2009年07月01日

歳月

ブログを書いている人間はわりと過去のことに執着する。
前も同じようにやったよなぁ、とか、
そういう感慨に浸るのが多い人間だったりする。

珍しく月末に諸般の事情で公休が充てられたので
昨日は久しぶりに田舎354定食とバナナクレープと鯛焼きを食べ、
なおかつほっとパーク鉾田の温泉に入るべく出かけてきた。

そのついでに鹿島鉄道の廃線跡を少したどってきたので
この様子をしばらく綴っていく。
廃線跡をたどるのは主眼じゃなく、あくまでもついで。
動機がみな食べ物に起因しているのもどうかと思うけど……。

なお鹿島鉄道が廃止されたのは07年3月31日なので
それから2年が経過したということになる。
常磐線で石岡駅を通ると、その往時を断片的に見ているだけに
現在とのギャップを色々と思うことは、今もなお多い。
思っても何かなるのかといえばならないけれど。

本当は鹿島神宮駅から鹿島臨海鉄道で
鉾田市へ向かい、目的を消化していく予定だったのだけれど、
またしてもその予定時刻に起きることができなかったので、
次なる手段としてこの目的を消化するため
常磐線経由で石岡駅へと向かうことに。

なお雨が降っていたけど、傘を携え普通に出発。
下り列車でも沿線に通う高校生をはじめとした人たちが多く
予想外に混んでいた時間帯に当たった。
乗っていた列車は土浦駅で10両を切り離し、
以後は5両で終点勝田駅までを走っていくという中で石岡駅で降りた。
やっぱり駐車場となってしまった空間がホームから見えるばかり。

意識的に思わないと、石岡駅もJR常磐線しかないのが
半ば当たり前と思う自分もどこかにいて
非常にその2年という歳月が大きいものだと思うのと同時に
やがてそういう「意識」すらなくなってしまうというのも
哀しいものだけれど、いずれ訪れるのだとも感じる。

街というものは
そういうものを繰り返しながら発展を遂げているのだけれど、
本当にそれを「発展」の一語で片付けていいものかというのは
やっぱり疑問に思うところで、
ポッカリと空いた空間を埋める術というものはなにもないし、
仮にあってもその「なにか」を失ってしまったのは
紛れもない事実なのだから、一概に迎合できるものでもない。

駅前の大型商業施設も未だ店舗が入ることなく
街の光景が成り立っているのも、どこかで皮肉なものを思う。
人間はそういうものを繰り返して生きている訳で、
イチイチ気にするのもおかしい話だけれど、
一切、気にしない生き方もどうなのだろう。

石岡駅からはバスターミナルにひかえていた
関鉄グリーンバスに乗り、まずはバナナクレープを求めて
小美玉市の旧常陸小川駅跡に向かう。
小川高校下駅跡ほか

ニュータウンが広がり、
大型店が国道355号に立ち並んでいる光景を見ていると
そういう事象(路線廃止や空テナントという話)は
ごく一部の例外に過ぎないような印象もあるのだけれど
実際のところはどうなのかな、とも思う。
大型店を維持するためにはしかるべき集客を見込まなければいけないわけで、
そういうものが集中すれば、自ずと近隣の地域に影響が出ることも考えられるわけで、
そういう人たちをキッチリとカバーできるものであれば
何も問題はないような気もする。
実際は、でもそんな事はないんじゃないかと。

維持をするのに強者同士での限られたパイの奪い合いが
熾烈に行われている中で、
無関係に恩恵だけを受け入れられるような立場にいれば
それもまた幸せなのかもしれない。

バスに揺られて降り立った常陸小川駅跡。
国道355号にファッションモールが見えてきて
坂を下っていくと高見沢輪業や不二屋旅館がある交差点に出て、
右折すると、その広場に到着、ということになる。
バスはいったんここのロータリーというか空間で
Uターンして国道355号に戻っていく。

さすがにもう駅のない光景は驚かないけれど、
茨城空港開港を前に何らかの活用の余地を見出しているような
淡い期待もあったものの
(なされていたとすれば何を意味するのか考えなきゃいけないけど)、
そういうこともない中で降り立った空間。

思うことはやはり、駅というものがあったのが夢のようだということ。
本当にあったんだ!!ということすら
忘れる日がやってくるのかもしれない。

自分の感覚としても怖いものだと思う。
DD902があの空間に確かにいた。そういうものすらなくなっていく。
思ったところで何かが生まれるわけでもなく、
ただ個人的な感傷以外の何物でもないわけで、
それに対して何の価値があるのかを問われても、
非常に答えに窮するものなのかも。
常陸小川駅跡

今もまだ「小川駅」というバス停があり、
交通のターミナルとして鉾田行、石岡行、水戸行のバスが集結すると
機能しているんだと思うけれど、往時を思うと、その差は歴然。

バス路線は当時も設定されていただけに、
なおさら今はない駅舎が存在がポッカリとした空間を
印象付けるのに大きいと思う。

大して常陸小川駅もやってきた事はないのだけれど、
少なくとも僕は鉄道が走っていた
当時の空間に足を運んだことがあるから、
色々とその時の記憶ってのが甦る部分もある。

トイレにびっくりしたこととか、
そういう話からスタンプを駅員さんがあるって教えてくれたこととか
かしてつ応援団の描いたアンパンマンのイラストがあったところとか、
一番響くのは「かしてつに乗ったら風が変わった、私も変わった」という
文言が書かれた看板があったこと。
その価値観というものを根底から変えたというものは大きい。

たった1両だったりする列車。
傍から見てれば、どうですか?カッコいいとはいえない。
駅もオンボロだった。

そういう価値観の中に「でも」という価値観を生み出させたのは
その鹿島鉄道とそれを支えていた人たちが作り上げてきた地域といいものの
賜物なのだと思う。

経済効果とか、そういう話ではないんだけれど。

今、ここに立ってそういう言葉や記憶が自然に甦ってくるのであれば
それで「出会い」というものがあって良かったのではないかということ。

バス停標識も2年という歳月で風雨によって少し錆びている。
たった2年。それでも歳月というものは重い。
みんな確実に歳を重ねている。

かしてつくんに代わるマスコットの「かしてつバスくん」も
その「かしてつ」というものが何なのかを
知らない世代があらわれるのかと思うと何ともいえない。

歳月の経過と共にそれは必ずやってくること。

それに知ったところで何かどうかなるのかを思うと
何もならないわけで、過去というものに視線を向けること自体、
非生産的なものだとも思ったりする。

常陸小川駅跡
救いなのはプランターが置かれ、花が彩りを添えていたこと。
そして屋根のある待合所が設置され、ベンチがあったこと。
それもみな好意によるものなのだろうけれど。

その待合所には「しろ」という猫が居座っているようで
この猫の子どもの貰い手を探すポスターがあるくらいだった。

首輪がついているからこの猫自身は飼い猫なのだろうけれど、
運転士さんや近所の方々、バス利用者がやってきては
ちょっかいを出したり、差し入れを色々としていたりするようだ。
みんな猫の呼び名が人によって微妙に違うんだけどね……。
小川高校下駅跡ほか
つづく

よく旅先で猫に出会うね。
猫は家につくんだ。家、つまり地域とか、場所とか。
そういうのを求めて歩いているからなのかもしれない。
posted by 小林 慶太 at 23:00| 千葉 霧| Comment(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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