバスの営業所が隣接しているだけに
今も石岡駅や水戸駅、東京駅へと路線を持つターミナル機能を持っているものの
やはり駅を失った空間は何ともいえないものがある。
そう思うのは駅がある時代を知っている人間の感慨だけど。
本当は新鉾田駅まで歩いて水戸駅へ向かうつもりだったものの、
温泉で長湯し過ぎてしまったため、これを断念。
石岡行の関鉄グリーンバスに乗車。
ちょうど高校生の帰宅時間とバッティング。
終点までずっと立ちっぱなしかなぁ、そういう思いが。
廃線から2年が経っているだけに
バスで通うというのが当たり前になっている子が多いのかも。
僕はルポライターじゃないんだから、そんなの気軽に聞けるわけないけどね。
バスから見るとちょうどロードサイドのカスミはピークタイムのようで
広い駐車場がほぼ満車になっていて、
それだけ集客能力があるんだ、というのを思い知らされた。
その一方で集客されてしまうところがあるのを考えるとどうだろう?
水田から橋脚を上がり坂戸中央を通って、坂を下り巴川を渡る。
ところどころでやはり列車と光景がダブる。
それは自分の記憶によるところが大きいけど、
いずれ色褪せていくものなのかもしれない。
上山に出た後は往路と違って玉造工業高校の方に向かう。
榎本駅跡がチラリと見えるところ。
思っている以上に小まめに乗降を繰り返しながら
バスが走っていくので、座れない、と思っていた
自分にしてみると結構、意外なことだった。
玉造駅、小川駅でともにUターンをするために
その「広場」へと寄り道をしながら石岡市の中心市街へと向かう。
石岡駅のバスターミナル上にあるステーション広場近くの跨線橋から
かつて伸びていた鹿島鉄道の線路跡方向をのぞむ。
駐車場が広がっているところがその敷地にあたり、
奥に若干ながら名残がうかがえるかと。
こちらは機関庫が広がっていた方向を見たところ。
写真に見えるホームは常磐線のホームでスッポリと抜けてしまっている空間に
鹿島鉄道のホームがあり、それに隣接して機関庫が広がっていた。
2年前まではそうだったんだ、なんて想像のつかない話かも。
常磐線しか走っていない光景がやがて当たり前になっていく。
果てしなく哀しい気がする。
帰路は土浦駅に寄り道。
ここも筑波鉄道という路線があった起点駅。
逆に自分はその時代を生きていながら
まるっきり知らないだけに、
まさにその石岡駅で抱いた感慨をそのまんまに感じている状況。
つまり初めから常磐線しかない、という印象しかないままに
街の姿を情報として受けているという有様。
もったいない話であると同時に、
往時を知らない自分が同じように史跡を訪ねても
それほどの感慨というのはないのかもしれないし、
そういうものと無関係に歳月というものや
社会というものは動いていくものなのかもしれない。
諸行無常ということなのかも。
供給過剰にさらに拍車をかけるように
沿線アウトレットモールのオープン告知や
駅ビルオープン告知の中吊りに加えて
既存店のセール告知も車内を彩っている光景を
皮肉に見ている自分がいたりした。
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