2009年07月10日

すごく難儀だ

次回の運営委員会に持ち越された
市の担当部局から挙げられた技術的な精査と
警察協議における指摘点について列挙するよ。

「○つめの案」という表記については前話を参照して欲しい。

まず警察の指摘点。
現状で考えられる意見であることを前置きされて
市役所の方がさりげなく聞いている。

まだ確定段階ではないので、「さりげなく」という表現を僕が使わせて頂いた。

「現状で考えられる」という見解に
市民の運営委員会と警察のギャップがあったので
話がそこで終わってしまったのだけれど、
こういう話が出ているということで。

・計画する際の注意点として「安全で円滑であること」
「駅を利用する人や車の視点であること」を念頭に計画をすること。
⇒補足して置くと「安全で円滑」というのは
初富駅のアクセス道路と広場に限った話ではなく、
近隣にある初富交差点をはじめ国道464号や県道57号線などに
渋滞を招くような構造になってはいけないということ。
立体交差事業の主題は渋滞解消が第一だから。
⇒「駅を利用する人や車の視点であること」というのも
市民側にしてみるとやっぱり自分たちも使っているのに!!という部分があるから
ちょっと納得できない部分があるかと。

・県道57号線に右折車線の設置が出来るのであれば右折入りは可能。
初富駅地区
⇒つまりここ。
写真右側を走る自動車が左にできる新初富駅方向へ入るためには
右折車線をつくらなければいけない。
現実的な話として地域を考えて
それを確保するスペースはどうだろうかを踏まえると、
実現させるハードルは高いかと。

・安全、円滑を考慮すれば右折出は不可。
⇒同じく写真右側の道路に左から出て行くには
反対車線をまたがなければいけないから、渋滞のおそれが出るというのは
必然ということ。

ここまでの提示条件はビックリするというものではなく
普通に生活していれば、思い浮かぶ話であるかと。

これを踏まえつつ、簡単にできると要望していたりするのであれば、
用地買収のために資金を提供されてもどうでしょう。
それで事態が停滞しているなぁ、という指摘であれば
仰る言葉も最もだと思いますが。

・一つ目の案は都市計画道路7・7・2号線に接して住んでいる人が
駅前広場を利用する時は帰り道が遠くなってしまうのではないか。

・一つ目の案と三つ目の案の県道57号からの左折は
鋭角になっているので隅切りが必要となる。

・二つ目の案と三つ目の案は車両交互通行部の歩行者動線を考慮した方がいい。

・駅前広場には施設を造れば必ず自動車が入ってくるから、
円滑な交通を確保するために乗降スペースを
身障者、タクシー、一般それぞれ2〜3台分確保するべきだ。
⇒この点について決定的に運営委員会と警察で価値観が違うので
あくまで伝聞を伝える市役所の人が苦労することに。
そんな(車が来る)わけない!!とか思いつつも、
やはり「まさか」となってしまった時、
広場のロータリーを簡単に広げることができるわけがないから
何とも言えない。

で、広場が出来たあと結果だけを見れば、
客観的な市民たる人は「何やっているんだろう」としか映らないと思うんだけど、
ここが最大の問題点であって、
なぜそういう構造になっているのかとか、
色々と分析した上で、それに対応した行動をとることによって
自分たちが望む街の姿を引き寄せるしかないのだと思う。

自ずとその建設の意図を酌めば
新鎌ヶ谷駅や北初富駅、鎌ヶ谷駅に交通を分散させるなどを
心がけをしなければいけないし、
しないとこの指摘をそのまま受けると
ロータリーが広場の空間をほとんど埋めてしまう事もあり得る話。

だからといってまるっきり使えないという
「交通結節点」であってはいけないし。

・高齢化への対策としてコミュニティバスの乗り入れが必要ではないか。

・市道2347号線には車両進入をさせない方がいい。
⇒従来どおり生活者の自動車以外はまず入れない予定なので
この点については無理なく解消がなされるかと。
ただ、周辺の人がどう使うのかを考えると、
標識があっても破る人はいるとか、そういう意見もあって、
何か本当に人間が嫌になるよね……。
って初富1号踏切横断歩道にしている人間に言われたくないか。
(ちゃんと今日は初富交差点や伊勢屋さんのところに
迂回したじゃないですか!?でも1日じゃダメなんだ。毎日じゃないと)




運営委員会の場で踏み込めなかった市役所担当部局の指摘について。
それぞれにメリット・デメリットが提示されている。
やりとりで現実味が乏しい点があったりするのにも関わらず、
意図を評価してもらっている部分もあるかと。

一つ目の案は
歩道が東西にあり、歩行者と車両が分離でき安全な一方で
入口となる交差点が鋭角なので民地の確保が必要になるそうだ。
技術面では
駅前広場から県道57号に右折する軌跡が右折車線に被ってはいけないこと、
高架下を利用して右折車線を設ける場合もシフト量を考慮すると
相当の用地買収が必要になること、
初富交差点との距離が近すぎるため、(写真下には)交差点を設けることが
出来ない可能性があること、
初富駅地区
そして歩道と車道の位置関係を考えなければいけないことが
課題として挙げられた。

2つめの案は
交差点が集約されている一方でアクセス道路となる車道を
歩行者が歩いてしまうだろうということ、
県道57号に右折レーンが出来ないこと、右折レーンができなければ
県道57号からの右折入りができないことが指摘され、
右折車線を設ける場合、こちらもシフト量を考慮すると
相当手前まで用地買収を行う必要があること、
鎌小通りとの交差点の距離が近すぎるため
現在の初富駅への改札の道路に交差点を設けることができない可能性があること、
加えて(鎌ヶ谷ショッピングプラザへの)横断歩道は交差点に
集約すべきという点が課題として出ている。
どれも厳しい。

3つめの案は
これも交差点が集約されているものの、車道を歩行者が通行してしまうこと、
入口の交差点が鋭角なので民地確保が必要になることが指摘されている。
そして課題は他2案と同じく、県道の高架下に右折車線を設ける場合は
シフト量を考慮すると相当手前まで用地買収をしなければいけないこと、
初富交差点との距離が近すぎるため交差点を設けることが出来ない可能性があること、
都市計画道路8・7・1号と都市計画道路7・7・2号の通り抜けを防ぐ
直進禁止にするために具体的にどのような交差点の構造にするのか、
構造的に可能なことなのか予測不能であると指摘されている。

とまあ、何度もいうけど、市役所の人もアイディアを出していて
これだけの指摘が他の部署から出てくるというのは
それだけこの地区の道路事情と土地利用の複雑さからなるものなのだ。
同時にこういう指摘で、なぜ、そこがそうなっているのかって
パッと思い浮かぶ場所が出てくるんじゃないかな?
知らなければただ不便だ、の一点張りだけどさ。
東武野田線高架に沿って伸びるあの道路。
そういうのを知ることによって納得できる要素とかは
出てきたりとかするような気がするんだけど……。
加えて鎌ヶ谷駅近辺の信号機の整備についても
その特殊性がわかるのではないかと。

しない?
そうなると僕は何かどんどん人間キライになっていく気がする。

市議会は市民側にそういう意図的なはたらきかけを求めることに
あまり機能しないだけに我々がはたらきかけていく必要はあるのではないかと。

何も知らないで出来上がった新北初富駅広場と
色々と課題を知ってしまってできた新初富駅広場。

たぶん課題は解消できないかもしれない。
そういう中で幸せなのはどっちなんだろうね。
posted by 小林 慶太 at 22:51| 千葉 晴れ| Comment(0) | 立体交差事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

難儀

初富駅地区
いわずとしれた初富交差点だね。
初富駅方面からだと右左折のレーンが設けられているのがわかるかと。
初富駅地区
こちらは初富1号踏切周辺だ。今は2車線。
新初富駅が写真左側に設置されることを考えると
写真の右側を走ってくる車が入っていくのが大変なのがわかるかな?

同時に新初富駅方向からこの道路に出ると
やはり写真右側の道路に出るのが大変なのもわかるかと。

ちなみに鎌小通りの信号機が写真に写っているくらい
その駅へと入る道路は近距離に位置するから、
信号機設置というのが非常に難しいというのも
おおよそ見当がつくのではないかと。

設置すると信号機が続いちゃって、渋滞をより招いてしまうよね。

今さらなんだけれど新京成立体交差事業について
この初富駅ならびに北初富駅周辺の交通量と共に道路事情に加えて土地利用状況を考えると
簡単にできるものではない、というのをどの程度の人が認識しているだろうか?
非常に市民の強い要望というものを
発端に駅前広場構想を踏まえて事業が展開されているのだけれど、
これを推進した市議会議員さんたちはどう考えていたのだろう?

もちろん自分の脳裏の中に解決策があって、
そういう方向に物事が動くからできるのだ、というのを考えてのことだと
僕は思う。

まさか何も考えずに
多くの人に「はい、やって」と言われて承っただけ、ってことはないはず。
でなければ事業停滞というものを一概に批判することはできないと
思うんだけどどうなのかな?
非常に他人事のように(実際他人事)簡単にできて当然だ的に
批判がなされる印象を受けるけど……。

その問題の難しさを如実にあらわしているのが今回の話。

けやきネットはしつこいけど
新初富駅への現段階では3つのアイディアを持っている。
これは市民の人、市役所の人がそれぞれに意見を出し合って作った。

とりあえず例によって資料を出さなきゃ。
というわけで、いくよ。

まずはこちら。下の写真。初富1号踏切だ。
踏み切りを渡った奥右手に見える道路が都市計画道路8・7・1号線。
鎌ヶ谷ショッピングプラザは左手に位置する。
都市計画道路3・4・5号が通る段階で
歩行者専用道路にすることが前提になっている。
初富駅地区
そして現在の初富駅の入り口。一応、新京成の私有地だ。
駅の入り口として供用しているというところ。
ヒマラヤ杉が駐輪場の奥に見える。なお駐輪場は市の土地に建っている。
だからここを活用する時は新京成に用地買収を頼むことになる。
初富駅地区
で駐輪場隣のソフトバンクの脇に伸びるケヤキがある広場へ伸びる道が
市道2347号線。広場には入らないUターン用の回転広場を設ける予定。
初富駅地区
で鎌小通りから新初富駅広場へ伸びる道路が市道2348号線だ。
フォルトゥーナコンテの脇。未だにその名前が覚えられない。
初富駅地区
最後に都市計画道路8・7・1号とつながる都市計画道路7・7・2号。
初富駅地区
線路脇の茂みに隠れているけど、その辺に位置するということで。
ちょうどつながる部分の線路向かいが
けやきのある新初富駅前広場になるかと。

持っているアクセス道路の案を再確認。
どれも都市計画道路7・7・2号は交通量を踏まえた上で、
交互通行であることを前提にしている。

一つ目は
都市計画道路8・7・1号を入口にして 
現在の初富駅の改札への道路をその広場の出口とし、
車を一方通行で循環させ、
双方の道路に歩道を確保するというもの。

二つ目は
現在の初富駅の改札への道路を2車線交互通行の自動車専用道路とし、
都市計画道路8・7・1号を歩行者専用道路にして
駅前までの動線をつくるもの。
そして鎌ヶ谷ショッピングプラザとの間に横断歩道を設置。

三つ目は
都市計画道路8・7・1号線を2車線自動車専用交互通行の道路にして
現在の初富駅の改札への道路を歩行者専用道路とするもの。
この場合、都市計画道路7・7・2号線へは
通り抜けができないようにすることが前提。

これら3案を市役所における担当部局と事務局の方が協議をされて
技術的な精査をして頂いた結果が
今回の運営委員会で提示された。

僕が予想外だったのは、
市役所の人が提案をしたアクセス道路案もこの中に入っているのに
それぞれに問題点が挙げられていること。
良いところと悪いところが挙げられていたこと。

同時にそれだけ難しい話ということ。
解消すべき問題点があっても、
具体的にどうすればいいのか、という話まで
現実的なレベルまでは踏み込めないから凄い。

同時に警察との協議についても
現時点での段階での問題点指摘がなされていて、
後者の部分に我々市民の運営委員が
市役所の人に訴えても仕方ないんだけど
揉めに揉めて、その本題には踏み込むことができなかった。

最重要とされる警察協議において
駅前広場の交通結節点としての
ロータリー機能の比率が高くなってしまう可能性が濃くなっているところに
不満の声が出る。

まだ決まっているものではないけれど、
いずれそういう問題と直面するということだけになおさら。
しかも駅前広場の図面を見て、
「いいんじゃない?」とか手ごたえをみんなが感じていただけに。
(協議会をはじめ、公開されたりする広場の図面は
交通結節点機能を最小限に留めて描かれているのだ。
意図的ではなく、合意によって作っている)


納得できるところと納得できないところがある上に、
未来のことを考えると、
絶対にそんな事はないとか一概に言える話ではないから、
その指摘も払拭することもできず、色々と困るし、
かといって交通結節点としての機能を果たす場所として
用地買収がなされている上に、補助金申請をするのだから
一方では受け入れなければいけないところもあって……
とにかく難しい、という話。

話をまた分けて、次の話で問題点を綴っていくよ。
posted by 小林 慶太 at 21:54| 千葉 晴れ| Comment(0) | 立体交差事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パスは裁けるのか!?

昨日、けやきネットの運営委員会が開催された。
この場で駅前広場の具体的な図面(あくまでイメージ)が提示される。
より現実に近づいてきた印象を受けるものの、
本格的な話し合いについては次回へと持ち越すことに。

運営委員会で提示された駅前広場の図面は
今のところ緑地が確保されている点が特徴として挙げられる一方で、
その維持管理を踏まえながらの植栽などをしていく必要性があるため、
これに対して覚悟をしてその広場を維持するという負担に
地元が耐えられる範疇で考えていかなければならない、という話はあった。

メンテナンスの部分には
市役所に頼むのにはいずれ限界というものがあるので、
この点については市役所の人も市民側の運営委員も認めるところ。

でもそれを簡単に運営委員会が覚悟してやろう!!と決めた時、
他の人たちがどの程度関わってくれるのか、というのは
非常に未知数だったりする。
しかもやろう!!とかいう運営委員の人だって
ずっとその広場管理に人生費やしているわけにいかないから
安請け合いをするのにもいかず、
だからといって維持管理を放棄することが何を意味するのかを思うと
相当難しい話だったりする。

今の世代の人たちが維持できても、
後々の人に受け継いで貰うことができなければ
植栽もただの草むらになってしまうこともありうるし、
特定の人たちだけのがんばりだと
ゴミを拾う人と捨てる人というのが
いつまでたっても溝が埋まることがないわけで、
その点もどう考えるのかもある。

しかも後々の世代というのが
人口が増えてくれればいいけれど、先細る場合もあるし、
高齢者がそういうのを精力的にやってくれるかも、という考えも
今の年金制度などが成り立つことありきであって、
僕の世代がその今でいう年金受給の段階に至った時、
自分の生活を守るのが精一杯で
広場に構っている余裕もない、というのも十二分にありうる話。

広い世代で広場を長年にわたって維持していくことが
大切なのであって、それが続くようにするのには
どうすればいいのか、というのを考えておかなければならないという
ことになる。
自ずと植栽というのも限られたものになってくる。

特に広場管理については組織化なども
視野に入れる可能性もあるのではないかと。

植物を維持するのはかなり手間のいる話。
それがイヤなら金銭で工面するしかない。
もしくはあきらめるというのもある。
全部アスファルトとか、木は全部切っちゃうとか。

広場の緑地も入れるようにするのか、とか、
入るようにするのであれば遊歩道のような道は必要なのか
そういう話も出てくる。

既に委員の中にはキーカードがあったと思うんだ。
でもそれが提示できない状況下。できても今の段階では決定打になりえない。

ハッキリいえば「人の意志」という部分に
広場管理に決定的な要素としてそこにあるのだけれど、
その意志表明ができるのかを問えば……。

広場維持というパスはうまく裁けるのか!?
そのためにはどうすればいい?

自分はこの段階で既にその疑問符があがっていた。

僕はみんなを信じていないからなのか、
それとも現状認識として適切なのか、はたまた?

そしてパスを受け取るのにはどうする!?



これとともにシェルター(雨よけ)についても少し話があった。

あくまで図面はイメージなのだけれど、
そこに描かれていたシェルターが
ロータリーを囲むように長く設けられていたところに
やはり費用面での問題点と
協議会では「シェルター不要」という意見もあった中で
図面に入れてしまうことをどう考えるかという話。

ハッキリと「シェルターが必要」という意見とともに
「シェルターは必要ではない」という意見が出ていて、
なぜシェルターが要らないという意見が出たのかを
運営委員会なりに解釈。
景観としてどうなのか、とかそういう部分なのではないかと。
長さは別にしてやはり傘をさす、ささないという次元で
駅から自動車に乗るという行為の中で
バリアフリーの観点からでも必要ではないか、という答えになった。

この日もめた話は次の話で。
posted by 小林 慶太 at 19:10| 千葉 曇り| Comment(0) | 立体交差事業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

先行き

回覧板で自分の母校(小学校)の学校だよりが折り込まれていてそれを見て愕然とした。

まさに少子社会がここまで至っているのかを物語るものだった。
自分が在校していた当時の在校生がほぼ半分という状況で、
クラスは1学年、自分の時で一クラス40人で4〜5組あったものが
今は単純計算で概算だけれど、
一クラス30人で3組をつくるのがやっとという数値。

実際は知らないけど、全校生徒の人数を学年で割って紹介されていた
クラス数で割るとそういう数字が出てきた。

少人数学級という言葉を耳にしていたけれど、
そういう単位にしても往時のクラス数に及ばないっていうのは
どういうことなのだろう。

にも関わらず、全体で見ると人口が増えている市域にあって、
こういう状況が何を訴えかけているのかを思うと、
色々な不安要素が常につきまとう。

うちの学区だけ過疎なの?
マンション結構できてる気もするんだけどなぁ。

人口分布も気にしないと色々と危ない。
人が集まっている地区の人が
集まらない地区に出向いて例えばゴミ拾いとかする?
人口における年齢構成はそっくり購買力を反映することも
少なからずあるから、
年齢層の偏りは商業圏の偏りをそっくり体現することもあり得る。
加えてそれを補うインフラがなければ、となると大変なこと。

教育にかける予算ってのはどうなっているんだろう。
全然そんなのを気にかけなかったけれど、
さすがにその数字を見て考えてしまった。

少なくとも自分が在籍していた当時と金額が同じであるのなら、
それを人数で割るのだから、
一人当たりにかける教育費というのは高くなっていることを物語るわけで、
それを教育の充実と考えて、
負担する市民側が何も躊躇なく求めることのできる次元に
物事があるのかをさすがに考えてしまう。

一人当たりの教育費が往時と同じであるのなら、
自ずと予算における教育費は減ってしかるべきなのだけど、
パッとそうなっているよ、と思える要素が少ない。

むしろ予算が増える一方で、実体における負担が減っているか、というと
そういうわけではない気もする。

例えば、僕が小学生の時は親が通学路に立って
子どもたちの安全を見守る、という発想はなかった。

今は様々な社会的要因から全ての人が、とはいかないまでも、
保護者の方がケアをされていることを筆頭に
金銭に加えての負担も当時に比べて重い。
しかもそれを感覚としてすんなりと受け入れられる範疇にあるのかを思えば
やはり全ての人がケアができるわけではないのを思うと、
そうではないようだ。

よりよい教育を求めることは常に代価が付きまとうもので
それを滞りなく工面できるものなのかを考えると
状況を好転させる要素は非常に少ないもののように感じる。

むしろ教育に対するおカネが増加傾向にあるとすれば何を意味するのかを思うと
「充実」という言葉で受け入れられるのにも限界というものを感じざるを得ない。
今、少子社会で教育の水準を維持するのに苦労しているのであれば、
その子どもが増えた時に、同水準の教育を維持するのは不可能だという言葉が脳裏を過ぎるのは
僕の気のせいまのだろうか?

逆に自分たちの経済を維持しつつ、「充実」を図るのであれば
必ずどこかに歪みを生じさせるわけで、
それがどこに影を落とすのか、というのも怖い話だと思うし。
それもまたどこまで容認できるのかも疑問。

福祉は子どもたちだけでなく、高齢者にも当然考えなければいけないし、
なおかつ現役世代にも相応に保障されなければならない。

そんな福祉を支えるのは現役世代という非常に限られた人たち。
負担が増えていくことを消化するのには
収入を少なくとも増やすことが前提になる。

パイの奪い合いで増やすことであれば、
その歪みに対するケアはどうする?
教育というものは全ての人に対して保障されている権利。
しっかりとそういう人にも
保障する方策を持ちえなければ簡単にできるものではない。
先細る要素ばかりが見えてくる。

それでも上を見なければいけないのだろうか。
posted by 小林 慶太 at 00:32| 千葉 晴れ| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月09日

終点から基点へ

ほっとパーク鉾田をあとにして
鹿島鉄道の線路跡近くに伸びる農道に沿って
旧鉾田駅へと歩く。
浜〜坂戸
ちょっと坂戸方面を振り返ってみたところ。
線路の上を歩いているわけじゃないけど。
草むらの中を線路が伸びているのは現役時代と変わることがない。
それでも歳月は確実に過ぎている。
カスミのそばを走る県道2号を横断してそのまま歩いていくと
鉾田駅ほか
わかりにくいけど(鉄道の)信号が見えるかと。
ここから県道8号線に出て市街へと入っていくのだ。
鉾田駅ほか
道路から線路のそばに近づくとポイントがある。駅は間近だ。
といっても駅舎はもうないんだけど。
鉾田駅ほか
やってきた終点鉾田駅跡。
温泉に長く浸りすぎていて、
着いたときには、たい焼き屋さん営業時間が終了していた。
ちょうど高校生たちがバスを待っているところに出くわす。

それよりも、あれ?去年来た時、KR505はパチンコ店のそばにいなかったっけ!?
というわけでホームに停まるこの列車の姿にちょっと驚く。
加えて手前に小さな鉾田駅が復元されているのに気付く。
鉾田駅ほか
保存会の人たちが維持している空間。こちらはキハ600。
思っている以上に大変なのかもしれない。

鉾田駅跡は今も関鉄グリーンバスの営業所が隣接しているだけに
今も石岡駅や水戸駅、東京駅へと路線を持つターミナル機能を持っているものの
やはり駅を失った空間は何ともいえないものがある。

そう思うのは駅がある時代を知っている人間の感慨だけど。

本当は新鉾田駅まで歩いて水戸駅へ向かうつもりだったものの、
温泉で長湯し過ぎてしまったため、これを断念。
石岡行の関鉄グリーンバスに乗車。
ちょうど高校生の帰宅時間とバッティング。
終点までずっと立ちっぱなしかなぁ、そういう思いが。

廃線から2年が経っているだけに
バスで通うというのが当たり前になっている子が多いのかも。
僕はルポライターじゃないんだから、そんなの気軽に聞けるわけないけどね。
バスから見るとちょうどロードサイドのカスミはピークタイムのようで
広い駐車場がほぼ満車になっていて、
それだけ集客能力があるんだ、というのを思い知らされた。
その一方で集客されてしまうところがあるのを考えるとどうだろう?

水田から橋脚を上がり坂戸中央を通って、坂を下り巴川を渡る。
ところどころでやはり列車と光景がダブる。
それは自分の記憶によるところが大きいけど、
いずれ色褪せていくものなのかもしれない。

上山に出た後は往路と違って玉造工業高校の方に向かう。
榎本駅跡がチラリと見えるところ。
思っている以上に小まめに乗降を繰り返しながら
バスが走っていくので、座れない、と思っていた
自分にしてみると結構、意外なことだった。

玉造駅、小川駅でともにUターンをするために
その「広場」へと寄り道をしながら石岡市の中心市街へと向かう。
鉾田駅ほか
石岡駅のバスターミナル上にあるステーション広場近くの跨線橋から
かつて伸びていた鹿島鉄道の線路跡方向をのぞむ。
駐車場が広がっているところがその敷地にあたり、
奥に若干ながら名残がうかがえるかと。
鉾田駅ほか
こちらは機関庫が広がっていた方向を見たところ。
写真に見えるホームは常磐線のホームでスッポリと抜けてしまっている空間に
鹿島鉄道のホームがあり、それに隣接して機関庫が広がっていた。
2年前まではそうだったんだ、なんて想像のつかない話かも。
常磐線しか走っていない光景がやがて当たり前になっていく。
果てしなく哀しい気がする。

帰路は土浦駅に寄り道。
ここも筑波鉄道という路線があった起点駅。
逆に自分はその時代を生きていながら
まるっきり知らないだけに、
まさにその石岡駅で抱いた感慨をそのまんまに感じている状況。
つまり初めから常磐線しかない、という印象しかないままに
街の姿を情報として受けているという有様。
もったいない話であると同時に、
往時を知らない自分が同じように史跡を訪ねても
それほどの感慨というのはないのかもしれないし、
そういうものと無関係に歳月というものや
社会というものは動いていくものなのかもしれない。

諸行無常ということなのかも。

供給過剰にさらに拍車をかけるように
沿線アウトレットモールのオープン告知や
駅ビルオープン告知の中吊りに加えて
既存店のセール告知も車内を彩っている光景を
皮肉に見ている自分がいたりした。
posted by 小林 慶太 at 23:58| 千葉 晴れ| Comment(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

追憶

道の駅たまつくりをあとにした僕は浜駅跡を目指して歩いていくことにした。
太陽光パネルや浄化センターの脇を通って
梶無川に沿って進んで国道355号線へと出る。
そしてこの川を渡って道なりに。大型店の空き店舗が数軒。
未だに解消されない。
そういう状況下で大型店が続いて
出店されて建設されている現実を思うと、
世の中ってのは本当にわからない。

浜交差点からは先ほどバスで来た道のりを足でたどる。
坂をあがって麺'sハウスやほっともっとのもとを通り、
今度は坂を下っていく。

ちょうど2年前には多くの鉄道ファンが
カメラをこの道路から走ってくる列車に向けていた光景が
印象に残っているところ。
浜〜坂戸
浜駅の方向を見たところ。
結構、草が茂ってきているけれど、
何だかんだ線路あとが今もしっかりと見える。
その一方で玉造町駅の方向を見てみると
浜〜坂戸
手前の方はまだその往時を偲ばせてくれるけれど、
遠くを見ていると、その線路は夢物語のように
消えていくように伸びている印象を受ける。

本当にこの区間も列車に乗って線路をまたぐ
国道を眺めていたこともあったのものの、
今は果てしなく昔のように思えなくもない。

道なりに進んで浜駅の跡へ。
去年は見かけた国道355号にあった「浜駅」の道路標識がなくなっていた。
まあもう駅はなくなってしまったのだし、
道路から奥まったところにある駅は社会的役割を終えてしまったのだから
2年たって残っているのが不思議なのかもしれないけれど、
そうやって記憶や生活情報から消去されていくのかと思うと
何かやるせない話。
浜〜坂戸
こちらが浜駅跡。
道の駅たまつくりに当時の待合室が移転されているとはいえ、
遺構が徐々に茂ってくる草に埋もれつつあるのがわかる。
浜〜坂戸
八木蒔駅方面を見たところ。
本当に線路あるとは思えない感じがする。
人の気持ちがその線路をはじめとした空間を
いかに維持していたのかがわかるし、
途切れてしまったものを自然というものが
いかに人のつくりしものを自然に還していくのかを
物語っている気がする。
浜〜坂戸
こちらは玉造町駅方面、アザサの群生地への散策路から
浜駅を見たところ。写真に見える小屋は自転車置場。

浜







現役時代はこんな感じ。
当時も無人駅だったけれど、
気持ち次第で人間はこういう空間を維持していた。
それに対して歳月というものは残酷なものだと思う一方で
それに抗うこともできない自分というのもイヤだとも。

みんな全て昔話になってしまい、
いずれはそんな事(駅)があったのかとか、
そういうのすら知らなくなってしまう時代が必ず来るのだろうね。

国道355号に戻って「浜」のバス停で関鉄グリーンバスを待ち、
やってきたバスで小川駅へ戻る。

乗ったバスはかんてつギャラリーバスだった。
かしてつバス応援団の作品展が車内を彩っていた。
バスもまた人の気持ちが維持している部分は大きいかもしれない。

小川駅に戻って矢野直美さんが絶賛したバナナクレープをようやく入手。
今日はことごとく千円札に嫌われて、
バスの両替機にことごとく自分が入れようとすると入らない有様。
何度、運転士さんに手間どらせたことか。

バナナクレープの幟が出ている時間帯。
去年来たときはその幟が出てない時間帯にやってきたのだから
迷惑この上ないことをしてしまったということになる。
今もお店のショーウィンドウのそばには
鹿島鉄道の写真と切符が飾ってあった。

やっぱり「走っている」んだよ。

待合所での長いインターバルをこのクレープを食べながら
呼ぶ名前が人によって違う「しろ」と戯れて過ごす。

お店の人やバスを利用する人、運転手さんと
色々と差し入れをしていたり、人の会話の主役もこの猫。
飼い猫なんじゃないのかなぁ。首輪あったけど……。

そしてやってきたバスで今度は鉾田行のバスに乗車。
幡谷経由の便だった。
上山交差点から鹿島鉄道代替バスと同じルートに合流。
見覚えのある巴川が見えてきて、
バスは坂へと駆け上がっていくところで
「坂戸中央」のアナウンス。ここで下車。

ちょうど旧坂戸駅の上に位置するようで、
バス停脇道を下っていくと、旧坂戸駅がある。
浜〜坂戸
人の気持ちが途切れるとか、
そういう印象ばかりを受けていただけに
坂戸駅のこの状況は奇跡的という感じでビックリ。
地域が維持しているのか、偶然なのか。
でも列車は来ない。
浜〜坂戸
今にも列車が走りそうな線路。

ここからほっとパーク鉾田に寄り道。
旅先で久しぶりに温泉に入る。色々とお風呂で話をした。

こういうところって地元の生活ぶりが断片的だけどわかる。
お店の話とか、子どもの学校の話とか、
自分が話しかけるほかに、人の会話が聞こえてきたりすることで
そういうのを思っているんだなぁって。

一円の得にもならないかもしれないけどね。
男湯はそういう会話をしている。旅の楽しみの一つ。

さてあとは終点鉾田駅へ歩いていくだけ。
浜〜坂戸
まだつづく
posted by 小林 慶太 at 22:47| 千葉 晴れ| Comment(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

執着

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玉造町駅跡。
いまは「玉造駅」というバス停が存在している。

れんこんハウスというお店が入った駅舎やホームがあったところ。
やはり去年とまた同じくポッカリとした空間がそこにあるばかりで
往時を思う余地もない。
もう既に列車が走ることがないのだから
当たり前といえば当たり前。時間軸は止まったまま。
DSC01171.JPG
かしてつ応援団の描いたイラストの施されたトイレと
駐輪場がかろうじて当時を伝えるばかり。
鯉のモニュメントも玄関にふさわしいものだったはずなのに
今はその存在が空しい。

「小川駅」はそれでもバスが列車交換を思い起こすかのように
石岡行・鉾田行のバスに加えて水戸行のバスが集まり
ターミナルとしての機能を断片的に残していたし、
主要国道が近隣に位置していたけれど、
「玉造駅」は、というと……。
土浦行や潮来行のバスが出ていたような気がするのだけれど、
もはや改廃によって設定がなされておらず、
コミュニティバスが設定されている程度。

自分を降ろしたバスが時間調整の兼ね合いで
Uターンして駐輪場の前で停車している姿が往時を思うと哀しい。

駅のなくなってしまった駅前広場。
街の基盤が駅前通りを中心に成り立っている印象を考えると
このバス停で降りる目的すら考えてしまうくらい。
タクシーが停まっているのもその名残だろうけれど、
その需要を考えるとちょっと辛い。
バス停は鉄道の駅よりも設定が多いだけに
相対的に需要はどうなのかを思うとなおさら。

商店での買い物を目的にするのであれば
次の「玉造下宿」というバス停で降りても事足りるように見えるから
なおさら存在理由を見出すことは難しいな、と感じた。

僕が思っている以上にその役割はあるみたいだけどね。
特に駐輪場が小さいながらも残っているのは重宝するようだ。
DSC01172.JPG
駅前を歩いて玉造郵便局のところへ向かう。
この間に時間調整?のバスに追い抜かれる。

やっぱりロードサイドの大型店の時代なのか……という言葉が
脳裏を過ぎるのだけれど、
その大型店の維持コストを考えると
人口比に見合うものなのか不安に思う要素もあって、
色々と迎合できるものではないな、と思ってしまう。

いや商圏を拡大すれば大型店は維持できるけれど、
その商圏拡大によって、
吸収されてしまうところを生活基盤としている人は
今まで地元で買い物ができたところに対して
少なくとも遠出をしなければいけなくなる。
それが自動車だから負担を思わないのかもしれないけれど、
確実にその「自動車」がなければ成り立たなくなってしまうところに
致命的な不安要素を感じるし、
実際にその商業施設のあるところと
そうでないところの差があまりにあることが怖い。

しかも大型店がそんなになければまだいいけれど、
それがいくつもとなったり、
近隣で商圏を食い合うとなって、淘汰されるということになれば、
目も当てられない事態も考えられると思うんだけど、
実際はそれでも普通に建設が行われていたりする。
規模が大きければ大きいほど、そのリスクも大きいんだけど……。
DSC01173.JPG
ホームセンターと家電量販店とパチンコ店が建設される現場。
近隣には国道355号と354号が通っていて
自動車の交通量は決して少なくない。

だから成り立たない話ではないけれど、
それを成り立たせてしまうとどうなるのかを思うと
そういう発想が怖いな、と。
近隣にはホームセンターが撤退した跡があるだけに、
自分は大丈夫、という自負のあらわれなのか、
スーパーが近隣にある上に、
これだけの大型店を集結させれば
集客が見込めると判断したのかわからないけれど、
新しいお店ができれば全てOKという時代ではないのは
確かだと思う。

確かに水田であるよりも商業施設を建設した方が
収益などの面では圧倒的に優位だろうけれど、
それが人々の生活を幸せに直結するとは限らないと僕は思う。

多少不便でも小規模のお店であれば
多くの地域がそれなりに維持できるのだろうけれど、
大型店をいくつもとなれば、
その小規模のお店の維持が困難になるのは明らか。
そういうものを踏み越えて得る豊かさに
どれだけの意味があるのだろう。

逆に大型店出店を続けるような社会情勢が継続されなければ
この需要によって維持されている建設業にガタが来るわけで
世の中は本当に追い詰められているものだと感じる。

被害妄想が強い人間の戯言ならいいんだけど。
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やがて虹の塔が見えてきて、道の駅たまつくりに到着。
この虹の塔とレストラン玉水苑、ふれあいランドに観光物産館こいこいからなるところ。

さてここでお目当ての田舎354定食を食べよう!!と思ったのだけれど、
優柔不断な自分は「美味うなぎ」と「行方丼」というメニューの登場に
非常に動揺。
人間、一日3回しかご飯、食べないし……。
二品、三品と食べることもできない。
行方丼食べてみたいし、うなぎも我が家ほとんど食卓に出ないし……。

悩んだ挙句に田舎354定食を注文!
やっぱりこのメニューがある限り、自分はこれしかないのだと思う。
最初はそこまでこだわるものもなかったし、
興味本位で頼んだのがきっかけだったけど、
やっぱり自分が本当にこれを食べてた時に
お店の人に「がんばって下さいね」と声をかけたんだから。

もう2年も昔の話しだし、
その人と会うことなんて所詮あり得ない話だろうけれど、
言った自分がそれなりにがんばらなければならないな、という
もろいけど決意表明を再確認する意味でも
こういう場所に来て、こういう風に食べるのかもしれない。

大体情けない話だけど、
そういうことがなければ、お店の人がどうやって注文受けたり、
神経をお客さんに気を配っていたりしてくれているとか、
厨房の人たちがせわしなく作業をしているとか、深く考えないで
生きていたかもしれないよな、というのが正直な話。

言葉をかけた人は今はいないかもしれないけれど、
その言葉をかけた場所で今もがんばっている人がいるわけで、
その人たちに決して後ろめたい気持ちで
この場所には足を運んではいけないんだと思った。

色々な思いをかみしめながら
お店の人が作って運んでくださった田舎354定食を食べて
ここをあとにして高須崎公園で一休みして物産館へ。
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霞ヶ浦大橋をパチリと。

物産館は「行方バーガー」の幟にふらりと引き寄せられてしまい、
やっぱりここは一度は食べておくべきだ、と思い、
この行方バーガーを買ってあとの楽しみ、ということにしてしまう。
そうさすがにたくさんは食べられないよ。

行方バーガーは“ぶたもなまずもどんとこい!!”という
キャッチフレーズで売り出しているもので、
ぶたパックン、なまパックン、こいパックンと3種類あり、
そのハンバーグにあたる部分に名産品を使用して
わさび菜をはじめとした地元産品で考案したもの。

商品開発する人は凄いな、と思う。
豚はとにかく、なまずと鯉だもの。キャッチフレーズもうまい。
そういうアイディアには恐れ入る。
やっぱり名物は基本的に食べてみようというのが
僕の発想なので買ってしまう。注文してから作って下さる。

結局晩ご飯になってしまったけど。
やはり作りたてが製作者側の意図している通りの食感なのかも。

一番根底にある不安要素は観光客が限られていること。
大型店が集客に限りがあるように、
どんなアイディアがあっても
観光に!!という人々の発想がなければ成り立たないし、
その人々というのが限られていたというのであれば、
なかなかいいアイディアでも魅力をいかんなく発揮できない。
観光地が限られているならいざ知らず、どこも、となれば。

それでも観光!!という部分に活路を見出してしまうのも
一概に歓迎できるものではないなと思う。
確かに地域を知る、というのは大切な話だと思う。
実際に行ってみるというものを繰り返していくことで
徐々にそれが明らかになるんだけど、
それが根幹を支えるものにはしてはいけないような気もする。
DSC01175.JPG
そして浜駅にあった待合室。
今も内装はボロボロだけれど当時のポスターが貼られていて
幟などが収容されていた。

やっぱり浜駅に行こう、というわけで浜駅跡を目指して歩くことに。
本当に僕は過去に執着する人間だ。

また続く。結構、話として長いね……。
posted by 小林 慶太 at 22:27| 千葉 晴れ| Comment(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

回想談

久しぶりに旅の話を再開。
過去の記事と自分の旅の目的を踏まえれば
羽生駐在所入口のバス停から向かった先の見当がつくかと。

07年4月1日記事「あの日の記憶、そして」という話と
08年3月28日記事「かしてつ同窓会A」を参照。ともに長いね文章が。

そんなわけで僕は非常に過去というものに
しがみつく女々しい人間だ。

随分前のことであっても覚えているものは覚えている。
当人にしてみれば大したことじゃないけれど、
言った僕にしてみれば人格かけて言ったんだもの。
忘れるわけないよ。

そう考えると、今日何をどれだけ販売して売上げを稼いだとか
そういうのが記憶にないというのは
それだけ人格をかけていないってことなのかもしれない。

「大変だろうけれど、がんばって」
そんな言葉を2年前に口に出してしまった場所。

それが茨城県行方市というところ。

職場でも行方市が産地の野菜が並ぶけれど、
その土地の名前を目にして連想するのは、
思わず言ってしまった、言うしかなかったその一言。

ちなみに旅先で所縁のある土地の作物は
野菜に限らず、魚介類、乳製品などなど、
目にすると連想するものが色々とあったりする奇特な人間。

僕は「がんばって」という言葉が嫌いだ。
仕事の場を除くと滅多にいわない。敢えて避けてる。

普通の人は僕が思うよりもがんばっているのだ。

そういう状況下で「がんばって」という言葉が投げかけられるというのは
がんばってないように見えることの裏返しにも捉えかねない。
加えてがんばっている中でさらにがんばれというのはキツイ。

それはそういう状況下に置かれたりしたことのある
自分が一番知っているからなおさら躊躇する。

加えてその言葉をいう人が
「がんばって」なければ説得力がないわけで、
職場では別にどうでもいいその場凌ぎの性格が強いので
気軽に「がんばって下さい」とはいうけれど、
キッチリとその言葉に責任を持つことを考えると
気軽には言えるものではない。

だって自分は基本的に「がんばって」生きてないんだもの。

所詮、一語であるし、
受け取り手はそこまで考えてくれるとは思わないし、
自分もそこまで考えるほど思慮深い人間ではないけれど。

おまけに女の子にいうのは
男の子に投げかける以上に神経削る。面倒ってぐらい。

男の子は多少、無理があるような
僕の投げる言葉のボールを受け止めてくれる感覚があるのだけれど、
見ず知らずの自分が投げるボールを
女の子にキッチリと投げるとなると非常に憂鬱。
おまけに僕に制球力ないし。

逆もあるけど、女の子の方が気楽に言葉を投げかけられる時とか。
でも基本的に前者。

それでも投げかけるしかないような雰囲気だったんだ。
その子は。
痛いくらい、うまくいかない自分の姿が重なっていて
誰かが何とか支えないといけないっていう状況だった。

そういう風に思いながらも投げかける言葉には
それぐらい責任を感じて言った。

当人はどうでもいい言葉にしか受け止めなかったかもしれない。
それは当人にしかわからないこと。
どれだけの慰めになったのかもわからないし、
投げたボールが届いたのかもわからない。

でも投げてしまったとなれば、
やはりその言葉に説得力を持たせて証明しなければならない。

言った当人は意志薄弱この上ない人間なので
すぐに局面で慌てふためく体たらくぶりを露呈するのだけれど
そういう言葉を言ってしまった自分が
その有様では何も説得力を持つこともないと思い、
踏みとどまった部分もあるかと思う。

旅の出会いも一期一会で、二度目はないと思っているし、
人の記憶も曖昧だから、忘れていても何も責めることもないけれど、
言った当人はその言葉にそれなりの説得力を持たせる意味でも
その場所に足を運んでいるのかもしれない。

その仕事を辞めてしまっても責めることもない。
別に僕の記憶がなくても。
だって僕は所詮当人にしてみれば
一期一会の名前のないどうでもいいキャラクターの一人だし、
僕にとっても一期一会で出会った人の一人に過ぎないのだけど。
ただどうでもいいとは言わない。

それは「がんばって」といった自分の言葉に
説得力を持たせる自分自身の証明の問題。

それなりに自分も「がんばって」歳月を生きるようにしなければ
たどり着けるものではない。

一方で、そういう恩を受けているから、
報いるようにその場所に足を運んでいるところもある。
僕の場合は島根県という場所。

街というものに対する興味関心というのも
そういうものが起因する事だってあってもいいと思うし、
そういうものを起因にして付き合っていくという考え方もしかり。

非常にその旅先で受けた恩というか配慮というのは
歳月を経過しても色褪せるものではない。

逆にそこまで考えるから
気軽に仕事を離れた自分は言わないんだけど。

そういう記憶を紐解きながらバスに揺られて
坂を越えて「八木蒔」のバス停を過ぎ、うどん工場のもとを通って
さらにもう一つ坂を越え、浜交差点から国道355号を反れて左折。
民家が並んできてそれとともに商店があらわれ、
やがて玉造郵便局の前に出て、駅前通りへ。
前方にポッカリ空いたスペースを目指してバスは進み、
鯉のモニュメントの脇から玉造駅(旧玉造町駅)に到着となる。

ここで下車。
DSC01169.JPG
バスはUターンして駐輪場脇で時間調整の後、
駅前通りを歩いていく自分を追い抜いて鉾田へと向かっていくのだった。

さらにつづく。
回想談で一話費やすのもどうかと思うけど、とりあえず。
posted by 小林 慶太 at 23:57| 千葉 曇り| Comment(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

二の轍を踏む

「街づくりかまがや」第113号が出た。

今さら北総線運賃問題が高いハードルだった、なんて
気づくのって非常に遅いと思うのだけれど、
もっと怖いのは、そういういかんともし難い問題を1面で掲載しておいて、
裏をめくってみればすんなりと「バイパス線整備を急げ」と
さりげなく都営浅草線バイパス線整備を国交省が検討していることを紹介。
この事業に対して空港利用者だけでなく、
うちの市をはじめ北総線住民の利便性向上にもつながると
キッパリと言ってのけるその解説。

だから、あの会社線が変わると若干割引はあるけれど
運賃は初乗りに切り替わる構造が現在ある中で、
なおかつ今の運賃構造を踏まえて
その新規整備を2500億円から3000億円かけて
いくらリニアモーターカーの5分の1の建設費とはいえ、
絶対に運賃への反動がないとはいえないのに、
簡単に「利便性向上」だけを掲げてしまうのは
北総線運賃問題という
モノの体験を踏まえたものではないように思うのは
僕の感覚がずれているからなのだろうか。

高砂過ぎると京成線の運賃が乗せられ、
押上を越えると都営線の運賃が加算され、
京急に入ると当然、その運賃が加算されるわけで、
そのバイパスの担い手は誰になるのかとか、
色々と考えると、「ごく普通の運賃」で
利便性が享受できるものではないと考えるのが普通ではないかと。

意識しないで利用できる金銭感覚が
小父さんには少なくともないのでそういう思いが脳裏を過ぎる。

京成高砂から成田空港まで直結すれば利便性向上。
でもその運賃は!?というもので今非常に物事が揺れている。

しかも相当運賃値下げというものを見込んでいた人たちですら
「高いハードル」と認めざるを得ない状況を踏まえて
この発想が出てくるというのは
生活者に対するケアがなされていないように感じる。

沿線利用というのも不安要素が多い。
従来のインフラに対しても様々な更新費用がかかる中で
利用者が飛躍的に伸びる要因があったとしても
それが継続的に費用以上の伸びを示さなければ
基本的に現状の打開をすることが難しいのは明らか。

マンションの入居はどうだろう?
それが恒常的に続くのか?
はたまた入居した世代は循環していくのか?
北総鉄道の決算報告を読んで
不安要素を何一つぬぐう事のできない現実の中で
更なるインフラ整備をすることが何を意味するのかを考えれば
発展という一語で片付けるのはあまりにも怖い話。

そういうものを踏まえない中で利便性と競争を求めていくことは
同じ過ちを繰り返していくことに他ならないのではないだろうか?



誌面における某市議会議員さんの
経済対策へのコメントはまさにその通りだと思う。
でもそれが現実にはうまく歯止めをかけられないからみんな困るんだけど……。


posted by 小林 慶太 at 22:50| 千葉 晴れ| Comment(3) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

踏み台

旅の話は月曜日に再開予定ということで、勘弁してください。

今日は上司、一体何時に朝やってきたんだろう……。
とてもそんな事を聞けなかった。
聞いて、どう応えればいい?
そういう事を何も持たない中で生きている自分。

そこまでさせてまで友人を祝う必要性が本当にあるのだろうか。

そういうことをしなかった僕は
もう友人ではないのだな、と我ながら思うばかり。

こんな事を考えながら、
今日はいつも以上の緊張感に苛まれながら仕事をしていた。

日曜日、一般的にうちの会社は休むことができない。
正確にいうと休むことはできるけれど、
その人員体制を考えれば、とても休むことなんてできるわけがないという状況。

「友人の結婚式があるから休みたい」
気軽にいう同じ部署の人の発想を疑う僕は
所詮自分のことしか考えていないのだ。

今の部署は日曜日を正社員3人でまわしている。
非常に慌しい。

休みをとるとしても代わりの人員を補充することはできない。
店長などに相談しても
具体的な支援というものをしてくれるとはとても思えない。
人員は全てにおいて限られているから極限状態で物事をまわしている。

平日も限界ギリギリのシフト体制をしているため、
どこかで必ずまわらない日がやってくる。

普段の日曜日も上司は朝5時に会社にやってきて開店の準備をしている。
それができるのは自動車を運転して会社にやってくる上に独身でいるからで、
公共交通を利用する自分には朝6時ちょっと前にやってくるのがやっと。
何だったら職場の近所にあるビジネスホテルとか
スーパー銭湯で1泊してもいいけど、それを賄うのも実費となれば
僕はそこまでして仕事をする気にもなれない。

それぐらい覇気のない店員だ。

本来の日曜日の勤務時間は7時から18時30分だという中で
そういうのをやっている。

残業代は基本的に所定時間以上は出ない。

仕事量というのに対して現場が適応できる範囲を超えた次元で
物事を進めているのが明らか。

こういう状況下で日曜日に休みをとりたいとは
とてもいえるものではないし、とれるものだとも思っていない
自分には信じられないような言葉だった。

それを上司が拒否すればいいと思うかもしれないけれど、
そういうものを契機に辞められたりすれば、
結果として欠員が生じて補充するのにも時間を要することもあり
当面休むことすらできなくなってしまう事態も当然ありうるから
拒否権というものはあってもないようなもの。

そして自分ひとりが欠けても物事が成り立つと思っているのだとしたら
それこそ普段の自分のやっている仕事というものが疑われるわけで
とても怖くてそういう発想すら自分には到底なかっただけに
何も躊躇せずに結婚式には「行かない」と言ってしまった
自分は本当に友人に対して冷たい人間で、
アツい人はそういうことまでしても祝うことをするのだと思った。

逆の立場になったときに
それを担うことができるのかを思えば到底できない。
それ故なおさら言うこともない。
一方的にそういう条件を受け入れる立場である人は
ずっと同じ状況下に置かれていくのが目に見えているからだ。

あきらめる自分は自己主張のできない人間なのか。
はたまた関係ない人を「信じられない」ような時間に来させて
友人を「おめでとう」と祝うのが友情なのか。

つくづく自分がイヤになる。
結婚式ならいざ知らず、
物故の時を思うとやるせない気がしてならない。

それも当事者であったとしても、
何事もなかったかのように
平静に済ましていく覚悟をできない自分は
職業人として無能なのだと改めて思った。

そういう中で売上げしか求めないお店というものの在り方には
悲観する要素ばかりだ。

今日はそういうわけで自分の所属する部署は
2人という人員で作業を全てこなすことになった。
自分が有能なら、そんな事すら考えることなく
万事滞りなく物事が進んだのだろうけれど、
つくづく上司依存の傾向の高い自分の能力のなさに嫌になった。

posted by 小林 慶太 at 22:19| 千葉 晴れ| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする