2012年05月20日

初富2号踏切夜間工事後

先日(2012年5月18日)、初富2号踏切の夜間通行止めを伴いながら
ガス管の盛替準備作業が展開された。
立体交差事業2012年5月
こちらが紹介済みの2012年5月18日の昼間作業の様子。
立体交差事業2012年5月
続いて一夜明け、2012年5月19日、夜間工事終了後の初富2号踏切。
早朝に通りかかったので撮影したところ。
「ガス管」の作業が主体なので重機の有無や掘削された跡を除くと
顕著な変化には乏しい。
立体交差事業2012年5月
初富2号踏切付近、市道移設作業現場の状況。この界隈を含めての工事だったと思われる。

立体交差事業2012年5月
そして東武野田線の高架下。
コメントを頂戴した通り、高架橋を掘り下げているところから耐震化がなされている模様。
立体交差事業2012年5月
一部の高架橋はフェンス内ではなく側道に飛び出たままになっていたので
この辺で妙に気になった、というところ。

高架下利用は「可能性」として魅力あるものの、
やはり現実には難しいものがあると思われる。

それだけあらゆるもので市場が行き詰まっている、限界に近い状況って事で。
広がっていく時代はその可能性を享受する事ができたのだろうけど。

posted by 小林 慶太 at 22:21| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 立体交差事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

ライフライン

いつ始まるのかもわからない、そしていつ終わるのかもわからない。
そもそもその原因というモノもわからない。

そんな中で断水の不安に晒される事になった。

ここからはじまるよ!とハッキリわかっていたり、
ここで終わるよ!という事がわかる断水であれば
不自由でありながらも、
心理的な不安はグッとわからないのに比べれば
随分と和らぐものなのかもしれない。

実際、そういった境遇に見舞われた方もいらっしゃるので
比較すればいかに恵まれた悩みなのか、というのももっともな事。

同時に既に事象として起きている問題というのに
自分の身の回りに降りかからないと
その危機感というモノが湧きあがってこない自分というのは
いかに抱いているセカイが狭い事を物語っている。

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という人は
当然、自分自身が生活圏に身を置いている中で
水源がどこにあり、流域の方々の生活を意識した
生活をされているのだと思われるけれど、
あいにく自分はつくづくそういう発想がないものだと思うばかりだ。

何だか知らないけれど、異様なペースで飲料水が売れていく職場。

利根川上流でホルムアルデビドが検出され、
埼玉県の行田市や春日部市の浄水場の話がニュースで流れていたのに
同じ河川を水源にしているのに、同じような事が起き得ると思えない
自分ってのはどれだけ浅はかなんだろう。

このニュースを見ていた段階で北千葉浄水場が
同じようにホルムアルデビドが基準超過の恐れから取水を停止していたようだ。
これをまるっきり知らないって……。

千葉県水道局がこの日早朝(朝0時30分頃とか)、
ホルムアルデビドが基準を超過する恐れから栗山浄水場の取水を停止。
もうこの段階でうちの街や松戸市と船橋市や市川市、白井市の一部では
断減水の可能性があると示されていた。
夢の中にいたもので……。

北千葉浄水場の取水が朝1時過ぎから再開されて
回避される見込みになったとはいえ、
早いと朝8時とか、もう予定されていたようで、
それを知る事もなく、その時間帯には普通に職場に出勤していたりする。

しかもラジオかけているのに、全然、そういう話題を耳にする事もないって……。

この間も栗山浄水場は取水停止状態で、
一時は取水再開した北千葉浄水場がまたも7時30分頃から取水が停止。
ここで13時以降の断減水の可能性が再燃するに至って、
うちの職場は開店を迎え、異様なペースで飲料水が売れていくという
そんな事態に陥っていた。

売れて良かった、という売れ方ではないので喜べる話ではない。
基本的に多少の上下がありながらも一定水準で売れてくれる、買ってもらえるというのが
冷静な商品の買い方だから。
(生産も物流も基本的にはこんなシステム。サイクルをどこでどう組み立てるのかって事)
何でそんな異様な売れ方をするんだろう、っていうところで
ようやくそのとりまく状況を知る始末で、
普通に生活しているところに加えて仕事が絡むと
どうにもならないような恐怖感に苛まれる。

その一方で野田市や流山市では断水がはじまっていた。
となれば柏市や船橋市、我孫子市といったところも、というのは。

12時ちょっと前からまたも栗山浄水場から状況悪化を想定して取水が停止され
これを受けて、千葉県水道局や各自治体が応急給水を実施し出した事を知る。

ようやくここでラジオを神経尖らせて聞いて
自ずとそういったものがこの期に及んで
ようやく自分たちのもとにも訪れる、というのを実感する有様。

何時頃に止まるというものと、
何時頃に再開する、というものが漠然とした状況下。

井戸水が幸い、職場は引き込んでいたので
営業に大きな影響が生じる事態は回避できたのだけれど、
それで「良かった」という話で物事は終わらないもので……。
(狭いセカイで言えばそういう話で終わるのかもしれない)

電気もさることながら、
いかにこういったものをそれなりのコストを支払っているカタチを経てはいるものの
無意識に恩恵を当たり前のモノとして被っているのかというのを
まざまざと実感するのと同時に、自分たちの社会の足元にあるモノ、を
強く意識する一日だった。

何年生きていて、ようやく気付いたんだ、っていう話で
非常に恥ずかしいものがあるけれど、知らないままであったりするのも多々。

また心理不安で「過度」の買い占めが行われたりと
非常に人間の醜さをあの日々を繰り返すかのように再現される姿に
本質的なモノを見たりする。

ヒトに行き届く事を考えた購買をしなければならない
局面であるかのように思えるのに
学習したのは「いかにヒトを蹴落として」、というような
露骨な買い方をされる方も。

その一方で、取水の停止や再開の判断に携わる方々や
こういった事態で臨機応変になかなかうまく機能しているとは言い難いけれど、
それでも事態を少しでも解消しようと
市域をスピーカーとともに自動車で巡回された方や
給水をされて下さった方々がいらっしゃり、
ライフラインを支えている方々には感謝の言葉では
尽くしきれないものがあったと思う。

今日、地元の小学校は運動会だったんだよね……。
こういったものがある中で無事遂行されたっていうのは
非常に大変なモノの上に成り立っていたっていう事なのかもしれない。

※情報伝達の難しさをこういう時はなおさらに思う。
ネットがある、ツイッターがある、というインフラにダイレクトにコンタクトがとれる
そんな状況ってどれくらいあるんだろう。
テレビやラジオだってそういう話題をずっと、というわけにもいかないし。
この話題でひっ迫すればするほど、経済は膠着していくわけで。ジレンマだ。
posted by 小林 慶太 at 23:17| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

肯定的思考

どうしてそういう発想が単純に抱けるのか不思議で仕方ない。

僕が言うのも何だけれど「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」っていう
丸っきりないというのものに無自覚なんだろうか。

ちなみに消費者としても「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という人は
それを体現される消費行動を常に留意され体現されているはずだ。

競合店が節電を意図して開店時間を6月から3か月間ほど
従来の9時開店を朝7時に繰り上げることになった。

早朝の需要が見込まれる事と、来店するお客さんの数が分散する事で
消費電力が抑えられるというその措置(これもどうなんだろうとしか思えない)
閉店時間は変わらない。
もとは24時間営業だったので、それを踏まえれば、というのもある。

昨年に続いて、こういう展開が強いられ、
また余計な競争に巻き込まれてしまうのではないかと戦々恐々する事になる一方、
昨年の実績を踏まえた上で、こういった措置がとられるのが不思議で仕方ない。

まず、早朝の需要について考えると、
お客さんが普通に買い物をしたいなぁ、って考えているというのを酌んで
開店をする、というのは理解できるのだけど、
実際はポイントを増やすとか、早く買い物に来るとお買い得だというような特売を入れて
それでもその時間帯に来客しているように思えなかった、というのが
自分の第三者的な視点。
(現実はそんな事はなく大盛況だった、というのもあり得るので一応)

一人でも必要とされるお客さんが、とか思うのであれば
それも然りなのかもしれないけれど、
それに動員される人々を思うとすべき戦略としては到底思えない。

企業である以上、利益を生み出さなければならないのだから。
そういうのを生み出せる構造にあるのかを問うと、これに相反しているのではないかと。
大体本来24時間営業だったものが、
採算上で営業時間を今日のスタイルにしている辺りからして推測されるように思われる。

加えて7時開店、となると、
働く人は何時に会社にやってくればいいのでしょうか、という問題。
これに巻き込まれる事を危惧しているから困惑。

男女共同参画で、ともに育児に携わる事を前提にすると
これ以前に託児所に子どもを預けなければならない、となるわけで、
託児所の方はもっと早くやって来なければならない。
(男女共同参画でなければ、それもまたアリかという考えもできる)

加えて早朝となれば一般的に割増料金というものが脳裏に浮かぶのではないかと。
ご自身が早朝でも普通の賃金で喜んで働くとか、
そういうのでなければまだしも、当然、この辺は踏まえるはず。

果たしてそれが払えるような雇用体系が導き出せるのだろうか?
早朝割増手当はサービスに転嫁される。
本来よりも早い時間に子供を預かってもらうというサービス。
通常よりも早い時間に買い物ができるというサービス。

にも関わらず、買い物ができるサービスは価格転嫁されるどころか
ポイントによる消費者還元や、特売商品のオンパレード(大袈裟)となると
とてもそれを補える構造がない。
通常の営業時間でこれを補う、となると、来店者を分散させることが意図だから、
普段よりも多くの人が来ないと体現できないというのは
感覚的にわかるものではないかと。

人員の配置にも限界がある。一朝一夕でできるものではない。
薄くなれば雇用に弾力が効かなくなる。早く帰れるとは限らないような気がする。
(お客さんがやってくる時間が分散するわけだから)

「子どもが病気だ!」とか、そういう時に休めない状況がより濃くなる。

子どもに限らず、両親の看病とかもあるし、自分自身、という場合もあるわけで、
それを補えるだけの組織というモノを維持するのもコストを要するもの。

ちなみにこの企業だけが出せればいい、というものではない。

この企業だけに限定されれば「子育て」が限定されるから、
自ずと、「子育てにやさしい社会を!!」っていう言葉は狭い範囲を示すものとなる。

なお7時開店は6時くらいにやってきて開店、というわけには
一般的に行かないのではないかと。

この時間帯の前に、となるとハードルは高い。
さらに物流に携わる人も前倒しになるってのはわかるかと。

この辺も資本力に左右される、
つまり、「言う事聞かないと(以下略、想像にお任せ)」とかそういうものがなければ
これにもやっぱり早く来てもらうのにはおカネがいるわけだけど、
それも詰まるところ商品の価格に転嫁されるって事になる。

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という人は
当然、これをためらいなく買う事ができるはずなのであって、
むしろ「安くならないの!?」と相反する発想を抱くなんて事は絶対にないはず。
突き詰めればそれはどういう発想なのか、というもの。

こういうものが欠落している中で、安易に打たれていく戦略というのは
人口増を生み出すものよりも、むしろ市場の寿命を縮めていくのに等しい。
それを普通にポンと出されるとねぇ。

子どもを持たなければ、子育てがある程度、終わった人が
はたらけばいい、って片付けると
「それ以上」を派生させる可能性が皆無になる事を忘れてはいけない。

二人目、三人目を持つ可能性が消える事になる。

人口の自然増を生み出す構造は抹殺される。

加えて一般的なライフサイクルからかけ離れている状況下を作り出していけば
自ずと社会との適応に距離を置いていく事も必定。
社会はより分断を極めていく事になるのかもしれない。

色々と諦めなければならない事が多くって、ねぇ。
逆に覚悟の上での事、とバッサリ行ってもいいですよ。

読売新聞京葉版2012年5月18日記事に
「仕事・生活両立 進む制度化」の見出しと共に
県内企業調査、看護休暇19ポイント増69%、介護休暇13ポイント増77%という
数字が突きつけられて、人生をひどく落胆した。

県内3464社にアンケートを配布して27%の回答率というのを
鵜呑みにされるのもどうかと思うけど、
自分を取り巻く状況とあまりにかけ離れた方向に物事が推移しているため。

そもそも制度が出来ていても活用できなかったり、することもあるので
「進む制度化」なんて「ポジティブ」に思える事自体、信じられない。
標本調査として捉える事は安易だ。

こういうのを制度化するのにあたって人員を増やさなければならないのに
現実には欠員が生じても、補充があまりなされない状況が続くし、
ヒトを雇いたくっても、価格競争の「恩恵」で賃金が抑えられている以上、
敬遠される傾向が強くなれば、どうする事もできない。

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」っていうヒトは
そういう配慮に基づいた購買がなされているのではないかと。

大企業だけでなく、中小企業のも。もしくは個人商店まで視野に入れなければ。
加えて一次産業にも配慮するはず。

できなければ「時代に合いませんね」で一蹴することも自由だけれど、
それに代わる雇用の場を導き出す必要がある。

まさかヒトを路頭に迷わせていて
「子育てにやさしい社会を!!」とかいう事はあるはずないだろうし。

とか言いながらも現実はむしろこういった状況を作り出している。

県は制度化を促すといっても、
結局、それを体現するのにはヒトが要る。
そしてヒトを雇うのにはおカネもいるわけで、こういうものが何一つない中で
「制度化を促す」といわれるのは神経を逆撫でされているように思えてならない。

社会的機運が醸成されようと成し遂げられる
コストがなければどうにもならない。

転職すればいい、という安易な発想を若いころは思っていたけれど、
自分自身は転職して「救われる」(んだろうか?)としても
残される人はそれ以上の負担を強いられることを意味する状況となれば
それは根本的な解決には至らない。

どんどん分断されていく要素ばかりで。
それを何も疑わないでいられる時がある意味幸せなモノなのかもしれない。
一方で制度があっても機能しない、機能できないのもこれ以上に不幸か。

義叔父は妻の看護休暇を申請した時、上司に「親に見て貰え」で一蹴された。
当時の義叔父は40代半ば。
ほどなく義叔父の妻の葬儀の際、その上司が香典を持って来られたとき、
第三者ながら言葉にできない感情を思った一方、
当時学生だった自分は義叔父や上司それぞれの状況になる事を十二分に覚悟した。
覚悟しているのにこういう数値を見て落胆しているのだから
随分と甘い覚悟なんだと我ながら思う。
posted by 小林 慶太 at 23:17| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月17日

胎動!?

珍しく東武野田線の高架下の話題。

つくづく鈍感なモノで……。
初富交差点で信号待ちをしていてようやく背後にあるモノに気付く体たらくぶり。
胎動!?
東武野田線高架下部分において東武谷内田建設のプレハブが出現。
設置されているところは先述のように初富交差点信号機付近。

同時に県道8号に沿って鎌ヶ谷中学校〜初富交差点付近の高架下において
重機が投入され作業が行われている。
具体的に「○○の工事を行っています」というような
看板の掲示がなされているものではないので具体的に知るものではないけれど、
ず〜っと第三者として見ていると「高架下利用」を謳われているのに
半ば“ゴミ捨て場”(良い意味ではない)と化している状態だったところに
こんな変化が生じたのは紛れもない事。
胎動!?
こちらは鎌ヶ谷中学校校門正面付近にある信号機からのびる道路と
東武野田線高架橋の交差付近の様子。

工事車両搬入口がそれぞれに設けられており、
野田線と並行する市道30号における高架橋側の歩道がこれに伴い若干縮小されている。

一応確認しておくけどこの歩道は
東武鉄道の所有地で市が借りているというカタチで供用されていたかと。
工事の措置である事と所有者側の意向が反映されたものと思われる。

これでおかげさまで県道8号線における野田線高架下への
ゴミの投棄はほぼ解消されるに至ったけれど、
そんな解決で良かったと思える要素は丸っきりないというところ。

高架下利用に新たな展開が見受けられることになるのだろうか?
果たして。
posted by 小林 慶太 at 22:55| 千葉 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 立体交差事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フェンス開放

立体交差事業2012年5月
僕に、というわけではないけど(当然だ)、
初富駅の高架工事掲示板の足元に今年も薔薇のプランターの頂きモノを頂戴した。
駅を行き交う人の目に止まる花や装飾。
これを思えば思うほど、初富駅をはじめとした街づくりの重みと責任というのを強く感じる。
気にしないで通り過ぎて行くのも自由であるし、
配置された人の厚意を酌むことも誰も強要するわけではないけれど、
そういう街であって欲しいと思うのだった。

だから結局、暑いとか、面倒とか言いながらも第1工区へ行くわけですね。
これで「プレゼント貰った」って喜んで、素通りしていたら
この文章は何なんだ!って話になるよね。

「大人になった」とか「子育てにやさしい社会を!!」いうヒトは
ためらいなく乗り越えるという感覚を抱くことなくこなせるのではないかと。
あいにく、それらの発想が毛頭ないので日々葛藤しながら生きてる。

「高架化」や「空間活用」に熱意を持たれている方はなおさら。
熱意のない人間よりもやらないって事は絶対にあってはいけない。

という新京成の高架化工事、まずは北初富駅界隈から。
立体交差事業2012年5月
中の峠第2公園脇、北総鉄道高架下部分の通路工事は
くぬぎ山3号踏切と交差する市道から車両搬入が行われる状況へと
現場入口が切り替えられている。鉄板の敷かれている通路が徐々に延伸していく。
立体交差事業2012年5月
北初富駅2番線ホーム裏手に新設された迂回路からくぬぎ山3号踏切方面を見た様子。
見通しが良い状況で、整地されたまま。
ちなみに迂回路は北初富駅2番線ホームフェンス裏に位置するので
乗り越えての乗車を行わないように(する人いないと思うけど)警告看板が掲げられている。
立体交差事業2012年5月
囲まれていく事になる旧通路(2代目)跡並びに作業用地を
同じく新設された通路から眺めている様子がこちら。
本格的な工事はこちらが先となるものと推測される。

ちなみに一番最初の通路がどのように敷設されていて、
先日までの通路がどのようになっていたのかっていうのは記憶にあるだろうか?
もう既にその通路跡は痕跡がほぼないに等しくなっている。
立体交差事業2012年5月
北初富駅2番線ホーム裏手の旧通路(2代目)と新通路の切り替え地点付近には
親切に通路が切り替わった旨の告知がなされている。照明も設置されてる。

続いて気になる地点へ向かっていくと、市役所向かい、
東洋ハウジング隣の工事車両搬入口、相変わらず、重機が稼働している。
立体交差事業2012年5月
具体的な作業については定かではないけれど、自ずと明らかになるものなのだろうか。
立体交差事業2012年5月
これが気になるのは新鎌ヶ谷4号踏切から丸亀製麺所、スターバックスコーヒー裏手を通り
マイカークラブ駐車場手前付近までの線路脇で工事が行われている事が背景にある。
こちらの施工ヤードも舗装が進んでいる状況。
おそらくは仮線路の敷設へのシナリオなのだと思われる。
立体交差事業2012年5月
新鎌ヶ谷4号踏切から先ほどの施工ヤードを眺めたところ。
手前は鉄板が敷かれていて、
奥のマイカークラブ駐車場寄りから舗装が行われているらしい。
ここの工事は意外に厄介なモノで、踏切に安全指導員の方が配置されるほかに
工事開始時にゲート(以前とスタイルが変わった)を取り外して
工事車両の搬入ができるようにして作業を実施。
その日の終了後に再びゲートを設けるという過程を経ており、
安全というものに細心の注意が払われている。
立体交差事業2012年5月
新鎌ヶ谷4号踏切から見ている都市計画道路の施工ヤードの状況。
踏切とヤードの入口付近に若干変化が生じている。
立体交差事業2012年5月
同じく仮ホームの方を眺めているところ。先日と変化はない。
作業が行われているのに変化がないっていう形容って……。
地下通路寄りで重機投入が主体に行われているのでこちらから伺うのは難しい。
立体交差事業2012年5月
初富駅駅前広場用地のモチノキと地下通路工事現場を見ている様子。
立体交差事業2012年5月
こちらを初富駅ホーム1番線から眺めると変化が顕著だ。
通路入口付近が蓋が被さるかのように構造物があらわれている。
立体交差事業2012年5月
2番線から都市計画道路の施工ヤードを見ると線路と鉄板の敷かれている通路の間に
砂袋がたくさん積まれているのが見受けられる。
立体交差事業2012年5月
鎌ヶ谷中学校校庭脇付近における
電気信号のケーブルを整備する作業を線路向かいの大正堂薬局裏手から撮影したところ。
架線工事は夜間に実施。ケーブル整備は目に見える変化に乏しいので
こういった作業の様子を取り上げさせて頂いた。
立体交差事業2012年5月
そしてこの話のタイトルはこちらから。
第1工区の工事における線路移設先の道路と埋設管の移設作業において
道路の切り替え用地と現在の道路を隔てていたフェンスが解放され
工事車両とともに本格的な作業が道路脇で展開されるようになった。
第1工区工事車両搬入口付近から撮影。
ここで撮影してからゴミ拾いが基本っていうところかなぁ。
燃えないゴミの日に回収されなかったゴミを
地域の方がしっかりとしまっていてくれた事が非常にありがたいと思った。
色々と捨てられていく温床になりかねないんだよね。
立体交差事業2012年5月
こちらは初富2号踏切から撮影しているところ。
盛り土がなされた上で重機が稼働している様子が伺える。
フェンスがなくなり、工事車両が稼働する事で歩行者の安全性を確保する必要が生じたこともあって
なおさらフェンスがあった場所付近へのポイ捨てはグッと少なくなった。
(工事があるからやらない、ではなく、基本的にポイ捨てはやらないって事で宜しく)
立体交差事業2012年5月
本日は夜間通行止めを控えている初富2号踏切における昼間作業の様子。
再びクレーン車が投入され、埋設管の工事に着手されるようになった。
立体交差事業2012年5月
スナックだん付近の水道管の移設作業の様子。
溝に身を入れながら作業を行われているのでかなりの作業かと。
立体交差事業2012年5月
まなびぃプラザ付近まで工事が行われている。
ちょうど鎌ヶ谷小学校の児童たちが下校しているところ。

最善なら工事が終わる夕方にゴミ拾いがベストなのだけど、
あいにく里山を片づけに行く兼ね合いがあったので、
迷惑ながらもこの時間帯にゴミ拾いだ。何卒、ご勘弁を。

工事車両搬入口付近と初富2号踏切、まなびぃプラザの3カ所に交通誘導員を配置して
一般通行車両を相互にコンタクトをとりながら流していく。
暑いとアスファルトからの熱もかなりのモノで
徐々に作業は過酷なモノになっていく。

そういう中で街に暮らす人々として体現するものはいかに。
誰も意識する事を求めるものもないけれど、
そういったものもない中で工事や街づくりが行われるのも空しい。

posted by 小林 慶太 at 22:29| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 立体交差事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

幻想の九連休

思わぬところでこのブログ、紹介されていてビックリです。
本当にこんなものを拾い上げて大丈夫なんでしょうか………。

本日の話題。
千葉県が2012年4月28日〜5月6日間での主要宿泊施設(14軒)を利用した
観光客が2011年と比較して29.2%増加した事を発表している。

飛躍的な増加で高揚感が漲る数値じゃないか、と思うのは尚早で
2011年は何があったのかを問えば、
東日本大震災における被害や様々な制約、
ならびに心理不安を反映して極端に需要が落ち込んだことを忘れてはいけない。

だから比較基準は2010年の同時期に充てるべきもので
これと比較すると―6.7%という数値が示されている。

なおプラスになったところで損失分を補わなければならない。
もちろん1年で、というわけにはいかないから
歳月を積み重ねて、という事になる。
この辺は千葉県のみならず、他の被災地も同じ。

人口が限られている中で、「1回行った」で終わり、っていう
従来のスタイルを行っていると自ずと限界が見えてくる。

これは主要施設だけの話だから、
実際はそんな事はない、と思えるのはどこまでだろう。

むしろそうでないところはより深刻である事も十二分にあり得る。

こういった中で自分たちが行っている経済活動はいかに。
って、千葉県よりも他地域に出かけることの多くなった僕が言っても
説得力はないか。

限られた人口で基本的に社会を組み立てているのだから
自ずと自分自身の経済活動が社会反映される事は必定というのに。
人間愛せないなぁ。
(愛せる人が何にも考えてないってのはあり得ない)

でも千葉県は首都圏、とりわけ人口集中地域からそう遠くないところにあるから
宿泊はしないでも「アクアライン」で日帰りしているから
大丈夫、と思うかもしれないけれど、
あいにく千葉市動物公園や鴨川シーワールドなど主要観光施設(20か所)を対象にした
その調査でも観光客は2011年比で4.3%増でしかなかった。
2010年と比較すると-29.3%という驚愕の数値が突きつけられた。
(日帰りすると宿泊施設が維持できない事に注意しなければならない!!)

255系にラッピングしたり、どの程度なんだか、というものかもしれないけど
アニメで「聖地巡礼」を期待したりしている結果となるとなおさらツラい。

加えて東葛飾地域は何と2011年比でも―9.2%と
その昨年の心理不安を覆すような観光需要を導き出す事には至らなかった。
もちろん天候不順なども要因としてあるものの、
観光立県として大きな影を落としているのは否めない。

こういう中で観光施策を推し進めていく事はいかに。

そして注ぎ込まれる対象など深く突き詰める必要もあるし、
転換するのであれば、経済を支えていく産業として
何を充てていくのかも踏まえなければならない。

それも見つからないのが現実か。

なお「9連休ですね!!うらやましいなぁ」というのが
単純な人間の思考だけれど9日間の休日を付与されて
その個人の営みがみんな人々の生活を左右させるとなると
強ち楽観できるものではないような気がしないでもない。

ずっと仕事、というのも結局、購買対象がなければ成り立たない。

ちなみにみんな人々の営みは個々の生活を多かれ少なかれ左右する。

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という人が
そんな事を考えないはずないじゃないですか!?

キッチリ成り立たせて、その言葉をぜひ。
出かければ良い、ではなくて、しっかりと利潤を付託して
その対象を「(個々の)子育てにやさしい社会を!!」と
体現するくらいの裾野を維持する事が当然、前提になっていく。

確認するけど、この辺は踏まえているかと。
僕みたいに社会崩壊の一途な欲望に苛まれている人間とは違うはず。
ついまた模型屋で3割引きで買ってしまう自分。最悪だなぁ。

またJR東日本千葉支社も2012年4月27日〜5月6日の特急列車の利用状況を発表している。
2011年に比べて57%増加という数値が弾き出されるものの、
2010年比では-16%と厳しい数値が突きつけられている。
「成田エクスプレス」は2011年比で2.37倍の旅客需要も2010年比で―13%減。

このけん引役がいなかったらと思うとゾッとするのは
「さざなみ」「わかしお」「あやめ」「しおさい」の4列車。
これらまとめて2011年比17%増に留まっているという現実。

当然、2010年比で言えば……。

これも自動車での観光にシフトしている、と考えれば
千葉県内の経済の枠で踏まえればまだしも、
それでも鉄道を維持する、特急列車を設定していくという事を思うと
こういった数値は重く圧し掛かるものではないかと感じる。

普通列車で事足りる、という部分も否めないけど、
広域的な集客を思うのであればやはり特急列車の存在は必要。
それも運行に見合うコストを賄える需要あってこそ。

要望だけでは自ずと限界が見えてくる。

ディズニーリゾートと幕張メッセだけ賑わっている、では
観光依存度を高めていくとなればなおさら、話にならないわけなんだよね……。

これもまた魅力がないから、で一蹴するのも容易といえば容易だけど、
価値取捨選択を行う自分自身にそれを発掘する術があるかを問えば
どれだけ、そういった発掘に努力をしているだろう?

なかなか自分自身はできないなぁって。

人口が限られている枠組みのなかで個々の地域を成り立たせ
それぞれに発展に導いていくシナリオにはどのようなものがあるだろう。

もちろん実力がないって切り捨てるのも簡単。
自ずと自分にもその理論が突きつけられるだけの事。
また自分に突きつけられるから、他人にも、というのもどうなんだろうね。

金環日食プロジェクトは千葉観光物産協会によるものだけれど
このような背景から作り出されている演出という事になる。

もちろん取捨選択は個々人によるもので
これによる宿泊需要増などを図り、一昨年に比べて総括的なもので
100%以上の水準を導き出す事ができればいいものの、
結果、翌年に反動が生じないような宿泊需要を導き出す必要があるくらいは
「発展」や「成長」を願って止まない人は当然考えるであろうし、
このプロジェクトを振り払えば、結局その投資が負荷になって社会に圧し掛かるし、
宿泊や観光需要増を導き出すことができないので
より苦境へと地域を導き出すという恐ろしいジレンマに晒されている。

どちらにせよ笑える要素はないね。自分の手元には。
posted by 小林 慶太 at 23:55| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

シフト

地元広報誌2012年5月15日号(通算1087号)が発行された。
この紙面に於いて市の2012年度予算の概要が取り上げられている。
一般会計予算278億3000万円で前年比0.4%増で、
特別会計の合計は197億200万円ほど。こちらは前年比6.1%増となっている。

まず確認しておきたいこと。
ご自身の収入と照らし合わせて
この予算比の増加というものはいかがなものと映るだろうか?

収入が増えていて、それに見合う形で税金が納められて、この予算、という
そんなシナリオであれば、さほどムリなく将来を展望する事ができるかもしれない。

少なくとも社会がそういった傾向に位置していたり、
この予算を受けて自分たちの生活がそういう風に伸びていく事が見込めればまだしも
現実には楽観できる要素は乏しいのが現実。

かといって予算は縮小されれば、地域経済は多かれ少なかれこれに反映されて
より縮小傾向を強めていくので、
世の中ってのはどうにもならないようなところにあるようにしか
思えなかったりする。

今年度の予算で新京成立体交差事業に3億8036万円が計上されているほか、
鎌ヶ谷駅西口地区整備事業に1億3682万円を充てている。
また新鎌ヶ谷駅高架下のピコレール保育園に8500万円の予算。

特化した予算編成が続いている。
放射性物質対策や地震・災害に強い街づくりと「子育て・教育」に
投資する傾向が強いのが特徴といったところ。
また既存施設の改修を伴っていくというのも付きまとう事になっている。

で、初富駅周辺街づくり構想案のパブリックコメントの告知記事は掲載されていないけれど、
同日に発行された議会だより(158号)にて2012年3月の定例会一般質問において
この初富駅前広場などが取り上げられているので触れておきたい。

某市議会議員さんがこの議会にて一向に公表されない理由を尋ねている。

これに対して2009年度(=2010年3月ころ)に取りまとめを終えているが
駅へのアクセス道路の位置関係などで関係機関(新京成・千葉県)と調整していて
公表する段階に至っていない、と市役所の方が答弁を行っている。

そして次の質問。
何かわざとらしい印象が否めないけど、やはりそういう意図が見え隠れするような。
(現状=インフラ並びに調整状況を知っている人間がそう思うだけで気にしないで下さい)

市が購入した駅前広場(ケヤキがある広場用地)に県道57号線から
車道がつながらない可能性はあるか、という問いかけが投げかけられている。

市役所の人は「実現できる方向で鋭意努力しています」としか答えようがない有様。

最終的に初富交差点付近からの都市計画道路が完成すれば
確実に車道はつながるのだけれど、調整が如何ともし難い状況となるとねぇ。

駅前広場周辺が第1種低層住居専用地域で
商業利用できないが、不都合はないか、という設問もなされている。

行政は軽々に変更は難しいと答えるに留めている。

人口が限られている社会で、
既存の旧鎌ヶ谷ショッピングプラザの建物を核とした街を考えると
この商業利用できないという制約はこれを保つことに一役を買う一方、
これ以上の「賑わい」を求めることには難しいものであるのもまた確かな事だ。

高層化住宅が建設可能になれば、人口の集約も可能だ。
同時に初富駅界隈並びに新鎌ヶ谷地区の店舗維持に関わる需要を賄う事もできるから
飛躍的な、というのは大袈裟にしても活路を切り開く事はできるかもしれない。

人口が増えていく時代であり、幅広い年齢層で構成される個々の地域が
それぞれに存在するのであれば、僕もその選択をとりうるだろう。

でも現実にはそういう状況下に社会は存在しない。

初富駅の賑わい創出のための人口を賄うというのは
他地域の犠牲を伴う事を極力回避した上でのものであって欲しい。

こういうものを僕は望まない。

都市計画道路や初富駅交差点改良など20年以上前(30年は遡る)の計画で
現在広場を利用する人の利便性が向上しないのはマイナスであり、
時代に合わせた都市計画の見直しはトップリーダー(=市長)が判断することではないのか、と
某市議会議員さんはこの場で詰め寄っているけれど、
これは「後期基本計画に盛り込まれた施策を具体化してよりよい街づくりを行う」という
回答で交わされるに留まっている。

ちなみに都市計画の見直しは同感だと思うものの、
市長の判断だけではどうにもならないのも確か。

これ以上の議論を踏み込まなければならないし、
相手方がある中で、そちらも尊重しながら、どうやって解決の糸口を見出すのか、というものが
このように問われる某市議会議員さんの脳裏にはあるのだろうか?

それぐらい難しい状況下で広場を望んでいた、という点も忘れてはいけない。

大体、生え抜きであればこの辺りの状況を考えていて、
それらが制約になるという事が、高架工事を行う以前に想定していて
猛烈に反対したりしていればまだしも、
高架工事がここまで進展していて、その叱責を問うというのは。
(昨日今日やってきた人が「どうしてそんなのやっているの?」というのは理解できる)

自分自身の落ち度というのはどのようなものだろう。反省すべき点も多いのではないかと。
それを背負った上での街をつくっていく必要性がある。

都市軸に何を実現させるのか、というものも思うものはいかに?

立体交差事業2012年5月
本日(2012年5月15日)の早朝、初富1号踏切から
都市計画道路の施工ヤードを眺めているところ。
線路をつくる作業のための重機が目の前に、というところなのだろうか?
立体交差事業2012年5月
新鎌ヶ谷4号踏切から見ている仮ホームの様子。

鎌ヶ谷ショッピングプラザ建て替えについても
別の某市議会議員さんが踏みこんでいる。

中央公民館を含めた一体的な土地利用を提案し、市長に見解を求めている。

文化ホールの設置に強い要望を持っているのは認識しているとの答弁。

建て替えを期に複合施設として取り組むことは
相手との協議が前提になり大変な事が予想されるが、
将来の街づくりに重要な位置づけになる事についても見解が問われている。

これに対しては綿密な協議を進めて文化施設の実現に取り組む決意があるとの回答。

で、仮にそうなると中央公民館は役割を終えてしまう事になるのだろうか?
加えて協議が商業施設の「空白期間」に及ぼす影響はいかに。

たぶん、この辺、特需とまではいかないまでも
既存店の需要が新鎌ヶ谷地区や鎌ヶ谷地区などに一部流れていると思われる。

そんな中でそれに対応するべく人員補強などがなされた時、
いかにして雇用を守っていくのか、というのが課題になっていく。
(商業施設が出来れば雇用は失われたり、縮小するから。
もちろんそれを凌駕する人口増が体現されれば問題ないけど)

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」っていう方は
この辺にも配慮に基づいた購買や地域経済を鑑みているのではないかと。

自分の感覚としてインフラの拡充はもう限界に近い気がする。

最後に北初富駅の話題。
2012年5月14日の午後、予定通り2番線ホーム裏手の通路の切り替えが実施された。
立体交差事業2012年5月
こちらは2012年5月15日、早朝撮影。おかげさまで明るい時間帯。
従来は右折するところが、左折迂回、という経路に変更された。
立体交差事業2012年5月
新設通路の様子。
立体交差事業2012年5月
新設通路から既存通路方面を見ているところ。
下水管強化工事が行われた上部付近にこの通路が設けられ、施工ヤードは一時分離されたということに。
立体交差事業2012年5月
中の峠第2公園並びに北総鉄道高架下の工事の様子。通路部分に鉄板が敷かれた。

※予算審査特別委員会での審査で
人口の減少が街の発展の阻害要因である事や新たに生産年齢に達する人口の2倍の
高齢者を抱え込むことになる事など踏まえなければならない言葉が多々。
この辺踏み込んで貰いたい。
posted by 小林 慶太 at 23:27| 千葉 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 立体交差事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

対価

先日、テレビでも報道されていたけど、
2012年5月14日読売新聞夕刊にてベイスターズが企画した
「全額返金!?アツいぜ!チケット」が5日間で返金率が85%にあたることが報じられていた。
個々の試合の返金率と金額まで表にされて掲載されていた。

チケットは4000円で5月初旬の5試合が対象となって
ベイスターズが負けると入場料の全額を返金、
勝っても引き分けても満足ができなければ半額まで返金に応じるという試みで
各試合50枚ずつ完売と、ここまでは非常に手ごたえを感じさせるものだったようだ。

この間、試合は3勝1敗1分け、という成績にも関わらず
その返金率の高さは驚くばかりだと感じた。

初戦は0-7で完封負けして全員が返金を希望した、というのは頷けるけれど、
2戦目は連敗がストップしたにも関わらず、1人を除いて返金を要求。
12-1で勝っても半分以上の28人が返金を要求したりというもので
何ともいえない。

「トイレが混みすぎ」とか「今まで負けている分も込みで」というのは
半ば言いがかりのようにさえ思えるのは僕が第三者だからか。

返金できるものを返金させないのは「損だ」というところを
ダイレクトについている消費者の姿が見え隠れしている印象がするのも確か。

2戦目でたったお一人返金を求めなかった方は
どのようなお気持ちで球場をあとにされたのだろう。

消費者として4000円を支払い、対価となる4000円分以上の
満足度を与えることができなかったという
ベイスターズのパフォーマンスもさることながら
逆にその野球選手のパフォーマンスにどれくらいの代価を
一個人として支払う事ができるのかを問いかけた結果の反映として
やるせない思いがする。

自分が通っている野球場(ファイターズスタジアム)の入場料は1000円だ。
これが5000円くらいでひいき選手が滅多打ちにあったり、
失策のオンパレードだったら
「ちょっと待ってくれ!」と引き下がるかもしれない。

誰とはいいませんが。

でもそれも日々の努力の積み重ねの結果。
何もしないで、というものではない。お気の毒、という事もあるかもしれない。

でも加えてこういうおカネの集積で野球場に関わるスタッフの方の人件費や
設備が賄われていく事を思うと果たしてどのようなものだろう。

一応、この野球場の場合、小熊の食費とかも入るって事になるのかも。

こちらの小熊にもお世話になっているし、
スタッフの方の地道な努力は断片的ながらも見ていたりするし、
そんな簡単にできるものでもない。むしろ1000円は安いくらいだ。

考えなければバッサリと行くかもしれない。知らなければバッサリ行くかも。
あいにく知ってる次元に身を置いているので、少なくとも葛藤に晒されるだろう。

優待券は極力拒否するようにしてる。
もしくは頻度を上げる。
月1回行くのを、もう1回増やして改めて自分のおカネで見るようにしてる。

対価を得るのであればそれにみあうパフォーマンスを!という努力を求められるのは
やはりプロ野球のみならず、サービス提供者の使命。
これは1軍のみならず、2軍も同じだし、売店などにも言える事で真実であると思う。

それもまたどこまで、というものを考えるのは甘えなのだろうか?

自分のお店の競合店がたまにやったりする
「1円以上のお好きな値段で買ってください」っていうのとある意味同じなんだよなぁ。

生産者が丹精込めて作り、物流に携わる人が安全を踏まえ、燃料を賄い、輸送してきたもの、
それを「1円」で買う、というのも誰も止める事もしないけれど、
果たして構築する社会の姿というのは。

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という人は
やっぱりこの辺まで踏み込まれていらっしゃるのではないかと。

賢く生きるってのは100円のモノを1円でも安く買う、という図式だけではない事を
色々と踏まえなければならないところに物事があるくらいは考えるよね……。

話題性という名の経済効果だけでは物事は動かない。

※遅ればせながらファイターズの今成選手のタイガース移籍の話を知った。
タイガースの捕手事情から必要とされての事と思われるけれど、
やはり球場で見慣れた選手が他球団へ行ってしまうというのは辛い。

posted by 小林 慶太 at 23:25| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | プロ野球の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

翻弄

その1
マニアやフリークの話、で物事を片づけて完結してくれる社会って
どれだけ素晴らしいのだろうと思う今日この頃。

それぐらい世の中はその需要に遜らなければならないくらいに
社会は追い詰められている事を物語ってる。
余力ある社会は「マニア」「フリーク」の話で一蹴できる。
価値観の転換といえば聞こえはいいけれど
その転換の根底にあるモノを問えば何にやら。

いや、次週のアニメの「ドラえもん」が金環日食を扱うのは、
題材として興味深いなと思う(ハレー彗星とかそういうものを扱った話もある)ものの、
現実の経済をめぐるものは恐ろしいものだと思う。

2012年5月13日の読売新聞には京葉版と全国版でともに
うちの街の金環日食プロジェクトが取り上げられた。まぁ付け足したような表現だったけど。

「活況」という文言が掲げられていた新聞記事は
はたらきかけが「活況」なのか、はたまたそういったものと無関係に
自ずと「活況」になってきたのか問いかけると疑問。

盛り上げれば当然、その需要をある程度の水準で維持していかなければならない。

観光需要の発掘を目的とするのであれば、
儲かりまくっているところに、さらに、というものではなく、
そういう状況ではないところを打開する事を意図するのだから、
それができなければその場しのぎで終わってしまい、
依存度を高めているのであれば、その落差が生活を直撃することくらいは
「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という発想の人は
常に脳裏に思い描いているのではないかと思われる。

だから追随するのであれば、それに相応する経済活動を地域に持続させていく事が必定。
もしくはこれに匹敵するようなイベントを
相次いで引き起こす、発掘する事が不可欠になってくる。

当然それができるか、出来ないかを考えると思うのだ。
出来る事を思う、もしくはそれを補う術がある事を思うのであれば追随べきかと。

イベントが楽しいと思っているかもしれないけど、
これには与れる人とそうでない人の差というのを生むことになるから、
この辺を踏まえないと大変な事になるかもしれない。

気付かなければ気付かないで一生が終わる場合もあるけれど。

投資をしている以上、その見返りがなければ当然損失というものが生じる。
こういう事態も忌避しなければならない。

こんな中での高揚感はいかに。

その2
久しぶりにお店の話。
絶対ありえない!と思っていたけど、現実にはそういうことになっているらしい。

というのはパセリですよ!!

先日某テレビ番組で取り上げられてから連日想像を超える次元で
お客さんがお店で買っていく。かなりハイペースで注文しているけれど、それでも。
バナナや納豆とか、そういうものがテレビの影響を受けて
急激に需要が伸びていくというのは今日にはじまったものではないものの、
さすがにパセリはそこまでたくさんは食べないだろうと思っていたのが
僕の発想の甘さ。

それにしても1年前、パセリはどういう状況下にあったのかを思うと
この掌を返したようなもてはやし方が腑に落ちるものではない。

諸事情で出荷停止になったり、主要産地の関連作物が敬遠されたりした時期もあったような。

「随分前の事で忘れてしまいました」っていう程度の事で済むような話だろうか?

去年買わなかったから、今年その分買っているんだよ!!というのもアリかと思いつつも
実際は生産する量というのは限られているので
そういう購買は生産者を翻弄するもの以外の何物でもない。

加えて仕入れるだけの立場の人間はそれでも多少恵まれているもので、
生産に与る方は需要を見通したうえで生産をするから、
こういった商品変動に適応した生産に切り替えたりした途端に
消費者が「飽きた」かのように、またもその購買力を落とす、となると
それもまたヒトを翻弄する事になるわけで。

そういった気持ちが長続きするものとは到底思えない
消費行動がこうも繰り返されるところにヒトの本質的なモノを垣間見たりする。

どこまで生産者や販売者に「努力が足りないなぁ」という言葉を
投げかけられるか否か、どうなんだろう。

ヒトの気持ちは移ろいやすいもので、なかなか人間愛せませんね……。

この辺を積み重ねていく恩恵が経済的な発展というのも
どこか紛れもないことだけれど、それも市場が広がっていく社会であってこその事。

時として重ねていく事が徐々に疲弊感を漲らせていく事につながることも
十二分にあり得るのかもしれない。
posted by 小林 慶太 at 23:10| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

崩壊の序曲

どこかで付き合いが必要だと思いつつも、
現実には負担以外の何物でもないというのが実際のところなのかもしれない。

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」という発想の方は
当然、個々に幅広い支援が得られたりするためにも
コミュニティが必要不可欠な要素として認識されているから
そういったものを醸成する事に深く興味関心があって、
実際にこれを構築するような街づくりや、
住まいの在り方などを踏まえているのではないかと。

ちなみに何にも考えなくっても偶然成り立っていたりするところに
身を置く事ができたりするって事もたまにあるのだけれど。

でも、こういったのを踏まえると、高層化で一時期に宅地化を行うというのは
年齢に偏りが生じて、その歪みがコミュニティを維持する事をより難しくするというのに
全然配慮に欠けるような大規模開発や、居住地における年齢層の偏りを
随分と顕著なモノにさせているような気がする。

マンションが駅から近いからとか、そんな単純で浅はかな理由だけで
物事を選べる余地はあるのだろうか?誰も止める事はないし、制約する事もない。

人口が限られている、というのは本当に怖い。

超高齢社会と年齢層の偏りがグッと自分の肩に圧し掛かる。
うちの近所、排水溝掃除などを自治会で行っていたりする。
ゴミゼロ運動も控えているけど。

最近はやる、やらないはあくまで任意ながらも、自治会を抜ける家庭が多く
この辺に頭を抱えている。

先日は排水溝掃除に動員された。父とご近所さんとまわった。

これが受け持てる人がいなくなってしまい、今回は僕だけっていう有様で、
つくづく将来が恐ろしいな、と。

父とご近所さんはこの作業を指示するだけ。できない。

排水溝の溝が重い、道具が負担になる、作業が意外と身体にしんどい。
こういう理由。

わかりきっていた話だけど、年齢層が非常に偏っていたり、
僕と歳の近い人たちはみんな近所からいなくなってしまい、
ほぼ僕くらいしかいないそんな有様。弟は中国に行ったりしていていない。あいにく。
あと他にもう一人しかいない。それぐらい年齢が高い。

これを考えながら近隣市に住んでいた自分と歳の近い人たちも
海外転勤とかになってしまったりすると、もうどうにもならない。
色々と考えて住む場所を選んでいるというのに。

考えもしないでいなくなってしまった人もいるし。

誰もそれを束縛する事もないけれど、こういった状況でその決断をするという事が
どういう事を意味するのか、というものが脳裏に過って然り。

「些細な事」とか思っていられるところに物事はあるのか否か。

親元にこの時だけやってきて、というのも距離に限度というものがある。

自治会を抜けて行くというのはこういったものの負担から。
家族構成が狭まってきたり、休みが合わなかったり、流動的にする余地がなかったり、
身体の負担も別にしても「面倒」にしか思わない部分ばかりが圧し掛かってきている。

それ故に自治会を抜ける、という選択をとる人も多く、
逆に残される人が不満を抱えているという状況。

何しろ自治会抜けたって、排水は溝を通っていくし、
ゴミだってゴミ捨て場に捨てる事になるし、
そういうものに対する不手際があったりすると
そこには何故か批判がやってくるという、
現実には何にも良い事がないという有様。

何にも良い事がないからコミュニティから距離を置くのか、という問いかけを思うと
やっぱり人間愛せないんだなぁと自分では思うのだけれど、
たぶん、あまり、そういうのを疑う事がないのかもしれない。

支えていく人が減ってくると、構成している人にかかる負担がグッと増していく。
まぁ、他人に気を遣わないで、休みの日を合わせる事もないという
利点もあるのかもしれないけれど、
所詮、一人は一人であって、一家庭は一家庭。できるものには限りというモノがある。

高齢者層の多い地域になればなおさらの事。

新鎌ヶ谷地区には若い世代が多い、というけれど、
結局、北初富6号(旧4号)踏切の第4工区詰所付近もあれだけマンションがあって
目と鼻の先に解かなければならない課題があるというのに
そこすら何もする事もない有様の状況となると、
至近距離だから、という事で僕のところへと溝掃除に来てもらうという事を
期待する事もないだろうし、
現実には「何でそんなのしなければならないんだ!?」っていう言葉が返ってくると思う。

「(他人の)子育てに(も)やさしい社会を!!」というものを体現する以上、
自分自身が支援を受ける立場であれば、
他人にも同様の施しを常に配慮するのが必然、といっても、
たぶん、受け入れることはないのではないかな、と。

そのレベルで「子育てにやさしい社会を」なんて言われたくない。
そんなのは僕でも言える。

やっている事はどんどん支援対象を削ぐことばかり。
同時に極地化されている年齢構成などはそっくりそのまま。
数年後には同じように別の地域で繰り返されていく、というのは
火を見るよりも明らかだというのに。
(こういうものにも配慮があるから「子育てにやさしい社会を!」というのであって
それに追随していくのは逆行してるもの以外の何物でもない)

高齢地域は負担以外の何物でもない、という理論で切り捨てるというのであれば
次世代育成も負担以外の何物でもないというコスト原理が圧し掛かってくる。
これぐらい恐ろしいコスト負担に余力のないところで
物事は推移している。

新規採用する余力のないところまでコストダウン、
家庭を営めない次元までコストダウン、というものがこの典型。

何世代かが同居する、もしくはそうでなくっても
入り混じっている世帯構成や地域構成がなされていれば
たぶん、こういった問題ももうちょっと軽い次元で融通が利くものなのかもしれないけれど、
あいにくそういう余力はないに等しい。

社会が若いとそういったものも意識しないで成り立っていられたものの
そんな状況にあるものではないのだと、改めて思うのだった。

コミュニティは大事だ!それをパッと受けとめられない自分がツラい。
たまに恩恵の部分だけを強く思って、それを錯覚していただけの典型例、という
この形容を跳ね除けられないのは堪える。

人間愛せない、という要素をどこかでいろんなもので誤魔化していて
なんか自分はどこかで人間愛せるんだと錯覚していただけだった、と
こういったところでも証明させてしまう体たらくぶり。

それでも結局、自分が残っている。これってどこか皮肉だなって。
またこれも自己主観でのモノに過ぎない。嗚呼。
posted by 小林 慶太 at 23:00| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする