2009年06月08日

低価格志向の果てに

世の中、モノの価格が安くなるという事を手放しで歓迎する人が多いけれど、
それがどれだけ恐ろしいことなのか考えもしない人が多いのが
かなり怖いと感じる。

基本的に量販が可能になれば価格が下がるけれど、
その量販だってどれだけムリしているのか考えれば歓迎できる話ではない。
一番手っ取り早くモノの値段を下げることは人件費を削ること。
原材料費を下げるためには色々なところに負担を強いることになるから
直接、すんなりできる方法が人件費ということになる。
だから今までは人件費が日本は高いから外国で、となっていたものの、
国産嗜好が高まり、その中でもさらに安い価格を!!という人がいるから
色々と困ったことになっている。

先週、09年6月5日金曜日NHKのニュースウオッチ9にて
価格競争ここまで、という特集で低価格弁当をめぐる状況を扱っていた。

今や昼食のお弁当が350円や298円という次元で提供しなければ売れないという次元。

そういう中で取材先となったお店の事業者の方は
なんとお弁当の仕込みをはじめるのが朝2時。

しかも人件費を抑えるために自分ひとりでやるという状況。

そしてお弁当を作り上げて配達に至り、
競合店との味の比較や研究まで一連のものに携わるという
すさまじいものだった。

どう考えてもお昼のお弁当を売り終えたら仕事終了、という雰囲気ではなく、
ありとあらゆるものを仕事に対して犠牲にしている姿そのものだった。

これを見て、みんなはどう思っただろう。

さすがプロフェッショナル。お客様のために努力を惜しまないのは当然だ。
そう思うのかな。

僕はそんな風に思わなかった。

こんなこと続けていたら社会が破綻する。
そういう風にしか思えなかった。

生活や経済というものが仕事に対してのみ比重が置かれていて
他に派生する要素があまりに乏しい状況下ではジリ貧になっていくのは目に見えているし
健康面も考えればご本人、もしくは家族に何らかの事態が生じた時、
回避することは不可能になってくる。
それでも莫大な利益を得ることができるのであればまだしも、
労働に見合う代価として適切なのかを考えれば、
決して提供側から見て労働に見合う価格提供をしているとは思えない。
それゆえ購入者側にしてみれば「安い」という魅力につながるのだけれども。

それがたまの一日や二日ならいざ知らず、
こういうのが蓄積してくれば自ずと社会というのは破綻する。

売れれば売れるほど負担が増してくるのは明らかで、
それ以外の生活というものが何も成り立たなくなる。
この取材先のお店だけならいざ知らず、
そういうお店ばかりになってくれば家庭を営む姿はどの程度想像つくだろう。

少なくともこういうお店に対して
何らかの社会的な措置もなされないままに競争に晒されることをどう思うだろう。
現代社会における雇用の場は極めて少ない。
淘汰された後の保障は何もない中での競争を煽り
「低価格」をいたずらに求め、労働者や事業者を疲弊させていくことが
消費者としてのすべき本質なのだとは思えない。

今日の読売新聞には
「格安弁当 不況に対抗」という見出しで、節約・低価格志向が高まり
割安感が支持されていると分析しているものの、
これに拍車をかけることが何を意味するのかを考えたことはあるのだろうか。
あまりに軽率な分析であると思う。
この支持を重ねていけば
自ずとこの産業に携わる人の生活を何も補完する術もないままに奪い取っていく人と
奪い取られる人の二極化が生じ、より一層社会は乖離して苦境下に追い込まれていくのは
目に見えている話ではないのか。
消費者というモノの翼賛をするばかりでなく、
もっと製造する人、商売に携わる人の労働環境や生活スタイルも踏まえた上での
消費サイクルを冷静に探るべきではないだろうか。

求人広告を見てみれば規模が大きい企業であっても
いかに流動的な人員体制のもと労働に比べて低賃金で
変則的な労働環境下に置かれているのかが明らかではないのか。

世の中何にも考えていない人は
機械で簡単にできるとでも思っているのかもしれないけれど、
そういう大量生産=機械化と思っている一方で
人の手を必要とする部分も現実には多く存在するわけで、
その部分にしかるべきコストがなければならないものまで
実際は削らせて競争を煽っていることがまだ実感できないのであれば
非常に社会的境遇として恵まれているのか、よほど鈍感なのか、と言わざるを得ない。

いや自分が少なくとも同じような条件下で
好んでやるのなら「低価格志向」を追及するのも否定はしない。
自分ではやりたくないのにいたずらに「低価格」を追求していく消費者の姿勢と
それを煽る存在が非常に醜いものに思えてならないし、
社会としての寿命や幅をより縮めていくように思える。

少なくとも自分は望まない。

安いものを買うな、という話ではない。
価格志向の選択が結果として何を意味するのか程度は考えておくべきだ。

価格を安くすれば従来以上に買い物をしなければ、それ以上の売上げは得られない。
そういうことが人口減社会の中で果たしてできるのかも考えなければいけない。
そして雇用の場も維持することも考えなければいけない。

働く人の生活も考えなければいけない。
自分が子育てに困っていると思うのであれば、
相手もまた同じような状況で困るような余裕のある状況下を考えなければいけない。
(語弊があるといけないけど、
結婚もできない状況下に追い込まれることもあったり、
子どもを生もうと到底思えない状況下に追い込むこともあるという意味で、
困らせろ!!という趣旨ではないのでご注意を)
他人の事を考える、という意味ではない。
自分のことを考えれば当然そうなる。
だって自分は常に消費者でいるとは限らない。
生産者にもなりうるし販売者にもなりうるのだから。

つまりこういうものによって
生産者・販売者と消費者のギャップというのは
確実に埋まらない溝となったままに
表面的に物事が成立していながら徐々に追い込まれていくという事になる。

お弁当に限った話ではなく物流や医療、介護などあらゆる分野で派生している問題。
残業代とか手当てとか、払わなければいくらでも安くなる。

「安くならないの?」
そんな言葉はもはや怖くてかけられない。
社会基盤が安定していて何らかの措置があればまだしも、
そんなことがない中で明らかになれば
なおさらそう思ってもおかしくないと思うけど。

前も書いたけど、モノの価格が下がることは
同時に人の心も荒んでいくことを意味する。

逆はどうだか知らないけれど、
少なくとも値段を下げていくと、
お客さんの質も悪くなるといわれるし、
エスカレートしていく自分の姿も自覚したりはしないだろうか。
(自分は自覚症状があるから怖くなる)

民間委託も同じようなものを秘めている、というわけで
たぶん明日はそういう話が出てくるかと。
posted by 小林 慶太 at 23:45| 千葉 ☁| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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