太陽光パネルや浄化センターの脇を通って
梶無川に沿って進んで国道355号線へと出る。
そしてこの川を渡って道なりに。大型店の空き店舗が数軒。
未だに解消されない。
そういう状況下で大型店が続いて
出店されて建設されている現実を思うと、
世の中ってのは本当にわからない。
浜交差点からは先ほどバスで来た道のりを足でたどる。
坂をあがって麺'sハウスやほっともっとのもとを通り、
今度は坂を下っていく。
ちょうど2年前には多くの鉄道ファンが
カメラをこの道路から走ってくる列車に向けていた光景が
印象に残っているところ。
浜駅の方向を見たところ。
結構、草が茂ってきているけれど、
何だかんだ線路あとが今もしっかりと見える。
その一方で玉造町駅の方向を見てみると
手前の方はまだその往時を偲ばせてくれるけれど、
遠くを見ていると、その線路は夢物語のように
消えていくように伸びている印象を受ける。
本当にこの区間も列車に乗って線路をまたぐ
国道を眺めていたこともあったのものの、
今は果てしなく昔のように思えなくもない。
道なりに進んで浜駅の跡へ。
去年は見かけた国道355号にあった「浜駅」の道路標識がなくなっていた。
まあもう駅はなくなってしまったのだし、
道路から奥まったところにある駅は社会的役割を終えてしまったのだから
2年たって残っているのが不思議なのかもしれないけれど、
そうやって記憶や生活情報から消去されていくのかと思うと
何かやるせない話。
こちらが浜駅跡。
道の駅たまつくりに当時の待合室が移転されているとはいえ、
遺構が徐々に茂ってくる草に埋もれつつあるのがわかる。
八木蒔駅方面を見たところ。
本当に線路あるとは思えない感じがする。
人の気持ちがその線路をはじめとした空間を
いかに維持していたのかがわかるし、
途切れてしまったものを自然というものが
いかに人のつくりしものを自然に還していくのかを
物語っている気がする。
こちらは玉造町駅方面、アザサの群生地への散策路から
浜駅を見たところ。写真に見える小屋は自転車置場。
現役時代はこんな感じ。
当時も無人駅だったけれど、
気持ち次第で人間はこういう空間を維持していた。
それに対して歳月というものは残酷なものだと思う一方で
それに抗うこともできない自分というのもイヤだとも。
みんな全て昔話になってしまい、
いずれはそんな事(駅)があったのかとか、
そういうのすら知らなくなってしまう時代が必ず来るのだろうね。
国道355号に戻って「浜」のバス停で関鉄グリーンバスを待ち、
やってきたバスで小川駅へ戻る。
乗ったバスはかんてつギャラリーバスだった。
かしてつバス応援団の作品展が車内を彩っていた。
バスもまた人の気持ちが維持している部分は大きいかもしれない。
小川駅に戻って矢野直美さんが絶賛したバナナクレープをようやく入手。
今日はことごとく千円札に嫌われて、
バスの両替機にことごとく自分が入れようとすると入らない有様。
何度、運転士さんに手間どらせたことか。
バナナクレープの幟が出ている時間帯。
去年来たときはその幟が出てない時間帯にやってきたのだから
迷惑この上ないことをしてしまったということになる。
今もお店のショーウィンドウのそばには
鹿島鉄道の写真と切符が飾ってあった。
やっぱり「走っている」んだよ。
待合所での長いインターバルをこのクレープを食べながら
呼ぶ名前が人によって違う「しろ」と戯れて過ごす。
お店の人やバスを利用する人、運転手さんと
色々と差し入れをしていたり、人の会話の主役もこの猫。
飼い猫なんじゃないのかなぁ。首輪あったけど……。
そしてやってきたバスで今度は鉾田行のバスに乗車。
幡谷経由の便だった。
上山交差点から鹿島鉄道代替バスと同じルートに合流。
見覚えのある巴川が見えてきて、
バスは坂へと駆け上がっていくところで
「坂戸中央」のアナウンス。ここで下車。
ちょうど旧坂戸駅の上に位置するようで、
バス停脇道を下っていくと、旧坂戸駅がある。
人の気持ちが途切れるとか、
そういう印象ばかりを受けていただけに
坂戸駅のこの状況は奇跡的という感じでビックリ。
地域が維持しているのか、偶然なのか。
でも列車は来ない。
今にも列車が走りそうな線路。
ここからほっとパーク鉾田に寄り道。
旅先で久しぶりに温泉に入る。色々とお風呂で話をした。
こういうところって地元の生活ぶりが断片的だけどわかる。
お店の話とか、子どもの学校の話とか、
自分が話しかけるほかに、人の会話が聞こえてきたりすることで
そういうのを思っているんだなぁって。
一円の得にもならないかもしれないけどね。
男湯はそういう会話をしている。旅の楽しみの一つ。
さてあとは終点鉾田駅へ歩いていくだけ。
まだつづく
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