2020年03月08日

清水沢の空白

夕張遠征編2020
2020年1月28日、旧・南清水沢駅周辺で整備されていた
拠点複合施設りすたを見物した後、
旧・石勝線夕張支線と並走する国道452号を北上していく。

コンパクト化が進められている中でも
人口を抱えていることを物語るように
ホーマックニコットやA-Coopが沿道に立地している界隈から
陽光団地のそばを通って
旧・石勝線夕張支線の第8志幌加別川橋梁を横目に第二志幌橋を渡る。

この橋梁はJR北海道が旧・石勝線夕張支線廃止に際して
施設の老朽化が顕著なものの一つとして例示したもので
大正7年に架橋しており、
一世紀以上にわたって往還を成してきた銅桁3連の橋。
鋼材の腐食が見受けられることが指摘され、
その銅桁を交換したりする工事に9000万円くらいかかることを
当時の段階で提示されていた。

この橋梁と稚南部トンネルの補強工事(6億5000万円)を行うことを断念して
廃止を受け入れたことで
夕張市は持続可能な交通体系を構築する費用である
7億5000万円をJR北海道から拠出してもらい、
新夕張駅のシェルターの改良や
拠点複合施設りすたなどの整備といったものに充てている。

列車は走らないので線路跡と同じく
ガーター橋には雪が降り積もったまま。
撤去するのにもおカネがかかる。
夕張遠征編2020
道道38号との交差点を左折して
引き続き国道457号をなぞり、線路跡を跨いで清水沢宮前町の交差点へ。
セイコーマートや夕張消防署がそばに位置しており、
ここから左折して線路跡沿いに進んでいけば
清水沢生活館や公衆トイレ、駐車場がその間に立地し
一方、道路右手には商店が並び、旧・清水沢駅の前に着く。

旧・清水沢の駅は廃止されたものの、
道路向かいの食堂は引き続き「駅前食堂」を名乗っている。
こういうところに鉄道施設と別に
そういったものがあった名残を
後世に伝えていくことになるのかもしれない。

シャッターが閉じている隣接する店舗と合わせて
かつては旅館だったことが剥がれた文字の形跡から伺える。

清水沢炭鉱で非常に賑わった上に
大夕張方面への接続を果たしていた時代もあっただけに
行き交う人々を受け入れるだけのキャパシティを
かつては必要としていた。

同時にあまりに大きなそういうものが失われるのとともに
補う術を持ち得ない以上、
その落差が市街に大きく影を落としたのも確かなようだ。
夕張遠征編2020
ちょうど清水沢駅に降り立ったのは10年前のこと。
昨年は列車から通り過ぎるばかりだった。

旧・清水沢駅駅舎を撮影したところ。
当時は有人駅だったものが廃線時は無人駅として迎えている。
駅名表記が剥がされ、
変遷を物語るようなガランとした感覚は
旧・南清水沢駅よりも遙かに強いものがあった。

ゆうばり小のスクールバスがちょうど小休止していて
真谷地方面に向かう車両であることがわかり
夕鉄バスの路線バスが補完している地域は
一般の路線バスでの登下校がなされ、
それがない地域には別途然るべき措置を講じていることが伺われた。
実数値としてどれくらいの児童の方が
こういった交通機関を必要とする状況で登下校をされているのか
加えてその距離というものを実感できるものではなかったけれども。
夕張遠征編2020
大夕張炭鉱へと結ぶ大夕張鉄道との結節点となっており
かつては貨物の取扱量も想像を超える規模であったことを物語るように
雪で埋もれているとはいえ非常に広いもので
道道38号側と駅構内が市街を分離しているため跨線橋が架かっている。
夕張遠征編2020
跨線橋から旧・清水沢駅駅舎とホーム並びに構内を撮影したところ。
JR北海道の旅客駅としては1面1線構造ながら
ホームと駅舎との間には留置線と大夕張鉄道のホームが
かつてはあったそうで、持て余している空間は
そちらばかりではなく旅客ホームにまで及ぶようになってしまった。
ヒトの出入りのない非常に広い空間が残されている。
夕張遠征編2020
線路跡を旧・夕張駅方面へと見ている一コマになる。
つい1年前までは列車が来る光景だったものが
もう二度とやって来ないものへ。

遠い昔話だと思っているような大夕張鉄道に続いて
石勝線夕張支線もまた過去のもとになり
歳月の経過とともに
同じような感覚を抱く時代が必ずやってくるのだろう。

さて、足尾銅山といえば古河機械金属が、
神岡鉱山は神岡鉱業(三井金属)、
小坂鉱山はDOWAホールディングス、というように
鉱山閉山後も工場をはじめとした事業を
せざるを得ない側面を抱えつつも、その土地で展開しているのに対して
夕張の石炭産業を推し進めてきた企業には
そういうものが見受けられない。
工業団地はあれども、そこに立地する企業の中にその名前はない。

北炭は会社更生法の適応を受けている。
大夕張の開発を推し進めていた三菱系列においても
そういうものを思わせるものを目にすることはなかった。

だからといって決して無縁なのか、というわけではなく
「三菱マテリアル社有地」の看板が立っている空き地もあり、
そういったところに皆無ではない影響が
今もなおそこに持ち得ていることことを垣間見ることになった。
夕張遠征編2020
「清水沢3丁目」停留所(旧・清水沢駅代替停留所)で
夕張市石炭博物館行きの夕鉄バスを待っていると
15:59、バスがこちらにやってくる。

ゆうばり小の児童でごった返していて、非常に賑やかな車内となっていた。
下校風景にお目にかかることができた。
公共交通機関を児童への安全・防犯面に配慮して登下校の手段にすることなく
スクールバスを独自に、というところが多い中で
登下校に路線バスを選んでいる、選ぶようにしている、というのは
非常にありがたいものが第三者としてもある。

バスは「清水沢2丁目」から左へとカーブして交差点に出て
道道38号に合流し、志幌加別川に沿って「葬斎苑前」を通り
蛇行して洞門を潜り、山林を進んで志幌加別川を渡った後、坂を上がる。
淡々と進んでいって「温泉橋」「虹ヶ丘」を通り、
左へとカーブ描いて平和運動公園のそばから
平和改良住宅へと向かい、「黄色いハンカチ広場」を過ぎると
沿道には民家が続き「若菜市街」を経て、
16:09、「夕鉄バスターミナル」に到着。ここで乗り換えるべく降車。

乗り継ぎ目的で降りる人だけだと思いきや
こちらで同様に降りていく児童の姿があった。
おまけに保護者の方が駅や停留所に迎えに来たりする場面も
そう少なくない時代でありながら
それぞれ個々人で家に帰っていくというのも
自分の時代はそれが普通であったのだけれども、意外な印象を受けた。

posted by 小林 慶太 at 23:41| 千葉 ☁| Comment(0) | 旅行編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする