2009年07月02日

偶然

つづき
常陸小川駅跡に降り立ったのち、
すぐにバナナクレープを買い求めようと思ったものの、
前回はちょうど作っている最中にお邪魔して、
必要以上に手間をかけさせてしまった記憶があり、
手元の時計を見ても、
諸般の事情でその時と同じような時間帯に居合わせてしまったので、
それを後回しに旅程をこなしてから訪ねればいいや、というような
行き当たりバッタリの発想で、
次発のバスにちょうどタイミングよく乗り合わせられるところまで
国道355号を歩いていくことにした。

ショッピングモールアスタのもとを通り、
近くの踏切跡から常陸小川駅方面をとりあえず眺めて見たものの、
やはり草が徐々に茂っていて、
その面影もなくなりつつあるものだと思う一方で、
いつまでもその線路もない跡が都市空間の中に存在することは
何を意味するのかを考えると、
それもまた何ともやるせない思いがする。
小川高校下駅跡ほか

街は変わらず時間を刻んでいて、
ショッピングモールのテナントの看板に
空白部があることに目が行くのと同時に、
どんなお店がなくなったのかわかるというのも、
皮肉なものだとも思う。

衰退、というモノを連想するのではなく、
供給過剰を支えきれなくなっている現実が
徐々に露呈されている、というただそれだけのこと。

近隣に同様の商業モールが存在すれば
規模が大きければ大きいだけ維持するのに集客を要するわけで
人口は限られているのだから、自ずと食い合いが生じてくる。

それにどんなに商圏を拡大しようと
結果として別の地域のパイが吸い取られてしまえば、
商業施設のある地域は繁栄する一方で
確実に疲弊する地域が存在する。

その疲弊というのも地域の生活機能を
完全に失わせるに等しい場合もあるからなおさら。

商業施設のテナントというのも入居をするのには
資本や規模など一定の条件を満たさなければならないのだから、
そういう存在がなければ空白が生じるのは然り。

しかも強者同士の食い合いで、
ごく普通の商店が存在する余地がないに等しい状況に追い込まれてしまった場合は
悲惨この上ないというのに。

園部川を渡る。
小川高校下駅跡ほか
列車の走ることのない橋脚。

かしてつ







甦るのはこんな光景。もうこういう光景は戻らない。
やがて道路わきの水田に小川高校下駅跡が見えてくる。
ホームは今も残っていて安堵する一方で、
逆に取り残されている現実も楽観できるものではない。
小川高校下駅跡ほか
「未来へ走れ!鹿島鉄道」
その言葉とイラストは国道355号を走る自動車に語りかけた意志表明。
それも現実には叶うことはなくなってしまった。
多くの大型自動車がこの日も道路を走って行ったけれど、
こういうものにどれだけのドライバーの人が目を向けるだろう。

向けたところで何かなるのか、というと
そんな事はないのかもしれないけれど、
その当時の人たちの言葉が歳月を経て
たとえ叶うことがなくとも届くことすらないというのは
あまりに哀しい気がする。

非常に小川高校下駅と自分との接点は偶然の賜物でしかない。
07年3月30日に石岡から常陸小川行に乗り、たまたま鉾田行を待つ時間に
せっかくだからと、何となく近距離に駅があったから歩いてみて
「未来へ走れ」という文言に気付いて、
この駅のベンチにたたずんで、列車を待った、ただそれだけのこと。

その日たまたま鉾田行にすんなり乗っていたら、
小川高校下駅はただの通過駅で、
ホーム一面のそっけない駅にしか映らなかったし、
結果として廃線後も去年もやってきてはいるけれど、
ここに来るという目的もなかったかもしれないし、
その日たまたま園部川を列車が走っていったのを
バッタリとカメラに納めなければ、
橋脚を見る感慨もまた違ったものになったのかもしれない。

そもそも鹿島鉄道との出会いや沿線地域にも、
そんな思い入れのある場所でもなかったけれど、
ささいなきっかけで祝日に休みがとれて、
フリー切符を発行している路線があって、という
すごく偶然じみた要素からはじまっているわけだし、
鉄道のない街には興味もないとか言いそうな自分が
結果としてまたやってきているのだから、
その「縁」というのも偶然的なもの。

常陸小川駅が跡形もないような状況になってしまったのに対して
小川高校下駅はホームが残っていたので、
やるせない思いを救ってもらえるような気がした。
きっと、この駅を利用した人は
いろんな局面でこの場所に戻ってくると、
たぶんまた何か歩こうって気になれるんだと思うんだ。

今はバスで通っている子にしてみれば、
もう使うことのない場所なのかもしれないし、
過去にすがることのない人にしてみれば
所詮遺物に過ぎないのかもしれないけれど。
小川高校下駅跡ほか
去年よりもさらに草が茂っている。
人の手が届かないと、こうも荒れてしまうものなのかと思う一方で
人の気持ちが通って、手が届くだけで、
レールの上を列車が走り、あれだけの光景を生み出すことができるのだと思うと
本当に人間はすごいことをやってのけていたのだと思う。

特急田中3号みたいな台詞まわしだけれど、
列車が走り、気持ちが行きかっていたから、
線路に草が茂ることはなかったのだろうね。

それが線路に限った話じゃなく、道路も同じ。
大型車が頻繁に通る車道に対して、
さほど人が歩かない歩道は草が茂っていて、
その草についた露が自分を濡らす。

車に泥をはねられたりすることよりも
そういうことでズボンと靴が濡れていく。

道路も維持をするというのは簡単な話じゃない。
だた当たり前にあるものじゃなく、
草を狩ったり、舗装をしたり色々と手間をかけなければ
歩けるものではないのだなと思う。

さらにまた人生もまた同じ。
気持ちの途切れた自分の人生という道も草が茂って……。
そういう皮肉を自分に向けたくもなる。

小川高校下駅跡ほか
荒れてしまった定期券料金の表。無残だ。
なくなってしまったものとはいえ、
どういう気持ちでこういうことをするんだろう。
やるせない。
小川高校下駅跡ほか
歳月を越えて人の気持ちが色あせることがあっても
その言葉は今もなお生きているのだと自分は思う。

裏を返せば定期券の表はスプレーで汚されている一方で
このポスターはそのまま。
風化して剥がれかけているけれど、
そういうことをすることができなかったってことなんだよね。
たぶん。
言葉は生きているのだと思う。

列車が来ることもないホームで少し過去に浸り、
近くにある小川南病院はるるの郷にあるキハ432のもとに寄り道。
小川高校下駅跡ほか
1年ぶりに再会。
一応、旅の目的はバナナクレープと田舎354定食と鯛焼きなんだけれど
せっかくきたので、やはり足を運ばないと。
現役時代と変わらないように今日まで手入れがされているように見えた。
これが走っていたんだ、
そういう話がいずれ信じられない時代が来るのかもしれないけれど、
語ることができたりすること、往時をしのぶことができることも
非常にうらやましい話であると自分は思う。

列車は走れなくなってしまったけれど、
走らせる方法は色々とあるわけで、
人の心の中に今もなお通うものがあれば、
きっと未来へとその列車は走り続けるのだ。

気持ちを維持するというのを
今度はみんなでやっていたのではなく
個人という内面の世界の中でやるというのも
大変な話なんだけど。

さらに国道355号を歩いていくよ。
つづく。


posted by 小林 慶太 at 23:58| 千葉 霧| Comment(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]