2009年07月04日

有限

旅の話はとりあえず一休み。

5000円は何とか工面できるけれど、10万円となると……。
しかもそれが一つならいざ知らず、徐々に支援しなければいけないものが増えてくるとなれば、
気が遠くなってくる。

とりあえずがんばれば今は何とか。
さっそく遠出しようと思っていた資金を崩したりとか、
今は独身で35年ローンも組んでないから
多少流動的な資金繰りができるけれど、
それも将来まで続くこともない。

このお金が工面できなければ、長く保ち続けてきたものの
命運が尽きることもあるわけで、
守れるものには自ずと限界があるのではないかと
早々に思ってしまう自分。

意識してみれば、それを左右するものが
自分の手中にないとはいえない現実。
(意識しないですんでいる次元でいる人の方が多いわけだけど、
実際はむしろ自分たちの意識によって
物事が左右される可能性が高いところに身を置いている)

支援を必要とするのにも一時的なものならいざ知らず、
恒常的にとなると、自ずと行き詰るのは目に見えているわけで、
根本的に社会の構造などを鑑みなければいけないのだと
僕は思うのだ。

人口が限られている中で
人口を社会的要因で増やし発展する地域が存在するということは
相対的に人口が社会的要因で減少する地域が存在することを意味する。
これをどう考えるのかを冷静に考えなければいけない。
衰退する地域の努力が足りないのだ、そういう考え方もある一方で
これ以上限りあるパイの奪い合いを繰り広げていくことは
人々が社会を共有できる可能性をより分断させていくことに
他ならないわけで、
豊かさを享受するのであれば、
それを奪いとった地域に対する
代償を踏まえなければならないような気がする。

だってそういうことをしなければ社会の溝は
より一層深まるばかりで、
消費する人とされる人の二極化がより鮮明化する中での
調子のいい「リカイシャ」としての社会共有しかできないのだと思う。

だからその手にした豊かさに対するある程度の補填ができない次元の
豊かさであるのだとしたら、
我々は手を伸ばしてつかんではいけないのではないように感じる。

例えばだけれど、うちの地元の開発を推奨する
某市議会議員さんとかは
当然のように他地域から人を集めてくることが前提にしているから
他地域を衰退させて、自分たちの豊かさを得ようとしていることを意味する。
だからその結果として生じる衰退に対する一定の代償をしないといけないと思ったりする。

衰退というのも許容範囲の次元を超えるものが多い。
もうそういう段階に入っているのは明らか。

支援をすることができない。
その支援もまたその場しのぎに過ぎない。
そういうものを乗り越えても
ムリをすればするほど歪みを生じさせていく。

こういう現実を作り出しているのは
他ならない我々であって、それをどう考えるのか。

こういう話を前置きに出したのは
銚子電鉄が老朽化した車両を更新する費用を確保するため
車両支援オーナー制度を設け
1口10万円で200口のオーナーを募集するという。
購入される車両は伊予鉄道の車両とか。

そしてそれと同時に愛称命名権を300万円で売却するという。

愛称命名権はとにかく、
車両購入というのは至上命題なもの。

銚子市という地域が今、どのような状況下に置かれているのかを考えると
支援なしでは非常に路線維持をするのが難しいのは誰の目にも明らか。
ぬれ煎餅をはじめとした副業による収益で鉄道を維持することや
観光による需要を見込むだけでは不安定な要素が強いだけに
安定した街の生活が営めるような次元に社会構造をしなければいけないように思う。
メディア露出などによる人々の関心喚起も
人の心が流動的なだけにその気持ちが醒めたときが怖い。
そういうものに依存度を増していればなおさら。

全てが全て固定をしろ、というものではないけれど、
根底にはそういうものがなければ
地域というのは成り立たないと思うのだけれど、どうなのだろう。

いたずらに高みを見る人はそれをどこまで考えているだろうか?

守れるものも限られている中で
自分は全体のことを考えている!!とは到底言えるものではない。

自分も、自分のいる街も
また同じような社会的境遇になりうることは
あり得ない話ではない。

その時、同じように「努力が足りない」という一語で
一蹴される未来を望むのであれば話は別だけど。

県会議員さんも同じで、
自分の市におカネを流動することは
県の予算が限られているのだから、自ずと奪うことを意味するわけで、
それがあまりに一方的なものであれば、
そういうものも考えなければいけないと思う。

というわけで、実体のない賞与を赤字財政の中で頂いている議員さんに
ぜひオーナーになって頂きたいなぁ、という非常に他力本願なお話。
ちなみに困窮している鉄道路線はここだけじゃないから。
均等にシッカリとケア。バス路線も維持に大変なんだ。
商店も大変。大型商業施設を誘致したりする一方で
買い物難民を一方の地域で出したりするのなら
しっかりとカバーをしなければ。

ここまで踏まえていけばその求める高みというのは
ぐっと限られた水準になるはずだ。

一方では冗談だけど、一方では本気。
自分の地域だけの我田引水を繰り返していけば
必ず社会というのは崩壊する。
そういうのを踏まえなければいけないのだと思う。

有名人とかお金持ちの人の寄付で
ポンと完全に解決するという事態も避けたい事態。
そういう人たちがいなくなれば
また問題に直面するのは明らかだから。

※情報源は09年7月4日読売新聞京葉版。
posted by 小林 慶太 at 22:05| 千葉 曇り| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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