2009年12月21日

いすみのお歳暮

去年と同じ事をする人間は進歩がないというのだけれど、
果たしてどんなものなのだろうか?
全てが全てというわけではなく、同じものを同じようにやっていくのだって
難しいものだと思うよ。
何もないがあります
ライトアップされた大多喜城が見えてきて列車はカーブにさしかかり
デンタルサポート大多喜駅に戻ってきた。
こちらもイルミネーションで彩られた駅舎とホームがお出迎え。
待合室には昨年に続いてクリスマスツリーがあった。
何もないがあります
ここから昨年に続いて立ち寄ったお寿司屋さんに向かう。
色んな因果で生涯初めて自分一人で立ち寄ったお寿司屋さん。
これもまた縁なんだろうなぁ。

今夏もそれを意図していたのだけれど、あいにくの定休日だったため
叶わなかったため学習してやってきた。
街は大多喜高校の生徒たちが立ち寄るコンビニエンスストアが復活していて
喜ばしいと思う反面、それを維持していくことを思うと色々と大変なものがある。
町並みは当たり前のように存在しているようでいて
決してそんなものではありえないのだから。

やってきたお寿司屋さんは
今回も忘年会の予約が入っている中でお邪魔する羽目になってしまった。

やっぱり同じようにやってきて同じ空間の中に身を置いて
ご飯を食べる、というものに非常にありがたいものを感じる。
ちなみに頼んだメニューもそっくり同じものに。
こちらのお店にも「ムーミン列車」のポスターが貼ってあった。

自分はこの上ない浮気性な上に可処分所得を考えると
そう頻度を増すこともできないけれど、
それでも意図的にそういうものを導いていく必要があるのではないかとも思う。
別に他の人を思うからというわけではなく、
結果としてそういう積み重ねが自分の身の回りを築いていくからであって
どこまでも自己本位なのかもしれない。

カウンターで目の前に注文を受け、
それを握りながら他の店員さんを指示しつつ、
なおかつその忘年会の準備をこなしていく
板前さんが改めてすごいと思うのと同時に
それだけの仕事を一人でこなしているんだから
少し注文するタイミングを見はからなきゃダメと思うのに
無尽蔵にカウンターで他を見ないで注文を出している
別のお客さんを見てある意味すごいな、と思った。

自分も一人で来なかったら同じようにセカイに浸っていたのかも。
職業柄そういうのを気にする人間。
当たり前のことなんだけど改めてそういうのを思う。

お客さんと板前さんの会話で色々とお店の話を知った。
ふ〜ん、そういう過去があったんですねぇ、とか。

やっぱり今の段階では千葉県内は全市町村踏破を目指して
消費の色彩の濃い旅を敢えてしているけれど、
いずれはそういう風に一定の次元で街との接点を有していった方が
観光というものにおいても
生活の次元においてもいいものなのかもしれない。

意識的に物事にはたらきかけるというのは本当に辛いと思う。
だからといって消費ばかりを重ねていくわけにもいかない。
極力、敢えて反復を想定した旅程を今回は組んだ。
結果として省かれるものもあるのだけれど、
それでも最大限に取り込んだ。
そういうのを考えても自分はつくづく浮気性だと思う。
だからといって同じ事を重ねていくというのにも
またその良さがあると思う。それだって退化とは一概に言えない。
みんなそれぞれに歳を重ねていく。
そういうのを景観や人と確かめ合えるって素晴らしいことかもしれない。

というわけでほとんど昨年と同じような時間帯に駅に戻ってきて
今回は帰路へ着くのだけれど、
結果としてフリー切符でやってきただけで
何も投資をしないままに家路について良かった、良かったというのは
あまりに(たった1本だけど)枕木オーナーとしていかがなものかと思い
グッズを物色。基本的にグッズ収集はしない人間。
グリップボードにメッセージを!というのもあったものの、
例によってメッセージが思い浮かばない。
ちょうど「いすみ鉄道のお歳暮」というポスターがあったので
こちらを窓口にお願いした。

ちなみに僕、自分の勤めている会社でも
棒グラフがあって誰がどれだけお歳暮を買ったのかというものが
貼られていて、それに対して一切買っていないけど、
いすみ鉄道のものは買ってしまいました。
愛社心ないし。こちらは必要だから。(某町のメロンがあれば買うかも)

い鉄揚げ3兄弟とおかき3種類、房総煙まんじゅうというお菓子と
ボールペンにハンドタオル、葉書きにも使えるカレンダーなどが入っているもの。
本当は定価で買うようにしなければいいオーナーとはいえない。
でも実際は販売価格で買ってしまった。
つくづくひどいオーナーだと思う。
だって価格を下げてどれだけ同じ売上げ金額を上げるのには
購買者がどれだけ買えばいいのかって計算する技術を知っているし、
利潤提供も考えれば余計に買わなければいけないのぐらいはわかっているのに。
カレンダーは既に我が家あるんだけどそれでも買ってしまった。

これから箱詰めするので時間を頂くというので
それを待っている間に列車の時刻が迫ってきた。
別に当人(僕)は一本見送っても
次の最終列車が控えているので何ら支障はなかったものの、
この列車に僕を乗せるために駅の方は神経を遣って下さったようだ。
「大原行に乗ります?」という質問を受けている人間は
駅員さんが考えている次元よりもはるかに安易に思っていたというのが
旅の終わりで明らかになる。
何もないがあります
イルミネーションが施された駅構内。ムーミンのキャラクターも。
何もないがあります
何もないがあります
上りホーム。
大多喜高校の生徒たちと列車に揺られて大原駅へ。
全て言い訳で荷物を受け取り、結局は列車に乗ってしまったので整理券を手にすることなく、
フリー切符で今回の乗車を全て済ませてしまった。
真っ暗闇の中で映える運転台の脇は女の子2人組が占拠していたので
時々見えるシルエットで外の様子がわかるくらい。
それでもこの沿線の子達がどうやって家路についているのかがわかる。
決して「何もない」わけじゃない。
列車を降りた自分の「ありがとうございました」という言葉に
どれだけの真実味や見返りがあったのかを思うと空しい。
何もないがあります
大原駅のロータリーのイルミネーション。昨年に続いての登場。
こういうのを維持していくのは本当に難しい。
沿線利用者の人がしかるべき役割期待や投資に合う見返りを
準備に携わる人にどの程度応えることができるのかを思うと、
活性化という表面的な部分に秘められた問題を直視せざるを得ないと思う。
精神的な満足感を与えられたとしても
経済的な部分も一方では満たさなければいけないのも紛れもない事実だから。

帰路にやってきたツマヌダ格闘街の聖地。
よりによってどこもかしこもイルミネーション。
津田沼
それに見合うだけの投資を消費者がしなければ、
それぞれが困窮する状態に陥っていくことをどの程度考えているのだろう?
人口が増えないで、そういうところが増えれば増えるほど
一人あたりしなければならない投資金額やコストが増えていくというのに。
つくづく怖くなる。

家に着いて、いすみ鉄道のお歳暮を開けた。
新社長の方が鉄道好きもあって、そういうのを踏まえた演出。
包み紙に木原線時代からの歴代の車両が描かれたものを使っている。
やっぱりこれも新たに作ったのだと思う。
この包装の様子を見て「時間がかかります」というものを
どの程度考えていたのかを改めて反省する。

「熨斗」などをつけるかどうか尋ねられて不要である旨を告げたから。
それでも丁寧に包装を剥がすときに、改めてその包装の手間というものと
時間との葛藤にやっていただいた方を追い込んでしまったのかを思う。
キッチリと箱詰めされていてムーミン列車のビラや
大多喜町の観光パンフレット、スタンプラリーの用紙が
折り込まれているのと同時に
「来なきゃおいねーからよ」との文言の書かれた商品案内の紙に至るまでが封入されていた。
パンフレットなどもリニューアルされているし、
それにはしかるべきコストがかかっている。

僕はここまで持ち帰りを前提としながら
キッチリと箱詰めして頂けると思ってなかった。

それだけに気軽に申し込んでしまったことは
自分も職業に携わる人間として、ありがたいという思いを越えて
一方で申し訳ないと思うばかりだった。

本当につくづく何も考えていない。
だからこそその駅員さんの「列車に乗りますか」という問いに
もっと配慮や気転の利かせた答えができたのではないかと思う。
例えば列車が過ぎ去ったあとにひょっこりと姿を見せて注文するとか、
もしくはお寿司屋さんに寄る前にじっくり時間をかけるとか、
「乗らない」って回答して夜の城下を歩くとか、
いくらでもできたのに……。

たった1本の枕木とは言ったってオーナーで、
しかも大きな会社じゃないのにそういうものを考えていないなんて
つくづくひどいものだとも。
そういうのを自負するんだったらどんな人が働いているのか
意識的に物事についてはたらきかけなきゃいけないのに
こんな体たらく。

本当は定価で買わなきゃいけないよなぁ。
それに一回買った、で物事を終わらせると
話(鉄道路線存続)が続かなくなるから定期的需要が必要になるわけで
しかるべき投資を重ねる必要が出てくる。
これをいかに消費者としてムリのない次元で成り立たせるのか
非常に難しい話。
グッズは重宝してとっておく、だけだと話が続かないので
コレクションする勢いで買う
(経済的には理に叶っているけど、エコかどうかという話になる)
もしくは一定水準の頻度で買い換える、という
そういうことも考えていかなければいけない。
お菓子も食べて、買わなきゃ。
そりゃ食べるけど、どこまで食べられるか、考えると大変。

で、一番の問題は鉄道の利用。
う〜ん、千葉県内全市町村踏破という壮大な目標があるから
一度踏破したところには極力行かないようにしているんだけど……。
しかも今回の利用は事実上無料なのだから
回数としてカウントされないも同然。

また鉄道路線を利用しなければいけない理由が増えてしまった。

ご用件は何でしょう?

なければつくって出かけますよ。少なくとも再会するっていう用件があるんですから。

明日は09年12月21日に開催されたけやきネットの話。
posted by 小林 慶太 at 22:16| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何もないがあります!

煽っているブログじゃないから!!

辺りが暗くなってきた時間帯に国吉駅にやってきた。
自分の欲望に抗えないフリー切符で移動。
別にそれで乗客の人がいて下されば、
そのついで、なり、おこぼれ、というカタチで甘んじていられるけど、
自分一人、となると……。
運転士さんはいくらダイヤ通りに運転するのが宿命であっても
短いベクトルで考えると
その人に見返りのない仕事を背負わせていることになるのだから。
デンタルサポート大多喜駅で高校生の乗車が一気にあり、
自分一人が車内の平均年齢を上げていることに。
城見が丘駅でも高校生が乗車。
この時間帯だとオリブ方面へ寄り道して家路へ、という利用もあるのだと思った。

今年はイルミネーションのないホームに降り立った。
気軽にそんなことを思うけど、
それを求めるというのも一方ではすさまじく恐ろしい話なのだ。

というのは昨年のミステリーイルミネーショントレインの記事をブログで書いた
数日後、自分の上司がピラッと「こんなものもある」と持ってきた
そのチラシで世の中はどんどん行き詰っていくものだというのを
身に染みて感じたからだ。

どちらが先だとか、そういう話ではないけれど、
わたらせ渓谷鉄道のイルミネーショントレインのチラシだった。

基本的に投資に伴う代価としてやはり集客が見込めなければいけない。
沿線の人口が限られているから
一時的にでも広域から人を集めるための投資だ。
これが一つの企業、鉄道路線、自治体が行っていれば
その集客というのは見込めるけれど、
徐々に増えていけば必然的にその集客というのは分散されることが
十二分に考えられる。

分散されるということは集まる人たちに対する投資金額が上がる事を意味するから
徐々に集客の難易度が上がってくることを意味するのと同時に
集まってくる人一人あたりに対する投資金額が増えれば増えるほど
その見返りとなるものは減ってくる。
だから何にも考えずに「キレイだ」と翼賛している人は
必然的にその投資元を疲弊させていくことを意味する。

仮に一つだけを成り立たせることができても、
できなくなる存在が必ず現れるわけで、
その出てしまった存在に対してどう向き合うのか、という術を
何ら持ち得ない中で
これに迎合していくのは非常に危険だと思う。

もちろん「(他人の)子育てにやさしい社会を!!」と思っている人は
全てのイベントに行って供給を満たさなければいけない。

他の人がやってくれる、というのは
もう人口が限られている以上、必然的に限界がある。

自分で複数のイベントを維持する負担、
それをどの程度こなすことができるのかを踏まえれば
一定水準以上のものを求めることができない。

時間、金銭、あらゆるものが全て限られているのだ。

そして求めてなくてもそういう事態が生じたとき、
消費者としてどうはたらき掛けていくのかを試されるものになると思う。

本題に戻ると国吉駅は
一応僕が1本だけど枕木オーナーをさせて頂いている
数少ない列車行き違いができる駅だ。

ムーミン列車運行に伴って若干改築を伴い、
世界でたった一つの「駅ナカ」ムーミンショップが開店した。
土日祝の10:00〜16:00に営業。

国吉駅舎はいすみ市商工会館と同居するように建っているので
どんな改築がなされたのか気になっていた。
大体、こういう話って教えてくれても……、と思いつつも
やはり(1本だけど)枕木オーナーなんだから
少しは気にかけるようにしなければ、とも思う。
何もないがあります
建物の外観はそこまで変わっていないけれど、
小さなロータリー側にもこういう演出が施された。
何もないがあります

いすみ鉄道のムーミン列車の運行で一躍スポットがあたる場所に
導き出されたのが国吉駅なので
この駅が所在するいすみ市苅谷地区のはたらきかけや
いすみ鉄道の同地区へのはたらきかけがどのようになされたのか
断片的に教えてくれるかのよう。

幟が出ているのだって決して当たり前のものではない。
出して欲しいとも思わない。
むしろそういう投資をして頂いた以上、
それに対する見返りがどの程度自分にできるのかを思えば
過度の盛り上げや演出というのがキケン水準へと事態を招きかねないとさえ感じるくらいだ。

暗くなった苅谷の街をぶらりと歩く。
本当にスポットがあたる舞台として登場したこともあって
商店に「ムーミン列車運行中」などのポスターも見かける一方、
自分が非常に素晴らしいものだと思ったのは
「何もないがあります」といういすみ鉄道をうたったポスターだった。

確かに一方で事業者によるムーミン列車のようなイベントの創出や
沿線自治体の観光に対するホスピタリティーというものへの魅力を
求めることも必要なのかもしれないけれど、
一方では消費者、沿線利用者、地元住民という人たちが
その「何もない」というものの中から何を導き出すのかというのを
これまで以上に求められるものだと思う。

一般的にいすみ鉄道沿線の光景を「何もない」というけれど、
本当になにもない、と思う人は物事を見出す能力に
果てしなく欠落している人なのだと思うのと同時に、
これに対して魅力創出によるはたらきかけだけを翼賛していくことは
よりそういう単純なモノの見方に拍車をかけていくことを意味する。

こういうモノの見方が自分は仕事でできれば言う事ないんだけど。
事業者でできなかったら消費者が何とかするしかない。
それでもできなかったら、何とかできる次元まで物事落とすしかない。

苅谷の町並みの根底にあるもの、
その断片すら自分は知らなかったのだから。
そういうのを自分の街に投影することで
一見すると何もない何かから物事が見えてくると思う。

国吉駅に戻ってきて、待合室で列車を待つ。
何もないがあります
暖炉が設けられた空間。
何もないがあります
こちらヴァレーウインズ。
平日は苅谷の商店街にあるファッションセンターヨシダで
ムーミングッズなどを買うことができる。
だからいすみ鉄道のエプロンとかも売っていたんだ、と納得。
土日営業の店舗をどう運営してそれを地域にどう波及させていくのか
色々と消費者もまた考えなければいけないこと色々。
この辺だけ思うだけでも「何もない」ものではないと思う。
それがどの程度の経済価値かどうかは別の話として。

明かりの消えてしまった商工会館。
ホームを照らすのは待合室とベンチの上の明かりだけ。
そんな光景の中で時間軸を過ごす、
それもまた無意味なものではないし、それにも味がある。

そういえば自分の枕木は……。
あったよ!!
文字数考えてないからいかにも中途半端に端折ったという
ギリギリの語呂合わせのメッセージとともに。
こういうのを取り付けて頂く事、そういうのを思えば、
自分の投資というのは決して高いものではなく、
むしろそれにどの程度あうのかを考えれば安いくらいなのだというのが
わかる。
国吉駅枕木オーナー少ないんだなぁ。
というわけで数少ない希少な一本しか持ってないけど
枕木オーナーの戯言。
しかもこの期に及んでフリー切符で
デンタルサポート大多喜駅にむかうんだから自分の所業って……。

つくづく自分は物事を愛せない人間なのだと思うばかりだったりする。
気持ちはどこまで続くかわからないんだから。
人間は自己愛獲得のために生きている。
その裾野はどこまで広げることできるだろう?
posted by 小林 慶太 at 18:35| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月20日

ようこそ!日本のムーミン谷へ

DSC01871.JPG
上総中野駅からはいすみ鉄道を利用する。

さていすみ鉄道。現在はムーミン列車が運行中。
いすみ鉄道を走る車両はいすみ200形といい、
全部で6両を所有している。
この6両にそれぞれ「ムーミン」に出てくるキャラクターを配置し
ヘッドマークとスタンプ台で差別化して
これら車両とデンタルサポート大多喜駅と国吉駅のスタンプを集めると
記念品がもらえるというスタンプラリーを開催している。
ムーミンはとにかく、一形式しかない車両において
個々に差別化をはかることにおいてうまい手法だと思う。

さりげなく踏破させて頂いた。
スタンプ台はデンタルサポート大多喜駅で受け取るので
自分の閻魔帳にチマチマと。いや、何となく踏破しただけ。
原則1両ワンマン運行だけれど、
2両編成で運転する列車もあるので一気に2つ獲得するのも手。
ムーミン谷にようこそ!!
写真は「スナフキン」のいすみ205車両。
ムーミン谷にようこそ!!
サボもこんな感じになった。
ムーミン谷にようこそ!!
車体イラストはこちら。
ムーミン谷にようこそ!!
運転台近くにはクリスマスツリーが設置。
ムーミン谷にようこそ!!
内装のクリスマスイルミネーションにビックリ。
これだけ施すのにどれだけの手間を要するのかを思うと
本当にこれに携わる人たちのご苦労が偲ばれるものの、
手放しで素晴らしいといえない部分がある。
こういう努力に対してどこまで報いることができるのか
やっぱり考えてしまうと、なかなかそれに報いることができないから。
しかも手にしているのは枕木オーナー用フリー切符となれば。
ムーミン谷にようこそ!!
籠に揺られるスナフキン。
向かった先は三育学院大学久我原駅。
やはり同じことに極力こだわるようにしているので
ここから道の駅たけゆらの里おおたきに向かう。
とりあえず枕木オーナー切符を提示して下車。刻印を入れて頂く。
非常に後ろめたい思い。だったらやらなければいい、と思うでしょ。
僕はそういうひどいオーナーだ。
ムーミン谷にようこそ!!
なんとネーミングライツが付いた。殺風景な待合室にも看板がある。
一応、三育学院大学の最寄り駅なのだけれど、
国道297号を道の駅たけゆらの里おおたきに歩いていく途中に
送迎バスを見かけたように、
この大学の通学手段として使われているとはちょっと言い難いかも。
列車の話ばかり綴っているけど、今回も反復や再来を考えながら、
しかるべきところに出かけていたりする。
やっぱり定期的供給を意識的に導き出していかなければいけないのは
紛れもない事実。
自分の購買力を考えれば、それがどの程度で、どこまで蓄積できるのかが
おおよそわかるかと思う。
できなければ、何を下敷きにしてそれを維持していくのか、
そういうのも考えなければいけないこと。
やはり日常的な営みがあってからであって、
下敷きにしていくのには鉄道に限った話ではなく、
産業や街づくりなどあらゆるものに派生していくものかもしれない。

ともあれ久我原駅に用があって立ち寄っているわけではないけれど、
この件について語らせて下さい。
降りているのは道の駅に行ったり、夷隅川を橋脚から眺めるため。

駅ノート、こういうツールをどんな人がこの場所に
どんな思いを抱いたり目的でやってきているのかを知るのに
有意義なものだと思うのですが、
これをページをバサッと切り抜いたりするのはやめてください。

あとゴミは少なくともゴミ箱に入れよう。
線路脇にビニール袋に入れられたゴミが転がっていたり
ベンチのそばに落ちていたりするのを見るのは非常に辛い。

路線維持のためにはそういう配慮をしなければ
やっぱりどうにもならないと思う。
そういう自分も捨ててあったごみが大したことないから
ゴミ箱にそれを拾って捨てたけれど、
量が多かったり、ゴミ箱がそこになかったらどうだろうな……。
僕の倫理観というのもそんなものなのかもしれない。

ムーミンばかりをクローズアップしているけど
いすみ鉄道には「ドラえもん」もいるのだ。
ムーミン谷にようこそ!!
西畑駅にいるドラえもん。ちょっとぼろぼろ。
のび太くんにドラミちゃん、ピカチュウもいる。
デンタルサポート大多喜駅にも。
ムーミン谷にようこそ!!
ちなみに西畑駅のホーム。まさに西畑小学校の目の前に位置している。
国道465号から西畑川方面へ棚田の景観が広がる様子が見える。

つづく
posted by 小林 慶太 at 23:54| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幻の木原線計画を辿るA

木原線計画を想像しながら国道465号の旅は続く。
トンネルを抜けるとそこは大多喜町だった。
国道465号A
ここから筒森までバス路線の設定がない。
国道465号A
落石ネットがかかる山肌に沿って歩いていく。
国道465号A
水田が見えてきて「筒森もみじ谷入り口」を通る。
国道465号A
筒森川(養老川の支流)が脇に現れて筒森橋を渡り、ゆるい上り坂へさしかかる。
カントリークラブの建設予定地や
山の斜面で新設の道路工事がなされている現場を通りながら
山を上がって行くと筒森の集落に至る。
ここでようやくバスの設定がある。
1日わずか2本。小湊鉄道バスの運行。7:30と16:45のみ。
集落からの通学の手段としての使用とその回送を兼ねての輸送の
性格が強いダイヤだ。

大多喜町はそれでも民間バスの路線を維持している。
裏を返せばコミュニティバスとしての運行ができないことを
意味するのかもしれない。
この辺が自治体における公共交通に対する姿勢と
その財政配分の違いや資本力の差などを示しているものだと思う。

永島郷土館という大きな藁葺きの民家(?)は
一見の価値あり、という建築物だった。

ここから坂を下って筒森トンネルを抜ける。
国道465号A
このまま道を歩いていくと養老渓谷温泉。
国道465号A
老川十字路にやってきた。
養老川眺めながら駅弁を食べていたのが僕です。
ここまで来ると免疫が自分はあるので大丈夫。
今回はこの近辺で洞窟温泉にお邪魔した。
ムアッとした洞窟の黒い温泉で一休みしたあと、
上総中野へトボトボと。雨が降ってもお構いなし。

生涯初めて歩いている時に
野生の猿の親子と対面して非常に動揺した。
そりゃ世の中いるんだけど、
いざ目の前にガザゴソって音がして鳴き声とともに現れるとねぇ。
DSC01871.JPG
老川県道踏切を渡り、山神水神神社のところから
民家や商店が並ぶ通りを進んで上総中野へ到着。

こうやって木原線は上総亀山から上総中野へと結ばれる計画だったと。
この計画が浮上したのは林業の影響が大きいのではないかと思う。
でもそれだけでは路線敷設には至らなかったと。
やはり沿線人口が少ないことなど色々とあるのかもしれない。
道路敷設がなされているだけでもその地形を考えると
相当の難工事であったのが想像されるし、
これによって容易にできなかった人の往来が可能になったのは
紛れもない事実だと思う。

世の中って「ムダ」って簡単にいってくれるけど、
例えば鉄道は敷設されなかったものの、
実際に存在する道路はどうだろう?
交通の往来の少ないところに今日もまた新設の道路をつくるというのも
一見するとムダかもしれないし、
橋も架け替えたりというのも財政的なものから見るとムダかもしれないよね。

前者について踏まえるとミクロ的なものから見れば
決して自分たちが縦横無尽に生活できるところに住んでいる人は
やはりそう映るのかもしれないけれど
丸っきり同じものを保障することはできないものの、
一方ではそういうものをしかるべき地域にも
我々は保障しなければいけないのだとも思う。

簡単に人が集まっているところに住んでしまえばいい、と思うかもしれないけど、
人の手や神経が行き届かない土地というのは荒廃していくばかりで
しかるべき手間などがなければそれを防ぐことはできないんだ。

橋の架け替えを見て、自分の脳裏に浮かんだのは
出雲大社で聞いた「宮大工」の話。
技術を受け継いでいくのにはしかるべきサイクルで改修を行い
それによって伝承をしていく必要があり、
一見すると建物は大丈夫なのに建て替えるのはムダかもしれないけれど
その技術伝承のためにしかるべきコストを賄う必要があるのだ、というもの。

こういう話を振ってみるとどうだろう?


posted by 小林 慶太 at 22:31| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

幻の木原線計画を辿る

さてちょっとした寄り道をして本題へ。
上総亀山駅にやってきた。
国道465号
こじんまりとした駅舎。
線路脇に小さい転車スペースとさくらタクシーがある。
この転車スペースにバス停があり
コミュニティバスせせらぎ号と風っ子号の設定が
黄和田車庫ならびに七里川温泉までなされている。
1乗車200円。

かつては鴨川日東バスが路線バスを設定していたものの
その維持が困難となり、君津市が代替として設定し、
従来通りに運行は鴨川日東バスが受け持っている。
民間路線時に比べて遥かに本数設定が大幅に増えているのは
地域の要望とそれに応えられるだけの
自治体の体力などが背景にあるのではないかと思う。
おおよそ1時間に1本、
どちらかのバスが久留里線の出発や到着に合わせてやってくる。
その資本力も特定の企業依存度が高いので
今後の展望については安閑とできるものではないかもしれない。
むりなく成し遂げるのには何らかの代償を伴うのは確かだと思う。

上総亀山駅から上総中野駅は鉄道敷設の計画があっただけで
実際に路線が敷設されたことはないので、
今回はそれを補完するかのように伸びている
国道465号線を歩いていくことにした。
この道路が敷設されているのだって容易な話ではない。
交通量も多いか、と問われるとさほど、という印象。
でも、これがなかったら……と考えるとどうだろう?
国道465号
上総亀山駅の構内。
国道465号
そして車止め。
ここから先、上総中野〜大原と至るまで線路が敷かれる計画があった。
自分が歩いた国道465号線は亀山湖をまたぐように設定されてるルート。
途中で一本化する。
亀山湖は笹川や小櫃川の洪水などを防ぐためにつくられた人工ダムなので、
おそらく、木原線計画があった段階では
また今日とは違った地形をなしていたのだと思われる。
全然想像がつかない。
今日のような産業構造が日本経済のスタンダードだったわけじゃないし。
国道465号
藤林大橋から見た亀山湖(小櫃川)。
ところどころの地区に湖畔公園が設定されている。
国道465号
こちらが藤林大橋。
そして亀山大橋へ。この日は工事中だった。
国道465号
坂畑橋や稲が崎地区の湖畔公園を通って
亀山ふれあいセンター直売所を過ぎ、神納橋を渡ると
バス停は「長崎」。棚田が形成されている。
国道465号
こちらは新釜生橋。古い橋の跡が見えると思う。
できたのは平成19年とか。橋脚の架け替えが行われている。
亀山湖で見た水面と川の水が全然違って透き通ってる。

蔵玉トンネルを抜けて黄和田畑スポーツ広場へ出ると
「ようこそ七里川渓谷へ」の看板が現れ、
もう少し歩いていくと三仏堂があって程なく黄和田車庫。
国道465号
せせらぎ号が控えている。
イメージしていたのと随分違う車庫、というのが率直な感想。
でも冷静に考えると、自分のイメージって
何を根拠にそんなものを思い描いていたんだ、というもの。
このまま歩いていくと、この交差点へたどり着く。
国道465号
せっかくなので七里川渓谷へ足を延ばす。
国道465号A
こういうところを通って黄和田トンネルへ。
国道465号A
抜けるとこんなところへ。
国道465号A
東京大学の演習林などがあり、
小糸川が県道に沿って流れていく景観が続く。
ちょうどいい写真はないけど。

木原線を想定する上総中野へと通じる国道465号は
先ほどの交差点を左折してこちらのトンネルへ。
国道465号A
続く。




posted by 小林 慶太 at 23:01| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

久留里に寄り道

千葉県にかつて存在した鉄道路線で木原線というものがある。

リアルタイムで生きていたくせに何も知らないというのも
ある意味ですごいと思うのだけれど、
現在第3セクターで営業しているいすみ鉄道が
国鉄時代の路線の名称がその木原線というものだった。

木原線というその名前の由来は「木更津」の「木」と「大原」(いすみ市)の「原」で
文字通り木更津と大原を結ぶ、そういう計画の下で敷設された路線だ。

といってもいすみ鉄道は木更津まで走っていない。
上総中野(大多喜町)までで頓挫している。

一方で木更津方面からも鉄道敷設がなされている。
それが久留里線だ。
現在は上総亀山(君津市)止まりとなっているから、
上総亀山〜上総中野は鉄道が敷設されることなく
今日に至っているという事になる。

その背景には色々とあって、
一つは上総中野で小湊鉄道と木原線(いすみ鉄道)が合流しているので、
目的地は多少違えども、外房と内房を結ぶことができたこと、
二つ目は国鉄再建法によって木原線が1次廃止対象路線になったこと、
三つ目はその地形的な問題。

今回の旅はその木原線の叶わなかった上総中野〜上総亀山というのが
どんなところなのかを実際に歩いてみようという非常に無謀な計画。
具体的に着手されたことがあるものではないし、
現在の道路からでは当時を思うこともないけれど、
こんな計画だったのか、というのを知ってみるため。

木更津駅から久留里線を使ってまずは久留里駅へと向かった。
せっかく久留里線で終点まで向かうので
今回は久留里をちょこっとだけ紹介。

僕が千葉県内でおすすめする場所の一つに君津市久留里がある。
やはり城下町であり、自噴井戸が街を彩っているところ。
城下町としての町並みを残しているし、
水田と綺麗な水という資源を生かした酒造なども並ぶ。
それと同時に君津市という広域行政区が
どういう地域を抱えながら、どう補完して成り立っているのかを
色々と考えさせてくれる場所でもある。
住んでいる方はその歴史を背負って生活をなされているわけで
そういうのを誇りに思われているのを
一方で大変だと思うのと同時にうらやましいとも思う。
観光する場合は上総亀山駅近くの亀山温泉とあわせて旅程を組むのが
僕のおすすめ。

久留里編
とりあえず久留里駅。
やはり久留里線でここへ向かうのがベスト。
東京駅からだと高速バスでダイレクトに向かえるけど、
首都圏でJRの一番近い非電化区間でタブレット閉塞を行っている区間だし、
木更津駅の出発BGMとか、見所たくさん。
小櫃川も路線を彩るスポット。
ちなみに久留里線は木更津市から袖ヶ浦市を通って君津市に至る。
鉄道網で考えると、君津駅周辺からは迂回をすることになる。
そして「鉄子の旅」記念すべきあの衝撃の第1話の舞台。
久留里編
観光交流センター。
こちらで観光案内をお願いすれば色々と親切に教えて頂ける。
近くには加勢観音がある。
久留里編
町並みはこんなところ。
派手ではないけれど、落ち着いた雰囲気を醸しているところ。

続いて自噴井戸を紹介。全てといかないけど。
こういうのが街の中に普通に存在していて風景に溶け込んでいる。
久留里編
久留里編
久留里編
そして久留里城も。山城なのでそれなりに歩くことになる。
駐車場付近に杖も貸し出している急坂。
久留里編
城址にはトンネルをくぐって出発。
久留里編
復元された天守閣。土屋氏や黒田氏が城主だった。
そして正徳の治で知られる新井白石は久留里と縁が深い。
久留里編
城址整備とその資本の関係とか、
さりげなく広域地区の構造が読み取れる。
簡単にいうと臨海部の資本が
内陸に循環していく構造を土壌にしていた。
久留里編
さて、上総亀山に向かおう。
(ちなみに写真の列車は木更津行です)
posted by 小林 慶太 at 23:06| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一応、オーナーです。

つくづく自分が(他人の)子育てにやさしい社会を、という発想がないことと
本当に嫌なオーナーだなぁと思うのと同時に
それに対して色々と尽くして下さる方々に申し訳ないばかりだ。
でも言葉と裏腹にやっている所業と言ったら……。

僕はそういう中でどうすればいいのだろう?

キッパリいえば正規の運賃を支払えばいいだけ。

自分の手元にフリー切符が1枚あった。
有効期限の記載のないもので、使う、使わないも自由。

この切符、いすみ鉄道の国吉駅の枕木オーナー用乗車券というもので、
その枕木オーナーの証明書と同封されて頂いたものだ。
どうでいい話かもしれないけれど、
ブログを書いている人間は
いすみ鉄道国吉駅の国吉駅の枕木オーナーだったりする。
たった1本で高言しているような気がするものの、
一応、そうなっている。

このためにブログ記事で
国吉駅とその周辺の観光に関して取り扱っているので
検索して下さい。

プレートは見かけてもイタズラしないで下さいね!!

受け取った当時は単純な人間なので、
また(いすみ鉄道沿線に)行かなきゃいけない理由が増えてしまった、とか
愚痴りながらも、何らかの所用を企画して足を運ばなければ、と思っていたのだけれど、
最近は自分のコストダウンに歯止めをかける発想から鑑みれば、
本来このフリー切符というのは使うべきではないという
選択肢が浮上してくる。

つまり儲かって儲かって仕方ないような鉄道路線ならいざ知らず、
期間限定で存廃の結論を求められているようなところであれば、
むしろしっかりとした運賃を支払い、
なおかつ鉄道路線の利用頻度を高めるなり、
運賃以上の支出をして、会社や路線の存続に対して
一方で努力をしなければいけないということになる。

フリー切符を発行することで
それを利用する人々の裾野と利用頻度が上がればいいのだけれど、
これが思っている以上に広がらない。
正確にいうと広がるのだけれど、
その対象となる人口がほとんど限られていて、
どこも同じ手段を講じていくと、
必然的に裾野と利用頻度というのは限られるものになってくる。

フリー切符で「もと」をとろうと思えば、
必然的に鉄道会社に本来の運賃を支払えば転がるであろう
収入が消えてしまうのだから、
結果として働いている人たちは
その消えてしまう収入分の仕事を余計に抱え込む事になってしまうからだ。

しかもこれが正規のフリー切符の運賃を支払うなら
まだいざ知らず、このフリー切符、「無料」だから。
一切おカネを出さないで、サービスを受給するというのは
単純に他の要因が絡まなければ、
どういうものなのかを考えればわかるかと思う。

人口が増えたり、集客が安定して裾野が広がれば
その単純な構造に複雑な要因が絡まってくるのだけれど、
それがなければ徐々に単純化していくのは明らか。

オーナーの特権だ、枕木代を払ったんだから!!という発想もないわけじゃないけど、
じゃあその枕木代からフリー切符の正規の運賃と、
会員証の作成、そして郵送する手間、
さらに実際のプレートをつくり設置する過程に至るまでのコストを考えると
どの程度、企業の運営資金として手元に残るのかを思えば、
微々たるものにしか自分には思えなかった。

枕木にこの金額を投資する、というのを
自分の金銭感覚からして一瞬でも悩んだりしたものの、
むしろ自分の方が受けている恩恵が多いぐらいなのだというのが
冷静になって考えるとわかる。

かといってせっかく頂いたフリー切符。
使うことと使わないこと、
それはどちらが作成者の意図に叶うのか、というと
やはり使うこと、というのも紛れもないこと。

本当に改めて冷静になって考えると
そういう葛藤に晒される。

結局、その切符を使っているのだから、
自分の所業に対しては情けないとしか思わないし、
他人を思いやったりする気というのはあるようでいて
行動がなんら伴わないから
自分には存在しないのだとしか思わなかった。

自己中心的な自分の所業の話は次回へ続く
文頭の子育てにやさしい、と鉄道の話とどこが関係あるのか、というと、
あらゆる社会支援を「子育てにやさしい社会を!」と思うのであれば
その方向に向けられるように個人として
特に消費者として冷静に留意すべき必要があるから。

納められる税金が無尽蔵に増やせたり、
そういうことができなければ、
やはりこういうことから積み重ねていくことしかないってこと。

ムダなところからおカネをまわせばいい、という発想の
「ムダ」というのは思っている以上にその社会を成り立てるのに
少ないことが徐々に明らかになっているならなおさら。
posted by 小林 慶太 at 22:16| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

序曲

フリー切符の魔力に呪われた自分の話は後回しにして
コメントを頂いたので今日はこの話題を綴ります。
情報提供ありがとうございます。

京成電鉄が成田空港線の運賃設定を国土交通大臣に上限認可申請したそうだ。
何がショックって、これによってどう見ても北総鉄道の存在理由が見出せないこと。

私情はさておいて運賃設定は非常に妥当なものだと僕は思う。

運賃の逆転現象を防ぐことはできなかったものの、
北総鉄道、千葉NT鉄道、成田新高速鉄道と
3つの会社線を通っていく中で
成田空港まで京成高砂から
本線で890円、成田空港線で950円となれば許容範囲だと思われる。

千葉NT地区までの運賃よりも
成田空港への運賃が安くなるという逆転現象は回避されたものの
やはり距離的にも短い成田空港線の運賃の方が
長い京成本線よりも割高になってしまっているので、
逆転現象は解消できなかった、という評価もすることになる。

うちの市からだと新京成・東武野田線で成田空港に向かうのであれば
京成津田沼・京成船橋から京成本線に乗り換えた方が
若干運賃が安くなるまま。

ともあれこれによって京成電鉄は
京成千原線同様に一つの鉄道会社内において
3つの運賃体系を持つという特殊な構造を抱えるに至った。
あまり好ましい事態であるとは思えないのだけれど
どうなのだろうか?

つまり北総鉄道としての運賃体系であれば
この運賃設定をむしろよく抑えた!と評価すべき部分もあるけれど、
京成線の一部として考えれば
本線・押上線・金町線と別の運賃設定をされること、
さらに踏み込むと京成高砂周辺、
具体的に青砥や京成小岩からこの成田空港線を利用した時、
従来の会社線変更に渡る割増分が解消されるのか、というところ。

そして北総線の運賃値下げに伴って
成田空港線として開業する段階に至っても
その適応が採用されるのであれば、
沿線自治体として成田市が
負担金の対象に入らないまま、(僕は不本意だけれど)運賃値下げを行っていいのか、という
問題も浮上するのではないかと思う。

同時に本線スカイライナーの停車駅の見直しも考えるべき点があると思う。
当初段階では有り得ない話だけれど、
既存の本線スカイライナーが運賃の安さや本数、運用車両で
成田空港線のスカイライナーよりも優位性を保つとは考えられないから
途中駅でやはり乗降を必要とする
今日のモーニング・イブニングライナーのような受け皿の設定が
京成船橋以外にも求められるのではないだろうか。
本数設定にもよるのだろうけれど。
そういうものをしなければこちらも存在理由がなくなってくる。

2010年7月は果たして輝かしい未来の序章に至るのでしょうか?




終幕へのカウントダウンだったり?
人の流れが変わるということは
必ずどこかから人が流れて増えるところと減るところが存在する。
この辺も考えなければいけない。
posted by 小林 慶太 at 22:37| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

ゆくうしくるとらフリー切符登場 潜在的需要は果たして発掘できるのか!?

前回までのあらすじ(前話と関係ないです)

なんかフリー切符で列車に乗り放題!!というのは
子育てにやさしい社会を!!と思う人間のやる所業では
ないような気がする今日この頃。
(安売りは危ない、といっているのと冷静に考えると同じ構造)

利用するなら少なくとも元を取ろうとか、
そういう発想を持たずに、
いかにその企業の福利厚生、
強いては利潤算出及び納税による富の還元に
役立ててもらうようにはたらき掛けるか、
元をとれる分以上に利用頻度を高めていくしかない。

で、しかもその利用頻度、というのが限られた人口、時間、
そういうものを踏まえた中で、
他の地域や産業にゆがみを生じさせないように考えなきゃ、となると
つくづく自分は社会を
疲弊させているだけなのだというのを感じるばかり。
だから維持できる確信が手元にない。
この世の中にそういうのが一つくらいならいいけれど、
それがいくつもあれば必然的に維持できなくなる。

たぶん、人口が増えていく構造であれば
意識しないでもこの選択肢をとっても
何ら支障はないのだろうけれど。

消費者は自由を保障されている一方で
その意識しない
消費行動によって他人を死地に追いやることもしばしばある。

そういう中でどれだけのものを守れるのかを思うと……。

で、本題。
ついに新京成でフリー切符が企画された!!
ポスター目撃してビックリ。

「ゆくうしくるとらフリー切符」というもので
大晦日とお正月の3が日、新京成に1000円で乗り放題。
委託している新鎌ヶ谷と京成津田沼、
事実上の無人化をしている松戸新田、前原、
これらの駅を除いた駅で2010年1月3日まで買えるのだという。

自動改札は通れない切符で
結果として松戸新田、前原では改札をくぐる際に
インターホンを押して係員の人を呼び出して乗り降りをすることになる。

夜間ってどうするんでしょう?
無人化のツケはこんなところにも。

大体、わざわざそんなことのために呼び出される係員の人を思うと
そこまでしようとは僕も思わないんだけどなぁ。

まず、フリー切符の魔力にとりつかれる病的な自分の発想。
有効期限が4日間とはいえ、新京成の路線の特徴を考えると
1000円という値段設定は果たして魅力的なものと映るのか、というのが
一点目。
基本的にフリー切符の基本料金は始発駅から終点までの往復料金と
有効期限を踏まえて、それよりも若干安く設定するのが相場。
それを考える値段設定は妥当なのだけれど、
新京成は後述の北総鉄道のように始発駅から終点までの乗車をする
需要が非常に少ない路線特徴を抱えている点が一つ。

そして有効期間が4日間となると、
それだけの時間に融通を利かせる人がどれくらいいるのか、というのが
2点目。
確かに有名ではないけれど金蔵寺とか初詣スポットも抱えているし、
観光なんてものは他人の価値観によって導き出せるので
一概には言えないけれど、
そのコストを下げるだけの裾野が広げられる観光需要が見込めるのかという疑問点。

沿線住民にしてみるとベットタウンとして機能しているだけに
定期券利用の人が多いと思う。
定期券は途中駅での下車ができる。
だから乗り降り自由というのが思っているよりも
魅力に映らないのではないか、という点。

しかもたぶん、僕同様、
(他人の)子育てにやさしい社会を、と思わなければ
やはりどの程度、元がとれるのかを計算するわけで、
結果として4日間で1000円の元をとることが
ムリなくこなせるのかを思うと、さほど魅力的ではないかもしれない。
観光で他地域から人を呼ぶとなれば4日間滞在することになるから、
意外に難しいと思う。
これが1日有効で300円〜400円の設定なら
裾野は広がるかも、と思えるけど、
それでも新京成は沿線の構造から難しいかもしれない。

そして問題なのは普段鉄道を利用しない人を
どれくらい新京成は呼び込むことができるのか、という点。
たぶん、今回はその試金石なのだと思うけれど、
新京成は公共交通として十二分に料金設定や列車運行本数を維持しているので
僕が思っている以上に
自動車に旅客を奪われているというのは考えにくいと思う。

北総鉄道のように「運賃が高い」「本数が少ない」と
一般的にいわれていて幹線道路が並行するように走っている区間が
存在し、
駅間が離れていれば
自動車に旅客が流れることも考えられるし、
それに対して何らかの歯止めをかけるべく
北総鉄道もこちらは有効1日限りで
09年12月26日から2010年1月3日まで大人1000円でゆくくるきっぷを、
そして都営地下鉄も乗り降り自由で1800円のゆくくる周遊きっぷを発行する事になっているけれど、
これは潜在的な需要が見込めることがありき、であること、
千葉NTからの往復利用者が
北総線利用者の多数を占めていることから
料金設定が魅力的に映ることなどから、
恒常的に行うと経営に問題が出てくるものの、
そういう中で北総線を利用してもらい、
その鉄道ならではの利便性というものを知ってもらうという部分で
決して熱狂的なファンだから、というわけではなく
この企画を(ある程度の次元で)受け入れることができる。

大型商業施設の所在地も北総線と新京成は性格が異なる。
千葉NTなどは幹線道路からのアクセスも考慮された道路設定がなされているものの、
新鎌ヶ谷は別にしても新津田沼、松戸は
どちらかといえば鉄道やバスを軸にした集客によって
施設を成り立たせている性格が強いし、
八柱、常盤平、五香、北習志野という商業地区も
また他地域から自動車での集客を見込んでいるという性格は
さほどない。

思っている以上に潜在的な需要を発掘しきっていると思う自分の前に
あらわれたフリー切符。
果たして新京成の潜在的な需要はいかに?

色々と戦略的なものを練っている
新京成の置かれている状況というのも改めて浮き彫りになってくる。

絶対に競争煽っているって自分で思うのだけれど、
そんなことはない。

そんな自分の手元に更なるフリー切符の魔力が……。
明日は休載。続きを読む
posted by 小林 慶太 at 23:18| 千葉 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

続・素晴らしきかな民間感覚

どうせひがみで書いていますよ。そういうことにして下さい。
地元広報誌09年12月15日号(通算1029号)が出た。
この紙面で市職員の給与や職員数などの状況をお知らせします、という見出しで
給与とか職員、その服務に関する状況が綴られている。

そんな中で僕が目に付いたのが特別職の報酬などの状況。
例によって
「ふぅ〜ん、そんなに貰っていて
そのおカネを出してくれている人に民間感覚がないとか言って
自分はそれを手にしていたんだ」
とつくづく思う。
市議会議員さんの報酬が月給43万円だそうだ。
で期末手当が4.05カ月分。つまり約174万円ということ。
(半期で考えれば世間一般のボーナスという金額が算出できる)
ちなみにこれが09年12月1日現在なので
12月定例会で2.5か月分下げられた段階での報酬という事になる。

だから去年08年3月の定例会で予算について
敬老金が捻出されなかった段階で
その市長に対する某市議会議員さんの批判
「民間感覚などがあったのか
無為無策であったとしか言いようがない」
という言葉がいかに的を得ていないものなのか、
傍聴していた自分の不信感を募らせるものだったのかというのが
おわかり頂けないだろうか。

何度も繰り返すけれど、
民間企業は赤字だとボーナスが出ない。
黒字でも将来的な展望がないと出せない場合もあるけど。
借金までしてボーナスを出す将来的な投資をする経営者もいるけれど
一般的に考えてみると、前者の考え方なのだと思う。
自治体の財政はどうなんでしょう。

で、しかも批判している
市議会議員さんの給与を賄っている他ならない自治体であるのなら
この批判を成り立たせるのであれば、
自分は絶対に期末手当を受け取ることはあってはいけないと思う。

もしくは全額寄付とか、
地域にしかるべき生活サイクルを循環させるような
おカネの意識的な使い方をするとか。

これが0が一つ少なかったりすれば
それでも期末手当くらい貰っても、と思うけれど、
それは公的な感覚であって、民間感覚ではない。
民間感覚は極限まで削るものを削らせてしまうのだから。

逆にそういう期末手当を受けていて、
他者を批判するのが成り立つのであれば、
それがこの某市議会議員さんのいう「民間感覚」であるのだから、
結果として市民を代表して
「民間感覚」で敬老金を捻出するように工面を求めているのだけれど、
その「民間感覚」というものを結果として貶めている批判だと
今でも思うし、
こういう言葉でブログを書いている人間つまり僕が
市議会というものに不信感を持つように至るのであれば
損失というのはむしろあまりに大きいものだと思う。

だって本人だけの損失ではないから。
そして自分が積み上げてきたものに対する
自己否定に他ならないものではないかというのも。

なにより辛いというのは長年この職に携わっている人が
自分に対して一切何も批判の矛先を向けることなく、
その相手に対して全ての責任を向けているその姿。

こういう言葉で批判を展開することには
非常に留意すべき点が多いのではないかと思う。

別に不信感を抱くのは僕一人ならいいかもしれないけれど。

民間感覚って何でも万能だと思っている人も多いけど、
そんなことはないと思う。
だったら公共性なんて必要ないわけだし。
同時に民間が全てダメというわけでももちろんない。
そういうものを考えながら批判を展開するのを踏まえれば
自ずと自分たちにも責任の矛先を向けざるを得ないとわかると思う。

この話を非常に根に持つのは
自分もまた何だかんだ四半世紀以上、
この街に生きているわけでそういう人たちを代表する立場の人が
こんな言葉で批判を繰り広げられた事は
何とも言葉にしがたい、
簡単に言えば見苦しい、カッコ悪い、そんなものだけじゃない
そういう思いを抱いたから。

やっぱり決して僕らは一方的な被害者ではないと思うよ。
お互いにそういうもの(責任の所在)とかを明確に
背負っていかないと物事は動かないと思う。
仮に動いても混迷を極めるだけ。

市長や職員の人たちの待遇について、
子育てにやさしい社会をつくるのには
これでも色々と足りないってことなんだと思う。
男性の育児休業は0人だもの。

そういうのを社会的に広めていくのにはどうすればいい?
仮に次元が維持できないのだとしたら、
どうやってそれを体現していく?
そして政治家ではなく消費者なり生活者として
どう働きかけていく?
posted by 小林 慶太 at 22:24| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする