そういったコミュニケーションを持つからといわれるとはいえ
イタリアやフランスをはじめ
ヨーロッパを中心に猛威を振るうようになり
世界規模であらゆるものを揺るがす事態にあるという。
生活必需品を扱うお店以外は営業をしちゃダメとか、
陸続きという概念が日本にはないので何だけれども
国境を越えて通勤をしないように、とか
対策を講じていても歯止めがかからないくらいだ。
そんな中で常磐線、
仙台駅まで直通するようになった特急「ひたち3号」が
2020年3月26日にはJビレッジ駅に臨時停車をする。
東京オリンピックの聖火リレーが国内で始まっていく日。
そしてまさにそのスタート地点がJビレッジにあたり、
これを見据えての停車駅設定だった。
本来であれば多くの人々が見守る中、
色々とたぶん言いたいことがある方もいらっしゃるだろうけれども
復興の灯をオリンピック開会式に向けて
リレーしていくことになるものが
無観客で実施することになり、
国内だけでなく開催に至るまでのハードルは非常に高くなりつつある。
不要不急の外出を避けたり、
クラスターの発生条件を満たさないように
多くの人が神経をとがらせたり、配慮をしている中で
今日ありきのものや
それ以上のものを導いていくというのは非常に険しい。
地元に話を戻すと久しぶりに市内の小学校は登校日だった。
「いつの間にやら」解体されていた
初富駅や北初富駅を前に話題にされているどころか
飾って頂いているチューリップに意識を向けて下さっていた方々は
どれくらいいらっしゃったのだろうか!?
ご両親や祖父母の方はご自身の要望で具現化したものを
次世代にどのような思いでつくって頂いたのか説いて
そのインフラの重要性を伝えていくくらいの姿勢があるから
「気になっている」「強い要望」を掲げていらっしゃったわけで
起きたまま寝言を呟いていたようなことは断じてないはず。
「さくら満開おでかけ切符」の有効期間に入っているのだけれども
こういう状況下だと用意していた「子ども用」の切符を捌くのが
非常に難しいものがあるし、
親子で出かけるどころか、一人で出かけるのさえ
動機付けをしていくイベントが軒並み中止になっていると
「大人用」さえも売れ具合を懸念するものがある。
高架化を成し遂げたあとはインフラを維持していくことが求められていく。
そういうものを体現していくのは
ここから派生していく経済循環に他ならないわけで
どのようなところに置かれているのか見渡すと
かなり厳しい状況に陥っていることは否定できない。
簡単に覆すことができる方は覆せる。

くぬぎ山3号踏切から
旧・上り線との切り替え地点方面へと上り線を撮影したもの。
この付近、ビームが3本の線路を跨ぐ構造になっている。
バラストもなくなっている線路跡は路面が剥がされており
土が一部箇所に盛られている。

国道464号に面した先々代・北初富駅構内へのゲートから
先々代・北初富駅構内を見たところ。
北総鉄道高架橋寄りの進入防護壁のもとに
撤去したバラストを野馬除けの土手のようにしてまとめている。
手前に物置が置いてある。

旧・北初富1号踏切から
先々代・北初富駅構内へと旧・地上線跡を撮影したもの。
バラストが撤去されている場内、信号機も一通り撤去してある。
アスファルトの路面を引き剥がしているので
その瓦礫が踏切手前にまとめてある。

「北初R4」付近からスロープにかけての線路跡においては
進入防護壁のもとへとショベルカーが稼働していた。
こちらも足元はアスファルトの路面が剥がされている条件下で
この作業がなされていることが伺える。

現・北初富交差点から
旧・北初富2号踏切と旧・北初富駅駅舎と現・北初富駅駅舎を見ているところ。
手前地上部の旧・駅舎は足場と幕でその外観が一通り包まれ
解体作業に着手されている。
左に位置する現在の市道1560号、あくまで仮の道路だという点、
それなりに押さえておきたい。
車道挟んだ富栄ビルのもとにも
テープが張られ
「迷惑駐車はやめましょう」の掲示が出されている。

旧・北初富駅駅舎を撮影したところ。
進入防護壁で正面出入口を完全に遮断し、
そちらに周辺地域の案内図を引き続き掲出してある。
その向こう側で旧・駅舎は足場で囲まれ、
幕で包まれているものの、基礎部分のみとなっている。

旧・北初富2号踏切から旧・北初富1号踏切へと見ているところ。
バラストとケーブルが撤去されている。

高架・北初富駅駅舎と並行する
旧・北初富駅2番線ホームと旧・上り線跡並びに旧・地下通路を撮影。
バラストまで一通り撤去されている。
駅舎は基礎部分を残すのみで、周囲の一部に足場を組んで幕を張っているだけ。
ホーム部分は土台を構成する脚となっていた柱ばかりとなっている。
また架線柱だった柱も撤去してある。

高架・北初富駅駅舎出入口から旧・下り線跡越しに
旧・北初富駅駅舎を見ているところ。
骨組みにあたる部分は一通り解体してあり、
基礎だけが残されている。

旧・北初富駅2番線ホームを見ているところ。
土台を支えていた脚だけが残されている状況。

旧・北初富3号踏切脇から
旧・北初富駅2番線ホーム裏手へと撮影したもの。
ホームの脚が連なって残っているだけ。

旧・北初富駅1番線ホームも完全に脚を成していた支柱だけとなっている。

線路跡を挟んだ高架駅舎寄りでも
旧・地下通路部分の解体作業がなされている。
また高架・北初富駅2番線ホームの下を仕切るように
侵入防護壁を設置してある。

北初富駅駅舎地上部、コンコースから改札方面へと見ているところ。
駅務室を前にモニター付きインターホンが設置されており、
向かい合うように引き戸を設けてある部分が
旧・地下通路への迂回路にあたる部分になる。
これに絡んだものが撤去されているのでがらんどうになっている。
そちらを侵入防護壁で仕切ってある。
上部には案内表示器とデジタルサイネージが取り付けてある。
路面はそれぞれの乗り場へと色分けをした上で
目的地を記載して矢印による誘導をしている。
モニター付きインターホンは改札外にも設置している。

北初富駅2番線ホームへのエレベーターの脇から
コンコースへと突き出ている仮設壁面に設けられている引き戸は
地下通路へのエレベーター部分を内包したところに設けられている。
旧・下り線跡に面して侵入防護壁で遮っていた箇所には
仮設壁面と引き戸を取り付けてある。

旧・北初富3号踏切から旧・北初富駅と
それに並んでそびえ立つ北初富駅を見ているところ。
旧・北初富3号踏切を前に瓦礫が積まれており
脇に撤去したビームが置かれている。
一通り構内からこちらまでバラストが撤去されている。

旧・北初富3号踏切〜旧・北初富4号(先々代・6号)踏切間では
バラストの撤去を進めており、
旧・北初富4号(先々代・6号)踏切に向けて展開されている。
並行するヤードにはバラストが積まれている。

野馬除けの土手のように積まれているバラストを
上り列車から見ているところ。
進入防護壁向こうは鎌ヶ谷総合病院駐車場。

旧・北初富3号踏切〜旧・北初富4号(先々代・6号)踏切間における
バラストの有無の境目付近を撮影したところ。
この先は旧・北初富4号(先々代・6号)踏切までバラストが続いている。

旧・北初富4号(先々代-6号)踏切から地上線を高架橋とともに
旧・北初富3号踏切方面へと撮影。
旧・上下線ともに踏切部分を前にしたところから撤去がなされている。
並行するヤードとともに線路が敷設されている敷地は
いずれもかつて北千葉線の敷設を予定するために確保された土地だ。
こちら側まで列車防護柵の撤去がヤード側、高架橋側ともに及んでいる。

旧・北初富4号(先々代6号)踏切から旧・新鎌ヶ谷駅構内を見た様子。
搬入路は先々代の北初富6号踏切だったもので
いずれも軌道を撤去した後、整地を行い、
旧・上り線跡側には鉄板を一部に敷いている。
また通路部分を三角コーンで仕切ってある。
駅構内では旧・上下線ともに撤去がなされており
架線柱も既に消え、ホームもほぼ解体されている。

旧・新鎌ヶ谷駅地上ホーム、
残されているホーム部分は東武線乗越仮橋梁寄りの一部のみで
ほかは跡形もなくなってしまっている。
第1工区以外で唯一残っている架線柱はココ。

南北自由通路のもとへと北総鉄道新鎌ヶ谷駅駅舎出入口を撮影。
駅名表示板は黒を基調とし、
ラインカラーの北総ブルーはナンバリングにのみという
旧来のイメージを大きく覆すものとなっている。
ここの駅名表示板を大きくしているので
広告スペースを別途駅舎壁面に設けている。
南北自由通路を含めて点字ブロックが一直線につながってはいるものの、
高架下通路の所有者や整備年代がいずれも異なるので
三者三様のデザインになっている。

新鎌ヶ谷駅南口交通広場から
新京成・現・新鎌ヶ谷駅と
それに並行する新京成・旧・新鎌ヶ谷駅跡を撮影。

地上の旧・ホームは高架駅舎の新鎌ヶ谷駅の文字の下あたり、
東武線乗越仮橋梁周辺の一部のみに
わずかばかり残るだけとなっている。
線路も高架になった区間で残っているのはここだけ。

旧・新鎌ヶ谷1号踏切から東武線乗越仮橋梁を見ているところ。
基本的に交差箇所は地上部を走る事業者が
工事を受注して作業を行うということなので、
東武鉄道がその上部に架かる仮橋梁やホームの撤去をしていくことになる。
現・高架部分も工事を起こしているのは他ならない東武鉄道。
北総鉄道においてもこの部分は東武鉄道が工事を起こしている。
費用はもちろんそれぞれ当事者の負担だけど。
駅として一番古いのは北総鉄道ながら
線路敷設が一番最初なのは東武鉄道。
そこに新京成(鉄道連隊)、そして北総(開発)鉄道が
上を跨ぐように線路を敷設しているという順番を経ている。

上り列車から旧・新鎌ヶ谷駅地上ホーム跡並びに
東武線乗越仮橋梁を撮影したところ。
架線柱、軌道ともに残っているのは仮橋梁部分のみ。

駅舎内では壁面が旧・地上ホームへのスロープがあった付近を
高架駅舎と遮断しており、
関係者用のドアが設けられている。
これと別にスロープ解体を受けて仮設壁面を施してある。
こちらの方がドアがある部分よりも
背丈が高く、天井まで及ぶものになっている。

旧・地上ホームへの階段部分も仮設壁面で仕切り
路面には点字ブロックの切り替え形跡が残っている。

旧・新鎌ヶ谷1号踏切から
高架橋並びに新鎌ヶ谷駅ホームと並行する
地上部の旧・上下線跡を旧・地上新鎌ヶ谷駅ホームへと見ているところ。
線路が敷設されていた部分にはバラストが残るばかり。

こちらは旧・新鎌ヶ谷1号踏切から旧・新鎌ヶ谷2号踏切方面へと
地上部の旧・上下線跡を撮影した一コマになる。
バラストと補助信号は残っている。
また引き続き高架下に交通規制の機材が用意されている。

踏切構内における
旧・上下線線路脇にはそれぞれアスファルト舗装が延びており、
道路を横切っている。
また車歩道の境目に置かれている柵の下にも
ぞれぞれアスファルト舗装がなされている。

続いて旧・新鎌ヶ谷2号踏切から地上線跡を
旧・新鎌ヶ谷1号踏切へと見ているところ。
こちら側においても線路は撤去されバラストが残るのみ。
高架橋の脇には補助信号が立っている。

こちらは旧・新鎌ヶ谷2号踏切を旧・新鎌ヶ谷3号踏切方面へ見たところ。
バラストと補助信号が撤去されている。
信号機の設置されていた柱は台座だけが取り外され、
柱自体はまだ残されている。

旧・新鎌ヶ谷3号踏切から旧・地上線跡を旧・新鎌ヶ谷2号踏切方面に撮影。
バラストの撤去された線路跡には高架橋のそばに
信号機が設置されていた支柱だけが残されている。
ショベルカー留置中。

旧・新鎌ヶ谷3号踏切から旧・新鎌ヶ谷4号踏切方面へと見ているところ。
旧・地上線の線路跡はバラストが
旧・新鎌ヶ谷4号踏切のもとまで撤去してある。

コスモシティ5寄りの遮断機が置かれていた足元では
三角コーンを配置した上で電気系統の撤去を行ったものと思われる。
台座の部分を掘り起こしていた。

新京成の電路・信号区付近ではアスファルトの路面を引き剥がしている。

旧・新鎌ヶ谷4号踏切から旧・新鎌ヶ谷3号踏切方面を見たところ。
旧・新鎌ヶ谷3号踏切方面からフェンスの足元まで
線路跡からバラストが撤去されている。

旧・新鎌ヶ谷4号踏切から
旧・初富駅2番線ホームへと旧・上り線跡を見ている一コマ。
旧・新鎌ヶ谷4号踏切手前までバラストの撤去がなされている。
架線柱も既にない。

市道11号では
コーシンに隣接する個人宅敷地内でショベルカーが稼働して
トラックへと瓦礫の搬出を行った。
暫定駐輪場に面した幕やそれを張るための骨組みは撤去している。

市道2347号から旧・初富駅駅舎を見たところ。
旧・駅舎は壁面で覆われており
「移転しました」の文字とともに現・初富駅の案内が掲出されている。
駅舎の照明がないので侵入防護壁に街灯を設置してある。
券売機付近も作業用の照明を取りつけている。
侵入防護壁で囲まれており、
旧・駅舎は出入口部分のシャッターが開いているのがわかる。

初富駅と市道2347号を結ぶ暫定通路から
ケヤキのある駅前広場用地と旧・駅舎を撮影。
高架駅舎への連絡通路は解体されている。
また旧・初富駅舎と高架駅舎への連絡通路の接続部分にドアを設置している。

旧・駅舎への連絡通路部分を
高架・初富駅駅舎地上部から見ているところ。
通路は既に解体されているけれども、野ざらしで点字ブロックが残っている。

県道57号、旧・初富駅駅前立体駐輪場跡地のところの
工事車両搬入口から旧々・下り線跡にそびえる
高架橋躯体「初富R1」付近の様子並びに
ヒマラヤスギや先々代・初富駅駅舎があった付近を撮影。
もちろんヒマラヤスギと
先々代・初富駅駅舎の存在を意識してもらうためのもの。

旧・初富1号踏切から旧・初富駅2番線ホームを見ているところ。
線路跡にクレーン車が留置されている脇に目に入るのは
ホームを支えていた脚ばかりだ。
ピンクのマーキングがなされるようになった。

焼肉きんぐ並びに丸源の駐車場から
旧・初富駅2番線ホーム周辺を撮影した一コマ。
フェンスに白い幕を張る範囲は既にホームがない。
幕を間近にしたところに脚だけ。

市立図書館に面して侵入防護壁が施されている範囲も
こちらから目に入る部分も脚ばかりだ。

旧・新鎌ヶ谷4号踏切側から旧・初富駅2番線ホームを撮影したもの。
脚となっていた支柱が連なっている。ピンクのマーキングが目立つ。

ショッピングプラザ鎌ヶ谷2階サイゼリア前テラスから
旧・初富駅2番線ホームと旧・上り線跡を撮影した一コマ。
ホームを構成していたパーツが
高架橋の足もとなどにいくつか置かれている。

旧・初富1号踏切から旧・上り線跡を
地上部、旧・初富駅2番線ホームへと見た一コマ。
旧・新鎌ヶ谷4号踏切側から
旧・初富駅2番線ホーム部分を跨いで
旧・初富1号踏切を手前まで
一通り旧・上り線の線路とバラストを撤去している。
また旧・新京成スタシオンセルビス初富駅前売店店舗は
しっかりと高架下に収納されている。物置として使っている。
踏切間近にした部分を残して列車防護柵を撤去してある。

県道57号、ウィルパートナー付近から旧・初富1号踏切を手前に
架道橋を撮影したところ。
交通規制機器が警報機が置かれていた付近に設置してある。

旧・初富1号踏切からショッピングプラザ鎌ヶ谷へと
旧・上り線をみているものになる。
フェンス向こうの線路とバラストは撤去されている。
車道部分を跨ぐ架線はない。

この架道橋下、次なる作業に向けて下書きがなされている。
アスファルトの打ち替えをする範囲を想定しているようだ。

その作業に向けた下準備で
クリアパネルの向こう側、「初富AR1」躯体の足もとでは
歩道との境目を掘り起こして
白い袋を詰め込む作業が行われた。
三角コーンを置いている部分を照準にしていたようだ。

鎌ヶ谷ショッピングプラザ2階サイゼリア前テラスから
先々代・初富駅跡地と旧・初富1号踏切、県道57号、
そして旧初富駅前立体駐輪場跡地を見ているところ。
段階的に縮小してきた踏切からは設備が撤去されているので
自動車は一旦停止をする必要がない。

ショッピングプラザ鎌ヶ谷、2階サイゼリア前テラスから
「大仏R10」高架橋躯体ならびに旧・上り線跡を見ているところ。
地上部は架線柱を撤去しており、高架下にはバラストがまとめてある。
高架橋の足もとに沿って鉄板を敷いている。

地上部、旧・初富1号踏切から
ショッピングプラザ鎌ヶ谷方面へと旧・上り線跡を撮影。

ベルトゥムールと茂野製麺間の架道橋付近には
線路跡を挟んで撤去したバラストがまとめてある。

富岡側の第一工区詰所や「大仏R5」躯体と
旧・地上線跡を見ているものになる。
アスファルト路面の引き剥がしがなされた。

富岡メディカルモール駐車場付近
「Kゲート」付近から富岡側第1工区詰所方面へと
旧・上り線跡を撮影。
トラックは引き剥がしたアスファルトを搬出するべくスタンバイ中。

旧・初富2号踏切から旧・初富1号踏切方面へと見ているところになる。
富岡側第1工区詰所付近までバラストの撤去をしており、
撤去を行ったところには高架橋寄りに鉄板を敷いている。

初富1号踏切(旧・初富3号踏切)方面側も
バラスト撤去部分の手前と高架下に鉄板を敷いている。

初富1号踏切(旧・初富3号踏切)から旧・上り線跡を撮影。
ケーブルが線路跡を横切っている。
高架・上り線の防音壁の延長線上に
擁壁が整い、防音壁を取りつける土台が用意されつつある。

こちらは作業に主眼を置いてみているところ。
擁壁が躯体の延長線上に仕上がってきたのがわかる。

そして上り線の脇に用意されているものは
まだ出番がない。2019年製のものと2020年製のものがある。

初富1号踏切(旧・初富3号踏切)から
切り替え地点付近を見ている一コマ。
高架線が敷設されているところが
本来の線路があった場所なので、
高架線へと直線上に線路が延びている。
旧来のセオリーはもはや通用しないところに
物事が推移しているような気がする。
減税をすれば痛みが和らぐといわれているものの
これだけの高齢社会になった状況下となると
その対象となる人は思っているよりも少なかったりするし
直接税を下げることができても
一過性に終わってしまう可能性が十二分に高く、
もとの水準の戻ると文字通り元の木阿弥になってしまうことは
火を見るよりも明らか。
消費を刺激するといっても、人口減社会になっているところでは、
たくさん買える人は買えるだろうけれども、
浪費に近いほどの購買力を積み重ねるものを
手元に持っているのか問うと、その状況にある人はそう多くない。
平べったくいうと景気が回復したからといっても
旧来の倍、観光におカネを使うこともなければ
普段の倍、豪華な食事や衣料に対しておカネを使うというのも
様々な制約のもとで体現をしていくのは非常に難しい。
難しくっても人口が増えていく時代は
その積み重ねで何とか、という糸口があったものの
今やそれも交流人口で補っていたところにあるので
容易に果たせるものではない。
借金ばかりを積み重ねていても返す未来があればまだしも
余計に道のりを険しくしていくだけ。
現況を受け入れる以上に術はないのかもしれない。